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理解できないことを知ること

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4/17のつぶやきかさこにて、
『テレビで「五体不満足」の乙武君を見たが、
「腰が痛くて右足しびれて歩けない」なんて言っている僕がかわいく思える。
人間、悲しいかな、「自分が一番不幸」などと思ってみたところで、
それ以上に不幸な人を見ると、妙に安心してしまうのは、残念ながら人間の本性である。』 と書いたことに対して、

飢餓海峡さんより、
『自分より不幸な乙武クンをみて・・・みたいな言い方するって、どうなんだろうね。
なんの臆面もなくそういった表現ができるなんてなんていうか、めちゃ単純でびっくりします。
女性セブンとかで「なんて可哀相!」って言いながら奇形児をグラビアで特集してたりするのとか、
やたら福祉を強調してわざとらしいパフォーマンスを繰り返す日本テレビの24時間テレビだとかね、
なんかそういう身体障害者に対しての無神経で無理解な精神構造を垣間見てしまいましたよ、かさこさんの言葉の中に。
ホームページっていうのは不特定多数の人が目にするものでしょ。 誰の目にも触れないタンスの中の日記帳とは違う。』
とのご意見をいただいきました。

僕がなぜつぶやきでそのようなことを書いたのか、その主旨をここで説明したいと思います。
(注)ここで書くことは、決して飢餓海峡さんの意見を否定するつもりもなく、
またあくまで僕の立場としての意見ですので、変にお気を悪くなさらないようにと思います。
こういった貴重な意見を書きこみしてくれたおかげで、よりその問題に対して深く考えられるので、
つぶやきに対する賛成意見よりむしろ反対意見を書いていただいた方が、筆者としてはありがたいことです。
他の方もぜひつぶやきに対する意見をお願いしたいと思います。

<2>
まず指摘されたつぶやきですが、「自分より「不幸な」乙武君を見て安心した」というのは、
僕が腰痛で動くことができず、テレビを見た時の正直な感想です。 これはごまかしようない事実です。

なぜこれを日記帳ではなく不特定多数の人が見るホームページに書いたかということですが、
「こんな風に他人の不幸と比較して、自分の『幸せ』の基準を判断している人が、
意識、無意識を問わず、多くいる」と考えたからです。

※うがった見方をすれば、だからあの「五体不満足」はベストセラーになったといえなくもない。
こんな不自由でこんな不幸な人がこんなに明るくがんばっているのだから、
私もがんばらなくっちゃという精神構造は、まさしく人の不幸と比較して自分の生活を正当化していると思われる。

障害者と比較したことで、「なんてひどいことをいうんだ」と思われたかもしれませんが、
現代に生きる多くの人間は、「自分よりブスだ」「自分より頭が悪い」「自分より貧しい」
といった他人との比較において優越感を持つ心理は、日常に満ち溢れているのではないでしょうか?
そういった問題提起をするために、日記帳ではなくホームページに書いています。

●他人との比較例としては、
・合コンに誘われた時、連れていく友達に自分よりかわいい子は誘わない。
これは連れてきた女の子に意識はないかもしれないが、 男から見れば明らかにそういった無意識の選択をしていることは多々あるかと思う。
・「Aちゃんちにはプレステあるんだよ。買ってよ」
「何言ってるの、うちにはファミコンがあるでしょ」
「でもAちゃんは両方持ってるんだよ」
「あそこの家は特別でしょ。BちゃんやCちゃんなんか、ファミコンすらないのよ。だから我慢しなさい」 といった子供を納得させる方法。
・同学年からいじめにあっている人が、自分より低学年や動物などにより陰湿ないじめをする。
など、例をあげれば切りがないですが、自分より「不幸」だと感じるものを持ちだす方法は、
あまり意識していないかもしれないが、日常生活に恐ろしいほど根付いている。

<3>
なぜそういったことを僕がここで書いたかというと、意外にもやっている当人にはその意識がないことです。
(合コンの例は典型的)
行動では他人との比較によって優越感に浸っているにもかかわらず、
口では「何言ってるの?私の連れてきた人、みんな私よりかわいいよ」
といった発言をして、人を騙すだけでなく自分もなんとなくそんな気になってしまう。

こういった精神構造は、ご指摘の通り、週刊誌やテレビの手法でよく見られます。
「障害者を応援しています」だとか「環境に優しい運動をしています」などと言っておきながら、
単に人気取りや見世物、偽善者気取りでしかない。
これをわざとやっているうちはいいが、そのうち自分が本当にいい人のように錯覚してくる。
しかもこういった番組を見た視聴者も、なんとなく自分も「障害者を応援している」気にさせてしまう。
僕はそこに現代社会の歪みがあると考えています。

「こういったら無難だから」と、思いもしないのに「正解の回答」を答えることは簡単です。
「これからは地球環境問題が重要ですね」「弱者にも優しい社会を作りたいですね」
といいながら、ゴミの分別もせず、歩きタバコをし、
目の前にいる老人に気づいていながら、見てみぬふりをしてシルバーシートに座りこんでいる。
これが今の現実ではないでしょうか。

<4>
なぜ行動と言葉が合わないのか?
それは自分の「本音」を自覚していないからです。
建前的な言葉にいつしか自分の本心のように思いこんでしまうけど、本当はそんなことちっとも思っていない。
「シルバーシートって言ったって自分だって疲れてるんだから」
そういう人が「弱者に優しい」というのは偽善者でしかないと思うのです。

「シルバーシートって言ったって自分だって疲れてるんだから」
それが本音なら、まず自分の本音を認識することが重要だと思います。
それを隠すかのように、いくら口で美麗字句を並べ立てても、結局は絶対に行動に移せない。
まず自分の本音を認識すること、自分の醜いエゴや悲しき人間の本性を認識することが大切なのではないでしょうか。
だから僕は思ったままのことを書き、それが日常生活に蔓延していることを指摘したのです。

つまり人間とは悲しいかな、絶対的な価値観で物事の幸せを図るのではなく、
人との比較ーつまりは相対的な価値観でしか幸せを判断できなくなっているのです。
それが隠しても隠しきれない人間の本性であり、
それを偽善者ぶって「私はそんなこと思ったことない」と言ってしまうことは、
物事の本質を隠蔽することではないでしょうか。

まず人間のエゴを、自分のエゴを認識する。
そういった醜い本性を自分で真正面から見つめ、
それをどう「ごまかすか」ではなく、うまく「コントロール」し、よりよい社会にしていくべきだと思います。

<5>
「健常者が障害者のことを簡単に理解できるわけがない」
それが僕の考えです。
あきらめや開き直りではなく、それが厳然とした現実だと思います。

健常者の人間が、本当の意味で障害者の苦しみや辛さや、楽しさや喜びを理解することはできるのでしょうか?
足のある人間が足のない人間の立場をどれだけ理解することができるか。
自分が障害者になるか、身近な人に障害者がいない限りは、どれだけ理論でわかったようなことをいってみても、
それは障害者の人からみれば「何言ってんだ、こいつ」ということにしかならないのではないか。
障害者の人が望んでいるのは、健常者の「同情」ではないのではないか。

一番危険なのはわかったようなふりをすること。
そういった人がテレビや週刊誌で「障害者に優しく」だとか「難民支援」だとか「環境問題」とかを「利用」して、
無意識のうちに自分のステイタスをあげる「道具」として使っているのではないでしょうか。

<6>
どんな人間も醜い本性を隠し持っています。
現代社会はそれを隠蔽することばかりに力を入れ、
そこに生きる人々は醜い本性があるにもかかわらず、自分は聖人君主のような錯覚をしてしまっていると思うのです。
だからこそ昨今の事件は、異常性の強い形態で起こってしまうのではないでしょうか。

特に日本はリアリティの見えない社会になってしまい、自分に醜いエゴがあることすら忘れさられている。
だからこそ、その本性をまず見つめることを気づかせたいというメッセージを込めて、つぶやきを書いています。

僕は乙武君を見て安心した。
格好良い言葉でいえば「勇気づけられた」といえなくもない。 そういえば美談として終わる。
でもそれは僕の本心をオブラートに包んでごまかしただけに過ぎない。
「勇気づけられた」より「安心した」のが本音です。
それは間違いなく自分より「不幸」な境遇だと感じたからです。
それを「勇気づけられた」と言ってしまえば、障害者を使って自分のステイタスをあげる、
テレビや週刊誌と同じになってしまうのではないでしょうか。

<7>
でもそれは僕の感想であって乙武君の感想ではない。
「かわいそう」と同情されるより、「不幸だ」なんて勝手に思われようが、
多分乙武君は、健常者が思うほど気にしないのではないか。
「僕は両足両手はないけど、健常者よりもはるかに幸福だし、変に同情してもらうのは迷惑だ」と思うかもしれない。
(それは乙武君なり障害者に聞いてみないとわからないことだが)

それを健常者が障害者のよき理解者のごとき、
「不幸なんてこと言うのはかわいそうだ」と代弁するのは、健常者の錯覚ではないでしょうか。
障害者ははるかにたくましくしたたかに生きているかもしれない。
所詮、健常者には本当に障害者の理解なんてできない。
まず健常者は障害者のことを「理解できないことを理解する」ことから出発する必要があるのではないでしょうか。

by kasakoblog | 2002-04-24 00:37 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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