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13年前の夏。僕は病院を抜け出し炎天下をひたすら歩いたんだ

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13年前、27歳の私はある日、突然腰が痛くなり、
しばらくしてから歩けなくなり、しばらく寝たきり生活を強いられていた。
椎間板ヘルニアとの診断だった。

それでも自宅で寝たきりになりながら、
はいつくばってパソコンにしがみつき、
会社の仕事をしていた。
当時、バカだった私は、
「自分がいなければこの仕事は回せない!」
なんて思い込んでいて、休めばいいものを、
自宅で寝たきりになりながら会社の仕事をしていた。

だから「治すためには手術して1カ月の入院が必要です」
と言われた時は、絶対にそんなことはできないと思い込んでいた。
でもそれは「自分がいなくなったら会社が困る」ということではなく、
実は「自分が1カ月いなくても会社が困らなかったら、
私の居場所はなくなってしまう」という、
仕事を失う恐怖だったのかもしれない。

そのため「保険はきかないけどレーザー手術なら日帰りで治る!」
という謳い文句にひかれて、60万円払ったものの、
治るどころか余計に症状は悪化し、
やむなく、切開手術し、1カ月の入院をすることになった。

入院翌日、手術。
しばらくは術後、安静のため、
2週間はベッドで寝たきりだった。

これが本当につらかった。
寝ながらでは本もまともに読めない(無理やり読んでたけど)。
寝ながらではパソコンでまともに文章も書けない
(無理やり打ち込みしていたけど)。
寝ながらではトイレができない。
寝ながらでは食事がおいしくない。

外は炎天下の中、私はクーラーのきいた快適な病室にいたが、
寝ながら生活は地獄の日々だった。

ただ入院後18日目になり、
医者からコルセットをつければ起き上がってもいいし、
歩いてもいいとの指示が出た。
あの時ほどうれしかったことはない。

2002/7/18のホームページ日記(現ブログ)には、

2週間寝た後は、まず起き上がるだけで、
まだしばらくベッド生活が続くのかなと思ったが、
一挙に歩くことを許されて、もううれしくてうれしくて仕方がない。
歩けることで大喜びする・・・ほんとに健康であることの喜びを味わった。


と喜びの心境が書かれている。

しかし私は愕然とした。
歩行補助器を使いながら、
病院内を5分歩いただけで筋肉痛になってしまった。
27歳という若さであっても、18日間もまったく歩かないと、
人は歩けなくなるのかということに驚いた。

このままでは日常生活への復帰はままならない。
歩けるようにならなくては。
そう思って、私はその日から、
病院の廊下を何周もただひたすら歩き、
歩けるようになるため、リハビリを開始したのだった。

しかしただひたすらクーラーのきいた、
何の障害物もない、病院内を歩いているだけでは、
日常生活復帰のリハビリにならないのではと危機感を覚えた。

そこで私は暑い炎天下でも歩けるよう、
普通の道でも歩けるよう、
外に出て、病院の周りを歩いてみた。

しかし10分でギブアップした。
20日以上、外に出ていないので、
暑さにすぐやられてしまったこと。
外を歩くのは病院内で歩くのとはまったく違い、
歩行者も自転車も車も通る。
何より平坦な道ばかりではなく、
でこぼこしていたり、段差があったりする。

これほどまで外で歩くことが難しいと感じたことはなかった。
20代でそんな風に思う人はほとんどいないだろう。
私だってそんなこと、思いもしなかった。
こんなにも暑い中、外を歩くことが難しいだなんて。
健康のありがたみ、当たり前のありがたみがはじめてわかった。

でも早く社会復帰したかった。
日常生活に戻りたかった。
だから私はひたすら炎天下の中、
病院の周りを歩いた。
そのおかげで、やっと普通に外で歩けるようになり、
めでたく退院となったのだ。

私が退院後、家に帰って真っ先にやったこと。
それはホームページ日記(現ブログ)の更新だった。
今みたいにWifiなんてものはなく、
もちろんスマホなんてものもなく、
病院から毎日更新日記を更新することができなかった

その当時でアクセス数は100ぐらいだったと思う。
でも毎日見てくれる読者が何人かいる。
「入院するからしばらく更新できない」と20日前に書いたものの、
きっと心配しているだろう。

だから何よりも退院報告をかねて日記を更新したかった。
そのために入院中も毎日日記はノートパソコンで書いておいた。
私は2000年から15年間、ネットで「ほぼ」毎日更新していると、
「ほぼ」をつけているのは、寝たきり生活の時に、
書けなかった、更新できなかった時が何日かあるからだ。
でもそれ以外は毎日更新している。

私が退院した日の2002/7/24のホームページ日記には、
こんな風に書かれている。

僕が1ヶ月の入院を終えて、真っ先にやりたかったことに僕は手をつけた。
そう、それはかさこワールドを更新すること。
読者のみんなに退院したという報告をしたかったこと。
不思議なことだが、毎日更新しているかさこワールドは、大変なことではなく、
僕の心の支えであり、一番の趣味であり楽しみになっていた。
こうして退院を報告できる場があり、
病院で考えた事を、たとえ少数であろうと、発表できる喜び。
かさこワールド、ありがとう。
なんだか自分が作ったホームページに自分に励まされた感覚だった。


更新したくても更新できない環境を経験したからこそ、
毎日更新できるありがたみを私は知った。
たとえ少数でも誰かが私のブログを毎日楽しみにしている人がいる。
それが自分にとって大きな心の支えであることに、
入院していて更新できなかったから気づけた。

だから私は今もブログを毎日更新し続けている。
だってそれは自分にとって心の支えであり、いきがいだから。
だから私のブログ術は、
私の人生の想いや歴史そのものを凝縮したもの。

ネットで発信できる時代に生まれて、本当によかった。
そして何より、あたりまえのことがあたりまえにできない、
苦しさを20代の時に経験できたからこそ、
日々、毎日更新を続けていけるんだと思う。

・椎間板ヘルニア・ドキュメント
http://kasakoblog.exblog.jp/14146607/

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by kasakoblog | 2015-08-08 22:20 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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