2011年 06月 15日
カミサマと自然とエコごっこ
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人口47人、猫は50匹以上の五島列島の小さな島、黄島(おうしま)。
かつてカツオ漁などで栄えていた時には、
この島に300人もの住人がいたとか。
廃校になっているが小学校もある。

こんな辺鄙な島にくると、
日本にいるようで日本じゃないみたいで、
流れている時間が違い、のんびりゆったりとした気分になる。

もちろんここに住むとなったら不便かつ退屈になるのだろうが、
たまにこうして旅行で来る分には、
小さな離島はとても癒される。

この島の不思議はあちこちにガラス窓で閉まる、
しっかりとしや小屋付きお地蔵さんがいっぱいあること。
こうしたお地蔵さんは珍しいらしい。
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小さな島ゆえ、人間ではコントロールできない、
自然によって生活が大きく翻弄されることを、
深く理解しているからなのか、
台風や豪雨が来てもお地蔵さんを守れるように、
しているのかもしれない。

環境を守る、自然を大切にする、
自然災害に備えるというのは、
何も崇高な理想ごっこではなく、
自分たちの生活を守るという、
ごくまっとうな自分たちの利害=エゴから出てきたもの。

それをなぜか経済発展した社会は、
自分たちのエゴ=生活の必要性から、
環境を守るべきはずなのに、
環境を崇高な慈善事業のように置き換え、
それをやっていることがある種のステイタスのようになった。
だから本当に環境にいい=自分たちの生活にいい、
かどうかは別にして、
かっこだけのエコが蔓延した。

さらにはエコというステイタスを利用し、
CO2を排出することが環境に悪、
CO2を排出しなければ環境に善という一元論をでっちあげ、
財政悪化でイノベーションもなく破綻寸前の、
米国、欧州、日本を救う手立てとしようとした。

それゆえにCO2を排出しない原発は環境にいいという、
とんでもないロジックを生み出し、
原発事故が起き日本の環境が汚染されている今も、
「原発をとめたのでCO2排出量が増えた」といった、
愚かな論理をふりかざしている。

環境を守る理由は人類を守るということだ。
それは人類のエコだろうがしごくまっとうな考え方。
なぜなら自分たちの生存が大事なのだから。
ところがCO2一元論によって、
人類を守る、自分たちの生活を守ることではなく、
環境にいいか悪いかは別にして、
特定の誰かが儲ける仕組みにすりかわった。
結果、エコでもない自動車や家電製品を買うことに、
ポイントが付与されたり、
(エコなら自転車通勤する人やテレビを見ない人に付与すべきだろう)
原発利権を推進する金科玉条にすりかわった。

だから今、環境を守れず、
CO2が増える増えない以前の問題として、
大気も水も土壌も動物も植物も汚染する、
とんでもない大事故を起こしてしまった。

そこで今になってあわててマジエコをやり始めた。
照明、明るすぎるんじゃない?とか、
そんなにエレベーター動かす必要ねえだろうとか、
使っていないものは電源消せばいいだろうとか、
暑いならクーラーつける前にジャケット着るなよとか、
今までのエコごっこではほとんどされなかったエコに、
取り組まざるを得なくなったのである。

なぜなら原発を再稼動したらCO2が増えようが、
地球環境に最悪だいうことがわかったから。

小さな島にいれば自然の猛威を常に警戒し、
人類が自然の恵みによって活かされていることを知り、
身の丈にあった生活を心がけるはず。
ところが地球にある小さな島国にもかかわらず、
経済大国になってしまったものだから、
身の丈を知らず、際限のない成長ゲームに盲進し、
いつまでもその成功モデルに固執し、
人口が減っているのに税金をばらまけば、
経済が成長すると勘違いして、
ただ借金を膨らませ、
医療や年金など必要なところのお金を削り、
庶民に増税することで成長ができると思い込んでいる。

1億人もいる大きな島にいるから勘違いしてしまうのだろうが、
地震、津波、台風、豪雨、強風、竜巻、火山噴火など、
自然災害がきたら所詮は太刀打ちできない。
にもかかわらず、自然をコントロールできると過信し、
神の火に手を出したばかりに、
とんでもない災厄を引き起こしてしまった。
すわなち天災ではなく人災。

小さな島では天災を恐れ、
神を窓付きの小屋に守りそして祈る。
人類に自然はコントロールできないことを知っているからこそ、
神に祈るのだ。

自然を想定内にしようというのが、
そもそも大きな間違いだ。
ならば想定外のことが起きた時に、
破滅的な危機を招くものは使うべきではない。
それは崇高な理想でも何でもなく、
自分たちの生活を守るためだ。

そんな当たり前のことが、
福島原発の大事故があっても、
まだわからない日本人も多い。

例えば原発がなければと酪農家が自殺しているにもかかわらず、
脱原発を集団ヒステリーと称するような、
人でなしの自民党幹事長とか。

目先のカネを追えばどうなるか。
これから本当の“地獄”がじわじわ始まるのだと思う。
従来通りのやり方をゼロベースで見直さなければ、
真の意味での日本の再生はないだろう。

黄島写真
http://www.kasako.com/1106oushima.html

黄島猫写真
http://www.kasako.com/1106oushimaneko.html


by kasakoblog | 2011-06-15 13:35 | 一般


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