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2001年 11月 30日
「藤原悪魔」藤原新也著
1998年、正月。あまりに退屈で気が狂いそうなので書店に行ってみると、
新刊コーナーにひときわ目を引く本があった。
真っ黒なカバーにでかでかとおどる「藤原悪魔」という不吉なタイトル。
それを嘲笑するかのような、太いまゆげをつけたおまぬけな犬の写真。
一体これはいかなる本なのだろうか?
表紙のインパクトはどの本にも負けなかった。
この本の作者が、僕が大好きな藤原新也であったことに驚いた。

本書は雑誌で連載されたエッセイの寄せ集め集。
大きく3種類に分けられる。
一つは、O-157や猿岩石、麻原彰晃や酒鬼薔薇聖斗事件、
「悪魔」と子供の名前につけようとして問題になった事件など、
当時の時事問題を取り上げ、独特な藤原社会学的見地から斬ったもの。
一つは、「2000年藤原現在シリーズ」と題された、2000年に毎月本を出版した写真集や本の取材時の話。
(バリ島や富士山、鉄輪など)
そしてもう一つは、猫の写真とエッセイである。

暗くなりがちな時事問題のエッセイだけでなく、取材した話や猫の写真と話を交えるあたり、
東京漂流以降に見られる藤原新也のバランス感覚を感じる。
殺伐とした現代社会に、写真家としての彼が、できる限りポジティブなものを見出そうとした結果が、
猫のかわいらしい写真群であり、表紙にもなっている「マユゲ犬」ではなかろうか。
いろいろな話題を緩急織り交ぜた、読み楽しいエッセイ集だ。

僕が個人的にこの本で強く影響を受けたエッセイが2つある。
一つは「山手線一周手相マラソン」。
タイトルのごとく、山手線の各駅で手相見にみてもらうと一体どんな結果が出るかという、
くだらななすぎて実におもしろい企画である。
これに影響され、僕ははじめて街角の占い師に占ってもらうことになる。
(これが実によくあたっていた)

そしてもう一つが「エンパイヤステートビル八十六階の老女」の序文のこの文章である。

半年も旅をすればひょっとすると自分の人生すら変わるかもしれないわけだが、
このような人生にかかわる行事が、ただバイトを探すのが難しいといった理由だけで、
キャンセルされるというのはさみしい。

これを読んだ3日後、僕は会社を辞めて旅に出る計画を練り始めた。
人生は一度しかない。いつどんな形で不意に死が訪れるかもわからない。
現代社会は、一寸先は闇である。
ならば悔いのない人生を送りたい。やりたいことがあるならやったほうがいい。
やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいい。
そんな思いを後押ししてくれた言葉だった。

藤原新也さん、ありがとう。
僕はこの箇所を何度となく読み、僕は自分の旅への決断を揺るぎないものにしていった。
この藤原悪魔は、僕にとって、旅へと誘う悪魔的なささやきの大切な書となった。


by kasakoblog | 2001-11-30 20:51 | 書評・映画評
2001年 11月 29日
高円寺パスタ店・格安対決
価格破壊はとどまることを知らない。
ハンバーガー、牛丼に続き、わが高円寺では、パスタの価格競争が熾烈だ。

何でも一律300円のパスタ店「Q-300」。
パスタが300円という値段に驚き、恐る恐る入ってみた。
しかし残念ながら使える店ではなかった。味はそこそこだが、うまいとはいえない。
それだけならともかくも、300円にしているせいで、量が極端に少ない。
安さを追求したがために量を少なくすれば、結局あとでお腹が空いて何か食べるのだから意味がない。
安けりゃいいってもんじゃないんだ。
しかも夜にこの店は立ち飲みバーになるせいか、ランチにパスタを落ち着いて食べる雰囲気はない。

一方、破格のランチパスタ「南欧食堂 デル ソル」はすごい。
何がすごいかといえば、安いだけでなく、うまくて、しかも量も多く、サラダ・ドリンクもついているのだ。
ランチセットはパスタによって、490円~790円。
(もちろん僕は一番安い490円のペペロンチーニを頼むのだが、これが実にうまい!)
パスタは横長の皿にたっぷり。しかも単に量が多いだけでなくおいしいのだ。
サイゼリアのように安いがそこそこの味ということもなく、
イタリア料理専門店らしい、おいしいパスタをこの値段で出す。
(ちなみに夜もリーズナブルで、酒を飲めるので、ここはほんとおすすめの店だ)

ほんと料理に関しては言うことなしの素晴らしい店。
気になる点は、アルバイトの店員教育が徹底されていないせいか、
客に対する細やかな気遣い(客が来ても気づかない、水がなくなっても気づかない等)
に欠けるが、まあそれほど致命的な問題には至らない。

偉そうに1000円だとか1500円だとかで出しているイタリア料理店は、ぜひこの店を見習って欲しい。
この値段で、これだけのおいしさと量が出せるということは他ができないはずはない。
ただ儲けを優先するか、薄利であっても多くのお客さんに何度も来てもらうか、その違いに過ぎない。

全国の気取ったいためし屋に告ぐ。
この店を見習いなさい。


by kasakoblog | 2001-11-29 20:52 | グルメ・ラーメン
2001年 11月 28日
マスクマン
深夜、たまたまテレビのチャンネルをあちらこちら押しまくっていると、あるチャンネルでプロレスがやっていた。
プロレス好きの僕は、ふとテレビに見入ってしまった。

試合を見ていると、実に驚くべきことが起こった。
人気プロレスラー・サムライのマスクが敵によってはがされてしまったのだ。
マスクマンにとってマスクをはがされることほど屈辱的なことはない。
しかもかわいそうなことに、マスクマンは得てして、マスクを脱ぐと格好悪い人が多いのだ。

久しぶりにそんなプロレスの茶番劇を見ながら、ふと思い出したことがあった。
マスクをはがされたマスクマンは数多いが、自らマスクを脱いだマスクマンを僕はこの人以外は知らない。
2代目タイガーマスクこと、三沢光晴である。

あれは衝撃だった。
タッグを組んでいた川田利明に、タイガーマスクが何やら指示をした。
すると川田利明がタイガーマスクの紐をふりほどいている。
このわけのわからぬ行動に、観客も、そして実況も驚いた。
僕は一瞬仲間割れが起きているのかと思った。

しかしそれは違った。
タイガーマスクは自らマスクを投げ捨て、三沢光晴として生まれ変わり、この試合に勝利したのだ。
それは新しい時代の幕開けだった。
三沢はジャンボ鶴田を破り、三冠王者になり、外国人タッグを破って世界タッグに輝いた。
三沢光晴の黄金時代が訪れたのだ。

マスクマンが自らマスクを捨て、はがされることにおびえることなく、自由に解き放たれて闘いに挑む。
今でもあのマスクをとったときの勇姿を忘れられない。

「お、おおお、何をやってるんだ。おい何をやってるんだ!!」
「な、なんと、み、みずからタイガーマスクがマスクを取っっています!
おおお、タイガーマスクがマスクを脱ぎ捨て、三沢光晴となって、
今、新たに生まれ変わりました!!」


by kasakoblog | 2001-11-28 20:53
2001年 11月 27日
神の子どもたちはみな踊る
・総評
「地震のあとで」というタイトルで連載された、阪神大震災をテーマにした短編6作。
地震をテーマといっても、深刻さや重さが漂うテーマ設定ではなく、
日常生活における人間の感情レベルでの地震に対するスタンスを捉えている。
むしろ地震をテーマにしているというより、短編の話に地震を絡めただけという感じ。
こういったアプローチはある意味では非常に斬新かもしれない。

・UFOが釧路に降りる
突如、離婚を宣告された夫。妻はずっと地震報道に釘づけになっていた。
それがあたかも離婚の原因かのように。
地震は、それがたとえメディアを通していたとしても、現代人の価値観を大きく揺さぶった事件だった。
「空気のかたまり」「中身がない」と言われて置いて行かれた夫は、突如の離婚に精神的ダメージを受ける。
その傷を癒すために出掛けた北海道で、一人の女性と出会う。

「思うんだけど、今の小村さんに必要なのは、気分をさっぱり切り替えて、もっと素直に人生を楽しむことよ」
この女性のセリフは、地震で崩壊した都市の風景と、結婚生活の崩壊が重なる小村に、
そして今の日本人に対する一つのメッセージではないだろうか。

・アイロンのある風景
海辺で焚き火をする謎の男。神戸に別れた家族を置いてきた。
地震が起きて動揺はしているが、連絡はとらない。
ふと人生の空しさみたいなものが一挙に押し寄せてくる。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える」
焚き火をするためにここにいるという男。
そして漠然とだが人生に虚しさを感じている女性と焚き火フレンドになる。

「私ってからっぽなんだよ」
「どうしたらいいの?」
「そやなあ…、どや。今から俺と一緒に死ぬか?」
「いいよ。死んでも」
-現代人の心に常にまとわりついている虚しさが、大地震を契機に決定的になったことを物語っている。

・神の子どもたちはみな踊る
地震とはほとんど関係ない話だが、現代的な宗教をテーマにした短編。
不遇に生まれた子供を女手一つで育ててこられたのは「宗教」との出会いがあったから。
「母は教団でいちばん布教の成績がよかった」という一文などは現代宗教を端的に表している。
そんな宗教でも母を救っていることには間違いなかった。

母の生き方は宗教を選び、息子は信仰を捨てた。それは当然といえば当然だった。
人それぞれに宗教という方便が意味をなす場合となさない場合とがあるからだ。
そんな息子が出生の秘密を探って、しかしその手掛かりが消えてしまった時、自分のその行為の意味を知る。
暗闇を追いまわしてさらに深い闇に落ち込んだのだと。
これ以上ない闇までおちたとき、はじめて彼の目の前に晴れ渡った心が広がった。
人間の心は石ではないと。

「神が人を試せるのなら、どうして人が神を試してはいけないのだろうか?」
誰もいない野球場で「神様」とつぶやくラストシーンが、物語の奥行きを感じる。

・タイランド
村上春樹の小説で海外が舞台になっているのをはじめて読んだ気がした。しかもヨーロッパではなくアジア。
タイに行っている間に神戸の地震を聞いたさつきは、
別れた夫が神戸に住んでいるので地震に対してこう感想を吐露している。

「あの男が重くて固い何かの下敷きになって、ぺしゃんこにつぶれていればいいのに。
それこそが私が長いあいだ望んできたことなのだ」

地震によって最愛の人を無くした悲しさばかりが取り上げられる中で、
中にはこう思っている人もいるのだという話を書いたのはおもしろい。
しかし、さつきの憎しみからは何も生まれないことを知った、
タイでの車のドライバーが小さな村の占い師のところに連れて行く。

「あなたの身体の中には石が入っている」
長い間、胸に抱えて生きてきた重く堅い石。
それを捨てて新たなに生きなければ、死んで焼かれた時に石だけが残る。

「生きることと死ぬこととは等価なことなのです」
生き方と死に方。過去の囚われ人。
人の生き方を示唆する、タイという仕掛けをうまく利用した小説。

・かえるくん、東京を救う
東京に地震が起きるという情報をもとに、かえるくんと銀行員がともにみみずくんと戦うという話。
ともに戦う当日に銀行員が銃で撃たれて重体になるという話の意外な展開はおもしろかった。
かえるくんの命を犠牲にした戦いによって東京は地震を防ぐのだが、
カタストロフィー願望のある僕もしくは多くの今の日本人にとっては、
東京が救われたという話より、地震が起こってしまったという話の方がよかったのではないかと思える。

・蜂蜜パイ
村上春樹の典型的小説。物書きの主人公は、仕事は着実にこなすが、派手さはなく、
特定の女性を見つけることができず、毎日の生活を過ごしている。
そこに学生時代の三角関係の話が登場し、今やっと自分の意志を表明することができ結ばれる。
よくこの手の小説を書いている。まるで自分の姿のありのままかのように。

子供へのお話という仕掛けを作って、そこに現実の人生と重ね合わせていく物語はおもしろい。
地震については全く関係の無い話。
(地震おじさんなんてものが出てくるが、この話には無用と思われる)


by kasakoblog | 2001-11-27 20:54 | 書評・映画評
2001年 11月 22日
新コーナー続々オープン
その名もkasako-otakuの部屋。
自己増殖を続ける「かさこワールド」。
さらにその世界をディープにワイドに広げる新コーナー。
続々と登場する、かさこがこだわる部屋群。
果たしてあなたは、かさこの書くスピードについていけるか?

シャーロック・ホームズの部屋
(01/10/01更新)

Mr.Childrenの部屋
(01/11/22オープン)

ニュータイプ理論
(01/11/8更新)

グイン・サーガの部屋
(01/11/22オープン)

藤原新也の部屋
(01/11/22オープン)

かさこアイテム
(01/11/22オープン)


by kasakoblog | 2001-11-22 20:03
2001年 11月 20日
航空機墜落事件の続報がない理由
<仮説>
11月12日起きたアメリカ航空機墜落は、事故ではなくテロだった。

<報道されない不思議>
2ヶ月前に航空機のテロ事件が起きていて、さらにまた墜落事件が起きた。
当然、連日連夜、マスコミで墜落の原因究明を徹底検証していいはずだ。
現に墜落が起きた直後は、航空評論家などが墜落の原因究明を行っていたが、
ここ最近、ぴたっとこのニュースが報道されなくなった。
しかも報道されなくなったのは、原因解明が一挙に進むはずのフライトレコーダーの発見時期なのだ。

原因がわかるはずなのに、それ以来、一切報道されない。
あれだけの事件なら、どんなに些細なことでも事後報道は行われるはずだ。
それがまるで誰かに口封じされているがごとく、ぴたりと報道されなくなった。

これは何を意味するか?誰でもわかる簡単な質問である。
そう、あれはテロだったからこそ隠されなければならなかったのだ。

なぜかって?そんなの簡単なことさ。
あれだけ厳戒体制を敷いていたアメリカで、またもテロが起きたら、アメリカ国家の威信など無いに等しくなる。
ブッシュ大統領の驚異的な支持率は、一挙に降下する。
アメリカで革命が起きてもおかしくないほど、アメリカ社会は混乱するだろう。
だから隠したのだ。

もしあの航空機墜落事故がテロ事件だったと報道したら、まず間違いなく全世界は世界恐慌に陥るだろう。
それを防ぐための「嘘」。 ただフライトレコーダーを回収してしまったので「嘘」はつけない。
そこで報道することをやめたのだ。 無作為の犯罪というやつだ。

<犯人はアルカイダではなかった>
そしてこの墜落がテロであることを隠している、もう一つの理由があると僕はかんぐっている。
それは、このテロがビンラディン率いるアルカイダによるものではなかったとわかったからだ。
だから隠されなければならなかったのだ。

なぜか?
ビンラディンがやったのならば、疑問・批判の声が出ている空爆を正当化するのに役立つし、
ビンラディンがこの世の悪だと言うことを決定づけられ、
世界の凶悪犯に立ち向かう正義の味方アメリカというイメージを植えつけるのには好都合だったはずだ。

でもテロ犯人は違ったのだ。
僕が思うに、航空機墜落事件があった直後、カブールを制圧した北部同盟の仕業ではないかと思う。
もしそうだとするなら、アメリカはビンラディン打倒のために手を組んだ味方に裏切られたことになる。
そうなれば、アメリカ国家の世界情勢の判断ミスだったことがあからさまにされてしまうし、
タリバンも敵、アフガン市民を解放した北部同盟も敵にしてしまうと、
アメリカはアフガニスタン国民すべてを敵にしなければならなくなってしまう。
もうそうなってしまったら、ベトナム戦争の愚を、泥沼の戦争へと突っ込むことになってしまう。
だからこのテロ事件を隠さなければならなかったのだ。

そして僕はもう一つ、仮説を考えている。
それはこのテロはアメリカ人自身がやったのではないかという疑いだ。
もしそうなら、これは絶対に隠さなければならない事実だ。
もしアメリカ人自らがやったのなら、 幻想の国、多民族国家アメリカ自身が疑心暗鬼になって、崩壊してしまうだろう。

あれはテロだった。
だから報道されなくなった。

<アメリカの崩壊>
1989年ソ連が崩壊し、第二次大戦後の世界体制を維持してきた冷戦構造は崩れた。
その時点で、冷戦構造の一翼を担っていたアメリカも、敵がいなくなったことで、崩壊しなければならなかった。
それがよくここまで生き長らえた。
しかしそのツケは2度に渡る航空機テロ事件によってまざまざとその矛盾をつきつけられた。

アメリカ的価値観はもう今の社会には不要だ。
過剰な原理主義運動を活発化させているのも、過剰な自由で秩序を乱すアメリカが原因なのだ。
多分、アメリカが崩壊すれば、世界の過激な原理主義運動のほとんどは消滅する。
アメリカ的価値観の急激な流入で、宗教的秩序を保っていたイスラム教国が、
その反動で、音楽を禁止したり、たこあげすら禁止したり、髭をそってはならないという、
アフガニスタンのタリバンのように、その反動として自己防衛のために過剰な原理主義運動をよびさました。

悪の権化はアメリカにある。
もうアメリカが世界をリードする時代は終わった。
歴史の浅い田舎国家として、他国に口出しせずにおとなしくする時期がやってきたことを、
今回のテロ事件でアメリカは知るべきだ。

北部同盟がタリバンの少年兵を100人処刑したことを、人権侵害と批判したアメリカ。
しかし空爆で、何の罪もないアフガニスタン市民を大量に殺したおまえ(アメリカ)はどうなんだ?
少年兵100人じゃすまないだろう?
それは人権を声高らかに歌うおまえさんの主張とは真向から矛盾するんじゃないか?

<今後の展開>
そしてこの事件の悲劇は、今回の事件で最大の被害者となったパキスタンで終幕をきたすだろう。
タリバン政権を支持し支援してきたにもかかわらず、アメリカに同調して空爆を許したパキスタンに、
アフガニスタンから脱出したタリバンがクーデターを起こして、パキスタンにタリバン政権を樹立する。
そんな最悪のシナリオが今そこに待ちうけているような気がするのは僕だけだろうか?

ビンラディンを殺してはならない。
ビンラディンはまだ容疑者であって、犯罪が確定した犯罪者ではない。
だからビンラディンを殺すことはあってはならない。
なんとしてでも生きて捕まえて、公平な裁判にかけること。 それがアメリカのやるべきことだ。

アメリカは空爆により、ビンラディンの側近中の側近であり、
テロ事件の首謀者であるアルカイダ幹部を殺したと声高々に宣言したが、
あれははっきりいってアメリカの無能ぶりを世界中にアピールしているだけだ。
殺してしまったら、事件は一生闇の中じゃないか。

犯人をつかまえ、事件の全貌解明にあたり、2度とこのような事件が再発しないようにすること。
それがアメリカの使命のはずだ。
殺してしまったなんて、こんな愚かなことはない。
ビンラディンを殺してしまえば、第2、第3のビンラディンを生むだけだ。
アメリカの愚策をこれ以上、許してはならない。

アフガニスタン情勢の戦況が入ってくるのは、イギリスからだということも、
アメリカの公平なき態度を物語っている。
アメリカは何かを隠し、全世界を騙して何かをやっているから、自ら戦況報告ができないのだろう。


by kasakoblog | 2001-11-20 20:04 | 一般
2001年 11月 19日
何が「だいじょぶ」なんだ沖縄
2001.9.11のテロ事件の余波を受け、ハワイよりさらに深刻な打撃を受けているのが沖縄である。
「アメリカ軍基地があるから危険だ」ということで、
修学旅行客なんと16万人、一般旅行客4万人の合計20万人が、旅行をキャンセルした。
そこで沖縄県は、この深刻な状況を打開するため「だいじょうぶさ~沖縄」キャンペーンを、
大々的に実施することにしたのだ。

「何の心配もない」「安全だから」ぜひ来てくださいというが、一体何を根拠にそんなことを言ってるのだろうか?
観光客の金欲しさに、根本的な問題の解決をせずに、キャンペーンだけして安全だと言われても、
そんなもの誰も信用するわけがない。
アメリカ軍基地がある限り、アメリカが空爆を続ける限り、日本がアメリカに同調する限り、
いつテロに狙われてもおかしくはない。
「だいじょうぶさ~」というなら、日本政府の今回のテロ事件へのアメリカ同調政策を批判するなり、
アメリカ軍基地の沖縄県からの撤退運動を行うなりしてほしい。

アメリカ軍基地があるために観光収入が減った沖縄。
それは98年の沖縄県知事選挙の、県民の愚かなる選択が呼び寄せたものと僕は思っている。

98年、三選を目指していた現職の大田知事が選挙に敗れたことを知って、僕は驚いた。
沖縄の政治家で唯一、日本政府にもアメリカ軍にも媚びずに米軍基地撤廃を主張していた大田知事が敗れるとは、
正直、夢にも思わなかった。
当時、アメリカ軍兵士による暴行事件が多発していただけに、大田知事を県民は選ぶと思っていた。
しかし選挙では「県政不況」を訴えた経済優先政策の、日本政府の犬、稲嶺氏が当選したのだ。
沖縄県民は「誇り」より「金」を選び、「長期的な県の発展」より「目先の利益」を選んだのだとがっかりした。

アメリカ軍が駐留していることによる経済効果は極めて大きい。
一部の業者は、アメリカ軍に依存して生きているといっても過言ではない。
だからどんなに暴行事件が起きようとも、アメリカ軍にはいてもらわないと、
自分の商売が成り立たないという人たちも沖縄にはいる。

しかしそれは目先の利益であって、アメリカ軍に依存する経済体制から脱却しなくてはならない。
日本の構造改革と同じで、短期的には倒産が相次ぎ失業率が悪化するかもしれない。
しかし長期的な視野でみれば、構造の抜本的改革を今しなければさらにひどいことになるのだ。
そういう意味では、沖縄県知事選挙は、目先の経済優先政策VS長期的な視野で見た構造改革の戦いだった。
そして残念ながら、県民は目先の利益を選んだ。

それがまさか3年後に、テロという突発事項で沖縄の根本的な問題があぶりだされることになったとは。
アメリカ軍基地に頼った経済政策はもう捨てるべき時に来ているのだ。
真の沖縄の自立した政治・経済・社会構造を樹立するためには、アメリカ軍基地は撤廃した方がよいのである。

「だいじょぶさ~沖縄」という何の根拠もないキャンペーンをするより、
今こそ98年の県知事選挙の愚かなる選択を見直し、「アメリカ軍基地撤廃運動」による、
観光誘致をすすめるべきではないだろうか?

アメリカ軍基地がある限り、県民の安全も観光客の安全も「だいじょうぶ」になるわけはないのだから。


by kasakoblog | 2001-11-19 20:06 | 政治
2001年 11月 18日
書評サイトにリンク!
つい先日、突然、こんなメールが届いた。

サイト“かさこワールド”管理者:かさこ様
初めて、連絡させていただきます。
私は、統合書評サイト“Ken”を運営管理しているKKと申します。
当サイトでは、新刊書評ガイドを含むさまざまな書籍の書評とのリンクを紹介しているサイトです。
既刊書評ガイド>作家研究>村上春樹の書評リンクに『辺境・近境』を取り上げた際に
貴サイトの書評・感想文を発見し、リンクさせていただきました。

トラベルライターかさこのホームページとして、旅を中心にしているものの、
それだけに限らず、いろんな切り口のコーナーを充実させていき、
多くの人に興味を持ってもらえるようなホームページにしたいと拡充していた。
ラーメン探訪やシャーロックホームズの部屋、書評ランキングなどがそうだ。

それが実ってか、インターネットの情報の渦の中で、
KKさんがたまたま僕の書評を見つけて、リンクをするという話になったのだ。
インターネットが革命的なのは、今までのメディアと違って、
単に情報の受けてだけでなく、簡単に自らが情報の発信者になれることだ。
そのインターネットの特性を生かすことによって、いろんな可能性が広がっていけばなあというのが、
僕がわざわざ金にもならないホームページに心血を注いでいる(それはちょっと言い過ぎか)理由である。

インターネットによって情報発信者同士のネットワークができていく。
このネットワーク社会こそ、現実社会にも応用すべきシステムである。
単に一方的な情報発信者(マスコミ・政府)のみが大衆(情報受信者)をコントロールするのではなく、
個々人がそれぞれの考えを持って互いに社会の主体者同士として社会を作り上げていく。
それが21世紀の自立した個人主義社会であると思う。

そうなればきっと多くの人が幸せになれるのではないかと思う。
今の日本社会のように一般大衆が情報の受信者でしかないから、
狂牛病騒ぎやらテロ騒ぎで、一貫した態度をとれず、右往左往する姿が見られるのだ。
自ら情報を発信し、発信者同士が互いに協力し合い補い合って一つのコミュニティを作り上げていく。
その模擬演習がこのインターネットの大いなる意義ではないだろうか。

なんだか随分と話がそれたが、統合書評サイト「Ken」にかさこワールドの書評コーナーが紹介されたとのことでした。
これを契機に、書評コーナーをこれまで以上に充実させていきたいと思います。
ということで本日ランキングに20冊追加し、104冊となりました。


by kasakoblog | 2001-11-18 20:07 | 書評・映画評
2001年 11月 16日
ささやかなる反乱
<1>
束の間の休日
一体僕は何してるんだろう?
無為な一時を優雅に楽しんでいる。まるでプ-生活に戻ったみたいに…。

月・火・水と3日間、会社を休むことにした。
先週は風邪で毎日早めに帰っていたことを考えれば、ここ最近、ムチャクチャ忙しかったということはない。
土日と合わせれば5連休。ちょっとしたバカンスだ。

「せっかくだからどこかに行こうか」
という気持ちがなかったわけではないが、やめにした。
どこかに行ってしまえばあっという間に終わってしまうから。

特にやるべきことがたまっていたということはなかった。かといって暇なわけでもなかった。
こうして会社を休んでみて思うけど、
無職の人でも、いくらでも自分でやりたいことをやっていく人と、
仕事がないと退屈しちゃう人と2種類いるんだろうなと思う。

5日間もあるのだから、あれもこれもしたいと思っていたけど、
意外に時間がなくって、あれとこれしかできなかったけど、
まあいいかなっていうか、そんな感覚だった。

「何やってたの?」
休日明けによく聞かれる質問である。
見たいビデオがあったが、レンタル屋においてなかったので、ビデオを見て時間を潰すことはなかった。
暇になったら映画「プラトニック・セックス」を見に行こうと思っていたが、暇でなかったのでやめにした。
友達に電話かけて飲みにでもいこうかと思ったけど、こんな貴重な時間は自分だけのために使うべきだとやめにした。
こんなに時間があるのだから、ホームページのリニューアルでもしようかと思ったけど、
時間がもったいないからやめにした。

「何してたの?かさこさん」
携帯ワープロに向かって、いろんな文章を書き、図書館から借りた本を読み、年末年始の旅行計画を立てる。
その合間をぬって1000ピースのパズル『バベルの塔』に取り組む。
こんなもんで平日3日間はあっという間に終わってしまった。

<2>
1日に1本は会社から電話がかかってくる。
もし何かあったら、まあいつでも会社に出ても構わんと思っていたが、そんな事態にはならなくて済んだ。
でも会社から1本掛かってくるその電話こそが、僕が唯一社会とつながれていることを感じる一瞬であって、
社会人なんだってことを思い出す一瞬であって、
それが全くなかったら、僕はなんだかドロップアウトしてしまったのではないかと思えてくる。

どこにも所属していないことへの空白感
全く収入がないことへの不安感
こんなことしていていいのだろうかという焦燥感
無職と言うのはほんとに辛いんだよな。
でも今の僕は、しっかり社会につながれたまま、ミニドロップアウトを楽しんでいる。

3日間も休んでいると、休んでいる生活こそが当たり前の日常に思えてきて、
仕事をしている生活が妙にうっとうしくなる。
旅の気分ってきっとこんな感じなんだろうな。
夢幻の自由と、無限の無責任を伴って…
平日の昼間に町を歩いて、見上げた真っ青な空を見て、ふと思う。

預金通帳の残高を記帳したら、これまで最高の預金額があった。
また金のカタルシスを求められているっていうのか?
金は使わないと腐る。金が腐るのではなく、使わない精神が腐る。
腐らせないためには、適度に使ってやるのが良い。出ないと反動が一挙に襲ってくるから。

度重なる航空機事故で、年末年始の海外航空券は安いだろうと思ったら大間違い。
年末年始料金やら、週末料金やら、ピーク料金やら、航空保険料の値上げやら何やらで、
新聞に踊っているような格安航空券は休みになる前の平日の、ちょ-乗り継ぎの悪い便だけであって、
もう他は立派な高価格をつけている。

「無駄だなー」と思いながら、精神を腐らせないために、預金をちょっと使ってやる。
でないと反動が恐ろしいから。

「かさこさん、次はどこへ行くの?」


by kasakoblog | 2001-11-16 20:07 | 生き方
2001年 11月 15日
カップラーメン探訪(11)
日清の麺の達人。
すごく良かったのが、麺。生麺ではないが、太めの麺は食べ応えがありうまかった。
かやくはお湯を入れる前にいれるのではなく、
4分待ってから入れるのは、本物のネギをそのまま入れるからだろう。
その点もうまかった点だ。

しかし、麺とかやくのネギに力を入れたせいか、スープがいまいち。
今のカップラーメンはスープだけはラーメン屋なみにうまいにもかかわらず、
スープにあまり工夫がなく、単調な味噌味だったことが残念。
かやくもネギ以外は全く入っていないので、楽しみがなかった。

麺とネギの努力のあとが見られるだけに、
具のバラエティとスープのうまさにも気を配って欲しかった。
低コストで、麺・具・スープ、3つにバランスよく味に工夫をすることは難しいのだろうか?
200円以下のカップラーメンは、どこかに力を入れると必ずどこか手を抜いているのが、
すぐにわかってしまう。
かといって200円以上するカップラーメンなど、牛丼が290円の時代には無意味。
もっともっとカップラーメンを安くてうまいものにできるはずだと思うんだけどな。


by kasakoblog | 2001-11-15 20:08 | グルメ・ラーメン