好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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カテゴリ:一般( 234 )


2001年 02月 17日

イマジネーションの欠如

よくサッカーの試合を見ていると、解説者がこんなことを言う。
「日本のプレーにはイマジネーションが足りない」
11人対11人という非常に人数の多いスポーツであるサッカーにおいて、
敵味方含めて、自分以外の選手がどんな風に動くだろうかということを想像してプレーすることは大切だ。

イマジネーションの欠如は何もサッカーだけにとどまらない。
最近思うのだが、現代人のイマジネーションのなさにはあきれかえってしまう。
要は自分のことしか考えていない、自分中心自分勝手人間が増えて、他者への配慮が欠けているのである。

たとえば道端での歩きたばこ。
狭い歩道をすれ違う時、向こうから歩いてきた人が、たばこを持ちながら歩いていて、
あわやこっちにたばこがぶつかるのではないかということが何度もある。
全く他人への配慮というか、こうしたらどうなるという想像力が欠如しているのだ。
吸った灰が服に流れてくることもあるにもかかわらず、そういったことは全く気にしていないのだ。

また狭い歩道を歩いていると、横いっぱいに広がって歩いてくるバカどもがいる。
こっちが端に歩いていても、向こうの誰かがどかなくては通れない。
50m先でお互いの存在に気づいて、このままいけばぶつかるなとわかっているのに、
横いっぱいに広がっている方が全くどかないということが多々ある。
しかもそれが小さい子供ならわかるが、スーツを着たサラリーマン連中が平気でこういうことをするのだから驚きだ。
こいいう歩き方を僕は「Gメン歩き」と呼んでいるのだが、
かさこ総理に頼んで「Gメン歩き禁止法」を道路交通法に盛り込んで欲しいといつも願っている。

待ち合わせの時間に遅れてくるのも、他者へのイマジネーションの働かないバカども。
混んでいる車内で7人掛けに6人掛けしているバカどももよく見かける。
ほんとに最近、想像力の働かないバカどもが多くて、危険でろくに道も歩けない。
何も難しいことを要求しているのではなく、ちょっと考えればわかることを平気でしてしまうんだな。

だから犯罪も増えてるんだと思う。
誰だって人を殺したいと思ったことはあっても、本当にする人は限られている。
したらどうなるかということを普通の人は考えるからだ。
しかし昨今のイマジネーションの欠如状態が、その時の感情に任せて簡単に人を殺してしまったり、
犯罪を犯してしまうのだろう。

原因は教育にある。一問一答方式の丸暗記勉強させているから、想像力が養われないのだ。
想像力を養う教育にしないと、どんどん犯罪の若年化は進行するだろう。

社会に生きている以上、他者への行いは必ず自分にはねかえってくる。
きっと自分勝手な現代社会は、環境破壊で滅亡するのだろうなと思う。
まあ何年かかるかわからないが。


by kasakoblog | 2001-02-17 00:52 | 一般
2001年 02月 07日

都会の隙間(2)

朝9時。高円寺駅、総武線のホームで電車を待っていると、向かいのホームに中央線が到着した。
中央線の混みようは半端ではない。
あんな電車になんか乗りたくないなと眺めていると、最後尾の扉から乗ろうとした女の人に異変が起きた。

女の人の片方のサンダルが、混んだ電車に乗ろうとした瞬間、ホームと電車の間に見事に脱げ落ちたのである。
最後尾にいる車掌はそれに気づいたが、このくそ忙しいラッシュ時にそんなことで電車を止めていられないと、
見て見ぬふりをして、電車を発車させた。
女の人はその車掌に助けを求めようとしたが、
この電車が行かない限り、線路に落ちたサンダルが取れないことに気づいたのか、声を掛けるのをやめた。

電車が発車するとその女性は駅員を探したが、ホームを見渡す限りどこにも見あたらず、
片足裸足のままで、ホーム中央へと情けない姿で歩いていった。
電車は一向に間隔を空ける様子はなく、次から次へとホームに入ってくる。
まして電車は通勤客で超満員。たかがサンダル一つのために電車を止めるだろうか・・・?

新大久保駅での人身事故が起きて以来、まるで駅員の管理体制が悪いがごとき報道がされている。
しかしこんな光景を見てしまうと、駅員に同情したくなる。
そもそもこんなくそ寒い冬にサンダルなど履いている、TPOをわきまえない女が悪いのである。
このサンダルを落としたために、もし電車が止められるなら、
どれだけ他の乗客に迷惑がかかるか考えたことはあるのだろうか。
悪いのは駅の管理体制などではないのだ。

カップ酒を飲んで酔った客のように、自業自得で自分が死ぬならともかく、
他の乗客に迷惑をかけるのはやめてもらいたい。

そういえば大雪の日に異様にヒールの高い靴や、厚底サンダルを履いておっかなびっくり歩いている女性を何人も見かけた。
ファッションが大事なことはわかるが、
雪の日にすべりやすい安定性の悪い靴を履くようなアホな女がいくら綺麗でお洒落だとしても、
誰も見向きはしないだろう。
自分が痛い思いをするだけならいいが、頼むから、他人の迷惑になることはやめてほしい。


by kasakoblog | 2001-02-07 01:02 | 一般
2001年 01月 16日

感覚マヒ

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海外」というと、よく治安が悪いだとかすぐ物を盗まれるとかいう。
それはある意味では本当のことだが、その要因は、日本人の特殊性に帰することが多い。
海外でよく日本人が被害にあうのは、ちょっと荷物から目を離した隙に物を取られる置引き。
でもそれは日本人の感覚がおかしいから、よく被害に遭うのだ。

日本ではファ-ストフ-ドや食堂や図書館、さらには駅のホ-ムなどでも、
場所取りのために平気で荷物だけを置いてどこかに行ってしまう。
こういう感覚のまま海外旅行に出掛けて、ここは日本ではないんだという意識を持たなければ、
簡単に物を盗られてしまうのは当然のこと。
というより、物を盗んでくださいと自ら差し出しているようなものなのだ。
海外の治安が異常に悪いのではなく、日本人の感覚がズレているから起こるのだ。

日本なら荷物を場所取りにしても、盗られることは少ないだろうが、
最近、「いくらなんでもこれはねえ」と首をかしげてしまうのは、
携帯電話を置いてそのままにしていくことである。
いくら平和ボケした日本でも、携帯をおきっぱなしという感覚はちょっと信じられない。これが意外に多いから驚いてしまう。

もし取られてどこかに電話を掛けられたらどうするのだろうか?
すぐに電話会社にとめてもらったとしても、膨大な個人情報が流出する。
友達の電話番号だけでなく、メ-ル機能もついているから、メ-ルの履歴を読んでいけばいろんなことがわかってしまう。

財布に次ぐ貴重品であるはずの、携帯電話をそのまま置いてどこかに行ってしまうというのは、
「治安のいい」日本でもやめた方がいいのではないか。
ここまで感覚がズレた人間が、団体ツア-で日本人に囲まれ高級ホテルに泊まり、
まるで日本にいるかのような旅行をするから、物が盗られたり、カモにされたり狙われたりするのである。
つまりは、自業自得ということだ。

いくら僕がこんなことを言っても、自分の荷物が盗まれて痛い目にあわないかぎり、きっと無駄なんだろうな。
渋谷の町角を歩いただけで、無差別に金属バットで殴りかかられるという(昨年暮れの事件)、
日本の異常な程の治安の悪さを考えた時、携帯電話をほったらかしにする危機意識のなさは、
より事件事故を誘発させているといっても過言ではない。

この世は欲望社会。何も自分から事件の火種を蒔く必要はないのではないだろうか。


by kasakoblog | 2001-01-16 00:49 | 一般
2001年 01月 15日

チベットがなくなる日

人生には実に不思議なことがある。
僕は新聞は朝刊しか頼んでいないのだが、なぜか今日に限って、配達員が間違えたのか、夕刊が入っていた。
「別に夕刊なんか大して読むところないのに」と、何気に新聞を開いてみて驚いた。
一面のトップが、「チベットを鉄道走る」という記事だったのだ。

1999年、僕は中国・ゴルムドから約1100kmの道程を、バスで30時間かけてチベット・ラサに旅した。
平均標高4000m、5000m以上の峠を二つ越える難所の道程を、オンボロバスで走るのだ。
これほどきつかったバスの旅はなかった。
しかしその甲斐あって、到着したチベットは美しい場所であった。

その時、鉄道ができるという噂は聞いていた。
確かに中国ゴルムドからチベットに行く道の途中に、鉄道の路線を工事している箇所を何度か見掛けた。
しかし本当に建設するとは到底思えなかった。

全く何もない高原地帯に、しかも異常に標高の高い地に、
1000kmもの鉄道を敷設するというのは想像を絶する難事業のはずだからだ。
しかしこうして朝日新聞がトップで紹介するからには、本当に建設するのだろう。
チベットに行ったことがあるだけに、この記事を他人事とは思えず食い入るように読んだ。

チベットは中国から独立したがっていて、チベットの最高指導者ダライラマは現在インドに亡命中。
昨年は、高僧の一人がチベットから脱出してインドに亡命した事件もあった。
こんな非常に微妙な地区に鉄道を敷設するということは、単に「観光の切り札」としてだけではなく、
非常に政治的な意味を持ち合わせているのだ。

鉄道ができれば、中国人・中国文化・さらには高度成長真っ盛りの近代化文明までもが、
固有の文化を持った自然と共に生きるチベットに、一挙に運ばれることにある。
これは実に恐ろしいことだ。
鉄道が完成すればチベットの固有の文化は急速に失われ、中国の単なる一観光地としての位置づけに堕するだろう。
今でさえも、中国近代化の波と政治的抑圧によって、チベット文化が失われつつある。
現在では、チベット固有文化を残している地域は、チベット本土よりむしろネパールやインドに移ってしまっているのだ。

あの苦難のバス旅をせずに、鉄道でチベットに行けるということは、
旅行者にとっては非常に魅力的なことだが、そんな背景があるだけに手放しでは喜べない。

奇しくもこの夕刊を見た夜、僕はチベットで出会った旅行者と飲むことになっていた。
その旅行者も、僕の家に来るなり真っ先に目を奪われたのが、この新聞記事だった。

この先「チベット」がどうなってしまうのか。
「チベット」がなくなる日が、この鉄道建設によって大きく早まってしまう可能性は高い。


by kasakoblog | 2001-01-15 00:23 | 一般