2010年 03月 12日
おすすめ映画「サマーウォーズ」~どんなバーチャルな世界も人が作っている
おもしろい映画をレンタルで見ました!
「サマーウォーズ」。
実に興味深い映画でとってもおもしろかったです!

映画のキャッチコピーにあるような、
家族の団結とかそんなことよりも、
現代社会の危機と本質を描いた、
素晴らしい映画だった。

(ここからネタバレ注意)
ネットがよりリアルな社会となった近未来社会が舞台。
人は多くの経済活動をネットの世界で行うようになっていた。
しかしそのネット世界に、
ハッキング機能を持つAI(人工知能)が、
次々とアバター(ネット界の人間)を乗っ取り、
ネット秩序を破壊し、ゲーム感覚で世界を“テロル”へと巻き込むなか、
団結した家族がそれに立ち向かうというストーリーだ。

ややもするとネットVSリアル、コンピュータVS家族、
デジタルVSアナログの陳腐な二元論のような設定だが、
個人的にはそういう安直な二項対立で描かれていなかったところが、
実に興味深く見入ってしまった。

社会に大混乱を巻き起こしたAIも、
所詮は生身の人間が作ったものであり、
ネット=コンピュータ=デジタルの暴走を食い止めるのもまた、
人間しかいないという内容が、
所詮はすべての災厄は人間がもたらしているという、
その事実が実に興味深かった。

コンピュータやネットを敵に仕立て上げる論調が、
未だにあるなかで、
でもそれらは所詮は人間が作ったものに他ならない。
コンピュータもネットも決してバーチャルなものではなく、
この世に産声を上げた時からそれはリアルなのだ。

コンピュータが人間を乗っ取るとか、
ありがちなSF映画みたいだけど、
それを作ったのは人間であるという事実。
つまり高度な科学技術で生み出したものを、
どう使うかは人間次第であり、
どんなに素晴らしい技術であっても、
悪用すれば人間社会に被害をもたらし、
善用すれば便利になるという、
見過ごされがちな実に当たり前のことを、
この映画は見せつけてくれる。

化学兵器も核兵器も原子力発電所も自動車も、
すべては人間が生み出したもの。
オートマティックで動き出し、
人間が制御不能状態に陥る恐怖というのはあるわけだけど、
それは身から出た錆ともいうべきものに過ぎず、
人間を超えた神なるものが、
無から有を生み出したものではない。
つまり人間VS機械ではなく、どこまでいっても人間VS人間なのだ。

ハッキング機能を搭載したAIを生み出した開発者は、
家族に認められたいという一心で、
とんでもない“化け物”を生み出してしまった。
こうした化け物が生まれたのも、
屈折した人間関係から生まれた歪んだ心が生み出したものだ。
家族の団結とか絆がどうのなんて、
キレイ事の映画なんかじゃない。
いわば人の心の闇がとんでもないものを生み出してしまう、
恐ろしさを描いたものといえる。

誰かに認められたい。
自分は負けたくない。
すごいものを開発したい。
世界をあっと驚かせたい。

しかし一歩間違えれば、
それが人間社会に刃を向ける、
とんでもないものにもなる可能性があるのだ。

だからこそ逆説的だが、
家族の団結=人と人とのつながりが大事なのだ。
まるで英雄視されているこの家族は、
10年ぶりに帰ってきた侘助に帰れと罵声を浴びせた。
そういう態度こそが人に影を落とし、
とんでもない化け物をつくる、
負のモチベーションに変えさせてしまった。

唯一、おばあちゃんだけが、
10年ぶりに帰ってきた侘助に、
めしを食べていけと勧めている。
つまり家族の団結や人のつながりとは、
仲間うちの馴れ合いとかなんかじゃなく、
過去の過ちを犯した人を許し、
家族として再び迎え入れてやることこそが、
人の心の闇を溶かし、
平和な社会にする手立てだと訴えているのではないか。

AIが暴走したのを止めるため、
侘助が家に戻ってきてくれたのも、
結局は他の家族のためなんかじゃなく、
すべてを許し、すべてを認めてくれ、
再び家族として迎え入れてくれようとした、
おばあちゃんとの関係性があったからに過ぎない。
他の家族のために決して戻ってきたわけではなかった。

この映画に過去は描かれていないが、
おじいちゃんの隠し子として生まれ、
家に引き取られた侘助を、
おばあちゃん以外は心から受け入れなかったのではないか。
その屈折した態度こそが、
いささか大げさかもしれないが、
世界を転覆させるほどの技術を生み出した要因になったのではないか。

その意味でこの映画の結末は、
見た目はハッピーエンドだが、
ハッピーエンドとは言い難い。
侘助は結局は家族として受け入れられることもなく、
侘助を家族扱いしてくれたおばあちゃんはいなくなり、
なぜか侘助を慕っていた夏季までもが、
恋心を主人公に移してしまい、
反省したから自首したとはいえ、
結局、家族から吐き出された存在に逆戻りしてしまった。

本来なら侘助が活躍して世界を救い、
夏季と結ばれることで再びこの家族の一員になることが、
本当の意味でのハッピーエンドなはずだ。
しかし映画ではそうはならなかった。

だからこそこの映画は奥深い。
家族の団結や人とのつながりだなんて、
キレイ事を言ったって、
所詮、人は感情の生き物。
過去のわだかまりや偏見は容易に捨てられるわけではなく、
侘助抜きの家族に戻って、
おばあちゃんの誕生日を祝って終わっている。
なんと悲しい家族であろうか。
そういう冷たい態度こそが、
再び新たな化け物を生み出してしまう、
人の心の闇を生み出しているということに気づかない。

ヒトラーや金正日などの世界を破滅的に追いやる独裁者って、
人と人とのつながりを持てず、
バカにされたりしてコンプレックスを大きくためこんでしまい、
それがダークパワーを発揮する源になっている面も、
多々あると思う。

誰かがちゃんと家族扱い、人間扱いしてくれれば、
負のエネルギーは芽生えず、
社会に対しておかしなことをしなかったのではないかと。

侘助にしてもそうだが、
人間が破滅していく様子を嘲笑っている。
それはまるで過去、自分が受けた仕打ちへの、
しっぺ返しのような態度だ。

世界が平和で暮らしていくために必要なこと、
それは人と人とのつながり。
世界を危機的状況に陥れる多くの原因は、
人を人扱いしない冷たい心。

それこそがこの映画の描いた主題だと思う。

とても興味深い映画なので、
また見てない方は見るとよいと思います。

DVDサマーウォーズ


by kasakoblog | 2010-03-12 00:19 | 書評・映画評


<< 幸せのかたち      副業の多くがmixi経由だった! >>