2012年 03月 13日
鎮魂花火イベントがなぜダメなのか
震災復興と称してボランティアが企画する、
鎮魂花火イベントがなぜダメなのか、
被災者やボランティアの懐疑の声を紹介しても、
未だにわからない人がいる。

彼らの反論はこうだ。
「花火で喜んでいる人も大勢いる」。
ちょっと・・・。そんなの当たり前の話でしょう。
花火をタダで見れて喜ばない人がどこにいるのか?
やれば喜ぶに決まっている。

問題にしているのは花火を喜ばない人がいるからではない。
今、何百万円、何千万円もの貴重なお金を花火に使うことが、
どんなことよりも優先されるのか。
またそれは被災者を喜ばすための、
費用対効果に見合っているのかということだ。

単なる自己満足なのに、
被災者のためだとかすりかえる、
花火などのイベント好きボランティアの論理はこうだ。

ある被災者と話をしたら鎮魂の花火を上げてほしいといった。
だから金を集めてやりました。
そしたらみんな喜びました。
どこが悪いのか?

じゃあ例えばある被災者がこんな話をしたらどうか。
私は震災で家族を失い、生きる気力を失った。
ハワイの高級ホテルで1カ月間のんびりして、心の傷を癒したいと。
よし、じゃあ金を集めて、この地区の被災者を全員ハワイに招待しよう、
とはならないだろう。

でもなぜハワイに招待しないのか。
ハワイに被災者を招待したら、
ハワイに行きたいと言った被災者だけでなく、
大勢の被災者が喜ぶだろう。
それと花火の論理は同じ。
被災者が喜ぶことなら何でもするのか。

違う視点から花火鎮魂イベントが、
なぜダメなのか説明しよう。

イベント好き自己満足ボランティアがやっている論理はこうだ。
被災者が10人いました。
支援できるお金が100万円あります。
仲良くしている被災者Aさんが、
「鎮魂のために花火をしてほしい」と言いました。
よっしゃ、じゃあ100万円使って、
大きな打ち上げ花火をやろう!
他の被災者9人も花火をやったら喜びました。

でももしその花火大会の資金100万円を被災者10人に、
10万円ずつあげたら、みんな花火に使うのか?

ある人は震災で流された自動車資金の足しに。
ある人は仕事を失った生活資金の足しに。
ある人は温泉旅行に。
ある人は新たな仕事を得るため語学学校の資金に。
ある人はガイガーカウンターの購入費用に。

被災者によってはぜんぜんニーズはバラバラだ。
花火をやりたいという人もいれば、
そんな金あるなら他の使い方をしたいという人もいるだろう。
ところがイベント好きボランティアは、
ある1人または少数の被災者のニーズから、
それをすべてにあてはめてしまい、
限られた貴重な資金を花火に注ぎ込んでしまう。

花火をやれば他の被災者も喜ぶだろうが、
花火をしなければ10万円ずつ配れますが、
それでもあなたは花火の資金にあてますか?
というような聞き方はしない。
1人のニーズを拡大解釈し、すべてにあてはめ、
結果みんなが満足しているからOKという、
とんでもない論理を推し進めている。

いや日本が大金持ちで金が有り余っているならいい。
他の被災者のニーズにも答えているならそれでいい。
ところが鎮魂花火の多くは「ある一人の被災者の思い」ばかり。
それが被災者全員のためになるのか。
喜んでいるかどうかではなく、
そのお金を他に使える場合と比較する必要がある。

あとは優先順位。
花火をしたいといった被災者が花火ができなくても、
別に死なないかもしれない。
しかし今、仕事を失って絶望して、
自殺してしまうかもしれない人がいる。
その状況で花火大会のためにうん百万円使うのが先ですか?
という話。

そんな金集められるのなら、
仕事を失って絶望している人に、
失った仕事の機器を購入してあげるとか、
違う仕事に就職できるよう援助をするとか、
そういうことがまだまだ震災1年では必要ではないのか。

鎮魂花火を5年後とかにやるならいいけど、まだ震災からわずか1年。
被災地も被災者もボロボロの状況。
そこで花火にやることが優先順位が高いのか、
自分たちがド派手なイベントをして、
有終の美を飾りたいとかそういう邪な理由でイベントをしてほしくない。

あとは費用対効果の問題。
鎮魂花火をやりたいといった被災者が1万人いて、
そのために1000万円かけるのなら意味はあるかもしれない。
しかし花火をやりたいという被災者が10人しかいなくて、
そのために1000万円かけるのなら、
費用対効果で見てまったくあわない。

これも日本に金が無尽蔵にあれば、
費用対効果など考える必要はないがそうではない。

例えば鎮魂花火をしたいという被災者が1人だけなら、
どでかい打ち上げ花火を何発もあげなくても、
費用対効果を考えた花火にできないのか。

以前ある被災者はこんな話をした。
「鎮魂の花火大会って線香花火で十分です」

また以前、取材した被災者のためのイベントでは、
手持ち花火数千円分で、子供たちはみんな大喜びしていた。
打ち上げ花火を何十発もあげなくても、
被災者が喜ぶことはできるだろう。

花火をやれば被災者が喜ぶのは当たり前。
でもやって喜ぶからやるのではなく、
今、緊急性が高い支援は何なのかを考えるべき。
これは支援の基本であって、
そこが抜けているのは支援でも何でもない。
自己満足だ。

例えば今日食べるものもないホームレスに出会って、
あなたは食べ物ではなく花火をプレゼントするか?
しないだろう。
それと同じ。

リーマンショック後、景気対策と称して、
2兆円の定額給付金を配ったのと同じ。
金を配れば国民は喜ぶかもしれないが、
そのお金の使い方が危機時として効果的なのか。
他にもっとやるべきことがあるのではないか。
それと鎮魂花火は似ている。

震災から1年しか過ぎていないのだから、
必要性、緊急性の高い支援はいくらでもあるはず。
そこを無視して、被災者1人が希望しているから、
花火をやりました、そしたらみんな喜びましたという、
あまりにも短絡的な自己満足支援は、
結局は被災者も支援者も共倒れする、
無駄な金の使い方に過ぎない。

自己満足でやるなら自分の金でやればいい。
鎮魂の花火なら線香花火でいい。

俯瞰的に全体の状況を見れる人が少ない。
目の前の感情的なことに捉われてすぐ行動する前に、
一度立ち止まって全体の状況を確認した上で、
今、自分がどう動くべきか考えて支援をすべきだと思う。

被災地レポート
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2012-03-13 00:07 | 東日本大震災・原発


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