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2002年 07月 31日
おすすめ本1
約1ヶ月に及ぶ入院生活で、数少ない成果といえば、本を大いに読めたこと。
下記15冊にもおよぶ読んだ本の中から、おもしろかったおすすめ本を紹介します。
今回はその中でも一番おもしろく、あっという間に読んでしまった、
つい最近話題にもなった山崎豊子の「沈まぬ太陽」を紹介します。

宮本輝:花の降る午後(A)・優駿(A)・人間の幸福(B)・わかれの船(C)・月光の東(E)
辻仁成:ワイルドフラワー(A)・ニュートンの林檎(B)・カイのおもちゃ箱(D)・オープンハウス(D)
山崎豊子:沈まぬ太陽 会長室編(A)・沈まぬ太陽 アフリカ編(A)・沈まぬ太陽 御巣鷹山編(B)
桜井亜美:デジャ・ビュ(C)・Everything(D)
西村京太郎:美女高原殺人事件(C)

沈まぬ太陽(会長室編):偏差値68
520人を死亡させた大事故を引き起こしたにもかかわらず、
以前として安全運行のことより、利権を貪る腐敗体質がうずまく日航。
その体質を改めるべく、総理大臣の意向を受けた民間企業の社長が、
会長として就任することになり、大改革をふるう。

しかしあまりの杜撰な体質は、底無しの泥沼のようで、
調べれば調べるほどどうしようもなくなっていく。
政治家・官僚との癒着はすさまじいものがあり、官僚のごますりを得るために、
官僚の愛人宅を用意するため、客用の優待券を金に変え、ペーパーカンパニーをつくり、
出世を臨む各社員がよってたかって汚職の限りを尽くす。

そのみるも無残な腐敗構造が、実際にあったことで、しかも半官半民の特殊法人で行われていたことを考えると、
いわば税金を食いものにしているのと同じであり、520人を死亡させた反省も何もない。
政・官・財さらには広報部とマスコミが癒着し、自分らの有利になるような記事を書かせたりする。

ここまで日本社会が腐っているのかとまざまざみせつけられたことはない。
この話ははるか昔のことだが、いまだに同じようなことが行われていて、
特殊法人を民営化するのに断固として反対する族議員や、
公共事業の利権をむさぼる政治家・官僚・企業の実態をみるにつけ、
ほんと日本はどうしようもない腐敗に満ちた社会なのだということを、絶望的に思い知らされる。

ただ最後に社員の告発によって、その腐敗の一端が暴かれるものの、
それを突き詰めていくと、前総理大臣の金稼ぎにまで及んでしまうことを考えると、
捜査が進んだところで、いかようにも圧力をかけ、腐敗を闇に葬ってしまうことができることを考えると、
日本社会に正義はないのかとまたも絶望感を覚える。

最後に主人公が再びナイロビに突然左遷されるが、それを何の抵抗もせず、
会社を辞めることも、再び組合を組織することも、腐敗を告発することもなく、
それに従ってしまう主人公とその結末に如何ともしがたいものを覚える。
それが事実だったのかは知らないが、ここまでひどい腐敗構造ならば、
内部告発を大同団結してできるはずだと思ってしかたがない。

また総理の意を受けた会長も、利権をむさぼる社員を解雇させることなく、
自ら辞任してしまうのも、当初の心意気を考えれば、いくらなんでもその結末に納得がいかない。
せめて小説的にアレンジして、
この2人が腐敗しきった企業を変える端緒で終わって欲しかったという願いもあるが、
日本にはそんなことはできないほど、あらゆるところが病におかされ、
どうしようもない社会であることを、うちのめすようにその現実を知らせることが、
作者の意図ならば仕方あるまい。

この本を政治家・官僚・企業は読んで悔い改めるべきだと思う。

沈まぬ太陽(アフリカ編);偏差値67
これが事実をもとに書かれた作品であることに愕然とする。
時は1960年~70年、日本の航空会社の利益優先主義による安全軽視。
それを訴えた組合委員長を不当配転で僻地に飛ばし、
会社の言うことを聞く人間をあからさまに優遇するという、信じられない実態が描かれている。
そういった腐敗しきった構造は、単に企業内の問題ではなく、半官半民という性格上、
政治家や天下り官僚から圧力がかかるという、いわば国家ぐるみの「犯罪」である。

現場の労働環境を軽視し、管理職や本社組は優遇され、無能な政治家コネ社員が幅を聞かせ、
天下り官僚がろくに働かず、自分の利益ばかりを考えている。
その結果が「魔の1972年」と言われた、日本航空の立て続けの墜落事故。
それは一パイロットのミスなのではなく、利益至上主義で苛烈な労働環境が生んだ、
いわば企業体質そのものから生まれたサビであった。

安全を再優先にすべき航空会社が、
自分の利益や保身ばかりの官僚・政治家・企業トップにより、骨抜きになっていた。
それを訴え続けた元組合委員長は、有無を言わさぬ流刑人事で、
カラチーテヘランーナイロビと10年にわたる海外僻地勤務(内規では2年が限度であった)を強いられ、
社員から不満の声を上げられるよう、強圧的経営を行っていた。
それも政府自らの圧力によって。

まったく日本という国がいかにどうしようもないかを決定的にうちのめされる本だ。
今からもう30年も前の話といえども、未だに利益優先・政治家や官僚の利権のために、
税金が無駄に使われ、かけるべきところにお金が回されていないがために、
とんでもない事件が起こる。
そういった構造はまったく変わっていない。

10年にわたる不当人事の経緯と、様々な場所で巻き起こる問題を描いているので、
物語としては非常におもしろく読みやすいが、
これが日本で起こった事実であることを思うと、情けなくて暗澹たる気持ちになる。

外から見ればわからないことだが、企業内、官庁内、政府内では信じられないことが行われている。
しかしそこにはおかしいと感じるまともな社員もいる。
そういった社員による内部告発をさせる環境を作り、告発した社員を生かし、
不正なことをやった人間を完全追放して、
健全な企業・健全な社会・健全な国家を作っていかなければならない。

日本というのはほんとどうしようもない国だな。

沈まぬ太陽(御巣鷹山編):偏差値62
起こるべくして起こった大惨事、日航ジャンボ機墜落事故520人の死亡。
事故のあまりの悲惨さ。
にもかかわらずそれに対してあまりに対応の悪い、企業・政府・官僚・・・。
遺族に徹底して取材をしているので、その悲惨さがもろに伝わってきて、
にもかかわらずどうしようもない対応しかできない日本国に対して、
そのあまりのギャップとそのリアリティによって、徹底的に打ちのめされてしまうので、
読むに読めないほど、憤りを通り越して、絶望感をつきつけられる書だ。


by kasakoblog | 2002-07-31 18:12 | 書評・映画評
2002年 07月 29日
敬語が使えない
入院中に感じた話を一つ。
健常者から見れば、看護婦はかわいい人に目がいくのだろうが、
患者にとっては、もちろんかわいいという基準もあるが、
そんなことより、頼りになるかの方がかわいいよりがるかに評価が上回る。
一人、安達ゆみに似た(というか安達ゆみは僕の中でそんなにかわいいとは思えないので、
それよりはるかにかわいいのだが)かわいい若い看護婦がいたが、
まだ若く経験が浅いのか、あまり頼りにならない。
まあかわいければいいのかもしれないが、特に気になったのが敬語を使えないことだ。

多分22、23歳なのだろうが、ほんとこの世代は敬語が使えない。
別に僕はそんなに気にしないけど、60、70歳の年配の患者に向って、
経験も浅い20歳前半の看護婦が、時折出てしまうためぐちを聞いていると、
こっちがはらはらしてしまう。
まあ看護婦と患者という立場を考えると、看護婦が患者に指示を出すわけだから、
つい命令口調になってしまうのは致し方がないのかもしれないが、
やっぱり年のいった看護婦はきちんと患者に対して敬語を使っている。
若い世代は患者に敬語を使わないのではなく、敬語がしゃべれないだけなのだ。

年配の患者に敬語が使えない看護婦が、上司の看護婦やお医者さんにも当然敬語はしゃべれないわけで、
その辺も一患者ながら実に心配である。
(というのも、看護婦という世界は女性が多い職場だけあって、
また一般サラリーマンとは違い、職人気質みたいなものがあって、
上下関係はうるさいし、年配看護婦VS若い看護婦の構図をよく目にするが、
そんな状況下で、敬語を使わなければ、対立に火に油を注ぐようなものである。
職場の人間関係が悪くなると、当然看護婦同士の連携も悪くなるわけで、
そういったことからも医療ミスを誘発する原因となっている可能性も疑えない)

若い世代が敬語を使えないのは決して悪気があるわけではない。
ただ単に知らないのだ。
そしてある意味「自由」をはき違えた世代でもあり、
最も自分自身がかわいい超自己中世代でもあり、
それのどこが悪いと開き直った(人間のエゴは誰にでも当たり前だとある意味「悟った」)世代であるがゆえに、
敬語を使えないのである。

もちろん敬語を使えないことで、逆に親近感・親密感が湧くというメリットもあり、
僕なんかはたとえばサークルやバイトなどの後輩が、敬語を使えずにしゃべってきても、
仲良くなりやすいからと気にはしないが、看護婦と患者という、友達でも何でもない、
否むしろ、お客様とサービス提供者という関係で敬語を使えないのは、やはり問題があると言わざるを得ない
ただ敬語を使えない若い世代のために弁解をすれば、それは育った環境のせいなので、同情する余地はある。

<若い世代が敬語を使えなくなった原因>
・地域社会のつながりが薄れにより、遊ぶ世代が同年代に限られてしまう。
(都市型社会のために、その地に代々住んでいるという土着性がない。
親の転勤でころころ住む場所が変わる引越しが多い世代。
一戸建てではなく、賃貸中心やマンション・アパート住まいで育った世代ゆえ、
自然と近所つきあいは薄くなる)

子供の時に年齢を問わず幅広い世代と遊んでいれば、そこでまがりなりにも先輩後輩の関係を学ぶ。
そういったことから敬語の必要性が出てくるわけだが、
地域社会の薄れにより同年代としか遊ばなくなった世代には、
敬語を学ぶというより先輩後輩という関係を学ぶ環境が、ほとんどなかったように思われる。

・一人遊び世代
幅広い年齢層で遊ぶどころか、あまり友達とも遊ばず、家で一人遊びが多かった世代でもある。
そのため敬語うんぬんより基本的な人間関係を築く素養に欠けている。
まして世の中、核家族化・少子化で、兄弟はいない、おじいちゃんやおばあちゃんもいない、
親は共働きでいない、そしてみんなで遊ぶ公園や野山はないから、
必然的にテレビゲームやマンガに頼らざるを得ない環境で生まれ育ったがために、
年上世代との話し方がわからないのは致し方がない。

・先輩後輩の希薄化
それでも中学や高校になると部活動があって、そこで先輩後輩の関係を学ぶわけだが、
小さい頃に幅広い世代とつきあったことのない子供が3学年集まったところで、
その先輩後輩の関係性は希薄にならざるを得ない。
僕なんかの世代がもし先輩を冗談であっても呼び捨てやあだなで呼ぼうものなら、
多分ぶんなぐられてもおかしくない雰囲気みたいのがあったけど、
僕らの下の世代になると、先輩と仲良くなるために、呼び捨てやあだなで呼ぶことが普通になっていくし、
僕らの世代にしてもそう呼ばれたからといって、ぶんなぐるとかムカつくといった感覚が薄れている。
年を追うごとに先輩後輩の関係が希薄化し、みんな同学年の仲良しグループ化が進んだ。


まあこういった生まれ育った環境で、
若い世代は敬語を使いたくても使えないようになってしまったのだ。
それを単に「近頃のわかいものは」というのは間違っており、
ようは大人がそういう社会を作り上げてきたということに他ならない。
そもそも今の20歳前半は思春期をバブル絶頂期に過ごしており、
何不自由しない、ハングリー精神の欠けたあまちゃん世代であるがゆえに、
敬語なぞ使えない自己中人間が量産される結果となったのである。

こうして世代論を考えていくと、就職期をバブルで簡単に企業に受かったしまった今の30代前半は、
「最も仕事ができない世代」とバカにされてるし、
その世代は進路を決める大事な時期に苦労することなく就職できてしまったがゆえに、
自分の人生を真剣に考える機会がなかったかわいそうな世代ではある。
そういった意味では景気絶好調という浮かれた時代環境に生まれ育った世代より、
不況で厳しい環境の中で生まれ育った世代の方が、人生や仕事を真剣に考えるし、
ハングリー精神(日本の不況でハングリー(空腹)もくそもないが)も好況世代よりはるかに培われることになるだろう。

「子供は社会を映す鏡」といわれるが、
若い世代が敬語を使えないのも、生まれ育った時代社会背景を如実に反映している結果だということだ。
まあそれが吉と出るか凶と出るかはわからないが、
敬語を使えないことで学校ではない社会での仕事そのものに悪影響が出ないことを祈る。


by kasakoblog | 2002-07-29 18:14
2002年 07月 28日
神出鬼没
僕の好きな言葉に「神出鬼没」がある。
明晰な頭脳とスピーディーな行動力によって、あちこちに姿を表せる。
それが僕の一つの理想系である。

読者からの質問
Q1:ほんとかさこさんで「神出鬼没」ですよね。
緊急入院ってつぶやきに書いてあったから、しばらく更新されないのかと思ったら、
つぶやきかさこの更新日が7/2になっていてびっくり!
もしかしたら病院で書いた原稿を、奥さんとかに更新してもらっているのかと思いきや、
「一時退院」と聞いてまたびっくりしました。
こんな調子でいつも驚かせてくださいね。

A1:こういっていただけるとうれしいですね。
でも緊急入院は「予定通り」とはいえ、一時退院は僕も予想外でした。
ですので読者を驚かそうとしたわけではなかったんです。
でもそのおかげで少しでもつぶやきを更新できたので、うれしい誤算でしたけど(笑)。

Q2:かさこさんが確か入院中の時に、
赤坂見附で松葉杖をつきながら歩いている姿を見たんですが・・・。

A2:手術の前の日、外出許可をもらったんです。1時間ほど。
明日は手術のために一切食べれなくなるし、
手術したら2週間動けなくなるっていうので、
それでラーメン食いにいってたんですね。
18時に病院の夕食食べたんですけど、とてもじゃないけど、足りなくて・・・。

でもうまかったですよ。なんだかお忍びでラーメン食いにいくみたいで。
ちなみに食ったのは一点張りの辛味噌ラーメン。
その日ずっと熱っぽくってだるかったんですけど、
味噌ラーメン食ったら急に元気になりました(笑)。


by kasakoblog | 2002-07-28 18:16
2002年 07月 27日
スピードこそ最大のサービス
さすが、前田病院である。
はじめに入院した川崎の太田総合病院ならMRIをまずやるのに3週間待ちだが、前田病院は入院翌日。
その検査結果をすぐその日の午後に報告。
主治医がその時点であさっての手術に向けて準備。
さすがである。

とにかく手術後が大変なのだ。
2週間程安静にしなくてはならず、寝なくてはならない。
だから手術が遅くなればなるほど、無駄な入院費・入院時間が増えるというわけだ。
月曜日に入院し、火曜日には検査。
そして木曜日には手術という、迅速化を図った処置にうれしくて仕方がない。

本当はどこの病院でもそうだと思ったから、家から近くて一番大きい太田総合病院を選んだのに。
太田総合病院のせいで無駄な1週間を過ごしたが、
即退院を志願したことと、前田病院の迅速な措置のおかげで、入院は最短で済みそうだ。
といっても、それでも7・1に入院して退院予定日は7・25である。
太田総合病院なんかにいたら何ヶ月監禁されるかわかったものではない。

やっぱり今の時代、どんな業界でもスピードこそ最大のサービスなのだ。
無論「ゆっくり落ち着き」も一つのサービスだろうが、
無駄なことに時間を掛けるのは愚かなことである。
フィルムの現像にしてもクリーニングにしても、電化製品の配送にしてもなんにしても。
気持ちがいいな、迅速な処理というのは。
やるべきことはわかっている。
だからそれを後回しにしないで、きたらやる、きたらやるを繰り返していけば、
誰も待つことなく、客をスムーズにはけることになるのだ。
待たせることを罪悪と思わない、殿様商売は今にぶっつぶれるだろう。

景気が良くなるためには、貨幣の回転速度の早さであるように、
客の回転率を上げることが、各企業の生命線であり存在価値になる。
いかに早くさばきいかに大量のお客さんをさばくか。
それがスピード時代の鉄則であるように思う。
まあだからこそ日帰りOKを謳い文句にしたレーザー手術なんていうのが注目されるんだろうけど。

何をおいてもスピードを意識した対応こそ最大のサービスだ。


by kasakoblog | 2002-07-27 18:17 | 一般
2002年 07月 26日
誰にでも訪れる突然の病
過信慢心。
午前中、60歳過ぎの院長と思われる偉そうな医者が回診に来た。
「笠原君は腰か?」
「はい」
「腹筋をつけなくちゃいけないよ」
その後、帰りがけに僕に言ったのか、独り言なのか、連れ添っている看護婦に言ったのか、
「俺なんか腰痛なんてしたことないよ。今まで。
ようは腹筋と背筋を鍛えてればいいんだよ」

バカな。
俺だってあんたと同じ気持ちで半年前までいたんだよ。
腰痛なんてしたこともない。筋力には自信があるし、
普段から重いもの持ってるし、歩くのはいとはないし、暑くても寒くても平気な体だ。
ときたま風邪はひくが、腰痛なんてそんなもん俺とは無縁だよと、思い続けていた。
いや、思い上がっていたといってもいい。

それが原因不明の突如の腰痛。
ほんとに原因がわからないし、普通の人の腰痛よりひどくて、
痛みがはじまってわずか1ヶ月で立てなくなってしまった。
どんな人間にもこんなことはある。

「自分だけは大丈夫だ」
特に体に自信があって普段から無理をしている人間の方が、怪我や病気にもろい。
「腰痛なんて今までなったことないよ、俺」と自慢気に言い去った医者も、
僕と同じように、自分が痛い目にあって、
はじめて人の痛みや病気や怪我が誰にでもつきものだということを悟るだろう。

その点、僕は若くしてそのことを悟る機会を得たから幸せだと思う。
今まで自分が突然入院することになるとは考えてもいなかった。
そういう可能性もあるのだというリスクを考えながら、
貯金したり仕事したりしなくちゃいけないんだなと学んだし、
痛みで苦しんでいる人の気持ちもわかるようになった。

そういう意味では60歳過ぎまで、なんの腰痛もなかったという医者は不幸だなと思う。
ほんと僕は腰痛とは無縁の人間だったが、突然来た。
多分このつぶやきを読んでいる多くの人は、
「自分にはそんなの無縁だ」と思ってるかもしれないけど、
ほんと今の世の中、何があるかわからない。
腰痛とは全く縁のない僕が突然立てなくなり、
元気な桜井君が突然、小脳梗塞になってしまう。
国家や企業のリスク管理はもちろん、自分自身のリスク管理をしなくちゃいけない時代になったな。
まあ政治家は社会保険料負担増3割を強行採決なんてしてるご時世だから、
ほんとなおさらだよ。


by kasakoblog | 2002-07-26 18:17
2002年 07月 25日
ミスチル桜井さん小脳梗塞で入院!
ミスチル桜井、脳梗塞!ツアー全公演中止、年内活動休止!!

実はすでに体調不良でツアー初回の渋谷公会堂公演は延期されていた。
僕は渋谷が取れず、8・4の神戸公演をおさえていたから、
ほっとしていて、ちょうど昨日、神戸への往復飛行機も手配したところだった。

この大ニュースを聞いて思ったのは、まるで僕の突然の入院のように、
「神がくれたプレゼントなのだ」という想いだった。
もし自分が入院していなければ、真っ先に思ったことは、
ほんと大変な思いをしてやっと神戸のチケットをおさえたにもかかわらず、
中止になってしまい本当に残念だという気持ちだったろう。
でも僕と同じように突然の入院で、大好きな仕事もできず、多くの人に迷惑をかけ、
でも重症だから入院せざるをえないというやりきれない気持ちを、
桜井君も同じようにしているだろうとその気持ちがよくわかった。

そして何より、生き急ぐものへの「病気」という調整機能の不思議を思う。
僕もここ2年、自分では随分と突っ走ってきたと思う。
特に今年の3月、ほんとムチャクチャな生活を送っていた。
それをレーザー治療で簡単にその難を乗り越えようとしたが、
結果2週間の寝たきりになり、それでも自宅にいたから仕事を続け、
まだ歩けるような状態ではないのに、松葉杖を自力で買って来て、はってでも会社に行った。
そんなことを続けた結果、結局1ヶ月の入院となったのだろう。
まさか自分がこんなひどい腰痛だなんて。
元気だっただけに自分の病気の重さを理解するのに時間がかかったのだろう。

まさに桜井君も去年から今年にかけては生き急ぐ年だった。
目をみはるばかりの疾走ぶり。
5月アルバム発売に向けて、雑誌等の取材にいつになく勢力的に応じていたのに驚き、
あまりの多さにすべての雑誌を買うことをあきらめたぐらい。
さらにはアルバム発売したばかりにもかかわらず、新曲の発売とそれに伴うテレビ出演。
7~10月に行われる小ホールコンサートと、11~12月に行われる大ホールコンサートと、
年内に2つのコンサートツアーの実施。
その目まぐるしいほどの勢力的な活動は、 売れ始めてトップスターに駆け上がる、周囲に踊らされて、
自分を見失いそうな状況の中で突っ走っている時期とはまったく違った。
いままさに彼が仕事にのっているから自主的に積極的活動に転じたものだった。

そんなハードスケジュールを前に、神様がストップをかけた。
32歳で脳梗塞。
ストレスとか過度な疲労が原因ではないかという。
無理してコンサートをやってぶっ倒れるなんてことにならず、
神様がツアー前に休ませるためにドクターストップをかけたのだろう。
こんなに早期発見できたのは本当に幸運なことだ。
もし無理してコンサートに突入していたらきっと大変なことになっていただろう。

だからゆっくり静養してほしい。
そしてこの突然の病気と入院生活は、
表現者である桜井君の創作活動に大きなプラスになること間違いないだろう。
僕も椎間板ヘルニアと入院生活で、ある意味、人生観といったら大袈裟かもしれないけど、
やっぱり変わったし、今まで自分が知らなかった世界を知ることになり、
そして何より弱者に対する思いが変わった。
家族や親のありがたみを知った。
この入院生活で、僕は人間的に1つからがむけ、人間的に成長する機会となったと思っている。
それはきっと、今後の執筆活動に大きなプラスになるだろう。
それとまさしく同じように、桜井君の突然の入院は、
今まで以上に素晴らしい詞を書き、曲を作る、大きな契機となるだろう。

僕がミスチルが大好きなのは、桜井君の詞や考え方に共感を覚えるから。
僕の入院生活と桜井君の入院生活のシンクロで、さらにその共感度は深まることだろう。
僕の退院を前に桜井君の入院のニュース。
彼とは他人事とは思えない、そんな奇妙な同時期の入退院。
単に曲が好きだけでなく、桜井君の歩んできた道に共感するからこそ、
その曲がより深みを帯びて胸に突き刺さるのだ。

生き急ぐものへの神がくれたプレゼント。
それは僕だけではなく、桜井君にも贈られたようだ。
誰にでも突然の理不尽な病気や事故は起こりうる。
でもそれを契機にその経験を今後の人生に生かしていけるようにすれば、
プラス思考で辛いことも乗り切れるだろう。

「さてと起きてしまったものは仕方がない。僕は僕の今出来ることをやるとしよう。」
そんな桜井君のコメントに、まさしく病気になった時、
それをいかに冷静に受け止め、自分の中でプラスに変えていくかという、
お手本のような言葉かと思う。


by kasakoblog | 2002-07-25 23:31 | ミスチル
2002年 07月 25日
ミスチル「Any」の魅力
Any(2002/7/10発売)
アルバム発売からわずか2ヶ月でのニューシングル発売という、
いついないハイペースに驚かされる。
本当に桜井君は今、のってるのだなと思う。
トップスターへの道を必死で駆け上がるためのハイペースではなく、
自分が思ったことを曲にして伝えたいという気持ちが生んだ曲ではないだろうか。

ドコモのCMソングとなり、これもミスチルには珍しく発売前に大量に世間に流れた。
サビだけを先に聞いている状態から、
改めて全体を聞き直すと、この曲の広がりが身に染みる。

Tomrow never knowsを思い起こさせるようなはじまり、ささやきかけるような桜井君の歌声、
そしてドラマティックに移行する力強いサビ。
日常の些細なことなんだけど、それが人生の大きなテーマとなっていくような、ドラスティックな曲。
マイラバのアレンジに似てるかな。それが曲にあって非常に効果的。

タイトルに込められたメッセージは、「答えは一つじゃない」。
いくつもあるからがんばろうという、
悲壮な決意を背負ったかつてのミスチルではなく、現状肯定歌である。

でもそこに登場する主人公は決してバラ色の人生を歩いているわけではなく、
むしろ非常にマイナス志向に陥りかけている状況なのだ。
でもそれは決して間違いじゃない。答えは一つじゃない。
いくらでも好きなようにこれからなっていくじゃないか。
置かれた状況がマイナスだからこそ、それをプラスに考えようとする姿勢が時代の共感を呼ぶ。

現実を悲観しないでプラスに変えていこうよ。
それがQ以来の桜井君のメッセージなのだ。
今回のAnyにもそれが受け継がれている。

きっと多くのリスナーは、今、自分のいる立場なり仕事なり人生なりに、
100%満足している人などいないはず。
いやむしろ不満だらけで生きている人が多いはず。
でもそれで腐ってしまってはどうしようもないし、
マイナス思考で考えてしまったらきりがないから、
まずは今いる自分を肯定するところからはじめようというこの歌が、
現代社会の時代とマッチして、聞くものの多くに勇気を与えてくれることだろう。

僕が個人的にこの曲で好きな歌詞はこの部分。
「もっといいことはないか?」って言いながら
卓上の空論を振り回してばっか

まさしく僕にもそんな時代があった。高校の時かな。
毎日毎日がつまらなくって、「なんかいいことないかな」っていうのが僕の口癖だった。
いいことっていうのは自分から行動しなければないわけで、
ただ待っているだけじゃ何も起こらないし、
自分が好きなことを見つけて、それに打ち込んだ時に何かが起こるわけで、
そんなこともせず、ただ現実逃避していた毎日を送っていた。
そんな自分をかばうために、自分の正当性を認めるための、机上の理論武装だけはしっかりしていたから、
自分が自分自身に騙されてしまって、自分がほんと見えなくなっていた。

それに対する答えとして、桜井君はこう言う。
小手先でやりくりしたって何一つ変えられはしない

そうなんだよな。その通りなんだ。
そんなことに気づいたのはつい最近で、それが高校や大学時代にはわからなかった。
小手先で解決しようとしても「いいこと」なって絶対に起こらない。
まず自分がマイナス思考から脱して、プラス思考で行動しなくっちゃ。
その上で今いる場所が望んだものとは違っても、
はじめて「間違いじゃない」って言えるし、未来に希望が見える。

現実逃避と回り道は違う。
僕は以前つぶやきかさこに、「人生に回り道はつきものだ」と書いた。
でもそれはまさしくこのAnyで歌われていることで、
たとえ回り道になってしまったとしても、それはまだ発展途上の自分なだけで、
いつか辿りつく望んだ場所への過程に過ぎないのだから、
悲観することなく今の自分を肯定しなきゃってことなんだ。

奇しくも桜井君がコンサートを前に突然の入院となってしまい、
テレビから流れるこの曲に自分が励まされるという奇妙な経験をしているという。
今いる場所が望んだものとは違っても、間違いじゃないというメッセージは、
入院という事態になった桜井君自らに勇気を与えることとなったのだ。

そしてまた僕もこの曲を入院中に手に入れたこともあって、何度も何度も聞き、
こんなにも勇気づけられた曲はないかもしれない。
全体的にシンプルな印象を与えるが、聞くと力強いメッセージが伝わってくる曲だ。


by kasakoblog | 2002-07-25 18:19 | ミスチル
2002年 07月 24日
帰還!!!
23泊24日に及ぶ、長く辛い入院生活を終え、本日無事退院しました!
手術は成功し、日常生活を送れるようになりました。
私が不在にもかかわらず、かさこワールドが更新されているかと、
見に来てくださった方が多数いるようで、本当にうれしい限りです。
これからこの借りをお返しすべく、入院中、書きためたストックも含め、
どんどんつぶやきに更新していく次第です。
入院生活詳細については近日、椎間板ヘルニアドキュメントに更新するとして、
この入院生活がどんなであったかを、ここで簡単に紹介します。

<1>
いつまでたっても検査をやらない川崎の太田総合病院を退院後、
赤坂見附の前田医院に7/1、転院。
そこでは実に迅速な措置を取っていただき、
川崎の病院で3週間待ちだというMRIの検査を入院翌日すぐに実施!
検査結果を当日医師が分析し、7/4に切開手術することになりました。

<2>
でっばって神経を圧迫していた軟骨を取り除く手術はすぐ終了。
手術は全身麻酔なので何も覚えていない。
手術後は、腰の痛みも足のしびれも全くなくなった。
しかし2週間はベッドで絶対安静。 なんと起き上がることも許されない。
ようはずっと寝たきり状態。 食事も寝ながら、トイレも寝ながら。

・寝ながらうんこはできねえよ!
汚い話で申し訳ないが、ほんと寝ながら大便はできないっす。
下剤を飲まされ、座薬に浣腸をつっこまれても、 あおむけになったままでは力が入らず、
でも4日間も便秘して腹は苦しく、 もうそれが何より一番辛かった。
2時間奮闘したあげく、それでもでない。
そこで僕はウルトラCを使った。
起き上がるなといわれたにもかかわらず、これ以上寝たままでは出ないとあきらめ、
起き上がってしまったのだ。
そのおかげで無事出ることに。
幸いにして起き上がっても痛くなかったので、
今度も大便する時は看護婦に内緒で起き上がってしてました。
ほんとこれが辛かった。
数ある欲望の中でも排泄欲を満たせないほど苦しいことはないですよ。

・ひま・・・
寝ながらではせいぜいテレビを見るか本を読むかぐらい。
でもそれが1日中、しかも2週間ぶっとおしとなるとかなり辛い。
無理してノートパソコン持ち上げて寝ながらやったりしたけど、
そんなんじゃやっぱり書きづらくて仕方がない。
寝たきり2週間はほんと地獄だった。

<3>
2週間たって起き上がり、歩くことが許された。
しかし2週間寝たきりだから、起き上がっただけでもめまいがするし、
立っただけでも足がふるえてしまう。
足の筋肉はぷよぷよになってしまって到底歩けない。
歩行補助器を使っておそるおそる歩いてリハビリ開始。
いやあでもこれで自分でトイレに行けるし、
食事も座って食べれるし、何よりワープロが打てる。
こんなうれしいことはない。

そして翌日、即刻退院するため、徹底的にリハビリをやった。
病院内を時間の限り歩き回った。
そのおかげで2日目にして歩行補助器なしでも歩けるようになった。
しかし看護婦からはまだ早いと言われ、
仕方なく看護婦の見えないところで歩行補助器なしの秘密特訓開始。
さらには病院内で歩くことには飽き足らず、
これもまた看護婦に内緒で病院の外に出て歩行練習開始。
3週間ぶりに太陽の光を浴び、外気を吸い、気持ち良かった。
そんな急ピッチなリハビリの甲斐あって、7/24に退院を許された。

<4>
1ヶ月近くも入院するっていうのはほんと精神的に辛い。
しかしこうして無事自宅に帰還することができ、
再びつぶやきかさこを更新できる喜びに浸っている。
僕と入れ替わるようにミスチル桜井君が入院してしまい、
楽しみにしていたコンサートは中止になってしまったという大変なニュースもあったが、
今まで突っ走って人生を歩んできた僕にとっては、
突然のヘルニア、突然の入院生活は非常にいい経験になった。
書き手として、貴重な体験をさせてもらったなと思う。
それはきっと今後の執筆に何らかの形で役に立つだろう。

入院前、やばいなという予感から書いた6/26のつぶやきかさこ、
「ピンチはチャンス」は自分に向けたメッセージでもあった。
このピンチを大きなチャンスに生かしたい。
そしてそれは必ず生かせるだろうという自信もある。
これからも何事もプラス思考で、そしてまた書いて書いて書きまくりたい。
いやあ、退院して真っ先にやりたいことがホームページの更新なんて、
そんな楽しみがあり、またそれを読んでくれる人がいるというのはこの上ない幸せなことだなあ。

ということで、今後のつぶやきに乞うご期待!!!


by kasakoblog | 2002-07-24 18:21
2002年 07月 02日
病院から社会をのぞく
入院引き伸ばしいんちき病院から退院しましたが、
すぐ手術をしてくれる病院に移って入院することになりそうなので、
つぶやきかさこをいまのうちの更新しておきます。 退院までしばらくお待ちください。
かさこ

・神がくれたプレゼント
入院というのは、きっと突っ走り続けた僕に、
ちょっとこの辺で一休みしんしゃいという、神様の警告みたいなもんなんやな。

何事もスピード主義を貫き、せっかちで絶えられず、
何か生き急ぐようなスピードで生活を送っていた僕に、
「立ち止まりなさい、少しは」ということで、
普段の反動から一挙に入院というストップ状態になったんやろう。

やっぱり人間、どっかで帳尻を合わせられる。

考えてみれば今まで全く腰痛のなかった僕の、
突然の原因不明の腰痛というのもおかしな話で、
生き急ぐ僕に、神様が調整するためにブレーキをかけたんだな。
そういうことっていうのは人間よくある。

たとえば風邪をひくなんてこともその一つ。
病や怪我は、人間の最も本能的な防御反応なのだろう。
病や怪我にならない限り、現代のくだらん日常生活の濁流からは逃れることはできない。
ここから逃げなければと心のどこかで感じた時に、きっと病が降りかかるのだと思う。
それができないと、一挙に自殺とかになっちゃうから、
時々病になることは必要なんじゃないかと思う。

・サンクチュアリ(聖域)か監獄か
病棟では一切携帯電話が使えない。よってメールも使えない。
今時の社会でこんなことがあっていいのかと疑問に思うところだが、
このことは微妙なメリット・デメリットを生んでいる。

メリット
使えないおかげで、完全に日常生活から隔離され、仕事をせずに療養に専念できる。
携帯電話・メール、それにファックスがあれば、どこにいようが仕事ができてしまう。
使えないことによって、僕は仕事から離れることができたのだ。
cf:4月の2週間寝たきり生活は、自宅だったがために、休みだったにもかかわらず、
朝昼夜深夜を問わず、仕事をする羽目になり、療養も中途半端になりがちだった。

デメリット
唯一ホームページに「緊急入院の可能性」を告知しただけなので、
こちからか電話を掛けて入院したと言った人以外は、メールも返ってこないし、
携帯電話もつながらないしどうなったんだろうということになりかねない。
病院から動けないからこそ、せめてメールでも使えれば、
入院したことも伝えられるし、暇つぶしにもなる。

またネットが使えれば、ホームページも更新もできるだろうし、 オンラインゲームとかもやれるんだろうけど、
ようはそんなことよりおとなしく療養に専念しろってことだよな。
とはいうものの、外には一切出ることができず、
ベッド・病院に閉じ込められ、薬を注入されるだけの入院生活は、
ある意味、全く自由のない監獄に入れられているともいえるよな。

・沈没生活~旅との相似形~
長期旅行者がある一つの町に、またある一つの宿に、 何もすることなくとどまることを「沈没」という。
自分の意志は介在しないとはいえども、
入院患者は、ドミトリーに横たわる沈没旅行者と同じだなとふと思う。

快適といえば快適なのだ。
宿(病院)という日常から隔離された場所にかくまわれ、
ベッドという狭い自分世界の中に閉じこもれる。
かといって全く他人との関係がなくなるわけでもなく、 でもプレッシャーのかかる関係はほとんどない。
人間なんて不思議なもので、ずっとベッドにいると何時間でも眠れてしまうもので、
動かなければ動かないほど、ますます動くのが億劫になる。

「ここを1日も早く脱出するぞ」
という自分の強固な意志と行動がない限り、沈没生活からは脱することはできない・・・

病院での沈没生活はいつ終わるのか。
1日も早く退院したいという気持ちと同時に、
心のどこかでこの安寧な生活が続けばいいと願う気持ちがないわけではない。

・子供の時の入院と今
こうみえても僕は今まで一度も手術したことないし、
入院したのは小学校6年の時に、ぜんそくで何度か入院しただけなので、
本格的に入院するのははじめてである。

ぜもなぜか入院となるとある意味、楽しみだった。
怪我や病気をさておけば、学校(会社)に行かなくていいし、
家族が優しくいろいろなものを買ってきてくれたりするし、
さらには執筆活動&読書はいくらでもできるし・・・

日常から隔離された空間で起居するというのは、ある種の「旅」感覚なんだな。
思えば、6人部屋の1つのベッドを与えられ、そこに自分の空間を作っていくのは、
旅でドミトリーに泊まるのに似ている。
そんなわけでわくわくするのだが、
子供の時に入院したのとは違い、無邪気に入院生活を喜べない側面も多い。

何より心配なのは入院費である。
子供なら入院費の心配をする必要はないし、第一自分は働いていない。
しかし今は全く違う。
自分が入院している間は収入はないのに、
(会社に在籍していても1ヶ月入院では有休はなくなり、欠勤扱いになる)
1日入院が長くなればその分出費がかさむ。
いわば金食い虫なのである。
そういったことを考えると、子供の時のように、「学校が休める!」と無邪気には喜べない。

また子供の頃と違って、病院にいると様々な問題が透けてみえてきてしまう。
病院システムの問題や看護婦同士の人間関係など、
子供心には気付かなかったことが今は見えてしまう。
まあ僕なんかはそれを種に問題提起として書いていればいいわけだが・・・。

無邪気に入院を心のどこかで喜べる子供時代とはまったく違う。
それほど大人が入院することになるという社会的負担は多いということだな。

・食生活と悪癖
病院に入院して、がらりと変わるのが起床就寝時間と食生活である。
朝6時起床、夜21時消灯。
3度の食事は、少量ながらもバランスの取れたもの。
現代人が病気になるのは、不規則な生活と不健康な食生活が理由ではないか。
さらにそれを穴埋めするかのような、市販の強いだけで効果のない麻薬性の薬。
だからこそ現代人は抵抗力や自然治癒力がなく、
年中体がおかしく、花粉症やさまざまなアレルギーといった病気にかからねばならないのではないか。

そう思うと、入院して、規則正しい生活と栄養バランスの取れた食事さえすれば、
ほとんどの病気は治ってしまうのではないか。ふとそんな風に思う。

病院にいると、当然、わが悪癖である毎晩ポテトチップスは食えなくなるわけだが、
そんなにどうしても欲しいとは思わなくなる。ようは慣習性の成せる技なのだな。
あとは環境。
意志の弱い人間が、手を伸ばせば欲望を満たされる環境にあれば、
いともかんたんに欲望の堕落へと沈んでいってしまう。
しかしそういった環境さえなければ、意志の弱い人間は、その環境内で満足を見出すものなのだ。

そう思うと、今の世の中おそろしい世界である。
欲望が満ち溢れ、ほとんどの欲望は金で買え、
しかも欲望消費が高ければ高いほど、経済活動は活発になり「良し」とされる。
そんな環境の中で、たとえば規則正しい生活であるとか、規則正しい食生活であるとか、
自分で律することなど不可能に近い。
だから社会はおかしくなり、異常な犯罪が増えるのだ。

原始時代に戻れとはいわんが、やはり人間の欲望を満たすことを前提とした、
野放し欲望資本主義経済っていう限界が明らかに目に見えてきた。
「新世紀にふさわしい●●」とかよく喧伝されているが、
肝心要の経済システムは、未だに問題だらけの旧態依然のままだ。
いやむしろ、時代が進むにつれ、欲望資本主義が過剰化し、
人間のまっとうな感覚は完全に麻痺してしまっている。

僕の悪癖であるポテトチップスが、環境が変わればまったく欲望を発しない。
そんな単純な事実の積み重ねが実は社会に満ち溢れていて、
それが人間のエゴというものを露骨に引き出し、人間のタガを狂わせているのだ。

人間の歴史は、いかに人間のエゴや欲望を防ぐか。
それだけに注がれていたといっても過言ではない。
だからこそ国家や法や宗教が発達してきた。
にもかかわらず、20世紀、人間はついに開き直ってしまった。

「エゴや欲望を抑えようとするから間違っている。
エゴや欲望を商売にして、金でコントロールすればいいんだ」
それが資本主義の発明であった。

それから約1世紀。
人間の欲望が解放された社会は、得たいの知れぬ闇に包まれはじめている。
金で買えない欲望
たとえば快楽殺人であるとか、倒錯した性的趣味であるとか、
新興宗教でのあやしげな修業だとか、過剰な恋愛至上主義だとか、
タレントやミュージシャンへのカリスマ的依存とか、オタク的世界への依存だとか・・・

現代人は悲鳴をあげている。
助けてくれって。
この欲望の海の中から、行動指針となるような、自分を律する何かを欲して。
「自分探し」なんて言葉が流行るのも、規律のない欲望にまみれた社会だからこそ。

病院という一つの規律が存在する小さなコミュニティから、
シャバ世界をのぞけば、そのようなことが端的にわかる。


by kasakoblog | 2002-07-02 09:10
2002年 07月 01日
日本と韓国における政治的危険度
ワールドカップで対象的だった日韓。
決勝トーナメント1回戦で負けた日本と、強豪を破り3位決定戦にまで進んだ韓国の何が違ったか。

サポーター・国民の熱狂。
試合の日には休日にして、みんなで応援した韓国と、
誰もが気になりながら、仕事の合間に中途半端に観戦した日本。
サポーター・国民の熱狂ぶりをみても、
ただバカ騒ぎして日頃のストレス発散をするだけのバカサポーター日本と、
国民が一致団結して応援する韓国とでは、雲泥の差。
実力や組み合わせを考えても、どちらも同じところまで進める可能性があったにもかかわらず、
同じ開催国でありながら、日本がベスト16で終わり、韓国がベスト4まで進んだ違いは、
サポーター・国民の差であったように思う。

でも、ここで注意しなければならないのは、
考えてみればたかだかサッカーなんてボールの蹴り合いの試合に過ぎないということだ。
サッカーの試合ごときで休日にしてしまったり、
広場に何百万人も集まってみんなで熱狂する姿や、
試合に勝っただけで国民の最も重要な義務である、兵役を免除してしまう韓国というのは、
実はある種、政治的には非常に危険な国家であり、国民が国家のために命を投げ出してしまう、
極めて民主主義度の低い、前時代の国民なのではないかという疑念が湧きあがった。

確かに日本の応援は中途半端で散漫で、
かつ単に「ワールドカップブーム」にのっただけの一過性のものだったからこそ、
決勝トーナメントで勝ちきれなかったわけだが、
国家の威信をスポーツにかけて、ナショナリズムを煽ったり、
国家の団結を促すような政治的手法は日本で通用しないほど、
ある意味、日本は前時代の国家至上主義から打破した国民なのではないかとも受け取れる。

サッカーは所詮サッカーでしかない。
日の丸代表なんて騒いでも、
アホな女性たちは「ベッカム!」だとか「イタリア伊達男集団」に熱狂したりする、
それはそれで別の問題があるにせよ、いわば自国代表以外は応援できない、
極めて偏狭なナショナリズムに支配されていない数少ない国が日本ではなかったか。

そう思うと、たかがスポーツの1つサッカーに、
あれほど国民が一致団結して国家高揚を行った韓国という国は、
何かあったら盲目的に国家の指示に従って、
自分の命を犠牲にしても国家のためにドンパチきな臭いことを、
平気でやるような国民ではないかという疑念が、今回のサッカーの応援ぶりをみて思ったのである。

サッカーをやって韓国がいい成績を上げたように、 戦争をやったら韓国の方が絶対強いだろうけど、
国民の幸福や自由度を考えると、
たかがボールの蹴り合いの応援ごときで団結しなかった日本の方が、幸せな社会といえるだろう。
ワールドカップのおける日本と韓国の国民の熱狂ぶりとその成績の違いから、
ナショナリズムや軍国主義の素地を見て取れたように思うが、いかがだろうか。

※追記
トルコが3位になって「日本が負けたのはトルコが強かったからだ」と思った人も多いだろうが、
そんなことはない。
あの世界3位のトルコに日本は十分勝つ可能性があった。
にもかかわらずトルシエの采配ミスで、試合の前に勝敗が決してしまったことが原因である。
トルコが3位になったことで日本の負けの正しく分析しなければ、 今後の日本サッカーに成長はないだろうな。
ちなみにトルコ戦に負けた後のマスコミは、こぞって「お疲れ様」に終始し、
トルコ戦に負けた分析をしたのはフジテレビ「特ダネ」の金田さんぐらいであった。

誰かがこんなことを言っていた。
「トルコ戦に終わった選手に『お疲れ様』と声を掛けるのは最も失礼なように感じた。
というのも、選手がこの試合、納得して取り組んでおらず、かつ不完全燃焼だったから」
韓国もトルコも3位決定戦に出たのに、実力的にはなんら遜色のない日本があの場に入れなかったことが、
ほんとうに悔しくてならない。
そういった「悔しさ」がなければ、多分日本は4年後、
アジア予選で負けてワールドカップになんか絶対に出れないよ。


by kasakoblog | 2002-07-01 09:11