好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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2010年 11月 01日

極刑に値するほど悪質とはいえない

死刑回避。無期懲役。
日本はどんだけ犯罪者保護社会なんだ。
被害者の命や遺族の悲しみってどれだけ軽いのか。

死刑を回避した理由。
「極刑に値するほど悪質なものとはいえない」
と東京地裁・若園敦雄裁判長。
すごい感覚の持ち主だな。

21歳の女性店員に惚れ込み、
あまりのしつこさに来店拒絶したことに腹を立て、
自宅に侵入。

1階で祖母の78歳の女性をハンマーで殴り、ナイフで刺して殺害。
その後、2階に行き、耳かき店員だった21歳の女性をナイフで刺し殺した。

これが悪質じゃないんだって。
すごい。
結局、他人事なんだろうな。
自分の娘と母親が何の落ち度もないのに、
見知らぬ男に惨殺されて、
「極刑に値するほど悪質なものとはいえない」と言えるのか。
人の悲しみより、自分の保身とか考えてるんだろう。
死刑にしたら世間的に非難浴びるかもとか。

死刑が「回避」となったのは、
初の裁判員裁判の死刑になるか注目されたことも大きい。
マスコミはこぞってこの裁判を取り上げ、
裁判員裁判で死刑にすることを、
まるで極悪非道の所業のように騒ぎ立てた。

「人間の命は重い」
「人が人を裁くことの難しさ」
「裁判員の苦悩」
などと、事件の残忍さはスルーして、
死刑になんかしてもいいのかと、
暗に批判するような報道を繰り返していた。

裁判員の苦悩?
バカじゃないの?
苦悩しているのは遺族であり被害者でしょう。
遺族や被害者の苦悩を考えたら、
裁判員の苦悩なんてへでもない。

社会が「進歩」すればするほど、
人は賢くなったふりをしたがる。
だから人権派をきどった弁護士が登場し、
死刑は野蛮だのなんのと騒ぐ。

死刑は野蛮かもしれない。
しかしそれ以上に殺人は野蛮な行為だ。
殺人がこの世からなくなれば、
死刑を廃止すればいいが、
極悪非道な殺人がなくならない以上、
死刑以外に処罰する方法はないのではないか。

事件そのものの悪質さではなく、
初の裁判員裁判の死刑とか、
違った色眼鏡で見るからおかしなことになる。
裁判官や弁護士が変わると、
同じ事件でも判決が180度変わってしまう。

そういう人による刑罰の恣意性こそ、
人が人を裁く大きな問題点だと思う。
だからシンプルに刑罰を決めればいい。

被害者に落ち度がない場合、殺人を犯した人は死刑にする。

目には目を、歯には歯を。
これ以上、何があろうか。

例えば、被害者が加害者を脅していたとか、
被害者が加害者に危害を加えようとしていたとか、
被害者が犯罪者だとか、
そのような場合は、被害者に殺人を誘発する「落ち度」があるわけで、
そうしたケースのみ、死刑にするかしないかを争えばいい。

死刑制度については賛否両論あるだろうが、
私は死刑制度は賛成だ。
その理由。

1:殺された人は生き返らない。
今回、死刑を回避した理由は反省しているからだそうだ。
しかしどれだけ殺人者が反省しようが、
過去を悔い改めようが、
絶対に殺された人は生き返らない。

殺人でない犯罪ならば、金銭での償いによって、
ある程度、その損出を補てんし、償うことはできるかもしれない。
しかし殺してしまった人を、
生き返らせることができない。
一生牢屋にぶち込んだところで、
一生後悔しますといったところで、
殺人を償うことはできない。
そのぐらい重い犯罪である以上、
死刑に処す以外ないと思う。

もしくは終身刑にして、人体実験に使い、
多くの人を救うための償いに肉体を提供するか。
※ただこれはあまりにも恐ろしいことなので、
安易にそうはできないだろうけど。

2:遺族の私刑・復讐を許さず社会秩序を維持するため
死刑を批判する人のなかにはこういう人がいる。
「遺族の自己満足のために刑を決めるわけじゃない」
そう。だから死刑が必要なのだ。

もし死刑制度が廃止され、極悪殺人者が20年そこいらで、
ほいほい世の中に出てきた場合、
絶対にこいつは許せないと思った遺族のなかには、
この犯罪者を自らの手で殺そうと思う人が出てきかけない。
そしてこの犯罪者を殺した遺族は、
またしても死刑制度をのがれて20年そこいらで出てくる。
そんな社会でいいんですかということだ。

死刑がないせいで、
私刑・復讐が行われるような世の中になったら、
社会はめちゃめちゃだ。
遺族の処罰感情が強いにもかかわらず、
死刑がなくなってしまったら、
報復・復讐社会になりかねない。
そのためにも制度として死刑は必要だと思う。

3:犯罪者の再犯を防止する
死刑にせず終身刑でない場合、
いつかこの犯罪者は世の中に出てくる。
その時もうこの犯罪者は二度と犯罪を犯さないと、
断言できるぐらい反省していると、
裁判官が保証人になるぐらいの自信があるなら、
死刑を回避すればいい。

しかしそこまで考えて死刑をやめたのではなく、
死刑にすると死刑反対派から、
批判にさらされそうだから、
無難に死刑はやめておこうという判断が多いのではないか。

死刑をしないという判決を下した裁判官は、
犯罪者の出所後のことまで責任を持てるのか?
出所してまた身勝手な殺人を犯したら、
いわば死刑判決にしなかった裁判官のせいで、
犯罪を1つ社会に増やしたことになる。

そこまで考えた上で死刑が妥当なのかそうでないのか、
判断してほしい。


死刑は野蛮だから廃止すべきだなんて、
どこまで人間は賢い動物だと思い込んでいるんだろう。
人を殺した人間は殺されても文句は言えない。
それだけのシンプルな原則で十分だと思う。

終身刑もあればいいのかもしれないが、
一生、牢屋にぶちこんでおくことに、
一体、社会として何の意味があるのか、
私には正直よくわからない。

死刑が廃止になれば世の中がよくなるのなら、
廃止にすればいいけど、
何かそれでよくなることがあるのか?

冤罪事件がどうのというけれど、
冤罪で死刑になった人が何十人もいるのか。
そもそも冤罪を防止するためには、
死刑を廃止するより前に、
根本的にもっと前段階で防止策が必要なわけで、
死刑制度そのものとは直接的には関係ない。

それにしても被害者の命ってなんて軽いんだろう。
21歳の女性ですよ。
この先、生きていれば40年、50年は生きれて、
いろんな楽しいこともあったはず。
その時間を奪った加害者は、
20年か30年ぐらいすれば出てこれる。

死刑廃止の人権派きどりの人間は、
被害者の人権、しかももう二度と戻らない、
修復不可能な人の命の重さについて、
一生、やるせない思いを抱き続けて、
生きていかなければならない、
被害者遺族の悲しみの重さについて、
しっかり考えるべきだと思う。

※それにしても裁判員制度導入の建前的な目的は、
浮世離れした、法律を使うヤクザの弁護士や裁判官の、
あまりにもおかしな判決をただし、
国民感情を取り入れることのはずだったが、
「素人のくせに死刑を下すのか」
というマスコミのネガティブキャンペーンによって、
荒唐無稽なものに形骸化しようとしている。

というよりこの制度を導入した本来の目的は、
凶悪犯罪の死刑判決を国民が下したから、
弁護士や裁判官は悪くないという、
死刑廃止をもくろむ人権派弁護士の策略とも思える。


死刑は執行されないまま放置されている
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by kasakoblog | 2010-11-01 23:16 | 一般


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