<   2002年 04月 ( 19 )   > この月の画像一覧

2002年 04月 27日
ゴールデンウイークスペシャル『夢のラビリンス』
<1>
「シブヤのレコードショップの前に、午後2時に来てくれないかな」
と突然、小室氏から電話があった。
そう、小室氏とは、音楽プロデューサーの小室哲哉である。
「グローブのメンバーも一緒にいるから」
僕はその突然の電話に驚きもせず、淡々と「はい、わかりました」と答えた。

シブヤは人でいっぱいだった。 店の前も人でいっぱいだった。
でもすぐに彼らを見つけることができた。
小室氏は一番わかりづらかったが、マークとKeikoはテレビ番組に出る衣装そのままだったからだ。

「かさこさん、では行きましょうか」
小室氏はまるで十年来の仕事仲間のように僕に声を掛けるので、
「僕はなぜここに呼ばれ、何をしに、どこへ行くのですか?」という、
当たり前の質問をできずに「わかりました」と僕も十年来の仕事仲間のように答えた。

若い女の子がいっぱいのレコードショップの奥の、アーティストを迎える簡略コンサート会場の奥に、
どんどん小室氏は進んでいった。
「ここから僕の事務所に行くんだ」
舞台上の天井の壁に小さな穴が開いている。
そこへ次々とグローブのメンバーたちが吸い込まれるように入っていく。
僕もそれに遅れまいとして、天井の壁の穴に吸い込まれていった。

<2>
暗い暗い穴を抜けると、そこには古代地下遺跡が広がっていた。
なぜシブヤのレコードショップの中に、これほど巨大な遺跡があるのだろうか?
グローブのメンバーと、そして僕は宙を飛びながら、広大な地下遺跡を通り過ぎていった。

遺跡を下に眺めながら、10分ほど空を飛んでいると、正面の瓦礫の斜面に、
大きな獣道のようなものが一筋通っていた。
そしてその先にはまたしても大きな穴があった。

「一体ここはどこですか?」と小室さんに聞こうかと思った瞬間、
僕はとんでもないものに遭遇し、金縛りにあったように、何も言葉を発することも、
何の動きもできずに、その場で固まってしまった。
なんとその獣道の先から、続々と大魔人のごときモンスターの行列が、
僕たちの目の前を通り過ぎていったのだ。

「よし、入って」
そのモンスターの下をかいくぐって、小室さんは穴へと入っていった。
モンスターに気づかれないのだろうか?食べられてしまわないだろうかとぶるぶる震えながらも、
ここは小室さんの後についていくしかないと、あわてて僕も穴へと飛び込んだのだ。

生きた心地がせず、ただ闇雲に穴に入って、
僕は何がどうなっているかさっぱりわからなくなっていたが、
気づくとそこは奇妙に明るい洞窟にいた。
マークとKeikoはいつのまにかいなくなていて、
僕のちょい先に水先案内人として小室さんがいるだけだった。

「もうすぐだから」
小室さんは洞窟を先へ先へ進んでいき、最後の難関、崖の橋に差し掛かったことを告げた。
断崖絶壁を崖にささっているビデオテープに捕まりながら進んでいく。
しかし捕まろうとするテープは、まるでテレビゲームのように、引っ込んだり消えたりする。
小室さんはそこをすいすい進んでいく。
僕も遅れまいと思いながら、崖から落ちないようにと慎重に進んでいった。

しかししかしである。
またしても崖の上に、あの大魔人のモンスターの大群が、僕を嘲笑うかのように、
宙を飛びまわり出したのだ。
小室さんはいつのまにかうんと先に行ってしまっている。
僕はモンスターを恐れながら、断崖に突き刺さるビデオテープの綱渡りをしながら、
崖の橋を死と隣り合わせの状況で、あわてて進んでいった。

<3>
永遠に続くと思われた崖の橋を、僕は我を忘れて進んでいるうちに記憶がなくなっていて、
ふと気づくと僕は野球場の観客席の芝生の上に寝転んでいた。
ここはどこだろうと、起き上がると、マウンドには小室ファミリーの面々がポジションにつき、
今まさにレコーディングをはじめようとしているのだ。

野球場を見渡せる丘の上に小室さんがいて、僕を手招きしている。
「ここが僕の秘密スタジオなんだ」
野球場でレコーディングって一体何だろう。
それより何より僕は随分遠くへ来てしまった。何日過ぎたのかさえわからない。
会社もあるので4日後には戻らなくてはならないのだ。

「僕はここで何をすればいいのですか?」
やっと一番聞きたいことが言えた。
なぜ小室さんが僕を呼び出したのか、僕は全く知らなかったのだから。

「これからグローブのアルバムを制作するんだ。曲はできてるんだけど、詩がまだなんだ。
かさこさんにはこれから演奏する19曲分の詩を書いて欲しいんだ。できるね?」
「もちろん、できます」
4日後の会社の出社に戻れるだろうか。
帰る時はまた来た道を戻らなくてはならないのだろうか。
もうあの恐ろしいモンスターには遭遇したくない・・・そんな心配ばかりしていて、
19曲もの詩を書く心配は不思議と何もしなかった。

「この資料あげるから、詩の参考にして欲しい。じゃあよろしくね」
小室さんから渡された資料は、最近のアーティストの歌詞カードと、
そして新橋の町の歴史の資料が20枚ほどだった。
「グローブと新橋の歴史?う~ん、これは参ったな」

「よし、リハーサル開始!1曲目から行こう!」
小室さんの声が野球場にこだまする。
ピッチャーマウンドに立っているKeikoが演奏に合わせて歌詞がないので、 ラララで歌い始めている。
「1曲目はノリのいい曲だなあ。さあてこれにどう詩をつけていこうか」
と思いながらも、僕は野球場をから一旦離れて、詩をつけなければならない曲も聞かずに、
「トイレってどこにあるかな」と探し始めたのだ。

<4>
実にリアルな夢だった。
これは作り話ではなく、僕が最近見た本当の夢の話だ。
TMNETWORKの「闇のラビリンス」ならぬ「夢のラビリンス」。
モンスターは実に恐かったけど、詩の依頼が来るなら、秘密スタジオにいつでもかけつけますよ!


by kasakoblog | 2002-04-27 00:34
2002年 04月 26日
痛めてはじめて気づくこと
今、通常通りつぶやきを再開したが、まだ完全に寝たきり生活から脱したわけではない。
調子は大分良くなったものの、未だ会社は休んでいる。
(昨日、約20日ぶりに会社に行ったが)

しかしいつまでも寝たきり生活をしているわけにはいかない。
足と腰が多少痛いだけ。なんとか日常生活を普通に送れないかと思い、
考え付いたのが「松葉杖」である。

「松葉杖」を病院で貸してくれると思ったが、レーザー治療の病院には、
そういった患者がいないのかなく、近くの病院で借りようと思ったが、
「うちの患者ではないので」と断られ、どうしようかと悩んでいたら、
松葉杖がデパートの介護用品コーナーに売っているということで、8000円で購入してきた。
ネットでも通販で様々な種類があって、病院で借りる人以外にも個人で買う人がいるんだなあと、
今まで知らない世界を知って妙に感動していたのだ。

松葉杖を使って歩いてはじめて気づいたことがある。
舗装された道路は平らだとは限らない、ということだ。
最近、道路工事で舗装した道路にもかかわらず、明らかに斜めになっている。
一方が傾いているのだ。
両方の杖でバランスを取る松葉杖をついているので、道路が平らでないことがすぐにわかる。
これは松葉杖をついている人にかかわらず、車椅子の人や足の悪い人は歩きにくいだろうなと、
僕は腰を痛めたことではじめて気づいたのだ。

人間はその立場になってみないことがわからないことがたくさんある。
道路工事する役人や工事会社が、悪意があったにせよ、悪意ではなかったにしても、
道路を舗装するのに平らにしないということが、現実に平然と行われている。
でも僕だって今まで生きていて、そんなことは少しもわからなかった。
(もちろんこれには道路工事会社の立場があり、もしかしたらわざと平らじゃなくしたのかもしれない)

誰もがみんなすべての立場に実際になれるわけではない。
だからこそ人はそれぞれ自分なりの立場の主張と限界を自覚して、
様々な人と意見を交わす必要があるのだなと思う。
単なる数の論理であるはずの民主主義が、なぜ少数意見に耳を傾けなくてはならないのか?
それが少しだけわかったような気がした。


by kasakoblog | 2002-04-26 00:36 | 生き方
2002年 04月 25日
臨時ニュース
結婚します。
かさこ


by kasakoblog | 2002-04-25 00:36 | お知らせ
2002年 04月 24日
理解できないことを知ること
<1>
4/17のつぶやきかさこにて、
『テレビで「五体不満足」の乙武君を見たが、
「腰が痛くて右足しびれて歩けない」なんて言っている僕がかわいく思える。
人間、悲しいかな、「自分が一番不幸」などと思ってみたところで、
それ以上に不幸な人を見ると、妙に安心してしまうのは、残念ながら人間の本性である。』 と書いたことに対して、

飢餓海峡さんより、
『自分より不幸な乙武クンをみて・・・みたいな言い方するって、どうなんだろうね。
なんの臆面もなくそういった表現ができるなんてなんていうか、めちゃ単純でびっくりします。
女性セブンとかで「なんて可哀相!」って言いながら奇形児をグラビアで特集してたりするのとか、
やたら福祉を強調してわざとらしいパフォーマンスを繰り返す日本テレビの24時間テレビだとかね、
なんかそういう身体障害者に対しての無神経で無理解な精神構造を垣間見てしまいましたよ、かさこさんの言葉の中に。
ホームページっていうのは不特定多数の人が目にするものでしょ。 誰の目にも触れないタンスの中の日記帳とは違う。』
とのご意見をいただいきました。

僕がなぜつぶやきでそのようなことを書いたのか、その主旨をここで説明したいと思います。
(注)ここで書くことは、決して飢餓海峡さんの意見を否定するつもりもなく、
またあくまで僕の立場としての意見ですので、変にお気を悪くなさらないようにと思います。
こういった貴重な意見を書きこみしてくれたおかげで、よりその問題に対して深く考えられるので、
つぶやきに対する賛成意見よりむしろ反対意見を書いていただいた方が、筆者としてはありがたいことです。
他の方もぜひつぶやきに対する意見をお願いしたいと思います。

<2>
まず指摘されたつぶやきですが、「自分より「不幸な」乙武君を見て安心した」というのは、
僕が腰痛で動くことができず、テレビを見た時の正直な感想です。 これはごまかしようない事実です。

なぜこれを日記帳ではなく不特定多数の人が見るホームページに書いたかということですが、
「こんな風に他人の不幸と比較して、自分の『幸せ』の基準を判断している人が、
意識、無意識を問わず、多くいる」と考えたからです。

※うがった見方をすれば、だからあの「五体不満足」はベストセラーになったといえなくもない。
こんな不自由でこんな不幸な人がこんなに明るくがんばっているのだから、
私もがんばらなくっちゃという精神構造は、まさしく人の不幸と比較して自分の生活を正当化していると思われる。

障害者と比較したことで、「なんてひどいことをいうんだ」と思われたかもしれませんが、
現代に生きる多くの人間は、「自分よりブスだ」「自分より頭が悪い」「自分より貧しい」
といった他人との比較において優越感を持つ心理は、日常に満ち溢れているのではないでしょうか?
そういった問題提起をするために、日記帳ではなくホームページに書いています。

●他人との比較例としては、
・合コンに誘われた時、連れていく友達に自分よりかわいい子は誘わない。
これは連れてきた女の子に意識はないかもしれないが、 男から見れば明らかにそういった無意識の選択をしていることは多々あるかと思う。
・「Aちゃんちにはプレステあるんだよ。買ってよ」
「何言ってるの、うちにはファミコンがあるでしょ」
「でもAちゃんは両方持ってるんだよ」
「あそこの家は特別でしょ。BちゃんやCちゃんなんか、ファミコンすらないのよ。だから我慢しなさい」 といった子供を納得させる方法。
・同学年からいじめにあっている人が、自分より低学年や動物などにより陰湿ないじめをする。
など、例をあげれば切りがないですが、自分より「不幸」だと感じるものを持ちだす方法は、
あまり意識していないかもしれないが、日常生活に恐ろしいほど根付いている。

<3>
なぜそういったことを僕がここで書いたかというと、意外にもやっている当人にはその意識がないことです。
(合コンの例は典型的)
行動では他人との比較によって優越感に浸っているにもかかわらず、
口では「何言ってるの?私の連れてきた人、みんな私よりかわいいよ」
といった発言をして、人を騙すだけでなく自分もなんとなくそんな気になってしまう。

こういった精神構造は、ご指摘の通り、週刊誌やテレビの手法でよく見られます。
「障害者を応援しています」だとか「環境に優しい運動をしています」などと言っておきながら、
単に人気取りや見世物、偽善者気取りでしかない。
これをわざとやっているうちはいいが、そのうち自分が本当にいい人のように錯覚してくる。
しかもこういった番組を見た視聴者も、なんとなく自分も「障害者を応援している」気にさせてしまう。
僕はそこに現代社会の歪みがあると考えています。

「こういったら無難だから」と、思いもしないのに「正解の回答」を答えることは簡単です。
「これからは地球環境問題が重要ですね」「弱者にも優しい社会を作りたいですね」
といいながら、ゴミの分別もせず、歩きタバコをし、
目の前にいる老人に気づいていながら、見てみぬふりをしてシルバーシートに座りこんでいる。
これが今の現実ではないでしょうか。

<4>
なぜ行動と言葉が合わないのか?
それは自分の「本音」を自覚していないからです。
建前的な言葉にいつしか自分の本心のように思いこんでしまうけど、本当はそんなことちっとも思っていない。
「シルバーシートって言ったって自分だって疲れてるんだから」
そういう人が「弱者に優しい」というのは偽善者でしかないと思うのです。

「シルバーシートって言ったって自分だって疲れてるんだから」
それが本音なら、まず自分の本音を認識することが重要だと思います。
それを隠すかのように、いくら口で美麗字句を並べ立てても、結局は絶対に行動に移せない。
まず自分の本音を認識すること、自分の醜いエゴや悲しき人間の本性を認識することが大切なのではないでしょうか。
だから僕は思ったままのことを書き、それが日常生活に蔓延していることを指摘したのです。

つまり人間とは悲しいかな、絶対的な価値観で物事の幸せを図るのではなく、
人との比較ーつまりは相対的な価値観でしか幸せを判断できなくなっているのです。
それが隠しても隠しきれない人間の本性であり、
それを偽善者ぶって「私はそんなこと思ったことない」と言ってしまうことは、
物事の本質を隠蔽することではないでしょうか。

まず人間のエゴを、自分のエゴを認識する。
そういった醜い本性を自分で真正面から見つめ、
それをどう「ごまかすか」ではなく、うまく「コントロール」し、よりよい社会にしていくべきだと思います。

<5>
「健常者が障害者のことを簡単に理解できるわけがない」
それが僕の考えです。
あきらめや開き直りではなく、それが厳然とした現実だと思います。

健常者の人間が、本当の意味で障害者の苦しみや辛さや、楽しさや喜びを理解することはできるのでしょうか?
足のある人間が足のない人間の立場をどれだけ理解することができるか。
自分が障害者になるか、身近な人に障害者がいない限りは、どれだけ理論でわかったようなことをいってみても、
それは障害者の人からみれば「何言ってんだ、こいつ」ということにしかならないのではないか。
障害者の人が望んでいるのは、健常者の「同情」ではないのではないか。

一番危険なのはわかったようなふりをすること。
そういった人がテレビや週刊誌で「障害者に優しく」だとか「難民支援」だとか「環境問題」とかを「利用」して、
無意識のうちに自分のステイタスをあげる「道具」として使っているのではないでしょうか。

<6>
どんな人間も醜い本性を隠し持っています。
現代社会はそれを隠蔽することばかりに力を入れ、
そこに生きる人々は醜い本性があるにもかかわらず、自分は聖人君主のような錯覚をしてしまっていると思うのです。
だからこそ昨今の事件は、異常性の強い形態で起こってしまうのではないでしょうか。

特に日本はリアリティの見えない社会になってしまい、自分に醜いエゴがあることすら忘れさられている。
だからこそ、その本性をまず見つめることを気づかせたいというメッセージを込めて、つぶやきを書いています。

僕は乙武君を見て安心した。
格好良い言葉でいえば「勇気づけられた」といえなくもない。 そういえば美談として終わる。
でもそれは僕の本心をオブラートに包んでごまかしただけに過ぎない。
「勇気づけられた」より「安心した」のが本音です。
それは間違いなく自分より「不幸」な境遇だと感じたからです。
それを「勇気づけられた」と言ってしまえば、障害者を使って自分のステイタスをあげる、
テレビや週刊誌と同じになってしまうのではないでしょうか。

<7>
でもそれは僕の感想であって乙武君の感想ではない。
「かわいそう」と同情されるより、「不幸だ」なんて勝手に思われようが、
多分乙武君は、健常者が思うほど気にしないのではないか。
「僕は両足両手はないけど、健常者よりもはるかに幸福だし、変に同情してもらうのは迷惑だ」と思うかもしれない。
(それは乙武君なり障害者に聞いてみないとわからないことだが)

それを健常者が障害者のよき理解者のごとき、
「不幸なんてこと言うのはかわいそうだ」と代弁するのは、健常者の錯覚ではないでしょうか。
障害者ははるかにたくましくしたたかに生きているかもしれない。
所詮、健常者には本当に障害者の理解なんてできない。
まず健常者は障害者のことを「理解できないことを理解する」ことから出発する必要があるのではないでしょうか。


by kasakoblog | 2002-04-24 00:37 | 生き方
2002年 04月 23日
ゲカイ
約2週間ぶりに電車に乗った。サラリーマンなら信じがたいこと。
部屋から出て電車に乗って思ったことは「外界とはこんなにも明るいのか」という驚きだった。
その日は雨が降っていたにもかかわらず、「明るい」と感じたのだ。
「希望」といったら大げさに聞こえるかもしれないが、
2週間ぶりに見る外の世界は、まさしく希望に満ち溢れていた。

やっぱり人間というのは日中は外に出て、太陽の光を浴びるのが、
肉体的にも精神的にも健全になるのだろう。

テレビゲームやパソコン、インターネット、マンガ、ビデオ等、
エアコンつけて年中快適な室温で、人と接しず、
「引きこもりグッズ」を駆使した現代人たちの精神がいかに蝕まれているか、
先日起きた異常ともいえる少女監禁事件を挙げるまでもなく、 いかに狂っているかがわかる。

逆に夜だけ外に出て活動する「夜行性」傾向にも、コインの表裏ともいうべき狂気が隠されている。
コンビニに限らず、なぜこんな店まで24時間営業する必要があるんだろうという、
いぶかしがるようなことが多いが、案外真昼間に営業するより深夜の方が人が入っていたりする。
人目を避けて闇夜のネオンに群がる「蛾」のごとき現代人。
日中の光を恐れて夜行動する習性は、昼間お天道様の前では歩けない、
後ろめたい罪を背負っているからに違いない。

今回の寝たきり生活ながらもある程度自宅にいて仕事ができてしまった現実。
そして今後「ブロードバンド」とわけもわからず叫んでいるように、
ネットワークの充実による、大容量のデータの高速化が進むに連れ、
在宅勤務、在宅インターネット会議など、ますますお天道様の前に出る機会は少なくなるだろう。

店は出店コストを考え、すべてみなインターネットショップに蔵代わりし、
みんなネットで買物を済ませる時代はもうすぐそこまでやってきている。

そうなった時、お天道様の前で健全な肉体と精神を宿して「働く」ことができるのは、
どんなにブロードバンドが進んでも送信することができない物理的な物体を運ぶ、
佐川のあんちゃんだけっといったところだろうか。


by kasakoblog | 2002-04-23 00:39 | 生き方
2002年 04月 22日
欠点をのべよ
「椎間板ヘルニアの人に朗報!レーザー手術なら日帰り可能で翌日職場復帰!!」

まあ半分これに引っ掛かったわけではあるが、よくよくパンフレットを読むとそうではないことがわかる。
しかも向こうは確信犯。
「治療を行っても効果が見られない方は、従来の切開手術を受けることに同意します」
などという誓約書を手術前に書かされていたから、まあこんなこともあるのかなとは思っていた。

しかしこのレーザー手術のキャッチコピーと同じように、
先日の金曜日、ニュース番組でコマーシャルではなく取材特集としてテレビで流していたのはどうかと思う。
僕のような失敗した事例を取材せずに、成功した事例だけを放送するなら、
それはジャーナリズムではなく単なるコマーシャリズムだ。
こんな低俗で短絡的な特集をマスコミが作っている現在、
マスコミもコマーシャルも、うそつき政治家も汚職官僚も、まあすべて大して変らないということだ。

この世の中に万能なものはないし、万能な人はいない。
どんな商品にもどんな人にも一長一短がある。
それをケーズバイケースで消費者が選択できるよう、正しく情報開示する。
それが今求められている政治であり、医療であり、企業の各商品であり、面接を受ける学生ではないのだろうか?

企業のコマーシャルは決して自分の欠点を言わずにメリットだけを強調する。
だからトラブルが発生する。
営業マンしかり。自社のメリットばかりを論じたて、他社製品の批難ばかりして、
口車で買わせてしまえばあとはしらんぷり。
そうではなく、もっと社会の役に立つとか客の役に立つという観点から、商品アピールした方がいいのではないか。

たとえばうちの製品はB社より安いですけど質は悪いですよとか、
うちの製品は金利は高いですけど審査はゆるいですよとか、
レーザー手術は1000人受けて●●%の確率で成功し、●%の人が全く効き目がなく、
最悪の場合こういう人もいましたが、あなたの場合は症状をみるに、●%の確率で成功するでしょうとか、
そういった正しい情報開示により客の理解を得て、
互いのどんな結果が出てもそれは事前の予想範囲内だったということでお互い納得できるような、
そんな消費者と生産者の関係は作れないのだろうか?

生産者はイメージのよいアイドルやかわいいキャラクターを使って、
いいことしかいわずに莫大な広告宣伝費を使って、いわば「客を騙して」買わせる。
もうそういう時代は終わりにした方がいいのではないか。

自社の欠点から話せるところ。
そういったところの方が、あとあと信頼ができるのではないか。
まあこの低俗ニッポン社会では、どこもかしこも誇大広告ばかりで、
自分が人を騙すから、自分も人から騙されるという、お互いのマイナス関係しか築けない。
そうではなく、自分は人を騙さないから、人も自分を騙さない。
そんな健全な社会は作れないのだろうか。

そのために僕はかさこ内閣で提言しているが、公正取引委員会の権力を強大にすべきである。
雪印やみずほ銀行のようなところは即刻営業停止。
鈴木宗男や辻元清美のような政治家は、永久公職追放。
人を騙して利益を得た人間を厳しく罰する体制がない限り、
誰もが加害者で誰もが被害者となる、不幸な社会から抜け出せないだろうな。


by kasakoblog | 2002-04-22 22:09 | 一般
2002年 04月 21日
ananインタビュー
5/10にミスターチルドレンのニューアルバムが発売されることもあり、
ここ最近、雑誌の表紙に桜井君が登場することが目立つ。
その中で、音楽雑誌ではなく「anan」にインタビューが掲載されているのは意外だった。

テーマはニューアルバムについてではなく、桜井君の生き方的な話。
しかしここで実に滑稽だったのは、雑誌の企画意図を桜井君の言葉が見事に裏切っていた点だった。
今回の雑誌のテーマは「自分を変える」。
その手段として服装やお洒落を考えませんかという話。
ところが桜井君は、「音楽でも煮詰まった時に新しい楽器を衝動的に買うといった方法ではなく、
自分の内面から変らなければ、本当のいい音楽はできない」みたいなことを言っているのだ。
ようは雑誌の意図とは違い、外見から自分を変えるのではなく、内面を磨く事を優先させろと、
インタビューで言っているのだ。

今回の「自分をスタイルから変える」というテーマの、いわば核として桜井君のインタビューを掲載しているわけだが、
言っていることは企画意図と全く反対のこと。
これは単なる雑誌の人選ミスなのか、それとも外見を磨くことも大切だけど、
内面を磨くことも大切だよと言いたいがために、わざと載せているのか。

それにしても桜井君に高いブランドの服着せて写真載せて宣伝しているわけだから、
やっぱり単なる人選ミスなのだろうな。
雑誌を作る同じ立場の人間として、このみっともない冊子構成には大笑いしてしまった。

単に女性に人気アーティストを載せればいいって簡単に考え、
ろくに桜井君のことも知らずに取材依頼した結果なんだろうな。


by kasakoblog | 2002-04-21 22:11 | ミスチル
2002年 04月 20日
寝たきり生活12日目
寝たきりでできることって、以外に少ない。
僕が自宅でやりたいことといえば、第一にパソコンに向ってつぶやきなりサラ金なりを書くことであり、
第二に本を読むことであるが、その両方とも、寝たままでは困難だ。
熱があるわけでもないし、だるいわけでもないので、寝ていても暇である。
そこで頼りたいのがテレビだ。

しかしおもしろいテレビなんて到底やっていない。
唯一まともなのがニュースぐらいだが、どこもかしこも同じニュースを同じ時間に、
何度も同じ画面を繰り返すだけなので1度見れば十分だ。
楽しみにしていたのは、サッカー日本代表対コスタリカだったが、
中田や小野の不在な試合は、予想通り退屈ではあった。

そんな中で、すごく期待していたテレビ番組が、金曜日19時~ゴールデンタイムに移行した、
「マネーの虎」(日本テレビ)の初回2時間スペシャルだ。
よく深夜にたまたま見ていて結構おもしろかったので、寝たきり生活の退屈しのぎになると、期待をしていた。

しかし、クズだった。
なんだ、あのCMの多さは?
なんだ、あのいらんひっぱりは?
まともに完結した話は少なく、次回予告や不必要なひっぱりばかりで、期待外れだった。

確かに深夜の時もCMが多く、ひっぱりも多かった。
しかし深夜にこの番組を見ていた時には、この番組をどうしても見たいと思ってみていたのではなく、
たまたまつけたらおもしろくて、暇つぶしに見ていただけだから、ひっぱられてもそんなに気にはしないし、
次回に引き伸ばされても、次回に必ず見ようとは思わなかった。
ただその場その時がおもしろいというスタンスで見ていただけだ。

しかし、これがゴールデンになったら作り方を変えなくてはまずかろう。
余計なひっぱりやCMのあまりの多さは、今時のテレビに逆行している。
誰もそんなに気長に番組を見てくれる消費者はいない。
毎回毎回が勝負なのだから、余計なひっぱりはせず、素直にそこで勝負する。
ゴールデンになったせいで深夜のおもしろさが半減した。実に残念だ。

改装してきれいになったラーメン屋が値段も高くなり味もまずくなるように、
おもしろかった深夜番組もゴールデンタイムに移行したことで、質の低下をもたらしただけだった。
今の世の中たいした中身のあるテレビ番組なんかありえないのだから、
もったいぶらずに、刹那主義のエンターテインメントとわりきって、どんどん話を完結してほしかったな。


by kasakoblog | 2002-04-20 22:12
2002年 04月 19日
寝たきり生活11日目
「お金より時間が大事」
そう考えて、2週間かかる20万円の切開手術より、
半日で終わるけど60万円かかるレーザー手術を選んだ。
しかし結果は無惨だった。

レーザー手術をしてから今日でちょうど2週間。
その間、一度足を引きずりながら会社に行った1度以外は、すべて休むことに。
(もちろん自宅で原稿を書く仕事はしていたが)
まあ結果論だから何とも言えないし、切開手術をして2週間で退院できたかどうかも、
これはやってみなければわからないことだから。

しかし、つぶやきやサラ金も含めて、とにかくいろんなことをやりたいこの時期に、
こんな2週間ものエアポケットが待ち構えているとは思いもしなかった。
動けないことほど辛いことはない。
特に自分はとにかく何でもかんでも自分で動いてやる方なので、歯がゆくて仕方がない。
しかもパソコンに向うことができれば、いくらでもやることはあるけど、
腰が痛いから、必要最低限の仕事のためだけにパソコンに向い、つぶやきやサラ金の更新はしてこなかった。

やっと回復のわずかながらの兆しが見えつつある。
まあ僕の回復度合いは、きっとつぶやきかさこの文字量でわかることだろう。

健康って当たり前のことなんだけど、すごく大事なんだな。
僕が腰が痛くて、足を引きずりながら腰をかがめて銭湯まで歩いている時のこと、
狭い道路にある自転車や店の前に止まる車など、道路にこれほどまでに障害物があるとは思いもしなかった。
こりゃ、足の不自由な老人にとってはえらい迷惑だろうなと、そんなことをはじめて知った。

何事も自分がその立場になってみなければわからない。
医療の現状も健康でない人のことも。

「まじめな人が損をしな社会」はかさこ内閣総理大臣のスローガンだが、
「弱者に対する優しい社会」って今までそんなことはなんか偽善者ぶっていてくさいと思っていたから、
真剣に考えたことなかったけど、やっぱりそういう観点も莫大な経済利益を上げている国家としては、
考えなくてはならない課題なんだろうなと、ちょっとだけだけど実感したな。


by kasakoblog | 2002-04-19 22:12
2002年 04月 18日
寝たきり生活10日目
レーザーで手術している時よりも、生まれてはじめて入れた座薬の方が、はるかに痛かった。

それにしても看護婦ってすごいよな。
看護婦さんに座薬入れてもらったんだけど、フーゾクなんかで働くより、はるかにしんどい仕事だよな。
だって人の肛門に薬を入れるために指つっこまなきゃいけないって、相当なことだよ。
「座薬」ってどんなものか知らなかった僕には、あの行為はカルチャーショックだったな。


by kasakoblog | 2002-04-18 22:13