好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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2003年 10月 11日

アウシュビッツ強制収容所

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ポーランドの最大の見所はアウシュビッツしかないと僕は思う。
もちろん、その他にも美しい都市や、
さまざまな世界遺産とかがあるわけだけど、
「ここにしかないもの」と考えると、やはりアウシュビッツしかない。
(美しい都市や教会だったらヨーロッパにいっぱいあるのだから)

しかしアウシュビッツに行った時、
行く前にいろいろな知識が詰まりすぎていたせいか、
またいやいや連れてこられたのか、地元の高校生の社会見学みたいなのが、
緊張感なく大挙として見学しにきていたせいなのか、
中国ハルピン郊外にある、
日本の731部隊のおぞましい人体実験跡を見た時に感じた、
鳥肌が立つような戦慄は残念ながら感じることはできなかった。

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「人類みな兄弟」みたいなたいそうなスローガンってのが、
頭ではわかるんだけど、自分の中であまりぴんと来ない。
「人類」とかいう言葉があまりに広義過ぎて、自分の中でしっくりとしたイメージが沸いてこないからだろう。
でもそんな広義なスローガンを自分の身に寄せて考える契機があった。
それはアウシュビッツを見たからではなく、ポーランドでのガイドさんとの出会いからだ。

今回、久しぶりの1人取材で、ほんといろいろな現地の人にお世話になった。
特にワルシャワのガイドさんとクラクフのガイドさんにはともに3日間、
朝から晩まで一緒に行動し、ほんとお世話になった。

多分一生に一度きりの出会いで、今回の短い取材期間が終わってしまえば、
別れがきてしまうはかない出会いではあるんだけど、
取材にいっている間は、ずっと1対1で接し、
互いに慣れない英語を使いながら、ずっと行動をともにしているので、
「はかない出会い」とはいえ密度はすごく濃い。
そういう形で行動をともにしていると、彼女らをとりたてて「異国人」とは思えないわけで、
人生の中でさまざまな人との出会いがある一人に過ぎなくなってくる。
つまり、日本で出会う日本人と等価に見えてくる。

また彼女らの生活の一端をかいま見ると、ポーランド人だろうが日本人だろうが、
同じ人間、やっていることはたいして変わらないんだなと思ったりもした。
ワルシャワのガイドさんが自宅で夕食を作ってくれたのだが、
調理器具だって使う材料だって日本と同じだし、
クラクフのガイドさんが、日本でいえば松屋に行くような感覚で、
ミルクバーという安くてうまい食堂がどこよりもベストだという姿を見ていると、
「人間って別にどこの国の人だろうがたいして変わりはないんだな」と思った。

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そういった今回のささやかな出会いから、
アウシュビッツのことを考えてみると、
人間が人間を殺戮するなんてバカみたいだなということが、
やっと頭ではなく、体の感覚としてわかったような気がした。

ポーランドでは不思議と自分が外国人であるということをあまり感じなかった。
ポーランド人も「ポーランド人」というある特定の鋳型で見ることができず、普通の人としか見えなかった。
だからワルシャワやクラクフのガイドさんから、
「ポーランド人についてどう思う?」と聞かれて、返答に窮した。
僕の感覚からいうと「日本人と同じ」っていう答えが一番本音なんだけど、
見た目は明らかに違うし、価値観だって違うんだろうから、
そう答えてしまうと意味がわからないのではないかと思った。

どこの人間だってたいして変わりない。
みんなやっていることは同じ。
そう思うと、○○人だとか○○教徒だとか○○人種だとかいう感覚で何かを争うということが、
いかにしょうもないことかとわかるわけです。
見た目とか考え方とか違うかもしれないけど、たかが同じ人間じゃないか。
ライオンやクマと戦ってるんじゃないんだから。

「人類みな兄弟」
なんとなくきなくさいスローガンだけど、やっとその当たり前のことが、
自分の中で体感できたのが今回のポーランド取材だった。

それともそう感じたのは、資本主義的社会生活スタイルが全世界に浸透し、
それに染まった都市社会に暮らすポーランド人を見たから「同じ」に思えたのか、
それとも本当にポーランド人は日本人と似ているのか、
(歩きタバコをする人の多さと、携帯電話でメールをするのは、
他の外国ではほとんど見られない、
日本人とポーランド人の共通点であるかもしれないが)
いずれにせよ、たかが人間されど人間、みんな同じじゃないかって感じた。

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アウシュビッツを見て思うこと。
アウシュビッツのような人類の狂気を非難することは簡単だけど、
なぜそのようなことが起こってしまったのかを理解することは、
非常に難しいなと思う。
そして今もなお、一言で「アホだ」といってしまえばそれまでだけど、
イスラエルとパレスチナ、インドとパキスタン、
アフガニスタン、イラク、アメリカなどなど、
たかが人間、されど人間同士の、
些細な違いからの共食いが延々繰り返されている。

ささやかな「異国人」との出会いの積み重ねから、
外国人のことを同朋とは変わらない隣人の友達と思える経験をすれば、
人類みな兄弟って感覚が、頭ではなく自分の体感覚として理解できるわけで、
そうなれば、人類同士の醜い悲劇も少なくなるのかもしれない。

人類は過去の歴史からほとんど何も学んではいない、実に愚かな生物だけど、
それでは未来や希望がない。
泥沼化するイラク情勢やパレスチナ情勢を前に、
アウシュビッツというより、さまざまな異邦人たちとの触れ合いを通して、
改めてその愚かさを感じざるを得ない。

そしてまた、過去の人類の「狂気」のダイナミズムを解き明かさなくてはならないと思う。

<アウシュビッツの基礎知識>
「基礎知識」といっても僕は専門家ではないし、
ここで旅行ガイドブックに書くようなことや教科書的なことを書いても意味がないわけで、
僕が行ってみた時の実体験に基づいての「基礎」を書くことにする。

ポーランドには首都ワルシャワと古都クラクフという二大都市があり、
古都クラクフから車で1時間半ほどのところにアウシュビッツ収容所跡がある。
これはまた後程書くけど、あまり見所のない首都ワルシャワより、
魅力あるクラクフを拠点にすれば、アウシュビッツにいったり、世界遺産の塩坑ヴィエリチカにいったりすることができる。

アウシュビッツというのはドイツ名らしく、現地の人に「アウシュビッツ」といっても通じるのだが、
ポーランド名のオシフィエンチムの方が現地の人には通じる。
クラクフのガイドさんもしきりに「オシフィエンチム」という単語を使い、
アウシュビッツという言葉をあまり使わなかったし、鉄道で行く場合も駅名はオシフィエンチムである。


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アウシュビッツがポーランド名で、
「オシフィエンチム」という名で通っていることと、
もう1つ意外なことは、映画やドキュメンタリーで出てくる、
「アウシュビッツ」は、正確にいうと「ビルケナウ」も含まれている。
アウシュビッツ収容所の3km先に第2のアウシュビッツともいえる、
アウシュビッツよりさらに広大なビルケナウにも収容所があり、
そこには、ユダヤ人たちが貨車で連れられてきたレール跡もあるし、
いわゆる「アウシュビッツイメージ」という点では、
アウシュビッツよりビルケナウの方がぴったりくるはず。

なので当然ツアーではアウシュビッツとビルケナウをセットで回るわけだけど、
アウシュビッツはきちんと博物館としてインフォメーションセンターや、
コインロッカー、レストラン、郵便局などが整備されているせいか、
こちらの見学が主となり、3km離れたビルケナウは、
なんとなくおまけ的な扱いにされる可能性がある。
(ビルケナウには資料がおいてある、
小さなインフォメーションセンターしかないせいか)
僕もクラクフからアウシュビッツ&ビルケナウのツアーに参加したわけだが、
ビルケナウの時間が少なくて残念だったというのが感想だ。

さてさてちなみに個人で行く人の場合は、
クラクフからバスや鉄道を使ってアウシュビッツに行けるわけだが、
アウシュビッツからビルケナウに行くには実に本数の少ないバスを利用するしかない。
ツアー参加でアウシュビッツにあまりに無意味な時間を割くのに業を煮やし、
僕はどうしてもビルケナウに時間をさきたかったので、
途中個人行動し、ビルケナウに先に行こうとしたのだが、バスがなくてタクシーに声をかけると、
たった3kmの距離に50zl(約1750円)かかるとほざき、
さすがの僕もふざけんなと思い、タクシーで行くのをやめた。

ポーランドの普通の市内タクシーは初乗り1~2kmぐらいでも6zl(210円)。
場所が場所だけに市内タクシーの料金とまったく同じというわけにはいかないにしても、
一応、アウシュビッツも小さな町であり、収容所跡以外何もないまったくの観光地ではない。
バスの本数が少ないのとタクシー台数が少ないのをいいことに、
たった3km、車で行ったらわずか5分ぐらいの距離に1750円ふんだくろうとするタクシーのおやじに、
アウシュビッツの悲惨さと同じぐらいの吐き気がした。
(たまたま僕は声をかけたタクシーのおやじが悪かっただけかもしれないが)

人類が忘れてはならない歴史遺産を利用しようして儲けようとするその根性が、
かつてのアウシュビッツのような人類の悲劇を生んだのではないか。
世界でも類稀なる歴史の教訓的遺産の価値を考えれば、それを利用して儲けようとする根性が信じられん。
エジプトのピラミッドを利用して儲けようとするのとは分けが違う。
ちなみに、アウシュビッツ収容所跡への入場料は(収容所は博物館という名目で整備されている)、
過去の人類の歴史的過ちを繰り返させてはならないという意図から、
多くの人に見てもらう趣旨なのだろう、無料である。

アウシュビッツ収容所跡の外観は、今みるとまるで大学のように見え、
外側に張り巡らされた有刺鉄線以外は、
ここで大量殺戮が行われたという実感があまりわかない。
ただ、一部残されている館内の地下牢獄のおぞましさは、
いるだけでも吐き気がするほどの雰囲気が漂っている。

そこ以外は、館内に殺された人々の顔写真や、
むしりとられた膨大な量の持ち物などが展示されている。
当時の持ち物はその大量殺戮のすさまじさをありありと物語るものだが、
それ以外の展示はどことなく整然とされすぎていて、
その悲惨さはあまり伝わってはこない。

比較することはナンセンスとはいえ、どうしても中国ハルピンの日本軍の人体実験&化学兵器工場跡の、
内部の生々しい当時の展示や実態と比べてしまうと、いくぶん整然とされすぎているような気がした。
(ま、それは中国が日本軍の行った過去の残虐を絶対に許してはならないし、
忘れてはならないという強烈な意志が露骨に展示の仕方に現れているせいかもしれない)
何にしろ、地下独房がある11号棟の吐き気のするような気色悪さだけは、
僕がアウシュビッツ見学をして最も強烈な印象が残った場所であった。

そしてあまり時間のなかったビルケナウだが、こっちはまずその広大さに驚かされる。
そこに囚人棟が何棟もあったのだろう。
アウシュビッツが大学の校舎だとするなら、こっちは巨大軍隊の兵舎の群れという感じ。
そして何より、貨車で運ばれたレール跡が残されているのがなんとも生生しい感じがする。
ここに何人もの人々が鉄道で運ばれ収容されたのだろうということが、このレール跡から容易に想像できる。
その他、一部しか見学はしていないが、
収容された人々がつめこまれた3段ベッド跡は、なかでも生々しい印象を残した1つだった。

そしてもう1つ、印象に残ったのは見学客の多さ。
海外だけでなく国内からももちろん大勢の団体客が訪れていた。
ちょっと序でも触れたけど、緊張感のない、
多分強制的に学校行事の一環として連れてこられたのだろう学生たちがいて、
彼らの一部には、自発的に来たわけじゃないから、
すごく緊張感なく、友達のふざけあっている人もいたということだ。

僕らは世界からわざわざこのアウシュビッツを見に来たわけだから、
彼らのそういうふざけた行動は理解できないかもしれないが、
僕にはどうもそれがあまりに皮肉な現実のような気がしてならない。

ここは「強制」収容所。
人間が強制的に何かをやらされることほど意味のないことはないとすると、
もし学校行事の社会見学か何かで全校生徒が
「強制的に」ここに来ざるを得ないようなことになっているとするなら、
彼らの一部が緊張感なくふざけあい退屈な様子はよく理解できる。
そういうやり方での「教育」では意味がないわけで、本人の自発心を促すような仕方にしていかないと、
せっかくここに来ても時間の浪費に過ぎず、
逆に「強制的」に連れられてきた分、マイナス効果になりかねない。

ここは強制収容所。強制させての社会見学だったらやめさせてほしいと思うし、
そうでないとあの緊張感のない一部の学生の態度は理解しがたい。

これが僕のアウシュビッツ旅行体験記である。
いずれにせよ自分の目と足で現地を訪れることをおすすめしたい。

二度と人類が同じ過ちを繰り返さないために。

戦争遺産をたずねる
http://www.kasako.com/wartop.html

写真貸出



by kasakoblog | 2003-10-11 17:54 | 旅行記