愕然とした思い
2001年 03月 04日
「Weakly eye」という三井生命が顧客に配っている、わずか8ページのリーフレットで、
その中の1ページに旅コーナーがあり、そのページの原稿を毎週書いている。
バリ・中国・エジプト・ネパールと4週連続連載し、1週休んでまた毎週連載がはじまった。
旅の原稿ならいくらでも書ける。1ページといってもたかだか原稿用紙3枚ぐらいだから、大変ではない。
しかし毎週悩ませるのは、どこを紹介するかということ。
なにせ4ヶ月旅行に行ったのはアジアばかり。なるべく地域を限定せずに散らしてほしいとの意向があり、
昔に行った、トルコやエジプト、ヨーロッパなどの話も書いている。
別に古い話を書くのは全く苦ではない。
旅の記憶は自分の中にしみこんでいるし、細部の記憶忘れはメモノートやガイドブックを見返せばいいこと。
問題は書くことではなく、そこに載せる写真なのだ。
最近でこそ、いちよ一眼レフのカメラを使い、とにかくやたらめったらいろんなものを撮っているから良いが、
大学生の頃に行った時のはあまりいい写真がないのである。
その時はそれほど写真というものに重きを置いていなかったからだ。
古いネガを引っ張り出してきて、使えそうな写真を探す。
まあ、そうは言っても1ページに使う写真3、4点ならどうにかなるだろうと、
はじめて一人旅したスコットランドのネガを見返していて、僕は愕然とした。
撮っている写真枚数が少ないだけでなく、写された写真のほとんどに「自分」が入っていまっているのだ。
自分が写っていない風景だけの写真はわずかに6枚。あとの45枚にはすべて自分が写ってしまっているのだ。
昔はこんなに自分の入った写真ばかりを撮っていたとは思わなかったので、愕然とした。
多分この前4ヶ月旅した1200枚近くの写真に自分が写っているのは、
わずか1週間旅したスコットランドで写した自分の写真45枚より少ないはずである。
こんなにも写真の被写体が変わってきているとは思わなかった。
もちろんそれに伴って当然書く内容も変わってきている。
自分から他者へ。
早くエジプト旅行記に代わる新作「カトマン沈遊記」を本にしたい。