好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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2001年 12月 28日

2001-2002 tubuyaki SPECIAL(12/28~1/7)

<世界地図ルーレット>
今年の年末年始はカレンダーにめぐまれ、9連休が取れる。
さて一体何をしようか。
また青春18切符でも買って東海道線ロードに出ようかと思ったが、 せっかくの9連休なのにもったいない。
でも年末年始に海外旅行は高いしもう取れないだろうしと思っていた矢先にテロが起きた。
「これはチャンス!」と思い、僕は格安航空券会社に飛び込んだ。

しかし思いのほか値段は高く、しかもキャンセル待ちだという。
でも一度、旅行に行こうという火を消すことはできず、
値段が手頃で取れそうなところということでギリシアを選んだ。

ところが、12月に入っても一向に取れたとの連絡がない。
電話してみると、もう取れる見込みはないという。
そんなアホな!!!
ギリシアをあきらめざるを得なくなってしまい、とにかくどこでもいいから航空券を取ってくれと頼んだ。
「アメリカに興味はありませんか?」と言われたが、はっきりいって興味はない。 それだったら日本にいた方がましだ。
カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーのどこかでお願いしますと言っておいた。

しかしどこも厳しいという。今からではとても取れないという。
ああ、年末年始、せっかく海外旅行に行けると思っていたのにとがっくりしていたところに、
旅行会社から思わぬ提案があった。
「笠原さん、メキシコってどうですか?」

アメリカ・ロサンゼルス経由、帰りはロスに1泊するメキシコ。
なるほど旅行会社も考えたな。
ただアメリカといわれたら嫌だったが、メキシコなら大歓迎だった。
そんなアイディアがあったとは。
結局、テロが起きようが、飛行機の空席状況はアメリカ方面が減っただけで、
他の国はマスコミで騒ぐほど減ってはいないようだった。
しかも年末年始料金だとか土日出発料金などしっかり加算されて、 メキシコ往復173000円!
こんな金あったらアジアを1ヶ月旅できるのになあと思いつつも、
僕は思わぬエキゾチックなおもしろそうな国、メキシコ行きを快諾したのだった。

1日とはいえアメリカに足を踏み入れることも楽しみだった。
前につぶやきで書いたように、いつか僕は現代社会の悪の権化となっている、
アメリカという幻想国家をこの目で見にいかなければならないだろういうことが、早くも実現したのだ。

今、僕は猛烈にフラストレーションをためている。
それをカメラという兵器を使って機関銃のように乱射していっぱい写真を撮ってきたい。
それが今、僕の一番したいことだな
先日真鶴1泊して120枚近く写真を撮った。
さてさてメキシコでは何枚撮るだろうか。

念のため36枚フィルムを36本、約1300枚スタンバイして、 12/29~1/6まで旅行に行ってきます。
ということで、その間のつぶやきを一挙にアップしていきます。
今年に引き続き、また来年もつぶやきかさこをよろしくお願いします!

●神なき時代に~2001年から2002年に向けて

<バベルの塔崩壊>
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2001年を振り返って、まず思い起こさせることは、個別事情はさておくとするならば、
なんといっても現代のバベルの塔、世界貿易センタービルの倒壊ではないだろうか?
飛行機が2機、高層ビルに突っ込んでいく映像はあまりに悪魔的だった。
21世紀という輝かしい新しい時代は、まだまだ先にあり、
未だに先の見えない世紀末的頽廃が社会を席巻している。
(写真:1000ピースパズル「バベルの塔」)

<自然=神>
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自然がなせる高さは、人間が作った愚かしさがなく、
そこには人間にはできない畏怖がある。
富士山がどこからも見える町を訪れた時、
僕はその強大な存在に、恐ろしさと同時に安心感を感じた。
いつでもどこにいても、富士山が僕たちを守り、そして見張っている。
目の前にそびえる富士山を見て、僕は「自然は神だ」という藤原新也の言葉を思い出した。
(写真:山梨県山中湖)

<「神」の目的>
人間の最大の発明は「神」であると僕は思う。
「神」はその土地土地によって様々な種類があるが、作られた目的は同じであると思う。
愚かなる人間社会を平和に維持していくためには、エゴにまみれた人間を越えた絶対的存在が必要なのだ。

人間は実在しない神を作り上げることによって、互いの愚かなる行為を統御しようとした。
それでも中には物わかりの悪いやつもいるから、
架空の神を存在させるために、像を作ったり、儀式を作ったり、神殿を作ったりして、
実在するかのように見せたのだ。

それはキリスト教だろうが仏教だろうがイスラム教だろうがヒンズー教だろうが、
ココナッツ教団(ベトナム)だろうが、富士山信仰だろうが、
その土地に住む人々に合わせたトリックの違いが宗教の違いであって、
「神」を作り出した目的は何ら変わることはないのだ。

人の目を盗んで悪いことをしようとする。
そんな人間の根本的な犯罪性を抑止するのに、
あの圧倒的な存在、富士山を神とすることは実に効果的なことである。
誰彼も富士山を神と意識しなくとも、誰かに見張られているという感覚を持ちえるのではないだろうか。

<見張り役>
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いつでもどこでも人間を監視できる山があるように、
ネパールの首都カトマンズにはスワヤンブナートという目玉の寺院が、
盆地のひときわ高い丘に建ち、その役割を果たしている。
巨大な目は盆地全体を見渡し、人々が犯罪を犯さないように見張っているかのようだ。
その寺院こそは、いわば富士山の代わりとなる、
人間が秩序維持のために生みだした発明品「神」であるといえる。
(写真:ネパール・カトマンズ)

<愚かなる戦争>
しかしこうした「神」は、時代が進むに連れ、
科学的合理的な解釈によって、その架空性や神秘性を剥がされていった。
科学の進歩が「神」の存在を否定してしまったのだ。

そんな神なき時代に、人間はスワヤンブナートのような寺院ではなく、
「我こそが神だ」と誇示するかのように、高層ビル戦争を開始した。
どこのビルよりも高く。
まるで人間が神であるかのごとく。

聖書によれば、古い時代、神に逆らって、神に届くがごとく高い塔を建てた人間たちの所業が、
神の怒りにふれ、人間が2度と神に逆らわないようにと、言葉を混乱させ、その建設を中止させたという。
まるで古い神話が現代に生きかえったように、現代のバベルの塔は倒された。

この神なき時代を作り上げているアメリカという国家に、
「神」への苛烈なまでの信仰勢力がバベルの塔を崩壊した。
神なき信仰も神への過剰な信仰も、どちらも間違っているとは思うが、
愚かしい人間どもの近年エスカレートしていく自然(神)破壊に、
神が人間同士を戦わせ、自然(神)を守らせようとしているともとれる。
イスラエルとパレスチナの問題も、いわば「神」という名の大義名分を使った、人間の愚かしい争いに過ぎない。

さて、もっとも神なき社会・日本は、精神的な支柱を失ったまま、現代をさまよい歩いている。
だからこそ新興宗教という愚かな「神」が猛威をふるった。
健全な神が息づく町に、過剰な神は息づかない。
過剰な神は、神が人間の作り出した「トリック」から大きく逸脱し、神だけが一人歩きしてしまう。

<神なき時代に未来はあるか>
神なき社会に突き付けられた問題。
人間の心はすさみきっている。
果たして21世紀、この神なき時代は一体どのようになっていくのだろうか?

もしかしたら人間は滅びるかもしれない。
自ら作りだした最大の発明品「神」を葬り去ってしまったから。
自らが生きている自然(神)を崩壊させてしまったから。

人間は今、問われている。
人間社会を平和にするための最大のトリック「神」を現代にあった形で復活できるか否かを。

●2002かさこ年賀状
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神なき時代に、世界を旅し、社会を観察し、
 新しい時代を作る契機となるために、
 何事もタブー視しない容赦ない批評と、
 常識にとらわれない新しい提案をし続ける、
 毎日更新かさこワールドを、今年もよろしくお願いいたします。
 (写真:ベトナム・チャンパ遺跡)


by kasakoblog | 2001-12-28 21:26
2001年 12月 27日

欲しい物が手に入らない

もう今年も残すところわずか。
来年といえば何といってもサッカーワールドカップだが、そのチケットを入手するのは極めて難しく、
話題ばかりが取り上げられる中、いつのまにか日本販売分は完売となったという。

にもかかわらず、今、あちこちの企業のプレゼント企画で、
ワールドカップのチケットが大量枚数確保されている。
個人が入手するチャンスの前に、協賛して金を出した企業に大量にチケットが回される。
だから本当に試合を見たい人のところに手に入らない。
プレゼントで当たって無料でもらったものなど、
意外とどうでもよくていかなかったりする人が多くなるのは必然だ。

人気アーティストのコンサートチケットなどもそうだ。
まともに電話で入手しようと思っても、電話を掛け続けてやっとつながったと喜んだ瞬間、
売り切れの案内テープが流される。
にもかかわらず、ネットオークションでは大量の不要チケットが売り出され、
当日会場に行っても結構空席があったりする。
本当に欲しい人に手に入らない、不透明な構造ができあがっているからだろう。

欲しいものが手に入らないといえば、クリスマス後の質屋の盛況ぶりは大笑いだ。
もらったものの本人にとってはいらんプレゼントを早速質屋に売りに行き、
金に替えて自分の欲しいものを買う。
前日60万円で買ったものが翌日30万円になり、自分の欲しいものを買い直す。
こんな無駄が作業が日常茶飯事に行われている。
なんとも情けない話だ。

物であふれていながら、本当に欲しいものが意外と手に入らず、
自分にとってどうでもいいものが簡単に手に入ったりして、
面倒なので捨ててしまったりすることもある。
ITが叫ばれた1年だったが、売りたい人と欲しい人との需給の情報システムすらできないのが現状。
欲しい人のところに欲しいものが届く、物の有効的な流通システムが必要なのではないだろうか。

ちなみにワールドカップのチケットだが、
名前入りで転売できないようになっているものの、ネットでは転売情報が横行し、
また韓国ではチケット販売不振のため、日本販売分に回されることが検討されている。
こんなこと、はじめからわかっていたことではないのか?


by kasakoblog | 2001-12-27 21:30
2001年 12月 26日

土地猫

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シャーロックホームズの名言の中で、こんな言葉がある。
「ペットは飼い主を映し出す鏡だ」
その土地に住む野良たちも、その土地柄を映し出す鏡といえる。

この3連休、神奈川県の真鶴に行った。
小田原と熱海の中間地点で、さびれた港町である。
漁業自体は活発に行われているようだが、
ここで採れた新鮮な魚は、隣の温泉街・湯河原や、人気温泉地・箱根へと送られる。
真鶴の町に採れたての魚を食わせる店はあるが、
温泉がないため、東京から訪れる人は少ない。
だから町はさびれ、そして実にのどかな雰囲気が漂っていた。

東京から鈍行列車で1時間半。
こんなにものんびりとした田舎街があることに、正直驚かされた。

町の人は東京もんが珍しいのか、人なつっこく声を掛けてくる。
「東京では雪はもう降ったか?」「東京のどこから来た?」「今日はどこかに泊まっていくか?」

こんな町だから、ここにいる野良猫どもは全く逃げない。
警戒心がない。実にひとなつっこい。
まるでここに住んでいる人たちのように。


by kasakoblog | 2001-12-26 21:31 | 【写真】猫
2001年 12月 25日

トウタセヨ

淘汰:
1.自然環境の中で、生存に適するものが残り、適しないものは消え去る現象。
2.不必要なもの、不適当なものを取り除くこと。

日本の現在の経済情勢は非常に厳しいと思っていたが、
今日、とある一軒の店に入って「まだまだな」と感じた。
こんなにまずいパスタを出す店が堂々と営業しているからである。

イタメシヤ ラ・パウザ
チェーン店である。
日替わりランチパスタがドリンク付で500円というから入ってみた。
しかし出てきたパスタのこのまずさといったら信じられないほど。
それで量でも多いのかといえばそうではない。
これで300円なら仕方がないとは思うが、それほど安いわけではないのに、このまずさ。
ちょっと信じられなかったな。

日本は怠慢経営している悪徳企業を淘汰するためにも、
もっともっと厳しい経済情勢になった方がいいんじゃないかな。
そしたら絶対に消費者はこんな店には入らないはず。
まずい店、高い店、特徴のない店はどんどん潰れていき、いいものだけが残っていく。

税金を使ってまで景気回復する必要は全くない。
そんなことしてるから、こんなにまずいパスタを出す店が平気で潰れないで残っているのだ。

ほんとあまりに味がひどすぎて思わず笑いが出そうになった。

まだまだこんな店が残っているようじゃ、日本の不景気も本物じゃないな。
どんどん厳しい経済情勢になって、人も企業も役人も官僚も、 徹底的に淘汰された方がいいのではないか。
それがまさしく「構造改革」。


by kasakoblog | 2001-12-25 21:01 | 金融・経済・投資
2001年 12月 25日

ハリーポッターと賢者の石

<1>
映画「千と千尋」の爆発的大ヒットのあとに、それに代わって世間に騒がれている映画「ハリーポッター」。
僕は不思議でならなかった。
子供を主人公にした魔法使いの物語が、一部の好きな人間にではなく、こうして圧倒的多数の人が見にいくような現象が。
僕が映画を見にいく基準は「想像力をかきたてられるような、ファンタジーもしくは未来シュミレーション」であるから、
このハリーポッターも見に行ってもいいかなと思っていた。
ただこれだけ騒がれて、連日超満員状況にげっそりしていた。
それでも機会があって、1時間半待って、この映画を見に行った。

はっきりいって、信じられないほどつまらなかった。
非常に話がばらけてる。テーマに一貫性がない。
多分、膨大な原作を映画にまとめる監督の力量が足りなかったことが大きな要因であるように思える。

1人の才能に満ち溢れる少年ハリー。
魔法界を救うために、人間界でずっと育てられてきた彼に迎えがくる。
そこで僕は彼がいかに偉大なことを成し遂げるかに注目した。

しかし彼の悪との対決シーンはあまりにへぼい。
しかもその対決は、いつのまにか3人の同級生との友情物語へとすりかえられる。
3人の魔法使いの子供たちが、凶悪な敵に立ち向かって、 友情と愛を武器にしてそれを倒す物語であるならば、
ハリーポッターの生まれの特殊性は意味がなくなってしまう。
ならばはじめっから、ハリーもただの普通の魔法使いの見習いにして、3人が協力して敵を倒す物語にした方が、
「友情」とか「愛」というテーマを強く訴えられる。

またこの映画は「賢者の石」をめぐる冒険なのだが、そのシーンがあまりに少なすぎる。
2時間半もの長時間のなかで、その冒険に費やされるのは40分程度。
それ以外の無意味な前ふりがあまりに多すぎる。
魔法使いの学校の様子を描いているのだが、それもどうもぱっとしない。

<2>
さらに納得がいかないのがエンディングだ。
3人が協力して賢者の石を取り返したという偉大なことが、4つの寮の得点争いに加えられ、
3人がいるチームが「優勝」するという非常に世俗的な名誉で終わってしまうことだ。
彼らはもっとすごいことを成し遂げたのではないか?
それが単なる学校の寮の1年間の得点争いで優勝するという情けない結末に、僕はどっと疲れが押し寄せた。
「こんな情けない結末を見るために、1800円払って1時間半待って2時間半拘束されたのか…」

もちろんこれをテーマにすることもできる。
優秀な魔法使いが集まるチームと、主人公のいるチームとが優勝争いを競い合うというテーマにして、
個々人の能力ではなく、集団で助けあったチームが優勝したという風に、物語を進めていくことも可能だが、
そういったことにはなっていなかったはずだ。

つまりこうしてテーマがバラバラになったまま、すべてやたらめったら詰めこまれているからいけないのだ。
たかだか2時間半の限られた映画の中で、いろいろ詰め込もうとしたのが間違いだ。
もっとテーマを絞り込んで、この物語を描き出せば実におもしろいものになったのに。
これは監督ないし映画用に脚本を書いたものの、明らかな力量不足が露呈した作品だ。

それにしてもこんな映画が大ヒットしている日本の大衆とは、
いかにマスコミに踊らされていて、自分の目でいいものと悪いものを判断できる能力がないことがわかる。
もう何年も前から言っていることだが、ほんと日本の大衆は自分で判断する能力に欠ける。

「赤信号、みんなで渡ればこわくない」

だからこそ、明らかに負けるとわかっている太平洋戦争を起こしたりするのだ。
ほんとこの国は危険だな。
一人のカリスマに、簡単に操作される、ファシズム的温床を内包している国だな。
いつか愚かなる過ちを、世界に繰り返さねばいいが…。


by kasakoblog | 2001-12-25 20:55 | 書評・映画評
2001年 12月 24日

男と女のクリスマス

<1>
酔わしてやろって下心もって近づいて飲んでいた女の子が、
次第に悪酔いしてくるのをみて、急になえはじめた。
目がすわっていた。その目で真正面からにらみつけ、目をそらそうともせず、
「わたしの何が悪いっていうのよ!」 と周囲も気にせずでかい声で話し始めた。
男はひく一方だった。

お互いに酔って気分が良くなって、楽しくなったところで、
「さあ寝ましょう」みたいな、そんなシチュエーションを何度も頭の中に反芻していたにもかかわらず、
目の前にいる女の子は、たちの悪い酔っ払いおやじと何ら変わりはなかった。

「まあ今日はどんどん飲もうよ」
「ええ、私弱いから・・・でも飲んじゃおうかな」
なんて遠慮していた飲み始めの頃がかわいらしくていいわけで、
こっちもなんとか飲ませて酔わせてどさくさにまぎれてこの機会に・・・と思う下心に火がつくわけだが、
「もう一杯!おかわり!早く早く」
とこっちがすすめもしないのに、大声で酒をオーダーする態度を見ると、ただひくばかり。

<2>
「もうやめたら?相当酔っ払ってるみたいだし。帰れなくなっちゃうよ」
酔わせて帰れなくさせようと願っていたはずの男は、もうこの時点で下心は消えうせていた。
早くこの場から去りたい。もうこの酔っ払いとは関わりたくない。
途中までは楽しい酔い方だった女の子が、一時期をさかいに悪酔いに転じたのだった。

「何いってるの?まだまだ飲むわよ!あんたもつきあいなさいよ」
ほんとたち悪い。こんな女の子、彼女にするのは絶対にやだなと思う。
すすめもしないのにすごい勢いで飲んでいく。
やばい、どこかで逃げ出したい。このままだと間違いなく・・・吐いた世話役をしなくてはならない。
「だいだいさあ、男って何なのよ!ねえどう思う?答えて。いいから答えて!!」
うるさいな、このあま。ほんとどうしようもないな。
酔っ払うとこんなにたち悪くなるなんて思いもしなかった。

テキトーに返事を返していたが、いつのまにか静かになった。
ふと見ると、寝ていた。
ほんとならこのままホテルに連れこんでなんてことを思う場面だが、
もうこの酔っ払いとは関わりをもちたくない。
やってしまえば、酔っ払いも何も関係はないが、
やはりそこにはある程度のムードみたいなものが必要なわけで、
悪酔いしてげろ吐きそうな女の子かついでやるきには到底なれない。
というより、次第に目の前の女の子は、
性欲の対象としての女性ではなく、ただの重い物体にしか見えなくなっていた。

<3>
とはいえこのまま知らんぷりして店においていくわけにもいかない。
まったくこんな悪酔いのために金は出したくないなと思いながらも、
仕方がないのでお会計を済ませ、終電に帰れるようにと、叩き起こす。

なかなか起きない。
機嫌が悪い。
起きたっと思った瞬間、げろげろげろ・・・・

最悪だ。この女。

女の子をタクシーにかつぎこむと、行く先だけいって男は乗らなかった。

「もしもし、ねえ今、暇かな。ちょっと飲みたいんだけど」
男は男友達に電話する。
こんな日は、男同士で飲んで話でもしないと、行き場のない感情が抑えきれない。

はあ、最悪。
悪酔いの女はかんべんだ。


by kasakoblog | 2001-12-24 20:56
2001年 12月 21日

すれちがう都会の街角

金曜日、夜中1時半過ぎ。
赤坂見附駅前に人通りはないものの、客待ちしているタクシーは延々と列をなし、
水商売の客引き女は、寒い中、獲物を狙っている。
どちらも無駄に思える。もう人は歩いていないじゃないか?
それでも街は明るい。
客が少ないとはいえど、カラオケや居酒屋など、あちこち明るい光がともっている。

僕はサンダルで、ちょっと近くのコンビニまでアイスを買いに行く。
珍しい獲物が来た!と思ったのか、
厚手のジャンバーをはおって寒そうに立ちつくしていた女の子が、僕めがけて飛びついてきた。
「マッサージいかが?」 「行きましょうよ」 「ねえ1時間だけ」
この界隈はなぜか水商売は中国人が多い。
韓国料理店も多いが、夜の街に立っているのはなぜか中国人ばかりだ。

「中国人ですか?」
「そうです」
「どこの出身?」
「ペキン」
「ベイジンか。なつかしいな。前に4回ほど行ったことがあるんですよ」
「へえ!」
「ウルムチとか敦煌にも」
「ねえ、行きましょうよ。1時間だけ」

まきついてくる腕をふりはらって僕はコンビニへと向かう。
何かあまりに明るいその客引きぶりに、なんか元気になりそうな気分になれる。

当然、帰りも同じ道を通るのででくわす。
僕はでくわさないようにと目をそらしてさっさと歩くが、見つけられて、またとびついてくる。
今度は手をとりひっぱってくる。
でもそれはけっして強引ではない。あくまで自分の意志を試されている。
でもこうして実際に物理的な攻撃に出られると行くつもりなど全くないのにたじろいでしまう。

「ハダカ・スマタ・クチ。ねえマッサージ1時間だけ・・・」
明るさと無邪気な態度とは裏腹な、直接的な下劣な言葉に、なんだか妙な寂しさを覚える。

友達にならなりたいけど、金を払って下の世話してもらいに客として行きたくはない。
友達になれれば中国語を教えてほしいな。外国人の友達ができれば楽しいだろうな。
そんなささやかな僕の願いも、彼女の現実主義にいとも簡単にふきとばされる。
彼女らにとっては金を払って店に来てくれる人がいいひとなのであって、
友達になりたいなんていい迷惑に過ぎないのだろう。

「名前は?」
「キョウ」

都会で出会った二人の距離は、これ以上縮まることはない。
互いの欲望が虚しくすれ違う、都会の街角。


by kasakoblog | 2001-12-21 20:57
2001年 12月 20日

ラーメン低レベル地区に光明か?

ラーメン低レベル地区に指定されている赤坂と池袋。
この2つの地区にささやかな光明を感じられるラーメン屋を発見したので紹介しよう。

<1>赤坂見附・らーめん無双
赤坂見附でも一、二の人気を誇る一点張りの真向かいに、今年、新たにオープンしたラーメン屋「無双」。
どうせたいしたことはないだろうが、気になって入ってみた。
味噌、しょうゆ、塩と3種類あるが、味噌がおすすめのようだ。
味噌ラーメン650円を頼む。
ライス無料サービスはうれしいが、正直あまりおいしいとはいいがたい。
どうせサービスするなら、その質にもこだわってほしいな。 でないと逆効果だ。

とはいえラーメンの方はというと、これはなかなか。
ねぎ・もやし・ひきにく・メンマ・チャーシュー1枚と、具の種類が豊富で、
それでいてでしゃばりすぎず、麺とスープとの調和にふさわしいトッピング。
特にここのチャーシューはかためでなかなかうまい。
だからチャーシュー麺を頼みたいのだが、250円アップの900円はあまりに高すぎる。

スープは、飲むと落ち着く田舎の味噌を使ったような味わいで、
しっかりとした味がついていながら、こってりせず、わりにさっぱりしていて好感が持てる。
ただ麺がそれ自体に味があって、 そのためにスープと具との調和を崩している感がある。
麺の個性を若干落としてバランスを取った方が、全体的にはうまいラーメンになるだろう。

まあまあ低レベル赤坂地区では、なかなかの味だ。

<2>池袋・柳麺ぶしょうや
池袋西口、立教大学通り沿い。
ラーメン500円・ネギ700円・チャーシュー800円・ネギチャーシュー1000円という、
実にシンプルなメニューで、しょうゆ・味噌両方同じ値段。

ネギ味噌ラーメンを注文。
これが実にネギがてんこもり。しかもただのせるだけでなく、味付けしたネギをのせてくれる。
そのせいか出てくると香りが良い。
ネギの香りもあるのだろうが、スープから漂う和風のだしの香りか、
それともスープに浮かぶ「焦がし葱」の香りか。
かなり期待が持てるぞとラーメンをすすった。

「何かが違うぞ」と思って食べていると、気づいたのが麺だ。
非常に柔らかい。ラーメンの麺というより、細く短くしたやきそばを柔らかにした感じ。
その柔らかさが、具とスープとあいまって、自然とつるつる入っていく。
この麺の効果で麺・具・スープの調和が実に良い。
三位一体感こそがラーメンの醍醐味だ。

自慢のチャーシューだが、確かに独特のたれにつけてあっておいしいが、
味が濃いためしつこく、チャーシュー麺を頼むほどではないかな。

ラ-メン超低レベル地区池袋にあってはよくがんばっている方ではないか。
うまいにはうまいのだが、味噌を頼んだせいなのか、スープが濃すぎてちょっと飽きてしまう。
もうちょっとさっぱりしてた方がいいかな。


by kasakoblog | 2001-12-20 20:58 | グルメ・ラーメン
2001年 12月 19日

高円寺人情物語2

高円寺という町は不思議な町だ。
ここにいると僕は「アジア」を思い出す。
古き良き時代の郷愁が漂っているからなのかもしれない。

コーラ-をサービスしてくれた「とん吉」に続き、再び「人情」というには大げさだが、
ベルトコンベア方式で次々に客をさばく現代店とは違った店を発見した。
商店街からは外れているが、駅からすぐ近くにある、
チェーン店「フレッシュネスバーガ-」である。

新型ノートパソコンを購入してからというもの、執筆活動はほとんど外で行われている。
(もちろんつぶやきも書くが、基本的には大作『かさこ金融道』に着手している)
コーヒーは210円と高いが、木の丸テーブルが一人にしては広いので使いやすいこと、
そして室内温度が快適であることから(ファーストフードは暑すぎたり寒すぎたりすることが多い)、
最近ここを頻繁に利用するようになった。
食事は高いのでまずせず、牛丼やラーメンを食べてからここに来る。
特に家で眠くなって集中できない夕方によくここを利用していた。

たまたま半休で、昼にこの店を訪れると、レジに対応した店長らしきおっさんが、
「あっ、いつも夕方にいらっしゃるお客様ですよね。今日はお昼にいらっしゃるとは珍しいですね」
と一声掛けてくれた。
さりげない一言だったが、自分をよくくる常連の客として覚えてくれたことが、妙にうれしかった。

ささやかなことだが、不思議とこんなことが再びこの店に来ようというきっかけになる。
物を求める買い物であっても、人が人を介して物を買う以上、
そこに必要なのは適切なコミュニケーションだ。
殺伐とした世の中、匿名性の現代社会にあって、地域社会や家族社会が崩壊に瀕している中、
誰もが人間である以上、人と人とのコミュニケーションを欲しているのだ。

親友が僕のことを「合理的完璧主義者」と呼んだ。
ある友人が僕のことを「精密な機械」と呼んだ。
そんな僕でもこうしてささやかな「情」に触れると、精緻なコンピュータも判断を狂わされ、
いつもコーヒーだけなのに昼時だから悪いかなと、ついついハンバーガーも頼んでしまった。

どんどん機械化されていく世の中。
だからこそささやかな店員の一声が客にとってはうれしいのだろう。
そんな当たり前のことが当たり前でなくなった時代に、
古き良き日本の良さが残る、高円寺。


by kasakoblog | 2001-12-19 20:59 | 一般
2001年 12月 18日

ワークシェアリングを考える

<1>
今更ながら政府では、失業対策の秘策としてワークシェアリングを話題にしている。
そんなこと、とっくの昔にかさこ総理が言ってるやん!と思いながらも、
この機会に「ワークシェアリングとは何か?」をここでもう一度、整理しておこう。

失業や倒産は増える一方、会社勤めの人の労働時間は一向に減らない。
それどころか、不況を盾に少ない人数で大量の仕事を押しつけられている。
働いている人は仕事に追われ、仕事を辞めてしまった人は暇をもてあます。
こんな効率の悪い社会はない。
両者の幸福のためにも「ワークシェアリング」という発想は当然の帰結といえる。

たとえば1週間休みなく働かされている人と、プ-になってしまった人で仕事を分担する。
単純に月・火・水・木はAさん、金・土・日はBさんとする。
当然一人でやっていた仕事を二人でやるのだから給料は減る。しかし休みはぐっと増える。
そうなれば今の会社だけの人生から、会社・家族・地域の3面的な生活が送れ、人生は3倍ゆたかになる。
給料が減る分「金だけがすべて」の社会から脱却が自然にできる。

政府いわく、ワークシェアリング導入で大きな問題となっているのが社会保険だという。
1人ならば社会保険料1人分で済むが、同じ仕事を2人でやると保険料は2倍かかってしまう。
しかしそんなことまったく懸念する必要はない。
今、国保も年金も医療代も、国が運営する保険システムは大赤字ですでに崩壊している。
だから国がやる保険は全部撤廃。
各個人が各々の自己判断に基づき、各々で保険なり将来のための積み立てをすればいいのだ。

そうしたら一挙両得。
ワークシェアリング導入でひっかかっている問題もなくなり、保険・年金問題も片付く。
さらにはその保険や年金にかかわっていた無駄な役人や特殊法人を撤廃できるから、さらにちょうどいい。
遅々として進まぬ特殊法人改革など瞬く間だ。

<2>
ワークシェアリングを検討するのは結構なことだが、
失業率を低下されるためだけの目先の利益だけを追った緊急非難的な政策であってはならない。
ワークシェアリングこそ、構造改革、日本の大いなる社会変革の1つと位置付けるべきだ。
一つドミノが倒されれば、これまでの腐りきったシステムは次々と破綻していく。
そして新しい仕組みを作るべきときが今なのだ。

「おたくの会社は、3000人もいる大企業やろ。 それが一担当者が休んだぐらいで、
たかだか500万円の融資の決済が伸びてしまうっていうのは、どないなことやねん?
おかしいんと違うか」

残念ながらこれが日本の実態である。
どんなに大きな企業だろうが、一人一人の抱えている仕事は意外に多く、
しかもそれを他の担当者が変わることはなかなか難しいのが現実だ。

実のあるワークシェアリングの導入を今こそすべき。
めざすべきは、GNPが何%成長したかではなく、
個々人の自由な時間がどれだけ増えたか。どれだけ働かずにすむ社会が作れるか。
金儲けの利益ではない「豊かさ」を考えるべきだろう。


by kasakoblog | 2001-12-18 21:00 | 働き方