2011年 12月 18日
避難ではなく県外移住を決めた福島いわき市民の決意
「避難ではありません。
住民票を移動する完全な移住です」

何度も取材させていただいている、
福島県いわき市に住む“神手”さん(30歳)が県外移住を決めた。

彼の家は沿岸部ではないため、
津波被害はまったくない。
いわき市の放射線量は0.10~0.20と、
福島県内ではきわめて低い。
しかも今、いわき市は、
原発20km圏内の避難民大量流入と、
原発作業の最前線基地として原発作業員などが多く、
ちょっとした“バブル”的様相を呈しており、
商売をするのには不都合はない。

しかし彼は県外移住を決断した。
「いわきが好きで仕方がない」と、
今日東京でお会いした時に最後にぽろっと言った彼がである。
移住は決して放射能だけが理由ではないというが、
原発がなければこんなことにはならなかっただろう。
原発事故とは恐ろしいほど、多くの人の人生を“狂わせた”。

ただ起きてしまったことはもうどうしようもない。
問題は原発事故が起きてこれからの人生をどう変えるか。
彼の決断の経緯は、今後の生き方を考える上で、
極めて参考になると思い、長文ですが全文転載いたします。

(転載元)
皆様へご報告。(その1)
http://blogs.yahoo.co.jp/godhand_spirit/45783715.html
皆様へご報告。(その2)
http://blogs.yahoo.co.jp/godhand_spirit/45783730.html

(転載)

神手です。
11月11日金曜日。
嫁さんと、愛娘と、愛息の3人が、
山形県庄内地方にある、嫁さんの実家に『移住』しました。

避難ではありません。
住民票を移動する完全な移住です。

私はいわきに残留し、仕事を続けます。
本心としては一緒に行きたいのですが、理想と現実、
今の現状で仕事を捨てて生活を維持できるかというと厳しく、
しばらく(最低でも2年)は単身赴任となります。

今回のこの決断。
全てが放射能のせい、ではありません。
いろいろな理由が複雑に絡み合って、の決断です。
しかしながら、原発・放射能問題が無ければ、
こんな事にはならなかったでしょうし、家族みんなでいわきに住み続けていたと思います。
以下、今回の決断に至った経緯を全てお話しいたします。

<はじめに>
○3.11よりも、3.12
平成23年3月11日。東日本は未曾有の大震災・大津波に見舞われました。
死者・行方不明者が数万人となる歴史的大災害となりました。
ですが、福島県にとってより重要であり深刻な出来事は『3.12』であります。
東京電力福島第一原子力発電所1号機が、全国に生中継されている中で大爆発しました。
さらに3月14日、3号機でも大爆発。
3月15日には、建屋が残存しているものの、
1号機よりも3号機よりもより深刻な内部損壊が2号機において発生しました。
(首都圏に及ぶ広範囲な放射能汚染は、この2号機によるものとの推測です)
 
福島県は、沿岸地域の津波被害、県内広範囲に及ぶ地震被害、
そしてチェルノブイリ原発事故を上回るレベルの放射能汚染被害、
それに伴う風評被害、実際問題として発生し始めている健康被害という名の『実害』と、
幾重にも『害』に侵されている現状であります。

○『いわきの存在意義』と、今後の未来予想図
先日、私個人のブログでUPしました『これからのいわき』というタイトルの日記です。
以下、ご参照ください。
転載元:『神の手を持つ男』への道!(兼:いわきグルメMAP)
http:// blogs.y ahoo.co .jp/god hand_sp irit/45 443577. html

これが、私が考える「いわきの未来」です。
私の超個人的な見解ですが、プラス思考で考えるならば、
いわきに居住を構えるという事に対するメリット、
企業としての展望想定も、決して全てマイナスなイメージばかりではありません。
しかし、2児の父としてはどうか?

これから幾つかのキーワードを挙げ、
1人の企業家として、2児の父として、家族を支える・守る者として、
今回の決断にいたる各種ファクターを書き記していきます。

<キーワード>
○人生80年
○福島差別
○学校
○山形県庄内地域の将来性

<人生80年>
私達夫婦は今年度で31歳になります。
人生を80年としたとき、残り約50年あります。
平成23年3月11日。未曾有の大震災の被災者となり、原発事故の被害者となりました。

私達はこの出来事を『不幸』とは考えず、人生における大きな経験と捉えます。
不安や不満、憤りの感情はマイナスのイメージしか生み出しません。
この経験を好機と捉え、20年、30年、50年先を見据え、
・子供
・家庭
・仕事
の三本柱を中心に、今後の人生設計のプランニングを前向きに構築すべく、
今回の決断に至りました。
 
また、妻の胸の内に秘めた願い。
それは『山形の家族を治療してあげたい』という事でした。
専門学校に進学し、国家資格を取得し、晴れて『先生』となった妻。
いわきに嫁ぎ、2人の子宝に恵まれ、
これから大きく発展していこうと考えていた矢先の、今回の大災害。
この大災害に見舞われるまで私達夫婦の中に
『山形で開業を』という選択肢はほとんどありませんでしたが、
事ここに至り、その選択の先にある無限に広がる可能性に、
これからの人生が『面白くなる!』という希望の光が見えました。
私は妻の想いを尊重し、また自分の残りの人生を山形で過ごすということに
『人生の楽しみ方』を見出したいのです。

私は結婚前に妻に言いました。
「80歳を過ぎ、2人で家の縁台に座り、『楽しい人生だったなあ・・・』と、
笑って振り返ることのできる、そんな人生を2人で歩んでいきたいね。」と。
そういう場所を、そういう家を、私達は山形で建ててみたいと考えました。
人生80年。
このタイミングで、生活基盤を『山形・厳冬地域』にしてみる。
・・・おもしろそうじゃないですか。人生として。放射能は別として、ただ単純にね。

<福島差別>
現在、福島県内のスーパーで売られている野菜には、
少数ではありますが県内産野菜も出回っています。
もちろん全て検査されていて「安全」とされているものばかりですが、
主婦の方々は皆、並んで置いてある県外産野菜を手に取ります。
去年の古米の価格が上昇し、売り切れ、現在では「古古米」が流通しています。
・・・この現象をどう捉えればいいのでしょうか。
表向きは『大丈夫だっぺ~』と言っていても、
心の奥に染み付いた不安が、福島県産を拒んでいることの顕れだと思います。

今回の震災の中で『情報ボランティア』という活動をさせていただき、
多種多様な方々との繋がりが出来ました。
そんな中で感じたのは、人間(特に日本人)の深層心理には、
いろいろな考え方があるという事でした。
情報ボランティアをしていると、
各方面から様々な情報がリアルタイムに集まってくるようになりましたが、
時として『えっ??』と耳を疑いたくなるような、
聞きたくも無い情報まで入ってくるようになりました。

今回の大災害、特に原発・放射能汚染問題によって
人々に蓄積された『負のイメージ』は、非常に根が深く、深刻であります。

また牛肉汚染報道に始まる、
『大丈夫』という言葉そのものの信頼性の低下も深刻な問題であり、
あらゆるデータをもって「大丈夫」と諭しても、
十中八九の方に納得のいく「大丈夫」になるためには
相当の時間を要するものと思われます。

今、求められるものは
○先見の明
○想定外をも想定できる力を養うこと
であると考えます。

・大丈夫という言葉の信頼性を回復させるように努力する。
・福島県を覆う「負のイメージ」を払拭する。
この2点は確かに大事なことではありますが、
果たしていつまでかかる事になるか見当がつきません。
さらに、現在報道や政府発表により公にされている情報は真相のごく一部分に過ぎず、
今後少しずつ明らかにされる真実により、
この福島の立場はより深刻になっていくものと思われます。

私達夫婦にとっての懸念は、
将来子供達が大人になったとき『福島出身である』という事で
謂れの無い差別を受けかねないということです。
可能性に過ぎませんが、全否定は出来ません。
なぜならば、人間は多様性の生物であり、考えは千差万別。
それを今回の震災で痛感しました。

今、どんな学者や専門家が『大丈夫!安心!安全!』といっても
その言葉そのものの信頼性が損なわれているため、
消費者心理としての『不安』は拭いきれないのが実情です。
これは多くの日本人が抱える悩みだと感じます。

一体何年この悩みが続くのか、
そしてそれが日本人の深層心理に植えつける『福島』のイメージがどんなものになるのか。
私達はそれを想像しながら、人生設計を見直すことにしました。

<学校>
先日まで子供達が通っている保育園では、ほぼ屋内で活動していました。
小学校も中学校も、体育の授業はほぼ屋内でした
(学校長の判断により屋外活動の学校もある)。
しかし部活動は、「慣れ」でしょうか、現在では普通に活動しています。
それと同時進行で、子供達を対象とした被曝検査も徐々に始まっており、
外部被曝、内部被曝の実態が徐々に明らかになってきました。

『一体いつになったら震災前の通常の学校生活に戻れるのか?』
『学校給食の安全性は?』
今学校に自分のお子さんを通わせている親御さんの悩みは尽きません。
先の見通しが立たない現状に、不安や不満が募る一方です。

疎開や転校を検討したいものの、諦めざるを得ないご家族はたくさんいます。その理由は
・友達と別れたくない
・みんないるんだから、大丈夫なんでしょう
・仕事があるから
等、いろんなご意見がありました。
それを否定することは絶対に出来ませんし、
尊重しなければならないものだと思います。

が、もし条件がクリアできるのであれば、
私は子供達は福島から離れるべき、と考えます。
それは放射能の高い低いであるとか、
『将来ガンになる可能性が・・・』といった類の話ではなく、
前述の『福島差別』の懸念が拭いきれないというのが大きな要因です。

それにもし将来、明らかに放射性物質由来の疾患にかかったとしても、
国や東電が補償してくれる可能性は皆無に等しいでしょう。
ならば、子供の将来を預かる我々にとって、
不安要素は出来うる限り取り除いてあげたい。

また、長女は来年度(平成24年度)より小学校入学となり、
途中転校は出来るだけさせたくないという思いがあります。
決断するならば『今』でした。

子供達には、外で目いっぱい遊んでほしい。
何の心配もなく、一生懸命部活動に取り組んでほしい。
そんな、親としてごく当たり前な願いを叶えたいんです。

<山形県庄内地域の将来性>
大震災と原発事故により、太平洋沿岸ライン(国道6号線)は寸断されました。
常磐道延長計画もなしのつぶて。
JR常磐線は未だにあちこちで高架橋が落下したままで、
駅舎(富岡駅など)は津波で流され、
復旧のめど、といいますか、復旧させる動きが全く感じられません。

いわき⇔仙台間の重要な物流ラインが寸断された影響により、
県中縦断ライン(国道4号線)の交通量が大幅に増大しています。
岩手・宮城の被災地域の復興活動には、その一本道しかなくなってしまいました。

そんな中、新潟県と山形県庄内地方を結ぶ『日本海東北道』が、
現在急ピッチで工事が進められています。
(新潟⇔鶴岡間は近年中に開通予定)
これをどう捉えるか、です。

私は、西日本や首都圏と東北被災地域を結ぶ物流ラインを
日本海側ラインに早期実現し、
復興活動の効率化を図る狙いがあるのでは?と推測します。

また放射能汚染についても、福島県に近い山形県内(米沢市・山形市)には
微量の放射性物質の飛散が確認されていますが、
月山連峰という大きな山を背に受ける
庄内地方及び秋田県はほとんど検出されていません。
事実、飛散していないのです。

現在は『首都圏からの避難者』が徐々に増加傾向にあります。
避難先は西日本、沖縄エリアのようですが、
この庄内地域は、放射能非汚染エリアとして『穴場』なのです。
なおかつ、原発が近隣になく、
偏西風の影響で主に海側から風を受ける地域の為、
どこかの原発で同様の事故が発生したとしても
影響は軽微であり、安心できる地域といえます。

・物流ラインの拠点となりうる地域
・放射能非汚染地域

以上のことから、今後飛躍的な発展を遂げることになるのでは?と推測します。
物流の発展は、雇用の拡大を生み、
中長期的な視点で考えれば人口増加にも繋がるのではないかと考えます。

○理想論・・・・・夫婦は、家族は一緒に生活すべき。
○現実論・・・・・収入の安定なしで、家庭の安定は得られない。
    ・・・・・現在の顧客様を裏切ることは出来ない。
○第一に考えなければならない事・・・・・長女の小学校入学。

これらの要素から導き出した結論は、
○平成23年11月中旬、妻、愛娘、愛息は山形へ移住。住民票も移動。
○愛娘は今年中に幼稚園に入園し、来春に小学校に入学。
○愛息は、来春に幼稚園に入園。
○私は、いわき残留。事業継続。

<さいごに>
今、時代は大きな転換期を迎えています。

アメリカ国債の格下げ。
止まらない円高の流れ。
TPP。
国債を国債で返すという多重債務者にも似た先進国の衰退。
歳入の落ち込み。
医療制度の崩壊への序章。
超高齢社会への突入と、進展のない少子化。

挙げればきりが無い日本の不安要素。
そんな中で起きた、東日本大震災。東京電力原発事故。

途方も無い金額に膨れ上がった賠償金問題。払えるわけがありません。
今はどのメディアも取り上げていませんが、
今後は海外からの損害賠償請求
(水揚げした海産物からの放射能汚染被害)があると思われます。

メルトダウンを通り越して『メルトスルー』した核燃料。
安定冷却?核燃料を取り出す?
今まで人類が経験したことのない、実験にも似た作業が、いつ収束を迎えるのか。
ある東電社員さんの話↓
『もし、これから先、今の現状よりも悪化するような事態になったら、腹をくくれ。』
『冬場は確実に数値は上がる。』
『一番ヤバいのは、1でも2でも3でもない。4号機だ。
あの使用済み核燃料貯蔵プールがダメになったら、人間は近づけない。
俺達が近づけないということは、1も2も3もダメになる。』

なぜ佐藤栄佐久前福島県知事は、頑なにプルサーマル計画を拒否したのか。
そして献金問題で辞職に追い込まれた、知られざる背景とは。
今はそんな過去あった出来事を検証する場合ではありません。
大震災から現在に至るまでの経過や、
原発事故の原因追求をしている場合でもありません。

大事なことは『今』、そして『これから』です。
今はただひたすらに、振り返ることなく『前を見る』ことだと思います。
未来を生きる子供達へ、私達は何を語り、どう行動し、伝えることができるのか。
それが、今の私達夫婦に課せられた大事な宿題です。

今いわきにいてお子さんを抱えてらっしゃる親御さんは、
皆、悩みの中で生活されています。
本当はいわきを離れたいけど、仕事の関係で断念せざるをえない状況だったり、
身内がちょうどいい場所にいなかったり・・・

私達は
・手に職がある。
・愛娘がまだ小学校に入学する前。
・山形庄内地域に妻の実家がある。
・ご実家のバックアップが万全である。

これらの条件が揃っているからこそ、今回の決断が出来たのであって、
もし長女が小学校にすでに入学していたら
そのまま6年生まで通学させていたでしょうし、
そのまま中学校も行かせていたでしょう。

また妻の実家がもし東京方面にあったならば、
いわきとあまり変わりませんから行かなかったでしょうし、
もし私が会社勤めの会社員ならば、
無職になってまでいわきを離れるという選択はしなかったでしょう。

贅沢な立場ですよね。
みんな同じような悩みの中で日々生活をされているのに。
うしろめたい気持ちは、もちろんあります。
前にも言いましたが、私はいわきが好き。福島が好き。
居れることなら、いわきで生活したいです。

だけど・・
でも・・
すいません、これ以上は・・
複雑な心情をお察しください。

最後に一言、
原発のバカ野郎

・・・・・・・・・・・
・書籍「検証・新ボランティア元年~被災地のリアルとボランティアの功罪」


by kasakoblog | 2011-12-18 23:20 | 東日本大震災・原発


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