2011年 10月 26日
書行無常
e0171573_22251144.jpg

バカげたことを大真面目にやることで、
また、震災とインドで生き返った藤原新也。
駄作続きで「藤原新也は終わった」、
「もう見るべきものはない」と思っていたけど、
本作は3570円という値段ながら、
買う価値のある、実に読み応え、見応えのある、
久々の傑作だと思う。

この書が震災ショックで沈んでいる日本人の、
何らかのエネルギーになればという、
藤原さんの意図はこの作品に結集している。
私も藤原さんからエネルギーをいただいた。
行動しなきゃいけないと。

震災前の日本の書行は企画企画しすぎて、
ややいやらしい面もあり興ざめする感もあるが、
青木が原の樹海の108本の卒塔婆や、人間筆による書行は、
口蹄疫の書行のようなこじつけがましさがなく、
単純におもしろい、すごい、ここまでやるか!
とそのバカばかしさに脱帽し、感動する。
そして何よりおもしろいのは書行の写真というより、
それをやるにあたってのエピソードだ。
その意味では書行写真より文章の方がおもしろい。
その上で写真を見て、
「こんなことがあってこうして書いたのか」と見ると楽しい。

2010年を表す言葉を「澱」=よどむ、「籠」=こもる、
と藤原氏が書こうとしていたように、
(結局「漏」=もれるにしたのだが)
ここ数年の彼の作品は完全に澱み、籠もっていたが、
狂い咲きのように吹っ飛んだ企画を徹底してやる姿で、
彼自身が生き返り、作品に力がみなぎっている。
だから伝わる。
ここ最近の駄作とは違って。

ただこの本の見応えは「書行」よりも、
後半約半分を占める震災とインドの写真にある。
インドの写真なんか「書行」はいらない。
普通に写真だけですごい。
震災も「書行」はいらない。むしろ邪魔。
写真と彼の現地の言葉だけで、十分伝わってくる。

なぜ震災とインドの写真が際立って伝わるかといえば、
そこにいっぱい生死がつまっているからだろう。

私は今年のGWはインドに行こうと思っていた。
この澱んだ日本、日本人、いや自分自身に“喝”を入れるには、
インドしかないのではないかと思っていたからだ。
でも311が起きてインドに行くのをやめた。
なぜならこれまで見えなかった日本のリアルが、
震災によって露呈してしまったのである。
だから私はインド行きをやめて被災地に行った。
インドに行かなくても、インド的なるものが、
日本に現れてしまったからだ。
地震、津波、原発という未曾有の災害によって。

311前の生死が見えなくなったニッポンをどう表現するかは難しい。
何を撮っても、澱み、籠もっているように見える。
そうした生死が見えなくなった日本社会を、
見事に分析し、時に暴きたて、物議を醸したりして、
大きな衝撃を与えていたのがかつての藤原作品だったが、
最近の作品は日本ばかりを旅しているせいもあるのか、
澱んだ日本に藤原新也自身が飲み込まれ、
写真にも文章にも伝わってくるものが何もなかった。

そこで書評で「耄碌(もううろく)した」と書いたら、
本人から怒りのメールがきた。
「君は何歳か知らないが、若くして・・・」
この文面を見てもわかるが、
何歳か知らないが私を若いと決めつけている。
年齢で人を判断し、「若いくせにけしからん」という、
老害、耄碌の典型的ヒステリー反応だ。

でも藤原新也は震災とこのバカバカしい企画でよみがえった。
この本の最後の方に「被災地に救われる」と書いてある。
表現者が「被災地に救われる」というのはどうかと思うけど、
結局それは今回の震災で数多く生まれた自分探しボランティアと同じだろう。
普段の生活や仕事にイマイチやりがいを見い出せなかった人が、
震災が起きて、ボランティアにいったら、
厳しい境遇に置かれている被災地の人が、
自分なんかより元気だったり生き生きしているように見えて、
かえって励まされたというパターンと同じだ。

別にそれはそれでいいと思う。
ボランティアしたいなんて思ったり、
被災地に行ってみたいと思ったところで、
本当に現地に行く行動力と「勇気」を持っている人はごくわずかだ。

そして何より彼が被災地に入るのは早かった。
3/18に現地に行って撮影をしている。
それを彼のブログで知り、
この「書行無常」を読んだ時と同じように、
彼のおかげで勇気づけられ、エネルギーをもらった。
とにかく行くべきだ。
四の五の言っている場合じゃない。

さらに彼は震災が起きたことで有料会員ホームページを、
前倒しさせてスタートさせた。
こんな時だからこそどんどんエネルギーを発散し、
行動すべきだということを次々と有言実行していた。

耄碌なんていってごめんなさい。
ぜんぜん耄碌なんかしていなかった。
それどころか震災・原発という非常事態に、
多くの人にエネルギーを与えてくれた。
あらためて藤原新也のすごさを知った。

またこの本は、これまでの作品と一線を画しているのが、
藤原新也当人の姿が何度も何度も写真で登場してくることだ。
表現者、ましてやカメラマンが、
自分の姿を画に入れて表現することが、
いいことなのか悪いことなのかは、賛否両論ありそうだが、
この本は写真集ではないし、
書行という奇特なパフォーマンスをした、
キャラの立った当人の姿があることで、
かえっておもしろさが倍加しているような気がする。

地方を旅して愚痴を言うだけの「日本浄土」や、
四国巡礼で中途半端な「書行」で、
生死がまったく見せない「死ぬな生きろ」はひどかったが、
突飛な企画と震災ショックで、

憤りとパワーを持て余して、それを作品に昇華させるという、
今まで眠っていた彼の才能・情熱が再び目覚めたのかもしれない。
かつての全盛期の頃のように。

ただ社会批評の文章については、かつての切れ味はなく、
ステレオタイプ的な批判に終始している部分はあり、
その点について見事に指摘しているブログがあった。
http://d.hatena.ne.jp/knockeye/20110322

まさにこのブログの言う通りだなと思う。
その意味でも震災やインドに書行はいらない。
ただ写真だけで十分だと思う。
それだけで十分、生死が詰まっている。
それを見れば書なんかなくても、生死を思い知らされる。

何はともあれ、とにかくこの書はエネルギーに満ちあふれている!
ぜひ書店でぱらぱらと見て、
何か感じるところがあったら高いけど購入して、
じっくり読むとものすごく刺激を得られると思います。

久々に素晴らしい作品と出会った。
彼のエネルギーを見習って、私も行動しなくてはと思った。

・書行無常


by kasakoblog | 2011-10-26 22:25 | 書評・映画評


<< ギャラが振り込まれるまでが仕事      今、一番やりたいことって何ですか? >>