2011年 11月 28日
孤独死は防がなければならないのか?
岩手県の仮設住宅で79歳の女性が孤独死した、
というニュースがあった。
いまや震災ボランティアや行政の関心事は、
孤独死を防ぐことにある。

しかし私には不思議なことがある。
孤独死を防げ!というなら、
何も仮設住宅や被災地に限った話ではなく、
そこら中で支援なり対策をすべきではないか。

孤独死=家で誰にも気づかれず一人で死んでしまう、
というのは一人暮らしの高齢者なら、
被災地や仮設住宅に限った話ではない。
孤独死を防ぐことに力を入れるのなら、
1:一人暮らししている自分の両親や祖父母や親戚
2:一人暮らししている近所の高齢者
から始めるべきではないかと。

孤独死という言葉自体は阪神大震災から使われたために、
被災地=孤独死という図式ができ上がっているのだろうが、
いまや孤独死は被災地だけの問題ではないはずだ。

ただ根本的に不思議に思うことがある。
孤独死を防ぐ必要があるのか?
孤独死を赤の他人が防げるのだろうか?
という点である。

例えば一人暮らしのせいで、
助けが呼べずに死んでしまうという孤独死なら、
非常用のブザーを設置するなりして、
助けを呼べる対策をすれば済むことだろう。

しかし「精神的な孤独」にどこまで赤の他人が、
手助けできるのか。
孤独死を防ぐために、仮設から外に出てきてもらおうと、
ボランティアや行政がイベントをやりました。
でもイベントに出てくるのは決まって元気な人ばかり。
孤独死しそうな人って、
そんなイベントにはあまり出てこない。

いやそんなことはない、としよう。
でも1ヶ月に1度か2度のイベントごとで、
孤独な人が立ち直れるのか。
むしろ祭りの後の虚しさではないが、
それ以外の何十日もの間は、
一人で暮らさなければならない。
誰かが毎日同居しない限り、
孤独死を防ぐなんて不可能に近いのではないか。

ご近所でコミュニティを作って声をかけあえればいいという。
それで防げる人もいるだろう。
でも震災で家族や家を失った深い悲しみに暮れている人が、
そんなことで精神的な孤独が心の底から癒されるのだろうか。
面倒なご近所づきあいに巻き込まれるのは、
イヤだと考えるかもしれないし、
表面的に近所つきあいをしても、
どこまで本音を話せるか。

なかには放っておいてくれという人もいるかもしれない。
別に一人でいいという人もいるかもしれない。
自分の親でも祖父母でも考えてみればいい。
家族であってもなかなか一筋縄にはいかない。
高齢の一人暮らしをしているからといって、
子供が気を使って「同居しようか?」と声をかけても、
むしろ一人の方が気が楽でいいと考える高齢者も多いはず。
身内に気を使わせたくないと。

自殺防止せよとか孤独死防止せよって、
それはそれで正論だと思う。
でもそれは普通の人の正論であって、
心の底から死にたいとか、
一人で勝手に死んでも構わないとか思っている人に、
正論ふりかざして「生きていればきっといいことある」
なんて言えるのだろうかって疑問に思ったりもする。
そうやって辺に気を使って、
正論的にかまえばかまうほど、
かえってうざく思われてしまうのではないか、
ということもあるんじゃないか。

ほんのちょっとしたきっかけで、
孤独から立ち直り、みんなの輪に加わり、
仲良く暮らすことで孤独死を防ぐ手立てはあるだろう。

例えばイベントなんかやるより、
手芸教室を開いたボランティア団体がいたが、
これは実に素晴らしい取り組みだと思う。

何が素晴らしいかって一度教えれば、
イベントと違ってボランティアは不要なこと。
仮設住宅に住む人に手芸の楽しさを教えたら、
そのおもしろさにとりつかれ、
その後は勝手に一人でやるようになったとか、
時々、仮設住宅の手芸好きで集まってやるようになったとか、
きっかけを与えただけであとは自己完結できる。
孤独であっても趣味があれば毎日が楽しく過ごせる。
こういうのは確かに防ぐ手立てになるだろう。

でもやっぱり難問にぶつかる。
本当に孤独死しそうな深刻な人は、
そんな教室には参加しない。
じゃあかといって行政やボランティアが、
強制的に家を訪ねて、ひんぱんに声かけしても、
やっぱりそれには限度もあるし、
根本的な解決にはならない。

こんなこというとひどい人間だと言われるかもしれないが、
本当に死にたいと思っている人や、
世の中に関心がなく、放っておいてほしい人は、
生半可な支援や正論では助けられないんじゃないか。
それだったらむしろ放っておくしかないんじゃないか。
いくら「死ぬな生きろ」と叫んでも、
「生きていれば必ずいいことある」なんていっても、
まったく伝わらないんじゃないか。
その人と24時間人生を共にする覚悟があるならともかく。
というか死にたいという人間に、
赤の他人が死ぬなと言える権利があるのだろうかとか思う。

軽度な孤独はきっかけがあれば助けることはできる。
でも重度の孤独は手のうちようがない。
自殺や孤独死は「あるべきじゃない」という正論で、
赤の他人が数減らしに夢中になったところで、
何の意味があるのだろうとか思ったりもする。

孤独死は仮設でなくてもどこでも起こる。
防ぎたいなら近い関係のところからすべき。
でも自殺や孤独死を阻止したところで、
それがどれほどエライことなのか、私には正直わからない。

孤独死だろうが何だろうが、人間はいつかは死ぬのだから。

必要以上に「防ぐことが絶対善」という考えには、
なんとなく違和感を覚えている。
それだったら孤独死より、
交通事故死を減らすことに力を入れた方が、
いいんじゃないかとか思ったりもする。


by kasakoblog | 2011-11-28 21:30 | 東日本大震災・原発


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