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生き方

人の命は有限だということを人は忘れがちだ。
毎日の日常が永遠に続くと錯覚し、
やりたいことを先延ばしにする毎日。
やりたくないことをする毎日。

でもいつどんな自然災害や大事故に巻き込まれるかもわからない。
100年に1度の危機や1000年に1度の危機が、
2~3年に一回起きる時代に、
人生70年、80年もあると考えるのか、
たった70年、80年しかないと考えるのか―ー。

先行き不透明な時代だからこそ、
ネットの登場で社会構造が、
大きく変わりつつある世の中だからこそ、
好きなことをやった方がいい、
やりたいことはやった方がいい、
と私は書き続けてきた。

しかしそうしたメッセージは、
半分届いて半分届かない。

「そうはいったって現実は難しい」
「誰もがそんな簡単に好きなことができるわけない」
「お金がない」「時間がない」「才能がない」など、
ないない尽くしの言い訳の数々。

でもどうだろう。
地震が起きて、津波で家が流されていく様子を、
何度となく見せられてきた。
原発の事故で放射能漏れが起き、
深刻な事態を招きかねない状況にも直面している。
東北地方だけでなく首都圏でも、
その他の地域でも大規模な地震が起きる可能性がある。
富士山だって噴火する可能性は十分ある。
別に脅しとかではなく現実の可能性の問題として。

もし自分の人生があと1年で終わってしまうと先にわかっていたなら、
今の生活をそのまま続けるだろうか?
それともあわてて違うことをするだろうか?

私たちは平和な日常に慣れ過ぎていた。
戦争やテロとも無縁。
電気や水は何不自由なく手に入り、
それが当たり前だと思ってきた。

しかし変わらぬ日常が大きくぐらついている。
当たり前の日常が当たり前でなくなりつつある。

私たちは平穏な日常のなかで、
言い訳や文句ばかり言って生きてきた。
恵まれた国に生まれ、何不自由なく暮らしてきたにもかかわらず、
自分に言い訳して、やりたいことを先送りにし、
やりたいことをやりたいと思わないよう努力してきた。
でも今までのような生き方でいいんだろうか?

月曜日、大地震の後の平日。
交通機関がマヒするなか、大混乱の長蛇の行列が駅にできていた。
「無理して電車で会社に行くな」という日記を書いたが、
「本当は会社になんか行きたくないけど、
行かなきゃ食っていけない」という意見があった。

でもそれって本当だろうか?

以前、取材した大手企業の部長が言った言葉が印象的だ。
「会社に来たくないやつは来るなといつも言っている。
今の仕事が好きじゃないやつは来るなと言っている。
いやいや会社に来て、いやいや仕事されたんじゃ、
いい仕事ができるわけがない。
それは会社にとっても個人にとってもお客さんにとっても不幸だ」と。

今こそ仕事に対するプロ意識が問われていると思う。
非常事態になって会社に行きたくない、
こんな仕事したくないと思うのなら、
やめた方がいいんじゃないか。
だってそれよりも大事なものがあるってことだし、
この非常時にいやいや仕事をしていると、
それこそどっかの電力会社の会見に出てきた人のように、
事実を正確に伝え、混乱を少しでも抑えようという、
プロ意識を持った仕事ではなく、
こんな状況で会見しなければならない自分の不運を呪い、
できるだけ面倒が起きないよう、
必要最低限の情報にとどめて、
さっさと会見を終わらせたいといったような仕事になるのではないか。

一方、原発が不急の事態に、
自分の命も顧みず、各地の電力会社の社員やOBが、
現地に行って協力したいと申し出る人もいるという。
彼らには仕事にプロ意識がある。
原子力発電所を安全に運転することこそが、
自分の使命であり仕事であり、それが社会に役に立つのだと。

写真集「警察・消防・ハイパーレスキュー」出版のために、
2年前に取材・撮影したハイパーレスキューの高山隊長が、
先日テレビの会見に出ていた。
彼らは仕事に誇りを持ち、自らの命を危険を冒してまでも、
家族や国や社会を守るため、
誰もが逃げ出したい原発を前に、
自分のプロとしての仕事を全うするため、
現地に赴き、全力を尽くした。

今、自分がしている仕事に、
そこまでの使命感を持って仕事をしているだろうか?
本当はやりたいことは別にあるけど、
食うためにいやいややっている。
そんな人にサービスを受けなくないし、
そんな人から商品を買いたくはないと思うのが、
客の心情ではないだろうか。
本当はこの仕事に疑問を感じている。
客を騙して暴利をむさぼっているだけじゃないかとか、
業界の論理を優先させて、
客をないがしろにした商法を優先させてはいないかとか。
自分の仕事が社会に役立っていると感じない限り、
人は食うためだけに仕事は続けられなくなる。
というかそんな仕事はいずれ淘汰される。

自分の心の底からやりたいと思うこと、
自分の能力やスキルを生かせること、
それによってお金を払ってくれるお客さんが喜び、
それによって社会がいい方向に向かうことを、
今こそすべきではないか。
だって生きている時間は有限なんだから。
生きている間にいやいや仕事をするなんて、
自分にとってもお客さんにとっても社会にとっても不幸だ。
何より時間の無駄だ。
時間がもったいない。

もちろん好きなことがすべて仕事に直結するわけではない。
でもいやいや仕事をしている人がいるのなら、
少しでもいやじゃない仕事をするのか、
もしくは今の仕事に自分のやりがいと社会的意義を見出し、
仕事のやり方を変えるとか、方法はいくらでもあるのではないか。

それがいつ死ぬかもわからない世の中で、
人生の大半の時間を費やす仕事に対して、
楽しく有意義に働いていくことが生きていくことであり、
それが自分のため、家族のため、社会のためになることじゃないか。

別に仕事じゃなくてもいい。
趣味でも何でもいい。
もしかしたら明日死んでしまうかもしれないという世の中で、
心の底からどうしてもやりたいことがあるならやればいいじゃないか。
時間的金銭的にすぐにやれないのだったら、
やれるようになるための努力をすればいいじゃないか。

時間は無限、人生は無限と錯覚し、
いつかやればいいと先延ばしにして、
やりたいことをしないまま、
死んでしまうなんて、もったいない。
人間は遅かれ早かれいつかは死んでしまう。
ならば愚痴など言っている暇などなく、
できない言い訳をしている暇なんかなく、
1日1日を大切にして、
自分が好きなこと、やりたいことに邁進すればいい。

自然の猛威や人間が生み出した“化け物”の脅威で、
どんな人も一瞬にして命を奪われる可能性がある。

ついつい平穏な日常に慣れてしまうと、
平穏な状況が当たり前であり、
その前提条件を疑わず、
平穏な時間が無限に続くと考えがち。
でもいつどんなことが起きるかわからないということを、
今回まざまざと見せつけられた。
なんでもかんでも「想定外」なんて言っても仕方がない。
想定外のことが頻繁に起こるのが世の中だ。

限りある人生。
限れられた時間を何に使って生きていくのか。
人生の時間割をもう一度、考え直してみてはどうだろう?
きっと自分にとって大切なものは何かが、
見えてくるんじゃないかと思う。

私自身は今後も文章と写真というスキルを活かして、
世の中がいい方向に向かっていける、
きっかけ作りをしていきたいと思う。
それは大地震が起きようが、原発が爆発しようが、
私にとって好きなことであり楽しいことであり、
それによって社会をいい方向に持っていけるのでは、
と自分のなかで社会的な意義を見出せているから。

理想論だと笑うかもしれないけれど、
理想を追い求めない限り、理想は実現しない。
あきらめたらそれで終わり。
こんな時代だからこそ、
かげかえのない命、時間、人生を大切にして、
自分が打ち込めること、
それが他の人や社会に役立てることを、
見出す努力が必要だと思う。

そういう人が一人でも増えること。
それが復興力の源だと思う。
社会は一人一人の力の結集だから。

by kasakoblog | 2011-03-22 23:48 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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