2011年 04月 01日
かけがえのない日常
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何気ない、味気ない日常が
大地震以来、かけがえのない日常に変わった

1週間が終わる度に思う
「今週は無事に終わった」
「今週は何事もなく終わった」と

いつも何の気なしにしている、さりげない行為が
もしかしたらこれが最後になるかもしれないと思うと、
とってもありがたく、貴重なものに思えてくる

毎週のように行っているうどん屋に今週も行った
「まいどどうも!」と声をかけられた時、
いつもと変わらず、元気にうどん屋が営業していて、
いつもと変わらず、元気にうどん屋に行って食べることができる、
その日常の奇跡に感謝せずにはいられない

もしかしたらこれが最後になるかもしれない
あったかいカレーうどんが何不自由なく、
自分が食べたい時に食べることができる幸せ
今まで感じたことのない尊さを思わずにはいられない

でも悲しいかな、人は忘れやすい生き物
今はまだ多くの人には大地震の記憶があり、
いつもと変わらぬ日常がどんなにありがたいことか、
感謝の念が湧き上がってくるかもしれないけれど、
1日、1カ月、1年と時が過ぎていくうちに、
人は何不自由なく暮らせる日常のありがたみを次第に忘れ、
ありがたみより文句は不満を探し出す生き物だ

メメント・モリ~死を想え~
大病を患ったり、大事故にあったり、
大災害に出くわしたりして、
死にかけた体験をした人は強い
なぜなら死はいつ誰にでもすぐに訪れる可能性がある、
身近なものであることに気づいているから

でも多くの人は死の身近さに気づかないまま、
漫然と時間を過ごし、
日常の不満を見つけ、
文句を言いながら、だらだらと暮らしている

だから、死を想え。
たとえば自分の命が明日までだとしたら、
1年後までだとしたら、3年後までだとしたら、
今、何をするだろうか?
今、していることを続けるだろうか?

余命が無限にあると考えず、
人生の有限性に気づいたなら、
死がいつ訪れたとしても、
悔いのない人生を送りたいと考え、
今を今以上に精一杯生きるのではないか
好きなものから逃げ出したりしないのではないか
イヤなことをいやいやし続けたりしないのではないか

今日食べる食事を何にするかも、
今日誰と会うかも、今日何をするかも、
死を想えば、一番したいことからするんじゃないか

でも人生は無限、平和な日常は永遠に続くと考えていると、
自分に言い訳し、社会に文句をいい、
一番したいことは後回しにした、
生き方をしてしまうのではないか

好きなことを大人になってからも続けるなんて、
夢みたいな理想論だと切り捨ててしまう人がいるけれど、
もしあなたが明日死んでしまうとしたら、
1年後に死んでしまうとしたら、
好きなことをするんじゃないのか
生きている間に目一杯、楽しむことを考えるんじゃないか

もし自分が一度死んだ人間だと思えば、
一度死にかけた人間だと考えれば、
貴重な人生という時間を、
好きなものから逃げて、
無駄に無為に過ごすことはなくなるんじゃないか

この世の中に絶対なんてない
どんな大企業もあっさり潰れ、
どんな元気な人でも、
突然の事故や災害で亡くなったりすることもあり、
安全だと思っている暮らしが、
一転して危険に満ちたものになる可能性もある

そんな社会のなかで生きている私たちは、
かけがえのない時間を無為に過ごしていいのだろうか?
かけがえのない日常を何気ない日常と流していいのだろうか?

不死身な人間はどこにもいない
誰にでも死はいつか訪れる
ならば、好きなことから逃げる人生は送りたくない
今しかできないことは今すぐしたい
後回しになんか、先送りになんか、
もったいなくてできない

今を精一杯、目一杯生きたい
それがきっと“幸せ”な人生


※最近、お気に入りの曲
BUMP OF CHICKEN『友達の唄』
http://www.youtube.com/watch?v=WfB79A7EKxo

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by kasakoblog | 2011-04-01 22:16 | 生き方


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