2009年 06月 05日
mixi日記に過激なタイトルが多い理由
「mixiやめるかも」「彼女(彼氏)ができた」「結婚します」
といった地雷バトン系タイトルを筆頭に、
mixiの日記タイトルはインパクトのあるものになりがちだ。

つい先日も「新曲発表!」という日記タイトルにつられ、
日記を見たらミスチルではなかったので、がっくりした覚えがある。
(別にその方が悪いわけではなく、
ミスチルだと思い込んだ私が悪いわけだが、
多分、私が同様のタイトルをつけて日記を書いたら、
多くの人は「ミスチルだ!」と思うだろう)

インパクトのある、過激なタイトルになるのは、
日記の中身を読んでほしいから。
マイミクすべての日記を全部読んでいる人は、
多分少ないと思う。
何を読むかは、自分の興味や目を引くタイトルかどうかが、
大きなポイントとなるだろう。
そのために、どうしても日記タイトルが印象の強いものになる。

私も同じようなことを痛切に感じていた。
私の場合、もともとホームページで書いていたものを、
mixiの日記に転載していた。

ホームページはタイトルだけしか見えないということはなく、
タイトルと文章もぱっと目に飛び込んでくるので、
必ずしもタイトルにインパクトがある必要はない。

しかしmixiでは日記タイトルしか表示されず、
そこをクリックしてはじめて中身がわかるようになっている。
ホームページのタイトルをそのまま転載しても、
読んでもらう確率が低くなると感じ、
(実際にアクセス数でもそうだった)
タイトルだけはmixi用にわざわざ変えたりもしていた。

単にタイトルのインパクトというだけでなく、
読者層の違いもあった。
別に私は正確なネット読者層を把握しているわけではないが、
ホームページの読者とmixiの読者では、
明らかに種類が違うと感じていた。
読者層の違い=リテラシー(理解力)からも、
タイトルは変えないとまずいなと思っていた。

ニュース記事を引用する場合は、
なおさらインパクトのあるタイトルになる。
mixiニュースの引用記事を書く場合、
私にとって新たな「かさこ読者」を獲得する大きなチャンスでもある。

注目するニュースで何百と書かれた日記の中で、
多くの人に中身を読んでもらおうと思えば、
どうしてもタイトルはインパクトのあるものにする必要がある。
ニュースの場合は出だしの本文も表示されるので、
文章を書く構成も大きく変えている。

そんなわけで日記タイトルが、
私が一番言いたい内容ではないケースも増えている。
「酔った女子大生の落ち度」がその最たる例だ。

はじめに書いたタイトルは、
「大麻より恐ろしい酒」。
しかしこの日記タイトルならば、
「酔った女子大生の落ち度」より、
まず間違いなく、読んでもらえる確率は少なくなり、
コメントもあんなにはつかなかっただろう。

ましてやニュース記事の引用ということもあり、
「大麻より恐ろしい酒」では、
やはり弱いなという思いもあり、
「酔った女子大生の落ち度」とした。

ただタイトルは変えているが、
中身は書いた当初と変えてはいない。
だから私が伝えたいことまで、
読者に迎合して変更してしまうことはない。
また「酔った女子大生の落ち度」というタイトルにしても、
そう本文との齟齬(そご:食い違い)は生じていないと思う。

私に限らず、みなさんも文章を書いていると、
タイトルについて、上記のようなことを感じる人も多いのではないか。

ただそうした経験により、
自分が書く側、発信側になると、
世の中のメディアの仕組みもわかってくると思う。

タイトル一発で中身のない新書の乱立。
解散という内容ではないのに、
「解散」と大見出しを書き、売上を延ばそうとした週刊誌。
最近のmixiニュースでもそうだが、
ニュースタイトルがインパクトがあるわりに、
素人の日記かとも思える稚拙な中身のニュース増大など、
露骨な読者迎合策が見受けられる。

先日、テレビ朝日の何周年か記念の番組を見た際、
久米宏のニュースステーションの映像が流れていて、
久々に見て「やっぱり久米宏はすごかったな」と思いながら、
それを引き継いだ報道ステーションの古舘伊知郎が登場し、
インタビューに出てきたのを見て、
その受け答えから、なぜ古舘伊知郎のコメントがダメかがよくわかった。

詳細な発言内容は忘れたが、
古舘伊知郎の番組制作の姿勢が、
視聴者に受けよう=視聴者に迎合しようとしていることが、
インタビューからうかがい知れたからだ。

久米宏のように、ニュースを見て、
自分自身が思った本音の感想を、
政治家などにぶつけるのではなく、
古舘はどういえば視聴者が受けるかを考えて、
コメントをしようとしている。
だから嘘っぽく見え、無知丸出しのアホな感想も多く、
閉口してしまうことが多いのだ。

つまり、mixi日記でもブログでもそうだけど、
自分自身が思ったことを正直に書くのではなく、
読者に受けようと内容を変えてしまった途端、
それはつまらなくなるということだと思う。

もちろん誰かに読んで欲しいと思えば、
読者のことをまったく考えないのはおかしい。
読んでもらう人の知識レベルに合わせた、
わかりやすい言葉を使ったりする必要はある。

しかし内容までもが自分の思いから外れてしまえば、
それは単なる聞く価値のない、
烏合の衆の言葉に成り下がってしまう。
ある意味では、共感してもらうことが目的化してしまう。
確か古舘も「共感」という言葉を使った。
だからダメなのだ。

個人の日記(またはブログ)で重要なのは、
正しいか間違っているかではない。
その人の本心から吐き出されている、
言葉なのかどうかということに尽きると思う。


まあそんなわけで、私の日記タイトルは、
より多くの読者に日記の中身を見てもらうために、
ややバイアス(偏り)がかかったものに今後もなると思うが、
だからといって日記の中身についてまで、
私の本音とは違うものは書くつもりはない。

わざわざそんなことを言うのは変に思われるかもしれないが、
仕事で書く文章の場合は、
当たり前だけど、私の本音を書いていないものもある。
金を払ったクライアントのために書く広告記事は、
クライアントの言いたいことを伝えるために、
私が代わりに書くのであって、
私の本音を伝える場ではないのだから。


私の日記の内容が間違っていることもあるだろうし、
偏見に満ちたものもあるだろう。
ただ私は、自分の思ったことが偏っているから、
これは他の人から批判されそうだなと思ったからといって、
内容を変えるようなマネだけはしたくないと思っている。
それをやったら個人で日記やブログを書く意味がない。

まあそれをオブラートにいうのか、
過激な表現でいうのか、表現方法の問題はあるにせよ、
私が多くの人に閲覧できるネットで文章を書いているポリシーとして、
本音で書くこと=つまり他人を自分の嘘で騙さないことだけは、
貫き通したいなと思っている。

みなさんも日記を書く際、
またタイトルをつける際の、
何かの参考になればいいなと思っています。

なぜ私がそこまでして、
多くの人に読んで欲しいことにこだわるのか。

それは社会を良くしたいから。
私の意見が正しいとかいうことではなく、
私が投げかけた日記の内容から、
読んでくれた方がその問題について、
より深く、また違う角度から考えることにつながれば、
ゆくゆくは社会を良くする、
一つのきっかけになるんじゃないかと思っている。

私の日記がその踏み台になればなと。

※最近は、ホームページをブログ化した関係で、
ブログはブログで、ホームページやmixiのタイトルのつけ方とは、
大きく変えなくてはならない必要性を感じている。
なぜならホームページの日記タイトルは検索にはひっかからないが、
ブログのタイトルは検索にひっかかるからだ。
そのため、ブログのタイトルは、
検索されやすいワードを含むものに変えなければと思っている。


by kasakoblog | 2009-06-05 19:10 | ネット


<< 冤罪は国民が作る      偶然の出会いをチャンスに変える方法 >>