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できることをしないこと

長野県の病院で代理母による代理出産がおこなわれたことが公表された。
過去3年間に計5組の代理母のよる出産を試みて、無事赤ちゃんが産まれたのは1組だという。
代理出産を手がけた根津院長いわく、
「目の前の患者は取り残されて、技術があるのに恩恵を受け取れない」
だから自分が口火を切ってやったのだという。

法整備がなされる云々とか、代理出産の成功率や事後ケアの問題から、
根津院長の行動を批判している記事が目立つが、僕は全く違った観点から彼を批判したい。
「代理出産などということは、たとえ技術的に可能であってもすべきではない」

昨今の科学技術、とりわけバイオテクノロジーの分野での進展はすさまじく、
人間クローンの問題などが大きく取り沙汰されている。
しかし、人間が技術的に可能なことはすべてやってよいのだろうか?
僕はその答えは「否」だと思う。
技術的に可能なことをすべてしてしまうことは、知恵のない人間が好き勝手にやりまくる悪魔の時代であると思う。

代理出産についていえば、確かに様々な不幸な理由から自分で産むことができない人に変わって、
誰かが産んであげるというのは一見するとすごく感動的な良い話のように思えるが、
子供を変わりに産むという行為は、生理的に受け付けないものがある。
たとえば不幸にもそのような境遇に陥った夫婦がいたら、
では自分たちでできる幸せとは何なのかを、その制約の中で考えて行くことが、真の幸せへの道ではないか。
たとえば必ず人間は死ぬ。
それを特別な技術で生かすことができたとしても、死ぬ時が来たら死なせてやるのが本当の幸せだと思う。
それと僕は同じことのように思えるのだ。

5/19のつぶやき「秘峰の解禁」でも同じことだ。
確かに現代の技術を持ってすれば聖山など簡単に制覇できてしまうだろう。
しかしそこにはなぜか昔から聖なる山として人間が踏み入れるべきではないという信仰があるとしたら、
登ることはできるが、それをしないことも大いなる決断なのだ。

技術的にできることをなんでもかんでもしていいという考えが、今回の代理出産に現れている。
それは非常に危険な考えだ。
もしそんな無秩序な技術信仰が広がるとしたら、
きっと世界のどこかで、地球を何回でも滅ぼせる核爆弾を発射するものが現れても不思議ではない。

できることをしないこと。
それが人間の知恵ではないだろうか?

by kasakoblog | 2001-05-21 00:10

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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