好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

kasakoblog.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2001年 06月 ( 21 )   > この月の画像一覧


2001年 06月 30日

言葉~ベトナム(11)

e0171573_13201319.jpg

海外旅行に行くなら、英語ぐらいできないと。
さらに現地の言葉も少しぐらい話せないと旅行ができないと思っている人が多い。
でも普段日本語しか使っていない我々が、どんなに駅前留学しようとも、
生きた言語を話すには程遠いということを旅先で知るだろう。

だからというわけではないが、僕は特別英語がしゃべれるわけでもないし、
もちろんベトナム語だってしゃべれない。
それでも旅をすることは意外と簡単であるということを、
旅をしたことのある人ならわかるだろう。

インテリ気分で駅前留学やらペーパー資格を取って言語を身につけるより、
もっと大切なことがある。
言葉がしゃべれなくても、ボディーランゲージの表現力があれば、大概は通じるのだ。

旅行で思うこと。それは言葉よりももっと簡単に通じあえるものがあるということだ。
たとえばそれは音楽であったり、スポーツであったり、絵であったり、ゲームであったりする。
共通のルールにのっとったものであれば、言葉がわからなくてもコミュニケーションを取り合えるのだ。

道端で会った子供たちとは誰一人として言葉は通じなかった。しかし僕らは会話をすることなくすぐ通じ合えた。

「一人足りないから、兄ちゃんも入ってよ」
「こっちのチームだからね」
「なんだよ、兄ちゃん、シュートへちたっくそだな」

スポーツによって言葉がなくても通じ合える不思議。子供たちに混ざって僕はいつまでもサッカーに打ち興じていた。
旅に出ることは童心に帰ること。子供心に戻ること。日が沈むまで、汗まみれになって白球を追った。


by kasakoblog | 2001-06-30 13:19 | 旅行記
2001年 06月 29日

桃源郷~ベトナム(10)

e0171573_13214652.jpg

おい、そこの若いの。
いくら世界各地を旅してまわったところでな、
おまえさんの求めるようなユートピアなど、どこにもありゃしないんだよ。

もちろん、ここは確かに美しい港町だよ。
海辺に咲いた花の生き生きしさ、青空に浮かんだ雲の生き生きしさ、
透き通る海のみずみずしさ、この地に生きる人々のすがすがしさ…

でもな、それはな、この町のほんの一部のことにしかすぎねえんだ。
生きるための苦しみも悲しみも、この美しい港町にだってあるんだ。

ただ言えることはな、あんたの国から見ればだいぶましだってことよ。
だからあんたはここがユートピアに見えるんだよ。
おまえさん、気をつけた方がいいぞ。
あんたの目はな、あんたの心はな、そうとう濁ってるぞ。
機械ばかり見てるからそういうことになるだ。

いいか、ここは楽園でも桃源郷でも何でもない。
ただ自然がな、そのまま残されているだけのことよ。
ただそれだけのことなんだよ。

この地がユートピアじゃねえってことがわかったら、あんた、自分の国にさっさと帰りな。
自分の国に帰って自分たちでユートピアを作り上げるんだ。
他でもない自分の故郷にな。


by kasakoblog | 2001-06-29 13:21 | 旅行記
2001年 06月 28日

欲酒

最近、仕事の帰りが遅く、夜12時を過ぎて家に帰ってくると、なんとなく酒が欲しくなることが多い。
ご存知の通り、僕は酒はそんなに飲めないし、まして好きな方ではない。
みんなでわいわいがやがや楽しむためのつきあい酒なら大好きだが、
あえて一人で飲みたいと思うほど、酒そのものは好きではないのだ。
そんな僕が帰りに酒が欲しくなるとは一体どういうことなのだろうか。

なんだか、毎日、酒を飲んで帰るサラリーマンの気持ちが最近よくわかるような気がする。
平日やっと仕事が終わって会社から解放され自由になった時に、
かっと酒でも飲んで、いい気持ちで眠り込んで、また朝を迎える。
どうせ明日もあさっても仕事があるんだから、ぐいっと飲んで酔っ払って今日の自分をリセットしたいのだろう。
その気持ちがすごくわかるんだな、最近。

でも僕は酒は弱いし、酒を飲むとすぐに眠くなってしまうので、
そうなると帰ってからの自分の時間に支障をきたしてしまう。
特に毎日更新つぶやきかさこは酒を飲んで帰った日は書くのが辛いので、
できる限り仕事帰りの一杯は、ビールとつまみではなく、コーヒーとポテトチップスにしている。

今はまだこうしてコーヒーを飲んでポテトチップスをつまみながら、
つぶやきを書いたり自分のことをしているからいいが、そのうち、それが酒に変わると、
僕も平凡なおやじで一生終えてしまうのだろうな、最近つくづく感じる。

まったくこの僕が酒を欲しくなるなんて・・・
僕もすっかり年をとったもんだ。


by kasakoblog | 2001-06-28 13:22 | 働き方
2001年 06月 27日

免罪符~ベトナム(9)

e0171573_13242043.jpg

食は旅の楽しみの一つ。
ここベトナムでは、ドリップ式のコ-ヒ-が名物です。
コ-ヒ-を頼むと、アルミフィルターに挽いたコーヒー豆が入っていて、
そこに熱湯を注いで、その場で落していきます。

目の前にゆっくりと落ちていくコ-ヒ-を眺めながら、地元のビ-チでのんびりと過ごす。
外国人観光客用のビ-チではないから、
夕方になると学校を終えた地元の子供たちがわんさか集まって、
海辺のサッカ-に興じます。

僕はコ-ヒ-が落ちるのを待つ間、子供たちのサッカ-ボ-ルの行方を、
なぜか必死で目で追っていきます。
きっとここではそれしかすることがないからでしょう。

海辺の波の音を聞きながら、
プロの試合でも何でもない子供たちのサッカ-をぼんやりと眺めます。

こうしているとニッポンという国がはるかに遠い。こんなことしていていいのだろうかとふと思う。
きっとニッポンではその間に仕事が動いている。
でもこれが・・・旅。旅という名の免罪符が、無限の無責任と無限の自由の世界へと誘うのです。

現代人に最も必要なこととは、もしかしたら意味のないことをすることなのかもしれません。
無為な時間を過ごすこと。何の意味もない時を過ごすこと。
すべて数値化され、すべてに意義や成長を求める現代社会に生きる私たちの、
人間性を回復する唯一のリハビリなのかもしれません。

まだコ-ヒ-が落ちきりません。
無為な時間に慣れていない僕は、つい我慢しきれなくなって、挽いた豆ごとお湯をコップに入れてしまいました。
あわてて店のおばさんが飛んできて、僕のそのあまりにとんでもない行動にあっけにとられて、
怒る気力もなく、あきれてただ笑っているばかりでした。


by kasakoblog | 2001-06-27 13:23 | 旅行記
2001年 06月 26日

白砂~ベトナム(8)

e0171573_13262248.jpg

ホ-チミンから列車で12時間。
700km北の港町クイニョン。
景色は劇的に変わります。
ここは静かな小さな港町です。
こんなところに来たいとずっと思っていました。
トウキョウのような表層的な社会で慌ただしく生きていると。

おい、あんた。
何をそんなに急いでるんだ?
昼間っからそう忙しく動き回るもんじゃねえよ。
人間の人生はな、楽しくいきなきゃそんだよ。
血相変えて働いてばかりいると、早死にするぞ。


by kasakoblog | 2001-06-26 13:26 | 旅行記
2001年 06月 25日

映鏡~ベトナム~

e0171573_1327385.jpg

異国は母国、他人は自分。
目の前に立ち現れる、人・景色・出来事・・・そのすべて。
旅において出会うのは、常に自分の中にある世界。

ベトナムに何を見たのか?
その背後に湧き上がってくるニッポンを僕は見ていたのではないか。
ここはどこ?ここはベトナム。
ここはどこ?ここはニッポン。
むかしむかしのニッポン。20、30年前のニッポン。
どこかで見た風景。どこか懐かしい風景。
失われた風景を求めて、失われた時を求めて、
僕はタイムマシーンに乗ってやってきた。

旅は、旅人の心の、映鏡。
そこで見るものは異国であって異国でない。
他人であって他人でない。
異国に映る母国を眺めて、旅人は旅を続ける。


by kasakoblog | 2001-06-25 13:27 | 旅行記
2001年 06月 24日

脱出~ベトナム(7)

e0171573_1329474.jpg

夜21時、サイゴン駅発ハノイ行き長距離夜行列車に乗って、
ホ-チミンから北へ約700km先にあるクイニョンという港町をめざす。
「都会より田舎」
ホ-チミンにわずか4時間足らずの滞在ですぐに移動してしまう。

南北に長いベトナムにとって列車は重要な移動手段だ。そのため列車は満席。
12時間の列車の旅だが、寝台席は取れず座席で行く。
列車に乗って一安心したのは、座席だったがエアコン付き車両であったこと。
さすがに30度を越す熱帯夜の中、エアコンなしで列車で夜を明かすのはちとつらい。

列車の移動で危険なのは盗難だ。
ガイドブックにも盗難が多いから注意するようにと書いてある。
しかしこの車両に乗った雰囲気は、そんな危険な臭いが全くしなかった。
座席で夜を明かすという共通の苦難を共にする仲間たち、といった連帯意識が乗客の中に感じられた。

現地の人の中に外国人である僕が乗り込むと、
下心があって親切にしてくれるといった態度で近づくのではなく、
列車の旅を共にする物珍しい珍客に優しく接しようという態度が人々から感じられた。
だから席を外すときも、眠るときにもリュックに鍵をかける必要ないと判断した。
言葉は通じないが、周囲の人はみな親切にしてくれた。

疲れていながら狭い座席で熟睡することもできず、かといって車窓を眺めても広がる景色は闇ばかり。
しかしそれでも知らぬ間に眠りにつき、列車での朝を迎える。
きっときれいだろうなと思っていた。目覚めたときに見る朝日に照らされた車窓の風景が。

起きた時にみた車窓の景色は、想像以上に美しかった。
朝焼け空にどこまでも広がる緑の大地。時折そこを駆け抜ける天笠をかぶった人が農作業をしている光景。
ここは田舎なんだなとなんだか急にほっとした。心和む風景がどこまでも続いていた。

ハ-ドで無茶苦茶なスケジュ-ルだけど、旅には苦難の果てに素晴らしい光景や出会いが待ち受けている。
そのことを僕は知ってしまったから、旅はやめられないし、無理してでも旅をする。

もうここに都会の風景はひとかけらもない。
僕は日本から脱出し、そして都会から脱出し、人間としての「心のふるさと」に帰ってきたのだろう。


by kasakoblog | 2001-06-24 13:28 | 旅行記
2001年 06月 23日

幻夜~ベトナム(6)

e0171573_13303822.jpg

ちょっとそこのあんた、市場の写真なんてどうすんだい?
そんなに市場が珍しいかい?
あんたの国には市場はないのかい?


by kasakoblog | 2001-06-23 13:30 | 旅行記
2001年 06月 22日

犬も歩けば~ベトナム(5)

e0171573_1332225.jpg

僕はホ-チミンの町を歩いてみることにした。
もしかしたらこの町には、他国の都会とは違った何かおもしろいことがあるかもしれない。
すぐに写真を撮れるようにと、リュックから取り出し首からぶら下げた。
「犬も歩けば棒に当たる」というがごとく、
「カメラをぶら下げれば被写体に出くわす」との格言もあるようだ。

すぐさま町で呼び止められた。
一瞬、何かの客引きかと思って反射的に警戒する。
女の子がいっぱいいて、僕を見て笑っている。言葉は通じない。
一人が僕のカメラを指差した。
「撮って」
そう言っているようだった。

僕は彼女らにカメラを向けて、ひたすらシャッタ-を押し続けた。
外で撮ってくれ、店の中で撮ってくれ、みんなで撮ってくれ、二人で撮ってくれ・・・
無限に続くオ-ダ-に沿って僕はシャッタ-を機械的に押していく。

彼女らがどこの誰かもわからず、僕がどこの誰かもわからず、ただ道端で会って、カメラを向ける-向けられるの関係になる。
ただそれだけの関係でしかないことに、一抹の虚しさを覚えないわけでもないが、これも一つの一期一会。

旅とは瞬時の出会いと別れを繰り返す人生の縮小版。一時の愛情と、永遠の薄情と。

「写真を送ってね」と店の名刺を渡された。「送らずにいつか届けにくるよ」
いつの日かまたここに来て、写真を渡せたら、それはとても幸せなこと。

”再会(サイチェン)”
中国語で「再会(さようなら)」といって僕は去った。
また旅に出れますようにと願うがごとくに。


by kasakoblog | 2001-06-22 13:31 | 旅行記
2001年 06月 21日

都市異相~ベトナム(4)

e0171573_082617.jpg

僕は都会が嫌いだ。特に発展途上国の都会は嫌いだ。
なぜならそこにはコンビニがありマックがあり、高級ホテルがありブランド品があり、
その国の良さを抹殺した、全世界的に均一化された資本主義社会の衛星都市でしかないからだ。
都会には貧富の差が急激に拡大したせいが、立ちの悪い物乞いは多いし、
田舎から出てきた金の亡者がうろついているから、ぼったくられるしトラブルも多いし、
何より犯罪が多い。都市は治安が悪いから、日本人は絶好の標的にされる。

だから僕は大都市は極力立ち寄らず、すぐに田舎に足を伸ばす。
ベトナム旅行もしかり。ホーチミンなど興味はないので、
空港に着くと真っ先に駅に行って、田舎町行きの夜行列車をチケットを確保した。

ところがこのホーチミンを歩いてみると、不思議と嫌なイメージがしない。
町を歩いていても発展途上国特有の無秩序な乱開発による都市のバタツキ感を感じない。
なぜだろうかと僕はずっと考えて、ある一つの答えに辿り着いた。
そう、ここにはほとんど車が走っていないからなのだ。
だからばたついた印象がないのだ。

途上国の都市の印象を悪くしている最大の原因は車である。
みんな車線など関係なく縦横無尽に走り回り、何でもないことでもクラクションをわめきちらし、
さらには有毒な粉塵がばらまかれ、挙句の果ては大渋滞でにっちもさっちもいかない。

ところがこのホーチミンの道路にはほとんど車が走っていない。
その代わりにバイクがうじゃうじゃどうしようもないくらいに走り回っているが、それは不思議と都会的な悪印象を与えないのである。
このホーチミンでは人口600万人に対してバイクの台数が400万台もあるのだという。

車が走っていないだけでこんなにも都市の印象が変わるとは思ってもみなかった。
乗り物が人間に近くなれば近くなるほど、都会的バタツキ感や都市的希薄感は消え、親しみのある町に早変わりする。

バイクが無数にうようよ走っているこのホーチミンという都市は、他の都会とは違ってなんだか好きになれそうな気がする。


by kasakoblog | 2001-06-21 00:06 | 旅行記