2001年 07月 30日
千と千尋の神隠し
<1>
今話題の宮崎駿監督の最新作「千と千尋の神隠し」。
あれほどマスコミがバカ騒ぎするほどの大作とは到底思えないが、
個人的には大いに期待していた映画だったので、「もののけ姫」を見に行って以来久しぶりに映画館を訪れた。

宣伝が一切なく、いきなり映画が始まったことに好感を持つ。
(僕が映画館にあまりいかず、しかも毎月のように騒ぐ洋画を見にいかないのは、
とにかく宣伝があまりに大仰で誇大すぎるからだ。
騒げば騒ぐほど、宣伝すれば宣伝するほど、その映画のうすっぺらさが見透かされるからだ)

宮崎駿作品には「平成ぽんぽこ狸合戦」で痛い目にあっている。
あんな史上最低の映画をわざわざ映画館で並んで金払って見て損したという苦い思い出があるから、
その他の作品が良くても、最新作を見るときには緊張する。

その嫌な予感が出だしで漂った。
現実の日本を舞台にし、しかも主人公の父母が登場したからだ。
しかもなぜか無意味にも、普通の家庭なのに車が左ハンドルというのも気になった。
「これは失敗か?」と懸念したが、すぐにその心配はなくなった。

日常世界から非日常世界へ。
ファンタジー作品の非日常性を高めるためには、現実社会の大人が登場してはいけない。
すぐに父母は消え、少女を中心とした物語が展開した。
続々と登場する奇妙なキャラクターに、不可思議な舞台が登場すると、
日常という胡散臭い世界から一転して、映画は別世界へと移行した。
(まだ見ていない人のためにストーリーあかしはしません)

<2>
アニメだからこそできる独特のキャラクターに、アニメ映画としての完成度を感じる。
不可思議なキャラクターが入り乱れる奇想天外なストーリーに引きずりこまれていく。
主人公を少女にすることによる、人間としての未熟性ゆえの成長していく姿と、
常識にとらわれない、信じられない度胸と心の強さ。
単純に正義と悪、味方と悪役が分かれていないからこそ、話に深みがある。

(洋画がつまらないのは単純に正義役と悪役を振り分けてしまうからだ。
未だにアメリカ映画は、どんなに最新技術や莫大な金を使っても、ストーリーは西部劇と変わりない。
ヒロインがいて正義の味方がいて悪役を倒して救う。
何が良くて何が悪いかわからない時代に、単純な勧善懲悪話は必要ない。)

残念ながら、「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」のような、
冒険物語としての壮大性は失っているが、ファンタジー性は文句ない。
「もののけ姫」ほどテーマが臭わないのは好感材料の一つ。
テーマ性を強く打ち出してしまうと、逆にしらけてしまう。
現実にはありえない非日常世界をテーマを押し出すことなく描き出すことで、
逆にその話の奥に潜む様々なことを深く考えさせられる。

はじめは父が「バブル期に作られたテーマパークの残骸だろう」という非常に生々しい発言をするが、
これははっきりいっていらない。
ただその文言をのぞけば、全体的にはファンタジー性が強く漂い、
日常世界を忘れた異次元へとタイムスリップさせてくれる。

大人には見えない世界。子供にしか見えない世界。
そこに大人社会が忘れた大切なものがあり、そこにこそ世界の真実がある。

主人公が元の世界に戻るために試される精神力の強さだ。
求められる力とは物理的な力ではなく、精神的な心の強さなのだ。

舞台がなぜか懐かしい古い日本の光景を思い起こさせる。
やはり私たちはどこかで社会の理想郷を、21世紀の未来社会ではなく、
昔のニッポンを想定しているのかもしれない。


by kasakoblog | 2001-07-30 18:22 | 書評・映画評


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