2002年 02月 12日
リトルダンサー
アメリカ映画ではなく、イギリス映画のせいか、
舞台はイギリスの片田舎町の日常なんだけど、話に深みがあってなかなか良かった。

「バレエは女の子がやるもんだ」
そんな固定観念から、本当はバレエをやりたいのにやれないでいる11才の主人公。
でもそのうちバレエに惹かれ、固定観念を捨て、周囲に内緒でバレエのレッスンに女の子に交じって参加する。
才能を見込んだ先生がロンドンのバレエ学校のオーディションを受けることをすすめ、
見事に合格して才能花開くダンサーになる。

まあこれだけだったら、単純なサクセスストーリーでおもしもなんともないわけだが、
ここにそっと絡み合っているのが、町の炭坑閉鎖のストに関わっている父と兄の問題。
そして母を亡くして男手に育てられたということだろう。
あくまでメインテーマ-は「リトルダンサー」にあるわけだが、
ダンスが象徴する意味は、閉鎖に腐りむやみやたらにストを起こし、
酒ばかりのんだくれて苛立っている男たちに、新しい生き方を考える契機となっていることだ。
バレエに反対していた父が、子供の夢に理解を示し、子供のために無益なストを辞める姿は感動的だ。

互いに理解することなく、母の不在で対立しあっていた父子が、
オーディションに合格し、公園でじゃれあってる姿は、一つのこの物語のエピローグといってよかった。
本当はこの場面で終わらせればいいものを、映画につきもののしょうもない「●年後」を付け加え、
成人した主人公が晴れの舞台で活躍する姿を父が見るといったシーンは、何か押しつけがましく、不要な気がした。

なぜならこの物語の核は、成功することではなく、
固定観念に縛られず新しい生き方を積極的に模索してくことにあるからだ。
だから極端な話、オーディションに不合格でもいいわけだが、
さすがにそこまでやってしまうと暗い話になってしまうので合格は致し方がないとしても、
成功シーンを最後に付け加えることは、物語の核をねじまげてしまうことになりかねない。

とはいえ全体的にはなかなかおもしろい作品だった。
ダンスや炭坑を今の自分の何かに置き換えて考えてみれば、極めて意義深い作品になるだろう。

またおまけとして、バレエをやる主人公に近づいてきた、
友達のオカマちゃんもなかなかいいキャラクターをしていて、物語に一つのアクセントをつけている。


by kasakoblog | 2002-02-12 12:42 | 書評・映画評


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