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2002年 08月 09日

希望の国のエクソダス

いやあ、実におもしろい本に出会った。
入院中、山崎豊子や辻仁成、 宮本輝と、書評ランキングの偏差値65~69の本は何冊も読んだが、
久しぶりに最高ランクの70以上の評価を下せる作品に出会った。
村上龍の「希望の国のエクソダス」である。

僕はあまり村上龍は好きではないし、なんとなく読むのも抵抗感があるのだが、
この作品はめちゃめちゃおもしろいですよ。
村上龍を見直した。こんな小説が書けるんじゃないか。
久々の超おもしろかった、大ヒット作品だったな。

何がおもしろいか。
今の日本をリアルに描いた近未来シミュレーションなのだ。
いつまでたっても腐敗だらけの日本に、中学生の不登校から、
中学生がインターネットを介してネットワークを作り上げ、それを利用してネットビジネスを展開する。
彼らの計画はあまりに壮大である。それは日本からの独立国家の建設。
それも突拍子もないストーリーではなく、
きわめてありえそうなリアルな筋書きに、驚きを禁じえない。

ネットビジネスによる豊富な資金と、全国の中学生ネットワークを作り、
まず自分たちで自分たちが勉強する学校を作る。
そこから優秀な人材を育て、各事業をはじめ、北海道に土地を買い、
そこに独自通貨を発行させる。
通貨を独自に発行することで、それは一つの独立国たりえる。

それを全国各地に広げていき、今の日本の諸問題に対応した社会をそこに作り上げていく。
腐敗しきった日本はぶっつぶれるのは必然で、
日本国内内部から、既成の選挙から政治家を出したりとか、官僚や政治家を武力で倒すわけでもなく、
自分のビジネスとネットワークを武器に、日本内部に独立国家を次々と作り上げる。

それはまさしく今の日本であっておかしくない、
超現実味を帯びた未来シミュレーションだ。

この本を読んでいる時、住基ネットの問題が出た。
もしかしたら住基ネットからの離脱を国民の多くが表明し、
独自の路線を各自治体で歩み始めると、この本と基本的には同じ方向性になる。
つまり住基ネットを脱退した自治体が一つの独立国家となり、
日本から離脱する自治体が増え、
その地域に応じた税制なり法案なりを成立させ、
腐敗しきった日本国と切り離して社会の改革を行っていく。

この本はすごい。夢物語ではない。
日本が日本内部から崩れ去っていくプロローグは、
住基ネットからはじまっているのではないかと思うと、わくわくしてくる。
もしかしたら住基ネットというオオバカ政策によって、
日本の改革が大きく進む転機になるやもしれぬ。

そう考えると、日本にいることが希望を捨てたものではないことにはなるのだが。


by kasakoblog | 2002-08-09 23:12 | 書評・映画評
2002年 08月 08日

ボーカルにワークシェアリングはない

仕事は誰もが代われるワークシェアリングを提唱している僕ではあるが、
ミスターチルドレンの桜井君が突然入院となり、年内活動休止、
すべてのコンサートが中止になった時、ふと思ったんだな。
もしボーカルではなく、他のメンバーだったら、きっとコンサートは中止せず、
誰か代わりを用意して、もちろんそれによって質は低化してしまうかもしれないが、
それでとりあえずコンサートはやったのだろうな。
でもボーカルを変えるわけにはいかない。
それは質の低化ではなく中身が違ってしまうのだから。

そう思うと、ワークシェアをできない職種というのも当然出てくるだろうし、
ギターやドラムなら代わりを用意できても、ボーカルではそれは絶対にできないと考えると、
桜井君一人にかかる仕事の重さというのはすごいものだし、
その仕事は他の誰にもできない貴重なものなのだなと思う。
俳優や女優なら代役ということも考えられるわけだが、バンドのボーカルというとそうはいかない。

そういった特殊な仕事を除けばサラリーマンがやっている仕事なんて、
いざとなったら誰だって代われる程度の仕事。
たとえば「旅行に行きたいから1ヶ月休みたい」ということは許されないし、
「その間、おまえの仕事はどうするんだ?」ということになるだろうが、
入院とか事故で突然病気になってしまえば1ヶ月休んでも、仕事はなんなく回ってしまう。

そう考えるとサラリーマンの仕事って、今の日本のように誰もがしゃかりにきなってやる必要がないのではないか。
僕にはアイフル時代も今の仕事も、
「僕だからこそこうやる」「僕にしかこれはできない」という自負を持ってやっている部分もあるが、
その僕が入院してもボーカルが入院して全部の仕事をキャンセルしなければならないほどの、
責任とやりがいはないわけで、ようは他のバンドのメンバーと同じで、
質は低化するかもしれないが、仕事をキャンセルする必要もなく、
僕がいなくても勝手に仕事は進んでいってしまう。
別にそれが寂しいということではなく、それが会社でありサラリーマンということだ。

だからこそ代えがきくサラリーマンのやりがいを向上させるには、
週休3日にしたり、バカンス1ヶ月の休みを認めたりして、
ワークシェアリングによる雇用形態の多様化で、
仕事へのモチベーションを高める政策が必要ではないかと思うが、いかがだろうか。


by kasakoblog | 2002-08-08 23:12 | 働き方
2002年 08月 07日

2度目の退職届

<1>
大学の時には、自分自身がこんなにも転職を繰り返すことになるとは思いもしなかった。
早くも2度目の退職届。
どの会社も「石の上にも3年」を信じて、「3年」を目安にしてきたが、
アイフルも2年4ヶ月、そして今の編集プロダクションも2年半で辞めることとなった。

もちろん、どちらの会社を辞めるのも非常に前向きな理由だった。
アイフルの時には長期旅行と出版業界への転職。
今回は、より自分が興味を持てる分野への同業界の転職。

どちらの会社も僕なりに一生懸命やってきたし、それなりに仕事に愛着もあり、
取引先の人にも親しくしてもらった。
だから辞めることを軽はずみに決めたことはないが、やはり自分の人生であるから、
そうであっても情に流されずドライな選択を常に心掛けてきた。

腰痛が再発した6月末、すでに退職を決意していた。
「ピンチはチャンス」
この腰痛という悲劇を最大限利用してプラスに転じさせるためには何がいいか。
そこで浮かんだのが「退職」である。
1ヶ月入院し自動的に仕事ができなくなってしまったこともあって、
その後の退職もスムーズにいくだろう。すでに自動的に仕事が引き継ぎされていたからだ。

入院中、ずっと考えていた退職。
事前に上司には退職したいことを伝えてあったが、もしここでとめられたらどうしようかと、
退職したい理由を列記して、自分なりに整理して、まとめてあった。
しかし上司は意外にもすんなりと退職に応じてくれた。

「一度本人の口から辞めるという言葉が出た時、それを無理に引きとめて仕事をさせても、
低いモチベーションで仕事をすることになりよくない」
わずか5分ほどで話は終わった。
すんなり終わったうれしさと、いろいろと反対された時の想定メモが役に立たなかった、
妙な空疎感があって、なんだかさみしい気持ちもしたが、これですっきりしたという気持ちが強かった。

辞めることはうれしいし、長期的にはプラスの選択だが、
とはいえ希望する職に就けるかどうかもわからない、
ある意味では厳しい選択をしたのだということがじわじわと湧きあがってきた。
考えてみれば、文句や不満を言いながら、
上司の愚痴でもいって会社に所属している方がいかに楽なことか。

<2>
前の会社にも多かったが、上司の悪口や会社の悪口ばかりいって、
口癖のように「こんな会社いつか辞めてやる」と言うやからがいるが、
そういう奴に限って絶対に辞めない。
こういうのが日本のサラリーマンの大半をしめているから、
能率の悪い低レベルな仕事をして、周囲に迷惑を掛けているんだろうな。

辞めるということを軽はずみに口にする奴はバカだ。
辞めると発言したならば、それはすぐに辞める時だ。
「辞める」という脅し文句を使えば、同僚や上司が構ってくれると思ったら大間違い。
辞めたい奴は辞めればいい。
今の時代はそういう時代なのだ。

「辞める」をすぐ口にして辞めない奴は、
恋愛でいえば喧嘩をするたびに「別れる」を口実にして、
いつまでたっても別れないやからと同じである。
「別れる」とか「辞める」という言葉は軽はずみに口にする言葉ではない。
だからこそ僕が「辞める」という言葉をはいた時には、イコールすぐ辞める時なのだ。

もう次で3社目になるのか・・・
まあでも終身雇用の時代はとっくに終わってるし、
転職が当たり前の時代はもう目の前に迫っている。
サッカー選手がレンタル移籍などで各チームを頻繁に異動するように、
サラリーマンであってもその時の状況に応じて、
より自分が活躍できる場を求めて転職することはいいことだと思う。
そういう時代はもう目の前に迫っている。

国家も大企業も官僚も警察も病院も銀行も、
今の日本に絶対なんてものはありえない。
一つの会社にしがみついて、自分の所属する会社名や肩書きを自慢する時代は終わった。
ようはその人がどんな能力があってどんなことをやってきて、今後どんなことがしたいか、できるか。
みせかけの資格や学歴が関係ない時代に突入しようとしている。
雇用形態も社会の仕組みも、まさにドラスティックに変ろうとしている、まさに時代の過渡期に差し掛かっている。
そういう意味で、僕の選択は間違っていないと信じたい。


by kasakoblog | 2002-08-07 23:13 | 働き方
2002年 08月 06日

スターバックスの本末転倒

1、2年前だったか、不況の中、町を席巻したお店の代表格として、ユニクロとスターバックスがあった。
一時は前代未聞の入場制限までしたユニクロだが、今はすっかり店内は閑古鳥がないている。
安くて高品質、かつある意味ファッショナブルだったことが受けた要因だが、
最近のめまぐるしい低迷ぶりは、安い製品はデザインの質が明らかに低化し、
デザインの質を維持したものは価格が高く、ユニクロの利点が全くなくなってしまったからだろう。

一方スターバックスは未だに大繁盛のようだ。
どこにいっても満員だし、いまだに出店ラッシュが続き、
こんなところにもできたのか、と驚くことがよくある。
僕はコーヒーが大好きであるし、
かつ執筆活動の一部はファーストフードやコーヒー店でやることが多いので、コーヒーにはちとうるさい。
たまたま空いているスターバックスをみつけたので、普段はあまり入らないが、行ってみることにした。

ホットコーヒー・スモールで250円。たいしてうまくない。
というかこの味だったらはるかにドトールの180円コーヒーの方がうまいし、
それどころかモスバーガーの150円コーヒーの方がうまい。
なぜか?
それはカップに入れず、紙コップに入れているからだ。

マクドナルドが「プレミアムコーヒー」と題して、これまでにまずいコーヒーから質の向上を図ったものの、
未だにうまくないのは紙コップだからである。
明らかにスターバックスの方が質のいいコーヒーを使っているのに、
おいしく感じないのは紙コップだからであり、ドトールやモスがうまく感じるのはカップだからである。

スターバックスのレジには「スターバックス成功物語」なる本が置かれている。
アメリカでスターバックスが成功した話が書かれている。
僕は2年前にこれを読んで「企業の盛衰」なる、弟の大学のレポートを書いているから、
そこに書かれている成功物語と、日本における現実のスターバックスのギャップに嘆くばかりである。

その本によるとスターバックスが成功した理由は、
安易な低価格低品質低雰囲気路線に走らなかったからだ。
もともとコーヒー豆販売メーカーだったスターバックスは、店内で出すコーヒーの品質に徹底的にこだわった。
その一つの戦略として紙コップをつかわず、
コストが高くてもカップを必ず使うようにしていることが書かれている。

つまりのっけから紙コップでコーヒーを出す日本のスターバックスは、
いわば本末転倒なコーヒー店であり、スターバックスの名を汚した恥の店だといえる。
確かに雰囲気はいいかもしれないが、高品質なコーヒーという意味では、失格である。
成功物語を書いたCEOの涙ぐましい努力とは裏腹に、いとも簡単に紙コップで出してしまっている。
まあはっきりいって自ら品質向上を放棄しているとしかいいようがない。

ファーストフードがカップではなく紙コップでコーヒーを出すのは、
コーヒー専門店ではないし、客の出入りも激しく、
盗まれる可能性や、コーヒーが中心ではなくあくまで食い物が中心だから、致し方がないが、
コーヒー店でカップで出さない店なんて聞いたことはない。
ドトールだってベローチェだって、180円・150円と低価格でありながら、
コーヒーが主たる商品であるから、テイクアウトにしない限りは絶対に紙コップではでてこない。
なぜスターバックスたろうものが平然と紙コップでコーヒーを出してしまうのか。
理解に苦しむ点である。

ひょっとして日本人はなめられてるじゃないか。
どうせ日本人は流行やトレンドに流され、質や価格の吟味ができない無能国民だから、
何もわざわざカップで出すことなく紙コップでいいんじゃないかという、
社会学的見地から紙コップ使用になったのではないか。

「飲めば痩せる」なんてアホみたいなダイエット食品にひっかかるような国民ならば、
コーヒーの質などわからない。
ただなんとなく格好良さそうな「スターバックス」というブランドさえ掲げていれば、
質が低化していようが日本人は金を出す。

国際紛争が起きた時でも、
中身を吟味できずアメリカのいいなりで金を出す日本の国民性を見ぬいた、
アメリカ・スターバックスの日本店戦略として、
コストのかからない、まずい紙コップコーヒーを平然と出していると思うと、
スターバックスでまずいコーヒーに金を出すことは、
アフガニスタンの罪のない国民を誤爆し続けるアメリカの弾薬のために、
日本人が金を出しているとの同じむじなではないかという気がしてならない。


by kasakoblog | 2002-08-06 23:14 | 一般
2002年 08月 05日

個人情報流出!

かさこニュースをお送りいたします。
今日からはじまった「住基ネット」ですが、
住基ネット推進論者の政治家の個人情報が、インターネットに公開されていることがわかりました。
これは住基ネットに反対する市役所の職員が、現状の住基ネットでは個人情報が簡単に流出してしまうことを、
示したものと思われています。

特に「絶対に個人情報は漏洩しない」と豪語した、
片山総務大臣の個人情報はあちこちにばらまかれています。
「これでも住基ネットが安全と言えるのか?」と片山総務大臣に詰め寄るマスコミに、
「漏洩させた職員を罰則する!」と息を荒げる大臣であったが、
「罰則する法律をあんたが作らなかったんじゃないか!」
「絶対に安全といったあんたの責任だろう!」
「きちんと個人情報保護法を成立させないからだ。自業自得だ!」と、
批判が相次いでいる。

内閣宛てのメールには犯行声明を匂わせるものが1万件あまり寄せられている。
「政治家が国民をバカにした仕打ちをしたまでだ」
「住基ネットを無理やり推進した政治家がどうなるか、身を持って教えてやる」
「片山総務大臣の個人情報は全世界にネット配信された」などなど。

また各自治体には市民から住基ネットを即刻止めるようにと、苦情の電話やメールが殺到!
「即刻中止にしなければ、住基ネットを離脱した杉並区に住民票を移す」
実際、運用開始日には、離脱を表明した杉並区、国分寺市、矢祭町には、
住民票を移す国民が殺到し、大パニックとなっている。
「中止しない市町村は、市長や町長の個人情報をネットにばらまくぞ!」
との脅迫まがいのメールもあるが、実際に導入した市町村トップの個人情報は、
すでにネット上にばらまかれているという。

さらに住基ネットの波紋は広がっている。
「住基ネット反対を機に、今の日本を離脱する会」には入会者が殺到。
ここでは住民票を抜くだけでなく、未だに税金を食い物にしていることに反対し、
住民税・所得税など一切の税金を支払うことを拒否している。

また「今こそ腐った日本を変える」をスローガンにした「一人一殺主義団体」では、
リストラされたサラリーマンや経営難に陥った中小企業の経営者、
学校にいかない中高生や過激な政治運動をする大学生を組織し、
「住基ネットに賛成した政治家・官僚をすべて抹殺する」ことを表明している。

事態の深刻さに気づかない官房長官は「初日だから混乱があったんでしょう。
しばらく様子をみれば落ちつくでしょう」とアホなコメントを発表。
その直後、官房長官の個人情報が一斉にネットにばらまかれたものの、
帰宅途中に官房長官は殺された。
現場には「今こそ腐った日本を変える一人一殺主義団体」との色紙が残されていた。


by kasakoblog | 2002-08-05 23:15 | 政治
2002年 08月 04日

夏休み映画

夏休みとあって過去の話題作を続々とテレビで放映されている。
そこで今回は「耳をすませば」「となりのトトロ」
「スターウォーズ・エピソード1」「スターウォーズ・帝国の逆襲・特別編」の映画評をご紹介します。

耳をすませば
ナウシカやラピュタ、もののけ姫や千と千尋といった、物語のファンタジー性はなく、
現代日本をそのまま舞台にした作品だが、非常によくできた好感できる作品。
中学生を主人公に、進路や恋愛をテーマにした物語。
非常に現代に即した、しかもありきたりなテーマを描くのは、逆に非常に難しいことだと思うが、
過剰過激でもなく、かといって印象に残らないわけでもなく、
考えさせられるんだけど、見た後にこう前向きになれるような、
素晴らしい作品に仕上がっている。

進路を考え迷う小・中・高校生にぜひ見せてあげたい作品。
こんな作品を僕もその時期に見ていれば、
その時もっと進路を前向きに考えられたんじゃないかなと思う。

主人公の進路を決められない焦り。
好きなことを見つけて寝る暇も忘れて没頭する姿。
それを一つの形にしてはじめて自分に何が足りないか、
自分が今何のために勉強するかを捉えることができ、高校進学を前向きに考えられるようになる。

図書カードでの出会いなんて、非常になつかしいモチーフで、
ほんと今は何もかもがコンピュータ化、デジタル化されてしまい、
もちろん多くのメリットはあるにせよ、それと代償に失ったものは大きい。
京王線沿いの公団住宅に住む、4人家族の一般的姿を描いているだけに、
テーマとしての現実性と訴えかけるものは非常に大きい。

ファンタジー性、空想性をかきたてる作品もさることながら、
身近な社会を舞台にこんな作品が描けることは称賛にあたいするが、
平成ぽんぽこの大失敗などを考えると、やっぱり難しいんだろうな。
舞台が現代社会になると妙に生生しさが出てしまう恐れがあり、
それならアニメでしかも映画で見る必要性はなくなってしまう。
やはり舞台を架空にして、そこで繰り広げられる物語から、
現代に通じるテーマを訴える手法の方が、楽なのかもしれない。
そういう意味ではこの「耳をすませば」はおすすめ映画です。

となりのトトロ
田舎暮らしーそんなブームのはるか昔、
わけあって田舎に引っ越してきた家族と、その子供の物語。
大人には見ることのできない「トトロ」や「ネコバス」ー
それは「自然」や「神」と言い換えていい。

もちろんこの映画は大人向きではなく、子供に楽しめるようなストーリーでとどめているが、
そこには十二分に都市型社会で疲弊しきった大人たちへの、
警告的メッセージを読み取れることができる。

現代社会が失ったものの数々。田舎にはまだそれが残っている。
病気の母など非常に暗示的だ。
もちろん、ここではそのことに触れられていないが、
都市に住むゆえに病気になってしまった母のために、
環境のよい、自然の多い、のんびりした田舎へと引越してきたと、考えてもおかしくはない。

滑稽な神トトロ。
神を抹殺してしまった現代社会への大いなる警告の物語として、
バカな大人たちにもうちょっとわかりやすいように、
子供用のトトロではなく、大人用のトトロを作って欲しいものだ。

単なる子供が楽しむ映画としてではなく、
大人が見てもそれだけ隠されたメッセージを読み解くことができる。

スターウォーズ・エピソード1
エピソード2上映を前にテレビで放送されたエピソード1。
まあCGがすごいだけで、世界観がなく、ストーリーに奥深さがない。
最終的には戦いになるんだけど、ジェダイとシスの戦いも、
戦略もくそもへったくれもない、ようはただのチャンバラに過ぎない。

もっと未来宇宙世界の世界観を出すこと。
単調なストーリーを奇抜なキャラクターでごまかしているだけに過ぎない。
なんだかCGですべてをごまかしているだけ、
きちんとしたSFファンタジー世界を構築した上で、
ストーリーのおもしろさがあってはじめて映画の基礎が成立する。

ハリーポッターと一緒の愚を犯している。
たとえば宮崎駿作品やディズニー作品のように、
その架空世界へ視聴者を入り込ませる仕掛けにかけている。
はりぼての架空舞台で繰り広げられても、きちんと作りこみをしてないと、
その世界に入っていけないよ。

また同種のものとしては、猿の惑星なんかの方がはるかによくできている。
このスターウォーズは、単なる幼稚なテレビゲームの戦闘ゲームと変わらない。

帝国の逆襲 特別編
大量広告のエピソード2を記念し、テレビで放映。
あまりのつまらなさに30分で見るのをやめた。
そのおかげでK1が見れたからいいか。
できそこないの戦争映画。ウルトラマンレベルの幼稚な戦闘シーン。
宇宙戦争なら、我らが日本のガンダムの方が圧倒的におもしろい。

スターウォーズには失望した。
広告宣伝費に大金かけるような映画はほんとたいしたことない。
おもしろみのないストーリーで剣をふりまわすなら、よっぽども水戸黄門の方がおもしろい。
これだからアメリカ映画は見たくないんだ。

日本の低俗な中身のない音楽シーンと一緒で、毎回過剰な宣伝でマスコミが煽る映画作品は、
ほんと心に残らない、一瞬のトレンド的使い捨て文化の最たる例だ。
次から次へと変わる映画ランキング。
千と千尋のようなロングセラーなんてどこにもない。
みんな話題についていくために、見ているだけのこと。
こんな情けない映画で騒ぐ現代社会はどこか狂ってるな。

昨年見た「千と千尋の神隠し」をビデオに借りてきてみたけど、
やっぱりおもしろかったなあ。
おもしろい作品は何度見てもおもしろい。


by kasakoblog | 2002-08-04 23:15 | 書評・映画評
2002年 08月 03日

かさこのアイドル理論

アイドルはくだらん芸能ニュースではなく、現状の社会を考える上で極めて有意義な研究対象である。
そこで今回は、離婚した安室奈美恵、ゴマキが離脱したモーニング娘。、
そして期待の救世主・松浦亜弥を考えてみる。

<1>自転車操業のモームスは終わった
もう「モーニング娘。」という形態は意味をなさなくなってしまった。
あまりにも激しいメンバーの入れ替わりと、モームス以外の売れていないつんくプロデュースのユニットを、
合体させた「ハロープロジェクト」でモームス自体の存在意義が極めてあやふやになっている。

モームスから保田とゴマキが離脱するという。
保田は若返るメンバーの中でおばさんくさいということで事実上の解雇と見るのが正しい見方。
そしてゴマキこと後藤真希は「ソロが念願」だというが、確かに一昔前のゴマキの存在感は大きかったが、
残念ながら今更ゴマキがソロになったところであまりインパクトはない。

まずその第一の理由は、石川梨華の存在だ。
モームスの中で不動のアイドルとして異彩を放っていたゴマキだったが、
アイドル人気としては圧倒的に石川梨華の方が現状では上だ。
ただ生意気なだけでたいしてかわいくもないゴマキも、
他のメンバーと比べればよかったから、注目度の高かったモームスの中で、
さらにその注目を浴びてきたわけだが、石川梨華が加入しその実力と人気をつけていくと、
ゴマキの存在感は薄れていった。

ゴマキなんかよりはるかに石川梨華の方がかわいいし、
石川梨華にはただ生意気(ゴマキ)ではなく、ただかわいい(安部なつみ)にはない、
その両方を兼ね備えたような不思議な魅力がある。
今更ゴマキがソロになってもたいしたことはない。
石川梨華の存在感はゴマキが脱退したことでより注目度を浴び、人気が急上昇するだろう。

そして第二に、ソロになるには歌が下手だということだ。
モームスで唯一歌がうまくソロになれるのは安部なつみぐらい。
まああとはアイドルとしてソロになれるのは石川梨華だけ。
かわいくもなく歌もうまくないゴマキがモームスという大看板をおろして、
単独になっても、あまり意味はないだろう。

組織との協調性はないわりにたいした個人能力はないんだけど、
人よりちょっとは実力があるという極めて中途半端なゴマキの末路が、 今回のモームス脱退でみえた。

<2>日本の救世主的アイドル・松浦亜弥は日本を救う
松浦亜弥はすごい。いいですよ。すごくいい。
僕はタイプでもなんでもないし、アイドルは好きではないが、
松浦亜弥は間違いなく、今の倦怠した日本社会を気持ちの面で救う、
救世主的アイドルの素養を持ち合わせている。

今の若い世代は小学生だろうが何だろうが、どこかに影を感じてしまうものだが、
松浦亜弥にはまったくそれが感じられない。
ほんと100%純粋無垢に明るい。
いやらしさがない。元気。かわいい。
太陽のようなひまわりのような、暗い心のみんなを照らす圧倒的な明るさがある。
彼女はいいですよ。今の社会に必要とされる国民的アイドルになる。

歌も彼女のそのキャラクターに合わせた元気一杯のものになっている。
いやあ、ひさびさにみた文句なしの社会に必要とされるアイドルだと思う。

<3>国民的アイドル・安室奈美恵の復活はない
「アムラ-」という言葉が流行ったほど、一時代の安室奈美恵は若い世代の絶大的な影響力があった。
そんな全盛期、この超晩婚化時代に、時代のトップスターはわずか20歳で結婚・出産した。
僕はそのニュースを聞いた当時、安室奈美恵は本当の意味で若い世代をリードする教祖になったと見直した。

単なる表層ファッションではなく、この晩婚化時代、
バリバリ働く女性が、仕事だけでなく、結婚・出産という人生の選択も、
幸福のうちの一つなんだということを、頽廃を極めた若い世代に身を持って示したからだ。
それは先が見えないどうしようもない日本社会で、
これから何十年も生きていかねばならない若い女の子にとって、
女性の生き方の大きな希望の光となったことだろう。

あの安室奈美恵がわずか20歳の若さで結婚した。
それは晩婚化という時代の流れとは真っ向から対立する、大きな社会へのメッセージとなった。
だからこそ、そんじょそこらのアーティストとは違うからこそ、
一芸能人の離婚ごときニュースをNHKでもやったのだ。

ところがその安室奈美恵があっさり離婚してしまった。
何が理由だかようわからんが、単に仕事に専念したいからという、
芸能ニュースの解説ではどう考えても納得ができない。
別に子供がいたって旦那がいたって、芸能界で活躍するアーティストは腐るほどいる。
にもかかわらず離婚という選択をなぜしなければならなかったのか。

所詮、安室奈美恵も時代の流れには逆らえなかったのだなと思うと、
若い世代に希望をもたらした教祖から、単なるどこにでもいる一芸能人に格下げされてしまったなと思う。
離婚後のライブで子供をほったらかにした一母が、「楽しいね」と連発する安室奈美恵の姿に、
ものすごい違和感を感じてしまうと同時に、妙に物悲しかった。

あんたはそんなに仕事が大事なんかい。だったら結婚なんかすんな。出産なんかすんな。
所詮はおまえもできちゃったから結婚しただけで、しばらくしたら簡単に離婚する、
どこにでもいるバカ女の一人となってしまったのか。
かつての教祖はどこへ行った?
国民に、時代の流れに逆らって希望を与えたメッセージを身を持って示した行動はどこへ行った?

そりゃ、歌手が人前で歌を歌うことは楽しいかもしれないが、
なんだかその「楽しい」は歌うことが楽しいというよりは、
「結婚」「子供」「妻」といった責任から解放され、
やりたいほうだい自由な身になったという喜びの表れでしかないような気がした。

離婚して楽しい楽しいと言われると、生まれた子供がなんだかかわいそうでならない。
結局は快楽とその場の流れに流された、単なるバカチャン女の子でしかなかったことが、
僕は非常に残念でならない。

安室奈美恵は勘違いをしているようだ。
歌が売れなくなったのはまるで結婚したからのように思っているのかもしれないから、
離婚すれば思いっきり活躍できると思っていたら大間違い。
単にあきられただけ。
そして小室哲哉という、極めて一アーティストの賞味期限の短いプロデューサーの、
曲の質自体が落ちたからに過ぎない。

今さら離婚して華々しく芸能界に復帰すれば、以前のように大活躍できる理由はずはない。
まだ、結婚したまま、それこそ子供でもつれて、
「仕事をしながら歌う若ママさん」というイメージであれば、
そんな生き方に多くの人々から共感されるだろうが、
離婚して(=子供を捨てて)歌う安室奈美恵の歌に、一体どんな魅力があるというのか?

もちろんそういったマイナスイメージを逆にコンプレックスやエネルギーにして、
人間とはかくも醜く愚かな動物に過ぎないということを歌い上げて、
時代の共感を呼び起こすアーティスト手法(離婚し再婚した桜井君はこのタイプ)ならともかく、
安室奈美恵はそういったタイプではないし、そういったことで人気を勝ち得てきたわけではない。

歌がうまい人ならいくらでもいるし、ダンスがうまい人だっていくらでもいる。
生き方に共感できない、単なる歌とダンスがうまいだけ人間なら、安室奈美恵である必要はないのだ。

残念ながら離婚してしまった安室奈美恵に用はない。
これからの時代は、石川梨華と松浦亜弥で決まりだな。


by kasakoblog | 2002-08-03 23:16 | マスコミ
2002年 08月 02日

ワールドカップサッカーに見る、個人と組織のあり方

ワールドカップとバカ騒ぎしていたのはわずか1ヶ月前なのに、
なんだかもう遠い過去の出来事のようだ。
外国人ジャーナリストが「ワールドカップの後、日本に何が残るのか?それを見てみたい」
と言った言葉が印象的だ。
ワールドカップ後に残ったものといえば、莫大な税金をかけて作った使い道のない巨大スタジアムのみ・・・
ワールドカップが残したものは莫大な負の遺産を残しただけだったという評価は、
ワールドカップがはじまる前に出ていたのだろうけど。

まあ今日はそんな当然の話ではなく、サッカーの試合を見て、
単にブラジルすごいなとかベッカムかっこいいとかではなく、
今後の日本社会における個人と組織のあり方を考える上で、非常に示唆に富んだ決勝戦を考えてみたい。

ドイツ対ブラジル。
単純な構図をあてはめれば、組織のドイツVS個人のブラジルとの戦い。
結果は個人の勝利に終わった。
戦術的な戦いなどなくても、ロベルトカルロス・カフ-の両翼が素晴らしいクロスを上げ、
中央でかきまわすロナウジーニョがいて、
決定的チャンスを確実にものにできる2トップのリバウド・ロナウドがいる。
圧倒的個人能力さえあれば、戦術はいらないというよりそれが一つの戦術になりうるということだ。
つまりいくら能力の低い個人がよってたかって組織戦術を試みても、限界があるのだ。

ドイツは当初のブラジル優位の予想に反して、ボールを圧倒的に支配し、何度も攻撃のチャンスがあった。
でも彼らが決められなかったのは、ブラジルほどの個人能力を持った攻撃選手がいなかったからだ。
クローゼなど所詮、日本の稲本と同じまぐれあたり。
決勝トーナメントでは得点を決められず、ことごとく途中で変えられていたことを思えば、
ロナウドやリバウドとは格が違いすぎるということだ。
逆にあんなたいしたことのないドイツが決勝まで来れたのも、
カーンという圧倒的個人技能を持ったゴールキーパーがいたからに過ぎない。
彼がいなければドイツは予選すら勝てなかっただろう。
それだけ組織の力より個人の力が大きくものをいうということだ。

試合を解説した岡田武史前監督の言葉ー
「決勝戦を見て考えちゃいましたよ。指導者って何だろうって。
いくら組織力を高めようが、いくら戦術を立てようが、
圧倒的な個人技能を持ったロナウド・リバウド・ロナウジーニョの3人がいれば、
何も作戦など立てずとも、彼らだけで決定的なチャンスを作ってしまう。
この決勝戦は圧倒的な個人能力に長けた選手がいれば指導者って無意味なんじゃないかって思いました」

中田英寿の言葉ー
「このワールドカップで感じたことは、やっぱり最後は1対1の能力なんだなって。
どれだけ組織力を高めようが、最後の勝負は個人能力だと再認識した大会でした」
ゴールキーパー楢崎の言葉-
「カーンのような素晴らしい能力のあるキーパーがいれば、
決勝まで進めてしまう。ゴールキーパーの重要性を感じました」

中村俊輔がセリエAにいって、他の日本代表選手が呼ばれない。
(決勝トーナメントに進んだ日本代表選手で鈴木以外は誰も音沙汰なしだ)
それもまた一つの象徴的な出来事だ。
つまり日本代表メンバーは、中田や小野を抜かせば所詮組織として優れているだけであって、
海外にいって個人で勝負する能力はないということだ。
逆にトルシエが使いきれなかった圧倒的個人能力を持つ中村俊輔は、
代表に選ばれなかったにもかかわらずセリエAに行くことになったということは、
実に今後の日本サッカーを占う上で重要な出来事だったように思う。

それと呼応するように次期日本代表監督に、攻撃重視・個人能力重視のジーコ監督になったのは、
時代・社会の流れといえる。
これは単にサッカーだけでなく、サラリーマン社会でも、
組織の歯車となり何でも言うことを聞くたいして能力のない没個人ではなく、
個人技能に優れた一人一人が中心となる個性豊かな組織になっていくだろう。

そういう見方でワールドカップの試合を見れば、
日本でワールドカップをしてプラスになったことはあったのではないかと思える。


by kasakoblog | 2002-08-02 23:17
2002年 08月 01日

ふざけんな「080」

1ヶ月の入院、また結婚に伴う自宅電話番号の変更等で、
今まで基本料金680円という3ヶ所限定、超格安PHSを使う意味がなくなってしまった。
そこで入院中どうせ使えないのだからPHSを解約し、
退院後、妻がJフォンなので家族割引で半額になるというので、僕もJフォンにすることにした。

※ということで、今までの070で始まる電話を掛けても通じませんので。
また5月に携帯をなくしてしまったこともあって、
未だに多くの方の携帯番号がわからなくて困っていますので、心当たりの方はぜひメールください。

やっと僕もPHSから携帯になったのかと、
たいして機能は変わらないのに、えらく昇格した気分になっていた。
しかし僕の番号を聞いて驚いた。
なんと「080」から始まる番号なのである。

「なぜ090じゃないんですか?」
「携帯電話会社には090の番号を、それぞれの会社に合わせて割り振りしているんですよ。
当然ドコモさんがいっぱい090の番号を持っているわけです。
しかしご存知の通り、ここ最近の新規加入者は、ドコモなんかよりauやJフォンが多い。
だから090がなくなっちゃって080になっちゃうんですよ」
と店員の言葉。おいおいふざけんなよ。

以下は僕の携帯電話昨今の予想現状。
「ドコモってもともと半官半民のNTTだから、はじめは信頼感で、
携帯電話の圧倒的シェアを取っていたんでしょうけど、サービスは悪いしトラブル続きでしょ。
迷惑メールがひどかったのはドコモだし、メールの受信に金を取るのもドコモだから、
迷惑メールがひどかった時はドコモは丸儲けしていた。
そんな騒ぎが終わったと思ったら、ワールドカップサッカーのチケットを電話申込させたせいで、
ドコモは全く使えなくなるし、今度は大阪でドコモにワン切りが集中して電話を掛けれなくなったわけでしょう。

ボロ儲けしているくせに、そういった利用者の迷惑になることに対してすぐ手を打たないし、
ほんとトラブル続きで今後もまともに使えるかどうかあやしいもんです。

しかもNTTという大看板を背負ってるから、会社に危機感がないんですよ。
多少サービスが悪かろうが「NTT」という看板を信用して入る客はいっぱいいるし、
一度はじめに携帯を持つときにドコモに入ってしまった人は、
番号変わるのが嫌だからサービス悪くても我慢して入ってる。
挙句の果てはミスチル使って大宣伝攻勢でイメージアップを図って心証いいと思ってるんでしょうけど、
あれだけ莫大にCMうつってことは、ようは利用者から徴収した高い通話料を、
通話料を下げたりサービスの向上に役立てず、イメージ戦略の広告費にかけてるってことでしょう?
だからドコモってイメージいいけど、中身がないから、新規加入者数では他社に負けちゃうんですよ。

それに引き換えJフォンやauは、NTTに追いつけ追い越せと、
サービスの向上に日夜努めてるから、非常にサービスがいい。
それを見ぬいた賢い消費者は、アホなドコモなんか見切りつけてJフォンやauに入る。
だから新規加入者が増加していて、090がなくなっちゃって、080になっちゃったというわけです」

なんだか自分の電話番号を「080・・・」というと、みんな一瞬怪訝な表情をみせる。
まだ「070」の方が「ああ、ピッチなんだな」ってわかりやすいけど、
080と090は間違ったりするよ。絶対。だって携帯は今はほとんど090なんだから。
まったくドコモの横暴はどこまで続くのか?
新規加入者が多いJフォンやauに090を分けてやればいいじゃないか。


by kasakoblog | 2002-08-01 23:18