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2001年 12月 10日
「海峡の光」辻仁成著
最近はまっているのが辻仁成である。
今話題の映画「冷静と情熱のあいだ」で江國香織と共著した作家だ。
その本を読んだのがきっかけで、他の作品も読んでみようと思った。

実はあまり辻仁成にはいいイメージを持っていなかった。
ロックバンドをする傍らで作家になったという経歴と、ちゃらちゃらしたその外見から、
実力はないがただ人気と話題のある作家なのだろうと思っていたからだ。

しかししかし、この「海峡の光」を読んでびっくり!
文章もうまいしテーマもおもしろいし、展開もおもしろい。
この本が芥川賞受賞作品だと読んだ後に知ったが、納得できる完成度。
それ以後、辻君の作品を次々と読んでいる。
「冷静と情熱のあいだ」のような、若い女性受けを狙った軽いノリの恋愛小説とは全く別人と思える、
完成度の高いこの作品を紹介したい。

函館の刑務所を舞台。
刑務官と犯罪者が、小学生時代のいじめられた子といじめた子の関係だったという18年ぶりの偶然の再会から、
その人間の本性ともいうべき歪められた心理を追っていく物語。
何か起きそうで何事も起こらない、そんな日々の緊張感が、
作り話的な小説っぽくなく、リアリティがあり、人間の内に潜む日常を見事に描き出した作品だ。
ただ最後に出所する時に刑務間を殴ってしまうという部分だけは安直すぎた感は残ったが、
全体としてのストーリー展開は実に緊張に満ち溢れて良かった。

監視する刑務官は、一生刑務所からは出られず、社会の模範として常に社会から監視されるという皮肉。
「受刑者たちが自分よりも広い世界で生きてきたような気がする」
刑務所という実に狭い社会で、一元的な社会規範を押しつける刑務官という仕事。
「彼らの狂気じみた人生の道程を聞くたびに、常識の中でしか世界を把握できない自分が、
彼らの何十分の一も世間に媚びた存在にしか思えないのはなぜなのか」
そんな社会への閉塞を感じる刑務官は、この街から抜け出したいという焦燥にかられる。

「私は一生刑務所の囲いの中で生きなければならないのか。
どこかに逃げるのではなく、この限られた街の中でパラレルに存在する、もう一つ別の世界を築きあげるのだ」
-そんな思いが水商売との女性との出会いとなる。

函館の青函連絡船の廃航。
連絡船から刑務官への転職。
かつて恋人だった女性の船での自殺。
様々な問題の種子はばらまかれていく、その緊張をはらんだストーリーが、先へ先へと読者を誘う。
160ページもの短編だが、実に人間模様をよく描き出した作品であるといえる。


by kasakoblog | 2001-12-10 21:05 | 書評・映画評
2001年 11月 30日
「藤原悪魔」藤原新也著
1998年、正月。あまりに退屈で気が狂いそうなので書店に行ってみると、
新刊コーナーにひときわ目を引く本があった。
真っ黒なカバーにでかでかとおどる「藤原悪魔」という不吉なタイトル。
それを嘲笑するかのような、太いまゆげをつけたおまぬけな犬の写真。
一体これはいかなる本なのだろうか?
表紙のインパクトはどの本にも負けなかった。
この本の作者が、僕が大好きな藤原新也であったことに驚いた。

本書は雑誌で連載されたエッセイの寄せ集め集。
大きく3種類に分けられる。
一つは、O-157や猿岩石、麻原彰晃や酒鬼薔薇聖斗事件、
「悪魔」と子供の名前につけようとして問題になった事件など、
当時の時事問題を取り上げ、独特な藤原社会学的見地から斬ったもの。
一つは、「2000年藤原現在シリーズ」と題された、2000年に毎月本を出版した写真集や本の取材時の話。
(バリ島や富士山、鉄輪など)
そしてもう一つは、猫の写真とエッセイである。

暗くなりがちな時事問題のエッセイだけでなく、取材した話や猫の写真と話を交えるあたり、
東京漂流以降に見られる藤原新也のバランス感覚を感じる。
殺伐とした現代社会に、写真家としての彼が、できる限りポジティブなものを見出そうとした結果が、
猫のかわいらしい写真群であり、表紙にもなっている「マユゲ犬」ではなかろうか。
いろいろな話題を緩急織り交ぜた、読み楽しいエッセイ集だ。

僕が個人的にこの本で強く影響を受けたエッセイが2つある。
一つは「山手線一周手相マラソン」。
タイトルのごとく、山手線の各駅で手相見にみてもらうと一体どんな結果が出るかという、
くだらななすぎて実におもしろい企画である。
これに影響され、僕ははじめて街角の占い師に占ってもらうことになる。
(これが実によくあたっていた)

そしてもう一つが「エンパイヤステートビル八十六階の老女」の序文のこの文章である。

半年も旅をすればひょっとすると自分の人生すら変わるかもしれないわけだが、
このような人生にかかわる行事が、ただバイトを探すのが難しいといった理由だけで、
キャンセルされるというのはさみしい。

これを読んだ3日後、僕は会社を辞めて旅に出る計画を練り始めた。
人生は一度しかない。いつどんな形で不意に死が訪れるかもわからない。
現代社会は、一寸先は闇である。
ならば悔いのない人生を送りたい。やりたいことがあるならやったほうがいい。
やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいい。
そんな思いを後押ししてくれた言葉だった。

藤原新也さん、ありがとう。
僕はこの箇所を何度となく読み、僕は自分の旅への決断を揺るぎないものにしていった。
この藤原悪魔は、僕にとって、旅へと誘う悪魔的なささやきの大切な書となった。


by kasakoblog | 2001-11-30 20:51 | 書評・映画評
2001年 11月 27日
神の子どもたちはみな踊る
・総評
「地震のあとで」というタイトルで連載された、阪神大震災をテーマにした短編6作。
地震をテーマといっても、深刻さや重さが漂うテーマ設定ではなく、
日常生活における人間の感情レベルでの地震に対するスタンスを捉えている。
むしろ地震をテーマにしているというより、短編の話に地震を絡めただけという感じ。
こういったアプローチはある意味では非常に斬新かもしれない。

・UFOが釧路に降りる
突如、離婚を宣告された夫。妻はずっと地震報道に釘づけになっていた。
それがあたかも離婚の原因かのように。
地震は、それがたとえメディアを通していたとしても、現代人の価値観を大きく揺さぶった事件だった。
「空気のかたまり」「中身がない」と言われて置いて行かれた夫は、突如の離婚に精神的ダメージを受ける。
その傷を癒すために出掛けた北海道で、一人の女性と出会う。

「思うんだけど、今の小村さんに必要なのは、気分をさっぱり切り替えて、もっと素直に人生を楽しむことよ」
この女性のセリフは、地震で崩壊した都市の風景と、結婚生活の崩壊が重なる小村に、
そして今の日本人に対する一つのメッセージではないだろうか。

・アイロンのある風景
海辺で焚き火をする謎の男。神戸に別れた家族を置いてきた。
地震が起きて動揺はしているが、連絡はとらない。
ふと人生の空しさみたいなものが一挙に押し寄せてくる。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える」
焚き火をするためにここにいるという男。
そして漠然とだが人生に虚しさを感じている女性と焚き火フレンドになる。

「私ってからっぽなんだよ」
「どうしたらいいの?」
「そやなあ…、どや。今から俺と一緒に死ぬか?」
「いいよ。死んでも」
-現代人の心に常にまとわりついている虚しさが、大地震を契機に決定的になったことを物語っている。

・神の子どもたちはみな踊る
地震とはほとんど関係ない話だが、現代的な宗教をテーマにした短編。
不遇に生まれた子供を女手一つで育ててこられたのは「宗教」との出会いがあったから。
「母は教団でいちばん布教の成績がよかった」という一文などは現代宗教を端的に表している。
そんな宗教でも母を救っていることには間違いなかった。

母の生き方は宗教を選び、息子は信仰を捨てた。それは当然といえば当然だった。
人それぞれに宗教という方便が意味をなす場合となさない場合とがあるからだ。
そんな息子が出生の秘密を探って、しかしその手掛かりが消えてしまった時、自分のその行為の意味を知る。
暗闇を追いまわしてさらに深い闇に落ち込んだのだと。
これ以上ない闇までおちたとき、はじめて彼の目の前に晴れ渡った心が広がった。
人間の心は石ではないと。

「神が人を試せるのなら、どうして人が神を試してはいけないのだろうか?」
誰もいない野球場で「神様」とつぶやくラストシーンが、物語の奥行きを感じる。

・タイランド
村上春樹の小説で海外が舞台になっているのをはじめて読んだ気がした。しかもヨーロッパではなくアジア。
タイに行っている間に神戸の地震を聞いたさつきは、
別れた夫が神戸に住んでいるので地震に対してこう感想を吐露している。

「あの男が重くて固い何かの下敷きになって、ぺしゃんこにつぶれていればいいのに。
それこそが私が長いあいだ望んできたことなのだ」

地震によって最愛の人を無くした悲しさばかりが取り上げられる中で、
中にはこう思っている人もいるのだという話を書いたのはおもしろい。
しかし、さつきの憎しみからは何も生まれないことを知った、
タイでの車のドライバーが小さな村の占い師のところに連れて行く。

「あなたの身体の中には石が入っている」
長い間、胸に抱えて生きてきた重く堅い石。
それを捨てて新たなに生きなければ、死んで焼かれた時に石だけが残る。

「生きることと死ぬこととは等価なことなのです」
生き方と死に方。過去の囚われ人。
人の生き方を示唆する、タイという仕掛けをうまく利用した小説。

・かえるくん、東京を救う
東京に地震が起きるという情報をもとに、かえるくんと銀行員がともにみみずくんと戦うという話。
ともに戦う当日に銀行員が銃で撃たれて重体になるという話の意外な展開はおもしろかった。
かえるくんの命を犠牲にした戦いによって東京は地震を防ぐのだが、
カタストロフィー願望のある僕もしくは多くの今の日本人にとっては、
東京が救われたという話より、地震が起こってしまったという話の方がよかったのではないかと思える。

・蜂蜜パイ
村上春樹の典型的小説。物書きの主人公は、仕事は着実にこなすが、派手さはなく、
特定の女性を見つけることができず、毎日の生活を過ごしている。
そこに学生時代の三角関係の話が登場し、今やっと自分の意志を表明することができ結ばれる。
よくこの手の小説を書いている。まるで自分の姿のありのままかのように。

子供へのお話という仕掛けを作って、そこに現実の人生と重ね合わせていく物語はおもしろい。
地震については全く関係の無い話。
(地震おじさんなんてものが出てくるが、この話には無用と思われる)


by kasakoblog | 2001-11-27 20:54 | 書評・映画評
2001年 11月 18日
書評サイトにリンク!
つい先日、突然、こんなメールが届いた。

サイト“かさこワールド”管理者:かさこ様
初めて、連絡させていただきます。
私は、統合書評サイト“Ken”を運営管理しているKKと申します。
当サイトでは、新刊書評ガイドを含むさまざまな書籍の書評とのリンクを紹介しているサイトです。
既刊書評ガイド>作家研究>村上春樹の書評リンクに『辺境・近境』を取り上げた際に
貴サイトの書評・感想文を発見し、リンクさせていただきました。

トラベルライターかさこのホームページとして、旅を中心にしているものの、
それだけに限らず、いろんな切り口のコーナーを充実させていき、
多くの人に興味を持ってもらえるようなホームページにしたいと拡充していた。
ラーメン探訪やシャーロックホームズの部屋、書評ランキングなどがそうだ。

それが実ってか、インターネットの情報の渦の中で、
KKさんがたまたま僕の書評を見つけて、リンクをするという話になったのだ。
インターネットが革命的なのは、今までのメディアと違って、
単に情報の受けてだけでなく、簡単に自らが情報の発信者になれることだ。
そのインターネットの特性を生かすことによって、いろんな可能性が広がっていけばなあというのが、
僕がわざわざ金にもならないホームページに心血を注いでいる(それはちょっと言い過ぎか)理由である。

インターネットによって情報発信者同士のネットワークができていく。
このネットワーク社会こそ、現実社会にも応用すべきシステムである。
単に一方的な情報発信者(マスコミ・政府)のみが大衆(情報受信者)をコントロールするのではなく、
個々人がそれぞれの考えを持って互いに社会の主体者同士として社会を作り上げていく。
それが21世紀の自立した個人主義社会であると思う。

そうなればきっと多くの人が幸せになれるのではないかと思う。
今の日本社会のように一般大衆が情報の受信者でしかないから、
狂牛病騒ぎやらテロ騒ぎで、一貫した態度をとれず、右往左往する姿が見られるのだ。
自ら情報を発信し、発信者同士が互いに協力し合い補い合って一つのコミュニティを作り上げていく。
その模擬演習がこのインターネットの大いなる意義ではないだろうか。

なんだか随分と話がそれたが、統合書評サイト「Ken」にかさこワールドの書評コーナーが紹介されたとのことでした。
これを契機に、書評コーナーをこれまで以上に充実させていきたいと思います。
ということで本日ランキングに20冊追加し、104冊となりました。


by kasakoblog | 2001-11-18 20:07 | 書評・映画評
2001年 11月 12日
「クラウディ」辻仁成著
11/10・11のつぶやきかさこで紹介した「世界は幻じゃない」ででてきた、
アメリカに亡命したソ連のペレンコ中尉。
彼をモチーフにして書かれた小説が「クラウディ」だ。
亡命当時、函館に緊急着陸したペレンコ中尉の飛行機を著者が見たことが、 この小説を書いたきっかけとなっている。

高校生だった主人公は、生きていることの虚しさを感じ、自殺を図る。
しかしその時、屋上の上に飛び立った飛行機が、亡命したペレンコ中尉のものだった。
「戦争だ」とはじめ思ったが、亡命だった。

~亡命~
その一言が、彼に生きる道を与えたものの、 その後の彼の人生は、単調なものに過ぎなかった。
30才を前にした彼に、周囲の人間は、人生を変えるためにそれぞれの亡命劇を企てる。
取り残された彼は、彼女だけはひきとめようとして話は終わる。
彼が亡命劇を行わないまま、この先どうなるかはわからないところで終わりとなる。

前半は実におもしろかった。
高校生の時にペレンコを見た話。そして自殺しようとした話などは、
自分の実体験をもとにしているせいか、非常にリアリティがあって興味深い。
そして今の単調な生活の中で、次々と登場するユニークなキャラクターが物語の幅を広げていく。

しかし後半になると、ストーリー展開がいい加減になる。
なんだか自爆自棄的でストーリーを急展開させたいのはわかるが、
唐突すぎるというか、話が飛びすぎというか、身に迫ってくるリアリティがないのだ。
亡命というテーマもおもしろい。登場人物も魅力的。
あとは後半のストーリー展開さえよければなという感じだった。

亡命ーそれは逃げて生きる道もあるんだということの一つの方法だ。
がんじがらめになって、切羽詰ってどうしようもなくなってしまった時に、
短絡的に死を考えたり、そのまま我慢して苦しんで生きていくこと以外にも、
生きる選択肢があるのだということを提示している。

もちろん亡命したからといって、今よりよい人生が送れるとは限らない。
でも逃げることも積極的な選択になりうる場合もあるのだ。
しかし主人公は亡命しない。 亡命しないこともまた一つの前向きな選択肢ではある。

あなたに亡命する地はありますか?


by kasakoblog | 2001-11-12 20:12 | 書評・映画評
2001年 11月 10日
「世界は幻なんかじゃない」辻仁成著
<1>
写真は実にいいですよ。雰囲気がすごく出ていて。
文章を書いた人が撮っているから、写真がうまく文章と溶け込んでいるのでしょう。
別にカメラマンをつければ、写真の質はあがるのでしょうが、文章との調和が薄れてしまう。

「自由とは何か」をテーマにしたこの本。
妻と子供をおいてニューヨークで一人暮らしをはじめた著者が、
20年前、ソ連軍機を携え家族を置き去りにしてアメリカに亡命した男ペレンコに会い、そしてインタビューする。
アメリカ大陸を横断する鉄道に乗って旅するテレビの企画のついでに、
その最終地点で彼にインタビューすることになったのだ。

大陸横断鉄道で各所をまわりながら、「アメリカとは一体どんな国なのか」ということを、
否応なく考えさせられる。アメリカを考えることが、自由を考えることにもなる。
家族を捨ててまで自由を求めて亡命したペレンコの思いを、必死になって聞き出そうとするが、
著者の試みはことごとく裏切られる。
亡命から20年の歳月が過ぎた今では、彼はもうすっかりアメリカ人として普通の生活を送っていた。

著者が聞き出そうとする過去の思い。
しかし彼が答えるのは、今の自分のビジネスの宣伝ばかりだった。
家族を捨ててまで自由を求めた結果をどう思っているのか、聞きだすことはできなかった。
敵国から来たソ連人は、アメリカという世界の超実験的多民族幻想国家の中で、機会を与えられ自由を得たのだ。
ソ連から来た彼の「アメリカ評」はアメリカという国を実に端的に言い表していた。

<2>
この本はある意味では失敗だった。
自由・民主主義を標榜するアメリカとはいかなる国家なのかをテーマにし、
著者が家族を日本においてまでニューヨークで生活しているその答えを、
ソ連からアメリカに魅せられて亡命したペレンコのインタビューで代弁させるという、
そのはっきりした構成が曖昧になっていたからだ。
特に予想に反してインタビューでペレンコが家族の思いをあまり語らなかったことで、
この本のテーマは完全に失敗してしまった。

しかし「アメリカとはいかなる国家か?」を主題にすれば、
著者がアメリカに一人暮らししていることも、ペレンコがアメリカに亡命したことも、
うまく言い表せたのではないか。
ペレンコの予想に反したインタビューで主題をうまく代えれば、
本としての構成はしっかりしたのではないだろうか。
ただ何にせよ、著者がなぜ家族を捨ててアメリカで暮らしているかという思いを、
アメリカを旅する中でもっと盛り込むべきだったように思う。

そうすれば、かつて藤原新也が全東洋をまわったあとに辿りついた結論として、
今の世界に圧倒的な影響力を施しているアメリカを見、
そしてその実態をまざまざと写真と文章によって見せつけたように、
この書も「自由」や「民主主義」といった価値を世界に広めようとしている
アメリカとはいかなる国かを知る書になりえたのではないだろうか。

僕もうすうすは感じている。
この世をあらぬ方向に持っていっている、
極端な価値観で世界を席巻しようとしている源がアメリカにあることを。
そのアメリカを、僕もいつか見に行かなければならないだろう。


by kasakoblog | 2001-11-10 20:12 | 書評・映画評
2001年 10月 28日
地雷を踏んだらサヨウナラ
1972年、カンボジアで戦場カメラマンとして活動していた一ノ瀬泰造の物語を映画化したもの。
当時、聖域として足を踏み入れることのできなかったアンコールワット遺跡をカメラに収めようとし、
享年26歳の若さで亡くなった。

映像のデキは最悪だが、ストーリーはおもしろいし、考えさせられることが多い作品ではある。
演技や全体的なシーンが嘘っぽく、迫真に迫るような臨場感が全くないのだ。
まあ、それはさておき。

戦場カメラマンというのは本当にハイエナだよな。
無名のカメラマンたちが、戦場という危険に裏打ちされた「特ダネ」を求めて、
戦争をやっているところで、殺される人々を写真に収めていく。
その写真が鮮烈で悲惨なほど、新聞社に高く売れるのだから。

彼がお世話になっているホテルの子供が殺された時、
彼は悲しみと同時に「特ダネ」感がよぎり、死んだ子供にカメラを向けるか迷うシーンがある。
その気持ちはほんとよくわかる。
別に僕は戦場カメラマンではないが、海外旅行をしていると、それに似た場面に出会うことがある。
地元の人々と親しくなったからこそ出会えた場面に、カメラを持ち出すことは、
写真としてはいいものが撮れるのにと思いつつも、やっぱりそこで撮るのはためらわれる。
しかしもし僕が「トラベルライター」としてお金をもらってやっていくとするなら、
それは「仕事」として撮るべきではないかという問題にぶつかるのだ。

同朋の戦場カメラマンの死や、親しくなった人々の死に出会う度に、
自分のやっていることと、そしてこの戦争が一体何なのかを否応なく考えさせられる。
些細な権力や領地争いのために、互いに傷つけ合い殺し合い、憎しみ合う人間たち。
次第に戦争が目的化し、何のために自分が戦っているのかわからなくなる。
ただ上の命令に逆らうことは許されないので、敵国の兵士を残虐に殺す。

戦争の中で中立の立場にあるカメラマンを主人公にすることで、
戦争の無意味さがより一層際立ってくるのだ。

つい先日、日本のフリーランスのカメラマンがタリバンに捕まったとのニュースが流れた。
戦場に群がるハイエナたちが、金と名誉と栄光を求めて、危険な戦場に乗り出していく。
もちろんそこには崇高な信念や高尚なテーマを持って望んでいる人も多いだろうし、
戦争にプレス(マスコミ)が全く入らないのも、
世界に何が起こっているかという事実を中立的に伝えるという意味では、考えられない。

しかし湾岸戦争時の石油にまみれた水鳥の映像がやらせだったように、
現代社会では資本主義という観点から、事実を伝えることより、
センセーショナルな映像や写真で「売れる」ものを撮ることが、
残念ながら意識的にせよ、無意識的にせよ発生してしまうのだ。

タリバンに機関銃を持ってポーズを決めてもらう写真を撮るのにいくら払っただとか、
お金を払ってお願いすると、注文通りのポーズを撮ってくれるということがあるらしい。

戦争と報道。
ブッシュは「新しい戦争」だというが、30年前の時代と、戦争と報道の問題は何ら変わっていない。


by kasakoblog | 2001-10-28 18:52 | 書評・映画評
2001年 10月 18日
「喪失の国、日本」3
「喪失の国、日本」M.K.シャルマ著・山田和訳。
第3弾をお送りします。

●激辛20倍カレーを食べる(1)
インドとは何の関係もない別種の料理である。
はっきりいって、これは食べ物ではない。食事でさえも辛さを競い合うゲームになっている。
ここはレストランではなくゲームセンターだということに、もっと早く気づくべきだった。

日本という国は、実に外国文化をねじまげるのがうまい。
本場インド料理なんて真っ赤な嘘。
どうしてこうも勝手なイメージが、一般的に普及してしまうのだろうか。
インドのカレーが辛いなんて、一体どこの誰が言ったんだ?
それにしても、激辛や大食いといったもので客をおびきよせようという店が
まかりとおるこの国は、ほんと傲慢だと思う。
しかし足元をよく見れば、食料を自給自足できない国だという危機意識を持っているのだろうか。

●激辛20倍カレーを食べる(2)
いくら辛くしても唐辛子の量などたかがしれているのに、
日本では20倍カレーに200円も追加しなければならない。

この国の価格はほんとおかしい。
どこもかしこも、金を騙し取ってやろう、少しでも楽して儲けようという態度が、
目に見えて表れている。

●日本文化を象徴する言葉「結構です」
「たいへんいいのでください」という意味と、「よくないのでいりません」という正反対の意味を持ち、
状況に応じて、あるいは微妙な抑揚によって使い分けられる。
驚くべきことに、日本人でさえ、しばしその意味を取り違えるという。
そのように曖昧で厄介な言葉が日常で使われる。
それはおそらく日本文化が「相手の心を推し量る」ことに価値や美意識を見出しているからだと思われる。

日本人の曖昧さ。
それはプラスとマイナスの両方の面がある。
僕は日本人がこの「曖昧さ」を捨てて、ドライな西洋人になる必要は全くないと思う。
ただし外国とつきあう時には、この曖昧さが通用しないことは知っておくべきだ。

●国民の祝日に国旗を掲げる習慣について
何も知らない外国人がその光景を目にしたら、
クーデターが起きて新しい国が誕生したと勘違いするかもしれない。

日の丸を掲げる行動が、これほどまでに誤解される可能性を秘めている
ということを日本政府は知って、学校に日の丸・君が代を強制しているのだろうか?

●マンション住まい
マンション住まい初日に廊下で朝日を楽しんですっかり気に入った私は、翌日からテーブルを出そうと考えた。
朝日を祝して線香を廊下に焚いたら、それが物議をかもした。
その日のうちに管理人を通じて管理組合からクレームがきた。

確かに集合住宅という特異な形式においては、
他人との共同生活のために、住人の行動は規制される。
きっと管理人は目をひんむいて、注意しにきたのだろうな。
インド人だけというだけで、きっと変な目で見ただろうし。
マンションなんていうと格好良い響きがするかもしれないが、ようはブタ箱だよな。

●スーパーマーケット初体験
なんといっても驚いたのは、キャベツもにんじんもキュウリもなすも、
染み一つなくぴかぴかに輝いていたことである。
どの野菜も工場で作った製品のように形と大きさが統一され、まるでプラスティック製品のようにみえた。
どういうふうに栽培するとそうなるのか、私にはわからなかった。

見た目を重視し、植物を薬品漬けにして作り上げた人工野菜。
見た目が不格好であっても、自然そのままの方がいいものに違いないのに。
こうして外見重視の構造が人々に刷りこまれ、汚物蔑視がなされるのだろう。
汚いもの・醜いものを抹殺するのはなく、それを受けいれる寛容さがこの社会にはない。

●アウトドアブーム
自然を愛する行為が、自然を破壊するのは皮肉なことだが、
豊かさの意味を消費と欲望に結びつけているからだろう。

自然を楽しむレジャーに、金をかけ、道具に凝り、重装備していく人々。
でっかい車に乗り込んで、物に囲まれてちっとも脱都会ではない。
にもかかわらずゴミだけは置いていく無責任さ。
自然を汚すことは自分を汚すこと。
「アウトドア」なんてかっこつけても、管理されたコンピュータゲームと大差はない。

●木の美学
日本人は、この二千年、何を作るにも木を用い、木と向かい合って生きてきた。
木と相対する無限の時間の中で、人生と美を学んだ。

一体いつから日本は、木の文化を捨てコンクリートの奴隷と成り果てたのだろうか。
凶悪犯罪が増え、社会が殺伐としているのも、
こういったことが大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。

●サイン
日本人はサインの意味を理解していない。
契約に際して不可欠とされる日本的サイン「ハンコ」が、同じものが町で売られているのだから。

よく考えてみればおかしな話。
自筆のサインは偽造のしようがないが、ハンコなら簡単に買ってこれるし偽造できる。
西洋社会のしきたりにそって「サイン」を導入したものの、
もともとそういう社会習慣がなかったから、ハンコという、
本来のサイン制度にはあってはならないものがまかりとおってしまったのだろう。
おかしいよ。ニッポン!!


by kasakoblog | 2001-10-18 18:22 | 書評・映画評
2001年 10月 15日
「喪失の国、日本」2
「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ著・山田和訳)。
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
昨日のつぶやきに続き、今度は日本への興味深い示唆を紹介しよう。

●空港から東京に向かう道路を見て
道路には花に埋もれていながら、動物の姿がないのが不思議だった。
空には鳥も飛んでいなかった。
経済的に豊かな国であれば、動物があふれていると思ったのだが、私の予想は大幅に外れてしまった。
動いているものといえば、クレーンや自動車といった機械ばかりで、
人間が動かしているもの以外はほとんど見られない。

「豊かな国」の意味を投げかけてくれる。
「豊かさ」とはGNPがどうのとか、経済成長率がどうのという問題ではない。
自然に満ち溢れ、動物と人間とが共生できる社会。
それこそが「豊かさ」なのではないか。
動物がいない国など、豊かでも何でもないということがわかるだろう。

●東京に着いて
閉口したのは、建物のどの窓も密閉され、外気が完全に遮断されていることだった。
清潔な空気を確保するために行われているんだろうが、息苦しく感じずにはいられなかった。

本当の意味での「清潔な空気」というのは、人口的に機械で管理されたものではないはずだ。
窓も開けられない高層ビルというのは、もうその時点で人間性を放棄した建物だといえる。
また密閉して空気を管理せざるを得ないぐらい、東京の外気は汚いということだろう。
窓を開けて自然な空気の出し入れもできないことに驚く彼の指摘は、
現代社会のあり方を根本的に考えさせられる。

●ホテルのバーに行って
都市の再開発にあたって、日本は一見無駄に見える余剰空間のもつ人生上の効用を認めなかった。
その結果、人々は、暮れゆく大自然のかわりに、きらびやかな人工照明に浮かび上がる室内を、
星星のきらめきのかわりに窓の外に明滅するネオンサインを背景に人生を語ることとなった。

自然を潰してできた人工空間に一体真の豊かさを見出せるだろうか?
真のやすらぎを見出せるだろうか?

●ホテルの西洋式トイレについて
私の知りあいで、便座に直接尻を下ろした者はいない。
非常に不潔な感じがするので、誰もが便座の上に靴のまま上がる。
便器に直接皮膚をくっつけるという不潔な行為で国際人の仲間入りするのは悲しかった。

私たちが当たり前だと思っていることをもう一度疑って考える必要があるのではないか?
僕はインドで外で大をしたことがあるが、正直言って臭くて狭いトイレなんかでするより、
外の野原でまるで牛や馬のようにする方が清潔なのだと思ったからだ。
西洋式トイレの彼の感想は実にユニークだ。

●ホテルのトイレについて(2)
正直いって私は恐れた。トイレ一つにもさまざまな操作知識が要求される。
すべてがデジタル化されていて、私はコンピュータの技術訓練学校に行かないまま
本番に臨んだ生徒のように、やけっぱちな気分を味わった。
日本はインドのように、石器時代の名残をどこにも残していない。

すべてがデジタル化されていく社会。
時々思う。
自動ドアって必要なんだろうか?
蛇口のない、手をかざすだけで水が出る水道って必要なんだろうか?
結構故障も多いし、自分で細かい調整ができないので。かえって不便だったりする。
デジタル化・ボタン化すれば便利だという幻想は捨てた方がいい。
時には手動の方がはるかに便利なこともある。

●ホテルのフロントでの光景
自分の荷物を置いたまま傍らを離れるという風景は、私には特に信じがたかった。
このように「信頼が先行する文化」を実現している国は、世界的に非常に稀だと思う。

日本にはこうして異国にはない良さがある。
そういったことをもっと意識して社会を作っていく必要があるのではないか。
しかし残念なことに、西欧化・近代化・機械化することによって、
最近ではこういった「信頼が先行する文化」が失われているような気がしてならない。
逆に日本の常識を海外に行っても通用すると思い、同じように振舞うから、
荷物を簡単にかっぱらわれたりすることもある。

●物をなくした場合
自分の過失で財布を落としても警察に届けることができるという奇妙な論理が成立する。

考えてみればおかしな論理だ。
日本はよくもわるくも「自己責任」の社会からは程遠い。
何か問題が起こると、その人自身のミスではなく、管理している組織や行政が問われる。
しかし当事者の責任能力も問われるべきだ。
自ら注意を怠ったり、危険なところに行ったりすれば、事件にあうのは当然の帰結ともいえる。

●町を歩く女性を見て
(発情する女たち・みんな娼婦と見間違えるほどだった)
肌を露出させ、香水を振りまきながら、同時に防犯ブザーを持ち歩くという大いなる矛盾。
男を刺激しておきながら「スケベ」と怒鳴らなければならないなんて、あまりにリスクが大きい。
自分が何をしているのかわかっていないんだ。

自己責任という概念を今の若い女性は本当にわかっていない。
痴漢や性的犯罪が増える昨今、女性の肌の露出度はそれに比例するかのように増えている。
犯罪を招くような欲望を煽りたてるファッション。
極端な話だが、もし日本がイスラム教国にように、
女性たちが肌を一切露出せず、顔にもベールをまいていたとしたら、性犯罪はぐっと減るのではないか。
確かに犯罪を犯す男性は悪いが、
昨今の女性の過激な露出こそが犯罪を増やす原因となっていることは間違いない。

●若い女性について
未来に希望が持てないという焦りからか、
優雅な一人暮らしを楽しんで、婚期を逃した女性が増えている。
海外旅行にしょっちょう出かけ、いいホテルに泊まり、美味しいものを食べ、
エアロビクス教室に通い、ワインとブランド品に精通し、
アーバンな生活にアイディンティティを感じてしまった女たち。

若い女性は消費社会に踊らされているのか。
それともこの社会には未来に希望が持てないから、
だったらいっそうのこと難しいことを考えるのは一切やめて、
バカになって今を楽しんで踊らされてやろうじゃないかと、故意に自発的に刹那主義をとっているのか。
欲望消費社会を終わらせ、新たなる価値観に基づく人間性豊かな幸福社会をめざすためには、
若い女性は自発的にせよ非自発的にせよ、欲望消費社会に踊らされるのはやめてほしいな。
そうすれば愚かな金儲け企業はつぶれ、
表層のファッションではなく、本当に大切なものがわかる時代になるだろう。

●酒とたばこ
すでに喫煙の害と周囲への無言の暴力は指摘されて久しく、
酒にいたってはインドの場合、精神への害が指摘されてすでに数百年になるというのに、
(日本人が男性女性を問わず酒・たばこの習慣を見るにつけ)
人間にとって自由とは、時として何と愚かなものだろう。

最近たばこを吸う女性をよく目にするが、いかにそれが愚かなことかわかっていないのだろう。
ベトナムに行って現地人ガイドがこんなことを言っていた。
「酒とたばこを吸う女性なんて、ベトナムでは娼婦だけですよ。
まっとうな女性は酒やたばこはもちろん、コーヒーさえも飲まない」
子供を生む体を大切にしなければならない女性。
格好つけるためだけに酒・たばこを吸っているなら、辞めたほうがいいと僕は思う。
酒は飲みすぎなければ問題ないとは思うが、
たばこに関しては男性女性問わず、法律で禁止した方がいい。
たばこを吸わない人がその煙によって迷惑をこうむることが許されていいはずはない。


このインド人を今の日本の構造改革大臣として迎え入れたいぐらいだ。
彼の指摘は、日本の良さを再認識させてくれるし、
殺伐とした今の社会を変革する示唆のある提言がふんだんに盛り込まれているからだ。


by kasakoblog | 2001-10-15 18:24 | 書評・映画評
2001年 10月 12日
喪失の国、日本
実に興味深い本に出会った。
「喪失の国、日本」(M.K.シャルマ著・山田和訳)である。
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
よく外国人から見た日本体験記で、ただおもしろおかしいものならいっぱいあるが、
この本が類書と違うのは、日本の社会のあり方に対しての指摘が、実に示唆的なのだ。
それはこの著者が、高度な教養と問題意識を持っていたからだろう。
この本を21世紀に日本の社会構造改革の参考書の一冊に加えたいぐらいだ。

インドに詳しい訳者が序文で、この本の狙いをこう語っている。
「日本人旅行者や滞在者が、インドで味わうあの強烈な文化的違和感(カルチャーショック)を、
日本を訪れたインド人もまた逆のベクトルで感じることは疑いないと思ったからである」
まさしくその狙い通りの本となった。

その中で今回は、日本特有の文化的差異を感じたことからの日本に対する有益な示唆ではなく、
西洋的価値観に対する実に的を得た示唆を紹介します。

●市場調査会社に勤める彼が日本に派遣された理由について
「雑誌に載っているような日本経済の最新情報ではなく、
これからつき合う国との文化的ギャップがどのようなものかを知ることだ。
理解を超える部分や感覚の実態を知ることが、相互理解の可能性につながる」

インドネシアの味の素が、豚の成分を使っていたということで、
イスラム法に触れるという問題が今年起こった。
またマクドナルドのポテトの成分についても同種の問題が起こっている。
異文化に対する無理解が、暴動にまで発展したりする原因となるのだ。
相手の感覚的な部分を理解せずに経済進出するから、トラブルが絶えないのだろう。

●経済の繁栄について
「外資の導入による繁栄は、じつはみせかけの繁栄にすぎないのではないだろうか。
「近代」という概念は、欧米がアジアに押し付けたエゴイズムに過ぎないのではないか。
幸福の意味について近代的な価値観で解釈しすぎる。」

アメリカがあれだけイスラム教国から恨まれるのは、
アメリカ的価値観を一方的に押し付けようとしているからではないだろうか。

●はじめて国際線の飛行機に乗った時に、アメリカ映画を見て
「インドが市場開放の路線を選択したということは、近い将来、
このような映像(アメリカ映画)にさらされるということだ。
おそらく保守的な人々による放送局などへのテロが起きるのではないか」

先進国では当たり前のように垂れ流されている過剰な映像。
暴力シーンやセックスシーンなど。
所変われば、これだけでテロの対象となるぐらい、反動的に映るのだ。

●これからインドが近代化をめざすにあたって
「愚かで貪欲な人は、平和を求めるがゆえに経済発展を望み、
経済発展を望むがゆえに政治力を求め、政治力を求めるがゆえに軍事力を高める。
その結果、幸福を得るために集められた金は、再生産しない兵器の購入に消えてしまう。
今の世界がこの無意味な「大口消費」を最終段階とする構造を持っている限り、
幸福のための資金はいつまでも無限の闇に吸い取られていく」

アフガニスタンへの空爆をしているアメリカに対して、テレビである評論家がこんなことを言った。
「一番バカを見ているのはアメリカ国民だ。湾岸戦争にしても今回の空爆にしても、
莫大な税金が意味のない人殺しのために使われている」
戦争をでっちあげ軍需産業に税金を投入して賄賂を受け取る。
再生産しない兵器というのは、民衆の幸福を圧迫していることに早く気づくべきだ。

●自由について
「21世紀に入って、人々は「絶対的な自由」が「決定的な悪」を社会に誘い込むのを見、
自由を語るものが最も危険な(ファッショ)な人物であることを知る。
壮大な自由の実現とともに壮大な悪が不可避的に跳梁し、
忌まわしい悪の華が地上最後の華を咲かせ、人類は破滅に向かう」

まるで今のアメリカを予言しているかのような言葉だ。
「自由のために戦い」と称するアメリカの軍事行動によって、
戦争は単に対テロリストにとどまらず、罪のない一般市民を巻き込み、隣国に紛争の種を撒き、
様々な産業にダメージを与え、そしてさらなるテロの恐怖に全世界を巻き込んだ。


この本が書かれたのは10年ぐらい前だが、こうして本文を抜粋してみると、
今の世界構造を理解するのに示唆的なことが、よく散りばめられている。
西洋的価値観を持たないインド人からの指摘は、
イスラム教国の根強い反米感情を理解するヒントとなるのではないだろうか。


by kasakoblog | 2001-10-12 18:25 | 書評・映画評