好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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カテゴリ:書評・映画評( 220 )


2001年 10月 03日

シャーロックホームズの歴史

著者、アーサー・コナン・ドイル。(1859~1930年)
スコットランド・エジンバラ生まれ。
ヴィクトリア朝時代のイギリスは、馬車や蒸気機関車が走り、ガス灯で、
身分制が色濃く残り、お金持ちの家では召使がいた。
そんな時代を舞台にして60もの事件を描いたのが、シャーロックホームズだ。

●実在したホームズのモデル
ホームズにはモデルとなった人がいた。
エジンバラ大学の診療所で講義をしていた外科医、ジョゼブ・ベル博士。
人並みはずれた観察力で患者の状態を一目見ただけで、職業や家族構成などすばすばと当てた。

●医者から作家へ
1887年「緋色の研究」でシャーロックホームズが誕生。
しかし歴史小説家になりたかったコナンドイルは、1889年歴史小説「マイカ・クラーク」を出版。
雑誌社からホームズの依頼を受け、1890年ホームズ第二作目となる「四人の署名」を発表。
小説を書きながら、ロンドンに眼科医を開業したが失敗。医者から作家に転向する。

●ホームズ暗殺計画
1891年~1893年まで、ほぼ毎月のようにストランドという雑誌に連載。人気となる。
しかし当のコナンドイルは、探偵小説を見下し、歴史小説家を熱望。
ホームズ連載をやめるために破格の原稿料アップを要請したが、受け入られてしまって続けざるを得なかった。
歴史小説に時間を割くため、ホームズを殺してしまう物語を着々と書きあげる。

そしてついに1893年「最後の事件」によって、犯罪界のナポレオン「モリアーティ教授」を登場させ、
スイス・ラインバッハの滝でホームズを殺してしまう。
これには読者から猛反発を受ける。

●復活
1901年、ホームズが死ぬ前の物語として「パスカヴィル家の犬」を連載。大好評。
そこで最後の事件について「あれは実は滝に落ちてはいなかったんだ」として、
1903年「空家事件」で、ホームズを生き返らせた。
なんといっても復活して登場するシーンが最高。
ワトソンを失神させるほどの変装でびっくりさせるのは、いかにもホームズらしい。
1927年までホームズ物語を書き続けた。

●ホームズの観察力を実際に適用
1903年、真夜中、家畜が切り殺された「ジョージ・エダルジ冤罪事件」について、
疑われた容疑者は、新聞を斜めに持ってくっつくように見ていたことから、
彼が強度の乱視・近視であることを指摘し、真夜中に殺す事などできないと進言。
「エダルジの様子を5分観察しただけで、私は彼の無実を確信した」と、
実際の冤罪事件を見事に解決したドイル。

●矛盾
徹底した科学実証主義を貫くホームズだが、作者は心霊研究に没頭していた。
特に晩年になると、心霊術関係の本を10冊以上出版。
1916年には「死者との交信を信じる」と宣言。
第一次世界対戦で死を目の当たりにした影響からか。

●意外な作品
映画「ロストワールド」の原作ともなった作者でもある。
1911年、現代の南米で恐竜を発見するというSF小説「失われた世界」が、
ロストワールドの原作となった小説だ。


by kasakoblog | 2001-10-03 18:01 | 書評・映画評
2001年 09月 27日

「冷静と情熱のあいだ」江國香織・辻仁成著

久しぶりに「先が読みたい」とどんどん読み進める本にあたった。
昔別れた恋人が、それぞれ別々の生活をイタリアで送っている。
しかし互いに忘れらず「30歳の誕生日にフィレンツェのドゥーモで会おう」という
約束に向って物語は突き進んでいく。

そのスピード感がたまならかった。
辻さんの描く男と、江國さんの描く女が一体どこで一緒になって新しい物語を紡ぎ出すのだろうか。
8年ぶりの再会に起こる出来事は何だろうかと、先を読み進めていた。

にもかかわらず、いつまでたっても、それぞれの単調な、しかしどこかちぐはぐな日常生活ばかり。
そんなことはもうわかっているから、早く再会してどうなるのか知りたいというまどろっこしさを感じた。

別れた原因、手紙を書いた後の行動、そして再会後の行動。
どれもなんだかすごく中途半端な印象を受けた。
設定がおかしいのではないか。そんな感じがした。
「冷静が情熱に勝った」というわりに、8年間も思い続けているし、
それでいて互いにずるずると日常生活に引きずられているし、
もしかしたら本当の人間もこんなものなのかもしれないが、なにか不自然な感じがした。
全体的な設定に矛盾があったのではないかという気がしてならない。

最後の結末もとってつけたようで、なんだか釈然としないまま読み終えた。
「まあ小説なんてこんなものだ。必ずといっていいほど結末に納得がいかないものばかりなのだから」

ただこの小説でおもしろかったのは、絵画を修復する修復士という職業の存在だ。
大したことのない恋愛ストーリーを中心にするより、はるかにこの修復士にスポットを当てて、
その人生を描き出した方がおもしろかったのではないか。

修復した絵が切り裂かれる事件、先生の自殺、絵画を教えてくれた祖父とのやりとりなど、
その話だけでいくらでもふくらみそうな感じだった。
他愛のない恋愛物語にするより、フィレンツェを舞台にした日本人修復士の半生みたいなテーマにしたら、
すごくおもしろかっただろうにな。


by kasakoblog | 2001-09-27 18:10 | 書評・映画評
2001年 08月 13日

「丸亀日記」藤原新也著

1987年から朝日新聞に毎週掲載されたコラム。
身辺雑事から社会の構造・精神を見透かしたような文章は、
実に鋭く、今、読んでもはっとさせられるものを含んでいる。

しかし著者は、その社会に対する痛烈な批判を、
かつて「東京漂流」でやった時のように直接的にはしていない。
自分が町を歩く「丸亀」という設定によって、批判的文章が軽妙な語り口にすりかえられている。
しかし語り口が変わろうとも著者が一貫して主張することには変わらない。

それは僕なりにいうなら「アンドロメダ」である。
つまりは「身体の危機」だ。
銀河鉄道999で、星野哲郎が、機械の体を求めてアンドロメダめざして旅するように、
現代社会は、人間という動物的制約を超えて、機械化帝国を作り上げようとしている。

機械に囲まれた社会で「身体」が崩壊すれば、やがてそれは精神を蝕ばんでいく。
人間性の危機、機械化への危機が日々進行しつつあるのだ。

1年あまり警鐘を鳴らし続けた著者の声は届いたのか?
社会はいまだ悪化の一途を辿っている。
つぶやきでこんなことが書ければなと、見本にしたい本だ。


by kasakoblog | 2001-08-13 15:00 | 書評・映画評
2001年 07月 30日

千と千尋の神隠し

<1>
今話題の宮崎駿監督の最新作「千と千尋の神隠し」。
あれほどマスコミがバカ騒ぎするほどの大作とは到底思えないが、
個人的には大いに期待していた映画だったので、「もののけ姫」を見に行って以来久しぶりに映画館を訪れた。

宣伝が一切なく、いきなり映画が始まったことに好感を持つ。
(僕が映画館にあまりいかず、しかも毎月のように騒ぐ洋画を見にいかないのは、
とにかく宣伝があまりに大仰で誇大すぎるからだ。
騒げば騒ぐほど、宣伝すれば宣伝するほど、その映画のうすっぺらさが見透かされるからだ)

宮崎駿作品には「平成ぽんぽこ狸合戦」で痛い目にあっている。
あんな史上最低の映画をわざわざ映画館で並んで金払って見て損したという苦い思い出があるから、
その他の作品が良くても、最新作を見るときには緊張する。

その嫌な予感が出だしで漂った。
現実の日本を舞台にし、しかも主人公の父母が登場したからだ。
しかもなぜか無意味にも、普通の家庭なのに車が左ハンドルというのも気になった。
「これは失敗か?」と懸念したが、すぐにその心配はなくなった。

日常世界から非日常世界へ。
ファンタジー作品の非日常性を高めるためには、現実社会の大人が登場してはいけない。
すぐに父母は消え、少女を中心とした物語が展開した。
続々と登場する奇妙なキャラクターに、不可思議な舞台が登場すると、
日常という胡散臭い世界から一転して、映画は別世界へと移行した。
(まだ見ていない人のためにストーリーあかしはしません)

<2>
アニメだからこそできる独特のキャラクターに、アニメ映画としての完成度を感じる。
不可思議なキャラクターが入り乱れる奇想天外なストーリーに引きずりこまれていく。
主人公を少女にすることによる、人間としての未熟性ゆえの成長していく姿と、
常識にとらわれない、信じられない度胸と心の強さ。
単純に正義と悪、味方と悪役が分かれていないからこそ、話に深みがある。

(洋画がつまらないのは単純に正義役と悪役を振り分けてしまうからだ。
未だにアメリカ映画は、どんなに最新技術や莫大な金を使っても、ストーリーは西部劇と変わりない。
ヒロインがいて正義の味方がいて悪役を倒して救う。
何が良くて何が悪いかわからない時代に、単純な勧善懲悪話は必要ない。)

残念ながら、「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」のような、
冒険物語としての壮大性は失っているが、ファンタジー性は文句ない。
「もののけ姫」ほどテーマが臭わないのは好感材料の一つ。
テーマ性を強く打ち出してしまうと、逆にしらけてしまう。
現実にはありえない非日常世界をテーマを押し出すことなく描き出すことで、
逆にその話の奥に潜む様々なことを深く考えさせられる。

はじめは父が「バブル期に作られたテーマパークの残骸だろう」という非常に生々しい発言をするが、
これははっきりいっていらない。
ただその文言をのぞけば、全体的にはファンタジー性が強く漂い、
日常世界を忘れた異次元へとタイムスリップさせてくれる。

大人には見えない世界。子供にしか見えない世界。
そこに大人社会が忘れた大切なものがあり、そこにこそ世界の真実がある。

主人公が元の世界に戻るために試される精神力の強さだ。
求められる力とは物理的な力ではなく、精神的な心の強さなのだ。

舞台がなぜか懐かしい古い日本の光景を思い起こさせる。
やはり私たちはどこかで社会の理想郷を、21世紀の未来社会ではなく、
昔のニッポンを想定しているのかもしれない。


by kasakoblog | 2001-07-30 18:22 | 書評・映画評
2001年 07月 21日

『クミコハウス』書評

前作に比べて随分と文章が変わったな。
でもそれより何より、この人の写真はすごくいいな。
それがまず、すぐに思った感想だった。

『上海の西、デリ-の東』(素樹文生著)を書評ランキングで最低ランクにおいていた。
その著者が、同じ旅を題材にして別の書を作ったこの本は、
著者の成長のあとがはっきりとうかがえる。

旅の話の中身が、異国に対する文句からおもしろいエピソ-ドへと変わった。
ながったらしい文章から、会話を中心とした短い文章が増えた。
そしてこの本で、文章を書くより、この人は写真を中心にした方がよいということが明確となった。
彼にとって転回の一作となるのではないだろうか。

相変わらず文章に稚拙な部分が見えるが、前作とは比べものにならないぐらいよくなった。
写真は構図といい着眼点といい、きらりと光るものを強く感じさせる。

旅の話はおもしろかった。
ただもうちょっと話がいっぱいあればなということと、
ばらばらの一編一編をつなぐ工夫が欲しかったなということ。
こうなればすごく良い本になるだろうな。

彼も発展途上なのだ。
僕も書き手としては発展途上。常に前作より良いものを書いていきたいなと思った。


by kasakoblog | 2001-07-21 18:29 | 書評・映画評
2001年 05月 23日

『ラッフルズホテル』村上龍著

はじめての村上龍作品を読んだが、実におもしろかった。
村上龍って、でぶでぶさいくなくせして、妙にかっこつけたいきがったおっさんで、
小説の中身といったら、世間のうわっつらをすくっただけのものだとどこかで思い込んでいたが、
この「ラッフルズホテル」は実に奥深い、よくできた小説で、どんどんのめりこんで読み進めていった。

旅行記を中心とした、基本的に自分の体験したことをベースに物を書いている僕にとっては、
村上龍の小説を読んで、小説って実に自由な世界なんだなとあらためて思った。
書き方もそれぞれの登場人物を一人称にして物語を進めていく手法は、
常識かけはなれた不思議な本間萌子という女性が登場するからこそ効果的だ。

何が本当の世界で何が嘘の世界なのか。この世の混沌を象徴的に描いた素晴らしい作品。
カメラマンが死人なのかそれとも女優が死人なのか、ラストシーンでの逆転現象はとても印象的だった。

ちなみに映画にもなっていて、早速ビデオ屋で借りてみてみた。
小説の方がはるかにおもしろかったが、小説を読んでからビデオを見ると、
ビデオの言葉足らずがイメージできてよいかもしれない。

また他の作品も読んでみたいなと思えた作品にはじめに出会えてラッキーだった。


by kasakoblog | 2001-05-23 00:08 | 書評・映画評
2001年 04月 24日

「辺境・近境」村上春樹著

村上春樹の本は基本的に結構好きだが、旅ものというか紀行ものには痛い思い出がある。
「遠い太鼓」というギリシア・イタリアの話は偉く退屈し、くそつまらなかったので、
この紀行本「辺境・近境」を読むのは避けていた。

しかし読んでみたところ、この本はなかなかおもしろかった。
特に印象的だったのが「ノモンハンの鉄場」。
ノモンハン事変の起きた現場へと、中国側・モンゴル側の国境を草の海を延々駆け抜け、その舞台に立つ。
当時の戦争の現場がそのまま残された世界でも珍しい場所だ。

こんなところに観光に来る人はもちろんいない。
鉄の墓場を目のあたりにした著者が、その光景に心を大きく揺さぶられる気持ちはよくわかる。
こんな、なにもない、ただ虫がうじゃうじゃといるどうしようもない荒地を巡って、
たくさんの命を犠牲にして争ったその戦争の残骸が、草原にとり残されているその光景は、
きっとそれはすさまじいものなのだろう。
人を震撼させるほどの光景が、ほんの数十年前、日本がかかわった場所にあるのだ。
そこはまさしくこの世の「辺境」の地といえる。

讃岐うどん紀行もなかなかだった。
ただおいしい地元の讃岐うどん屋を紹介するだけでなく、かなり変わった店も紹介していた。
たんぼの真ん中にあって、看板もなにもない、
店というより家に入って勝手に自分で置いてあるうどんをゆでて食べるという店があるそうだ。

「辺境を旅する」という談話記事でこう述べている。
「アメリカ大陸を車で横断するのと、四国で1日3食、3日間ただうどんを食べ続けるのと、
いったいどっちが辺境なのかちょっとわからなくなってくるところがある」
まさしく讃岐うどん紀行の方が「辺境」なのだ。

「秘境」がテレビや本であちこち紹介されるぐらい、今の時代には物理的な辺境地などありえなくなっている。
じゃあもうこの世に秘境はなくなったかといえばそうではない。
自分の心に「旅」する気持ちがあれば、
日本だって辺境を感じられるような場所があるということを、この本は示してくれている。

「心の中に辺境を作り出せること」
それができるかどうかが、インターネット席巻時代における、心の豊かさなのかもしれない。


by kasakoblog | 2001-04-24 23:37 | 書評・映画評
2001年 03月 08日

岳物語

正月に祖母の家に行った時に、昔のアルバムなどをひっくりかえしていた。
その時、たまたま出てきたのがこの「岳物語」椎名誠著の本。
それほど興味があったわけではないが、ここにおいてあるよりうちに持ってかえったほうがよかろうと、
アルバムと一緒にダンボ-ルに詰めた。

椎名誠は、モンゴルを舞台にした映画「白い馬」で興味を持ったのがきっかけ。
去年、いろんな人の本を読んでみようとの一貫で、椎名誠の本を何冊か読んだが、どちらかといえば期待外れの感が強かった。
特によく知られている「インドでわしも考えた」で、失望は頂点に達した。
海外旅行など全く行っていない人がこの本を読んだら、もしかしたらおもしろいのかもしれないが、
インドに実際行ったことのある僕にとっては、たいした本ではないなという印象だった。

「岳物語」は、持ってきたものの日の目を見ることなく終わりそうだったが、意外にもチャンスがめぐってきた。
ここ最近ほとんど本を買わず、図書館で借りてくる本ばかりだから、単行本はなくハ-ドカバ-ばかり。
重いハ-ドカバ-の本1冊をカバンに詰め込んでいた僕は、どうしても電車で読むための単行本が欲しかった。
とにかく軽い本ならなんでもよく、そこでこの本の出番がまわってきた。

「岳物語」というから、ひょっとすると山の話かなにかと思ったら、
「岳」とは彼の息子の名前。この本は息子を題材にしたお話なのだ。

これが結構おもしろかった。
主人公である息子がいて、その脇役として椎名誠がいるぐらいのバランスの方が、
筆者と主人公の距離があって、かえってその方がおもしろいのだ。
椎名誠がどこそこへいってどうしたという話は、どことなく自慢話チックというか、押しつけがましさがあるのだが、
子供が主人公になることによって、話に嫌味がない。
それどころか、椎名誠自身が息子に振り回される構図の滑稽さが、読む者をひきつける。

特に後半の釣りの話が良い。
小学生の息子の方が、やたら釣りに詳しくて、お父さんである椎名誠があまり知らないという、
そのアンバランスさが、椎名誠らしい軽妙な文章と合い、ほほえましいというかおかしみを感じられる。
椎名誠の子供の頃を描いた本もおもしろいが、さらにそれよりおもしろかった。
筆者が自分を主人公にして描くよりも、誰か第三者を主人公にした方が、おもしろくなるのかな。
椎名誠作品の中では、一番おもしろかった本だった。

しかしそれにしても、小さいころから国語が大嫌いで、読書感想文や作文が特に嫌いだったこの僕が、
こうして本を読んで感想を書くのだから、人は変わるものだなと思った。


by kasakoblog | 2001-03-08 01:59 | 書評・映画評
2001年 02月 21日

プリンスオブエジプト

ウォルトディズニ-の作品だが、単なる子供向けのアニメではなく、大人も十分に楽しめる示唆に富んだ作品。
エジプトを舞台にし、モ-ゼをモチ-フにしたもの。
実写とアニメを合成した壮大な遺跡郡は、圧倒的な迫力があった。

スト-リ-は、多くの民衆を犠牲にして巨大な神殿を建設する王と、
それに反対して民衆の解放を訴える拾い子の弟の対決が軸に展開していく。
この作品を見て思ったのは、いつの時代も為政者の横暴は何千年も昔から、全く変わっていないのだなということ。
為政者の権力を誇示するために民衆をこき使い、莫大な税金を投入して巨大建造物を作る。

今の日本だって同じ過ちを繰り返してるじゃないか。
公共事業と称して、莫大な税金を意味のない巨大施設につっこみ、
その見返り(賄賂)を発注先の建設業者からもらいうけている。
天下り、賄賂、利権、権力誇示など、何千年前の教訓が生かされていない。
これで「成長」だとか「進歩」だとか騒いでいる社会がちゃんちゃらおかしい。

それに闘うべく登場した長野県知事の田中康夫氏の苦戦を見ればわかる。
無駄な公共事業をストップさせようとすると、今まで甘い汁を吸ってきた輩から猛反対を受けるのだ。

建造物だけにとどまらず、たとえばあの2000円札なども無駄な一つだ。
2000円札を、あなたは何度見掛けましたか?
自販機でも使えない、めったに見ることのない流通しない紙幣のために、無駄な作業や無駄金がどれだけ使われているか。
単なる為政者の権力誇示でしかなかったのだ。

映画は、神の啓示を受けたモ-ゼによって、民衆は圧政から解放されるが、
果たして今の世に、モ-ゼの化身は現われるのか?

日本のモ-ゼは、今のところ、田中康夫氏や石原慎太郎氏(またはかつての東京都知事青島氏)といった、
一部の県政知事に限られている。
巨大な建造物や無駄な権力誇示をしない国政レベルでのリ-ダ-はいつ現われるのだろうか?
マスコミなどで呼び声高い田中真紀子氏が現代のモ-ゼたりうるのか?
日本に巨大公共事業をばらまいた田中総理の娘しか頼る人がいないという、日本政治界の人材の貧困さを思う。

作家出身者ががんばってるだけに、やっぱり次代はかさこ総理しかないかな。


by kasakoblog | 2001-02-21 01:39 | 書評・映画評
2001年 01月 26日

アジアン・ジャパニ-ズ3

稚拙な文章で、かつたいしたことのない写真でありながら、
このアジアン・ジャパニーズ・シリ-ズが人気を得た理由は、企画性のおもしろさにあった。
ヒットとなったアジアン・ジャパニ-ズ1では、
旅先で出会った長期旅行をしている若者に、なぜ旅をしているかをインタビュ-し、
その半年後、日本帰国後、彼らが何をして暮らしているかを再びインタビュ-するという、
その2段構えの構成がおもしろかったのだと僕は思う。

日本が嫌になって漠然とアジアを旅している若者を旅先で取材。
しかもそのインタビュ-ア-である著者自身が、取材者と同じく、
日本が嫌になって旅に出てきた若者の一人であるということが、より対象に迫った内容となっていた。
書評「アジアン・ジャパニ-ズ3」小林紀晴
社会からドロップアウトした若者の取材だけにとどまらず、彼らが日本に帰ってからどうしているかまで追ったところが、
ただのおもしろ旅本とは違った企画で、人気を得た要因であったと思う。

今回の3は、沖縄各地の島に、本州からドロップアウトしてきた若者を取材したもの。
ただそれだけで、前回のような追跡取材はない。
沖縄→故郷の諏訪→沖縄→タイと旅をしている、その構成の脈絡のなさが気になった。
沖縄の間に入った故郷諏訪の話は、別にここの話とはあまり関係ない。
ただ著者自身が沖縄の旅の合間に、7年に一度行なわれる祭りのために故郷に帰っただけの話。

もちろん、一冊の本に沖縄の話と諏訪の話を入れてある意味を持たせるために、
海と山の対比であったり、沖縄にドロップアウトした若者たちや自分も含めて、
「帰る場所-故郷とはどこなのだろう」という問いが含まれているのだろうが、
深く掘り下げた一つのテ-マになるには、あまりに不十分な内容だった。

もう一度、著者が売れる以前に出した力作を期待したい。
アジアン・ジャパニーズの特性であった、2段構えの構成はおもしろかったのにな。


by kasakoblog | 2001-01-26 00:36 | 書評・映画評