2001年 10月 18日
「喪失の国、日本」3
「喪失の国、日本」M.K.シャルマ著・山田和訳。
第3弾をお送りします。

●激辛20倍カレーを食べる(1)
インドとは何の関係もない別種の料理である。
はっきりいって、これは食べ物ではない。食事でさえも辛さを競い合うゲームになっている。
ここはレストランではなくゲームセンターだということに、もっと早く気づくべきだった。

日本という国は、実に外国文化をねじまげるのがうまい。
本場インド料理なんて真っ赤な嘘。
どうしてこうも勝手なイメージが、一般的に普及してしまうのだろうか。
インドのカレーが辛いなんて、一体どこの誰が言ったんだ?
それにしても、激辛や大食いといったもので客をおびきよせようという店が
まかりとおるこの国は、ほんと傲慢だと思う。
しかし足元をよく見れば、食料を自給自足できない国だという危機意識を持っているのだろうか。

●激辛20倍カレーを食べる(2)
いくら辛くしても唐辛子の量などたかがしれているのに、
日本では20倍カレーに200円も追加しなければならない。

この国の価格はほんとおかしい。
どこもかしこも、金を騙し取ってやろう、少しでも楽して儲けようという態度が、
目に見えて表れている。

●日本文化を象徴する言葉「結構です」
「たいへんいいのでください」という意味と、「よくないのでいりません」という正反対の意味を持ち、
状況に応じて、あるいは微妙な抑揚によって使い分けられる。
驚くべきことに、日本人でさえ、しばしその意味を取り違えるという。
そのように曖昧で厄介な言葉が日常で使われる。
それはおそらく日本文化が「相手の心を推し量る」ことに価値や美意識を見出しているからだと思われる。

日本人の曖昧さ。
それはプラスとマイナスの両方の面がある。
僕は日本人がこの「曖昧さ」を捨てて、ドライな西洋人になる必要は全くないと思う。
ただし外国とつきあう時には、この曖昧さが通用しないことは知っておくべきだ。

●国民の祝日に国旗を掲げる習慣について
何も知らない外国人がその光景を目にしたら、
クーデターが起きて新しい国が誕生したと勘違いするかもしれない。

日の丸を掲げる行動が、これほどまでに誤解される可能性を秘めている
ということを日本政府は知って、学校に日の丸・君が代を強制しているのだろうか?

●マンション住まい
マンション住まい初日に廊下で朝日を楽しんですっかり気に入った私は、翌日からテーブルを出そうと考えた。
朝日を祝して線香を廊下に焚いたら、それが物議をかもした。
その日のうちに管理人を通じて管理組合からクレームがきた。

確かに集合住宅という特異な形式においては、
他人との共同生活のために、住人の行動は規制される。
きっと管理人は目をひんむいて、注意しにきたのだろうな。
インド人だけというだけで、きっと変な目で見ただろうし。
マンションなんていうと格好良い響きがするかもしれないが、ようはブタ箱だよな。

●スーパーマーケット初体験
なんといっても驚いたのは、キャベツもにんじんもキュウリもなすも、
染み一つなくぴかぴかに輝いていたことである。
どの野菜も工場で作った製品のように形と大きさが統一され、まるでプラスティック製品のようにみえた。
どういうふうに栽培するとそうなるのか、私にはわからなかった。

見た目を重視し、植物を薬品漬けにして作り上げた人工野菜。
見た目が不格好であっても、自然そのままの方がいいものに違いないのに。
こうして外見重視の構造が人々に刷りこまれ、汚物蔑視がなされるのだろう。
汚いもの・醜いものを抹殺するのはなく、それを受けいれる寛容さがこの社会にはない。

●アウトドアブーム
自然を愛する行為が、自然を破壊するのは皮肉なことだが、
豊かさの意味を消費と欲望に結びつけているからだろう。

自然を楽しむレジャーに、金をかけ、道具に凝り、重装備していく人々。
でっかい車に乗り込んで、物に囲まれてちっとも脱都会ではない。
にもかかわらずゴミだけは置いていく無責任さ。
自然を汚すことは自分を汚すこと。
「アウトドア」なんてかっこつけても、管理されたコンピュータゲームと大差はない。

●木の美学
日本人は、この二千年、何を作るにも木を用い、木と向かい合って生きてきた。
木と相対する無限の時間の中で、人生と美を学んだ。

一体いつから日本は、木の文化を捨てコンクリートの奴隷と成り果てたのだろうか。
凶悪犯罪が増え、社会が殺伐としているのも、
こういったことが大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。

●サイン
日本人はサインの意味を理解していない。
契約に際して不可欠とされる日本的サイン「ハンコ」が、同じものが町で売られているのだから。

よく考えてみればおかしな話。
自筆のサインは偽造のしようがないが、ハンコなら簡単に買ってこれるし偽造できる。
西洋社会のしきたりにそって「サイン」を導入したものの、
もともとそういう社会習慣がなかったから、ハンコという、
本来のサイン制度にはあってはならないものがまかりとおってしまったのだろう。
おかしいよ。ニッポン!!


by kasakoblog | 2001-10-18 18:22 | 書評・映画評


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