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2008年 02月 29日

水曜どうでしょうの癒し効果

大泉洋主演、北海道ローカルで1996年から放映されたバラエティ番組、
「水曜どうでしょう」がほんとマジおもしろい!
今、全国各地で過去の放送が再放送されていて、
うちではテレビ神奈川とMX東京メトロポリタンで再放送している、
「水曜どうでしょう」を録画して、
ある程度とりたまると一挙に見る。

なんかー疲れてるなーとかおもしろいことないかなーとか、
そういう時に「水曜どうでしょう」見ると効果てきめん!
つい先日、2001年に放送された、
「釣りバカ対決第3弾!氷上わかさぎ釣り対決2」(全2夜)を見たんだけど、
もうおもしろくっておもしろくって、笑い転げて仕方がなかった。
いやーもうーこんなおもしろいものが、
今から6年前に、しかも北海道だけでしか放送されなかったなんて、
信じられないぐらいほんとおもしろい!

ロス疑惑なんて放送する暇あったら、
水曜どうでしょうを再放送した方が、
はるかに視聴率とれるだろうし、
はるかにおもしろいし、はるかに視聴者を喜ばせることが、
できるんじゃないかと思っている。

はじめ「水曜どうでしょう」をすすめられた時、
そのおもしろさがちっともわからなかった。
なんだか「電波少年」のマネっぽいし、
でも電波少年ほどぶっとんだことはしてないし、
そもそも大泉洋のどこがいいのかがさっぱりわからない。

ところがね、しばらく見るともう目が離せなくなる。
水曜どうでしょう的ノリがわかってくるともう、
ほんとおもしろくておもしろくて仕方がない。
多少、その時の企画によっておもしろさの当たり外れはあるものの、
総じておもしろい!

北海道ローカルという母体が弱小なせいか、
過去のおもしろい話がDVD販売されているが、
アマゾンや通常のCDショップでの販売がなく、
もちろんレンタルにもなっていなくって、
ローソンでの予約販売のみなのが残念。
http://www.htb.co.jp/goods/dvd/suidou/index.html

ただ全国各地のローカルテレビで今、再放送されているようなので、
ぜひまだ見たことのない方は見てみることをおすすめしたい。
http://www.htb.co.jp/suidou/map.html

番組の内容はね、ほんとどうでもいいことだし、
くだらないことばかりだし、そこに何か意義があるわけじゃないし、
すごいお金をかけたりとかしているわけじゃないんだけど、
出演者の大泉洋と鈴井貴之と、藤村Dと嬉野カメラの、
この4人のかけあいがほんとおもしろい。

今の世の中いろんな嫌なニュースとかがあったりするけど、
笑いは地球を救う、といったら大げさだけど、
笑いを人に提供できるってことは、
すごいことなんだなと改めて思った。

ちなみに時々企画によってこの「水曜どうでしょう」に出演する、
安田顕さんは、私の海外子供写真集「視線の彼方」が採用された、
映画「たとせ世界が終わっても」で、
カメラマン役として出ていて、とってもいい味出していて、
最近は大泉洋もさることながらヤスケンも最高だな!
と思ってみています。

かさこワールド「水曜どうでしょう」コーナー
http://www.kasako.com/sakuhin.files/suiyou.html

DVD「たとえ世界が終わっても」


by kasakoblog | 2008-02-29 17:04 | 書評・映画評
2008年 02月 28日

毎日更新9年目突入!&33歳になりました

才能とは持続する情熱である

2月28日は私にとって、単に誕生日だというだけでなく、
ホームページで毎日更新を開始した日として、
とても大きな意味を持つようになった。
2000年2月21日にホームページを開設し、
2000年2月28日から毎日更新日記をはじめようと決め、スタートした。
当時はまだブログやミクシィのようなものがなかった時代。
「毎日更新なんかホントにできるのか?」
「毎日書くネタがあるのか?」と疑心暗鬼ながらもはじめて、
ついに今年で9年目を迎えることができた。

「継続は力なり」というと、
確かにいい言葉なんだけど、
どことなくストイックなイメージがあって、
楽しくやるというより、辛いことをひたむきにやるみたいな、
そんな風にも捉えられる言葉だと思うんだけど、
「才能とは持続する情熱である」という言葉に言い換えると、
毎日の積み重ねが楽しくもあり、力にもなるという、
非常にポジティブな感じの印象があって、気に入っている。

人間、慣れの力ってほんとすごい。
時々「毎日更新って大変じゃないですか?」と聞かれることもあるんだけど、
毎日やっていることって習慣化されているから、大変と感じない。
もしみなさんが何か力をつけたいことがあるら、
習慣化してしまうとよい。
はじめは面倒だと思うかもしれないが、
そのうちそれをやらないと逆に体調がおかしいみたいな気分になる。
それだけ習慣化すると大きな力になると思う。

「毎日やる」という意味とはちょっと違うんだけど、
今年になって私が1つ気をつけていることがある。
「ためないこと」。
今、ちょうど確定申告の時期で、
給与以外の印税収入から10%の源泉徴収税が引かれているので、
引かれた税金を取り戻すために、
とっておいた1年分の領収書やらレシートやらを、
ひっくりかえしては計算しという、非常に面倒な作業をやっていてしみじみ思った。
「何事もためちゃいかん。ためると膨大な作業になっちゃう」。

そこで今年から来年の確定申告を見据えて、
レシートや領収書をためず、
今日使った分はすぐ入力するという仕組みに改めた。

何事もそうだと思うんだけど、後でまとめてやろうとか思うと、
どんどん大変になってくるので、
毎日少しずつ片付けていくということも、習慣化するとよいと思う。


10年後の自分をイメージできるか?

33歳という年齢にはちょっとした感慨がある。
社会人になったばかりの22~23歳の頃、
サラ金に勤めていた時代に、
「この先輩すげえな」と思った人が確か33歳だった。
サラ金を辞めて編集プロダクションに転職したばかりの25歳の頃、
「この先輩すげえな」と思った人が確か33歳だった。

20代前半の頃に「すげえなこの人」と思った年齢に自分が達している。
もう自分は、根拠のない自信と若さだけをウリにする年代ではなくなり、
ある程度の実績と経験を持った中堅なんだなと。
かつて「すげえな」と思った33歳の人と比べて、
自分自身もそれなりの実績や経験を積んできた自負はある。
しかし、その先の10年がある種の大きな壁だと思っている。

何の社会経験もない20代が10年も社会にいれば、
それなりの実績や経験を持ち、「成長」するのは当たり前といえば当たり前の話だ。
だってもともとスタートがゼロなわけだから、
33歳にもなれば、みなそれなりの「成長」はできる。

でもここで「成長」が止まってしまう人が多い。
「すげえ」と思った人がすごくなくなっていく。
社会人以後の23-33歳の過去10年に満足しているより、
この先の10年をどう生きていくかが、
また1つの大きな人生の岐路になる。
さらに今より、楽しく幸せで充実した10年にする。
そのためには、何を続け、何を続けないべきか、
「選択と集中」が大事になる10年のような気がしている。
別に悲壮な意識とかでいっているんじゃなく、
人生楽しく生きなきゃ損だと思っているので、
自分が楽しいと思うこと、幸せに感じることに、
時間とお金を投資していたいなと。

人生には大きく2つの生き方があると思う。
1つは、自分がどこに行きたいか目印を決めて生きること。
もう1つは、目印を決めずに生きること。

多分、若ければ若いほど、目印がない生き方でもいいんだと思う。
だって自分がどこに行きたいかなんてわからないし、
それを探すために右往左往している時期だから。
決め付けて早い段階でおかしな目印を決めてしまうより、
流されるまま流されてみて自分が辿りつく場所を見極めて、
そこから目指すべき方向を考えるという手も十分あると思う。

でも年を重ねていくごとに、ある程度の目印を決めた生き方に、
シフトしていかないといけないのかなと、今の時点ではそう考えている。
どこに目標を置くのか、どうなりたいのか、どうしたいのか、どこに行きたいのか、
より具体化した道標を立てながら、目印に向かって生きていくことが、
自分のしたいことがよりリアルに近づいていくんじゃないかなと。
別にそれは大それた夢だとか野望みたいなものじゃなく、
ささやかな幸せや楽しみの実現であっても。

そんなことを思いながら33歳を迎えていて、
またこの先の10年の自分が楽しくて仕方がないような人生になるよう、
かさこワールドを毎日更新しながら、一つ一つ道標を立てながら、
楽しい人生を送っていきたいなと思っている。


by kasakoblog | 2008-02-28 17:06 | 生き方
2008年 02月 27日

ロス疑惑の最大の謎はこれに群がるメディア~万引き犯で裁判中の逮捕

ロス疑惑の最大の謎、それは「この程度」の事件に、
100人以上のメディアが殺到し、連日連夜、
時間を割いて報道していることだ。
防衛省隠蔽疑惑や国交省道路無駄遣い疑惑という、
国内緊急の課題をほったらかしにして、
今このニュースを大々的に取り上げているメディアは、
まさに25年前の事件発生当時も、大々的に取り上げていた。
妻をアメリカでなくした悲劇のヒロインとして。

ところが事件発生後、週刊誌が保険金目当ての夫に、
殺害疑惑ではないかと報じると、メディアは一転。
悲劇のヒロインを今度は疑惑の男として、
おっかけまわし、お茶の間のエンタメニュースとして、
提供し続けたのである。

多分メディアが今も懸命になって、
ごく限られた被害者家族や関係者以外にとっては、
このどうでもいい事件を重要疑惑ニュースそっちのけで大々的に報じるのは、
日本でも重罪な犯罪については時効は見直すべきだという、
意義深い事件という意味ではなく、
かつてメディアが手玉に取られて、
無罪ー有罪ー無罪と一転した男の顛末を追っかけないことには、
メディアとしてのプライドがすたるとでも思っているからだろう。

そもそも「ロス疑惑」という大仰な呼び方がおかしい。
たとえば夫が妻を保険金目当てに殺した事件が大阪で起こったとして、
それを「大阪疑惑」と報じたら違和感を覚えないだろうか?
「ロス疑惑」なんていわれると、
なんだかまるでロサンゼルスのトップクラスの、
政治的疑惑なのか談合事件なのか陰謀なのか、
そんな壮大な疑惑と事件のように聞こえるが、
別に単なる「三浦和義疑惑」であって、
「ロス疑惑」なんていう必要はまったくないわけだ。

しかもロス疑惑をこれだけ大々的に報道し、
25年前の事件を時間を割いておさらいしているわりに、
三浦和義容疑者が、平塚市内のコンビニで万引きした窃盗罪に問われていて、
今まさにその裁判中であることが、
一部のメディアのみにしか報道されないのが不思議である。

メディアはどうも「日本の最高裁が無罪といった人間を、
なぜアメリカが今さら逮捕するのか」という、
三浦和義容疑者に同情的な立場で報道することが、
視聴者の共感を得られるだろうと考えているからなのだろうか。

コンビニの監視カメラに万引きする姿が、
ばっちり映っている三浦和義容疑者の映像を見ると、
日本の最高裁もメディアも、ろくな調査力もなく、
この稀代まれなる詐欺師に騙され続け、
今なお騙され続けているのではないかと邪推してしまう。

一人の女性が謎の死を遂げた事件を、
25年もきちんと追い続けているアメリカの警察の姿勢を見習い、
殺人事件に時効は不要なんじゃないかという点をのぞいて、
この三浦和義疑惑に時間を割くメディアの感覚というのは、
ほんとおかしいんじゃないか。

民主党が国会で懸命になって国交省道路特定財源疑惑を暴いているのに、
それを報道せず、25年前の殺人事件を取り上げ、
そのくせ民主党には対案を出せとかわけのわからん批判をするメディア。

重要性と優先順位とニュース性を考えて報道すべき疑惑を考えれば、
国民の一人当たりの借金が約655万円、
国の借金が838兆円と過去最高を更新した今、
道路整備費に59兆円つぎ込むことが、
今まさに見直されるかどうかの瀬戸際論戦を取り上げることが、
メディアとして伝えるべきことなんじゃないかと思う。

三浦和義、万引き公判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000121-mai-soci

初会見に日本メディア殺到=米ロス市警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000035-jij-soci


by kasakoblog | 2008-02-27 17:07 | マスコミ
2008年 02月 26日

チェーン店に負ける店たち

チェーン店というのは得てして、
ネガティブなイメージで捉えられることが多い。
「どこもかしこもチェーン店ばかりになっちゃって」
「個性がない店ばかりになっちゃって」と。

確かにそうなんだけど、最近思うに、
そんな画一的なチェーン店に勝てない、
サービスも悪い、コストパフォーマンスも悪い、個性もない、
そんな店が多いような気がする。

先日、富士山と工場撮影に出かけた時のこと。
富士市でホテルを探していた。
じゃらんで安いホテルを探していたんだけど、
バストイレ別、ネット環境なし、駅から遠い、見るからにボロそうなど、
そうした昔ながらのビジネスホテルが多かった。

ところがなんと4980円でバストイレあり、ネット環境あり、駅から徒歩1分、
かつ朝食無料サービスで自転車まで貸してくれるホテルがあった。
スーパーホテルである。

スーパーホテルは全国各地にチェーン展開する、格安ビジネスホテル。
いらんサービスがない代わりに、
これだけはあってほしいといったサービスがついていて、
値段が安いわりにきれいな設備で、ビジネスユースには実にありがたい。
私は迷うことなくこのホテルに決めた。
観光地でもないのにこのホテル、私が泊まった前後はすべて満室だった。

その時しみじみ思った。
チェーンホテルの方が、個人経営のビジネスホテルより、
値段も同程度でこれだけすべての点でサービスを上回ってしまえば、
そりゃ、勝敗は明らかだよなと。
チェーンじゃないホテルはよほど工夫しないと、
生き残っていけないんじゃないかと思った。

私は今、神楽坂のオフィスに通っている。
神楽坂といえば度々テレビでも特集されるように、
風情ある町並みとおいしいレストランや飲み屋がある場所でもある。

ただこの場所に毎日通っている立場からすると、
値段が高くて、量が少なくて、たいしてうまくもない店が多いというのが感想だ。
気取った店が多い。
そんな店が多いせいか、数少ない、
値段が安くて、量が多くて、そこそこうまい店というのは、
閑古鳥が鳴いている店をよそめに、連日大盛況だ。
たとえば東京でチェーン展開している小諸そば。
500円程度でそば&ごはんセットが食べられるとあって、昼は大混雑だ。

長崎ちゃんぽんもしかり。
こちらも500円程度で野菜たっぷりのラーメンが食べられる。
神楽坂からやや離れてはいるが、昼はいつも満員だ。
そして松屋しかり。
330円で味噌汁つきで豚めしが食えて、
350円でカレーライスが食える。
私は神楽坂にいながら、どこにでもある、
こうした安くて腹いっぱい食える店を、
ローテーションする毎日を送っている。

まあ私がやや値段重視、量重視だから、
コストパフォーマンスに優れたチェーン店が重視される結果になるのだが、
そうならないのがラーメン屋である。
長崎ちゃんぽんと、のれん分け的チェーンの大勝軒は別にして、
私がラーメンを食べようと思ったら、
安いラーメンチェーンには行く気がまったくしない。

それだったら倍の値段を出してでも、
うまいラーメン店に行きたいと思う。
それはやっぱりチェーン店にはない個性的な味があり、
かつそれだけのコストを支払っても、
それに見合う店が多いからなんだと思う。

また神楽坂というより飯田橋駅よりだが、
私がコストを度外視してランチで950円もの大金を払っても、
何度も行きたいと思うのが「タベルナ・ラ・グロッタ」のランチ、
「牛肉の薄切りステーキとバターライスとスパゲティ添え」だ。
http://r.gnavi.co.jp/g099501/menu8.htm

松屋で350円で済む、長崎ちゃんぽんで450円で済むと思っても、
950円という値段に見合ったうまさのあるこの店のランチは、
高くても何度も行きたいと思う。

スケールメリットを生かしたコストパフォーマンスの良さと、
安定的なサービスを提供するチェーン店が多い今こそ、
チェーン店に負けない個性ある店が増えてくれればなと思う。

それは店だけでなくどんなサービス企業も同じで、
たとえばネット証券やFX業者が、
手数料の格安競争でしか差をつけられなくなってしまうように、
サービスに差がないと価格競争の体力勝負になって、
大資本が勝つという結果になる。

これは労働力でも同じで、
たいした能力に差がないとするなら、
または誰がやっても同じ単純作業なら、
頭でっかちで賃金だけ高い日本人より、
今は安い賃金で使える中国人をということに、
取って代わられてしまうんだろう。

店も企業も労働力も、
チェーンに組み込まれて、コストパフォーマンスで勝負するか、
チェーンや大資本ではできえない、個性で勝負するかの、
二極化がくっきり選別される時代になっているのかなと思う。


by kasakoblog | 2008-02-26 17:08 | グルメ・ラーメン
2008年 02月 25日

浜崎あゆみと倖田來未に見る時代考察

人によって好き嫌いはあるとはいえど、
ともに一時代を築き上げ、圧倒的な支持を得ている女性シンガーだが、
この2人はあまりに対照的だ。

ただ私はずっと不思議に思っていたことがある。
私は双方ともにほとんど曲を聴かないが、
浜崎あゆみに人気があるのはわかるし、
彼女の詞の世界観の素晴らしさは理解できるのだが、
倖田來未が「羊水発言」でバッシングされたとはいえ、
なぜあんなにも人気があるものかと。
彼女をバッシングする理由はいくらでも思いつくが、
彼女がなぜ人気なのかの理由がわからなかった。

そこで、浜崎あゆみと倖田來未双方を比較しながら、
その立ち位置と時代背景を考えた上で、
二人の社会的役割を私なりに分析してみようと思う。

(注:二人をそれぞれ何年も前から追っかけて考察しているわけではないので、
ファンの方にとって不十分・不満足な点があるかと思いますが、
ファンでもなんでもない人にとって、二人をどう捉えるかといった視点での、
私なりの勝手な分析ですのでご了承ください)

<1:「3歌姫」の時代推移>
二人を考察する前知識として、
女性シンガーの時系列の歩みを頭に入れておくと理解しやすい。

●1995年-1997年:安室奈美恵の時代
・1995年:東芝EMIからエイベックスへ移籍。小室哲哉プロデュースになった途端、大ヒット連発。
・1996年:“アムラー”現象(茶髪ロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツ)
・1997年:『CAN YOU CELEBRATE?』が200万枚。TRFのダンサー・SAMとの電撃結婚&妊娠を発表。
・1998年:産休で存在感が薄れていくと、浜崎あゆみが登場。

●1998年-2003年:浜崎あゆみの時代
・1998年:1stシングル発売、3rdシングル「Trust」でオリコントップ10入り。
・1999年:1stアルバム『A Song for ××』でオリコン1位獲得。約150万枚のセールス。紅白出場。
・2000年:初コンサートツアーも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。
・2001年~2003年:レコード大賞3連覇達成するなど、圧倒的な存在感。
・2004年:エイベックスお家騒動を理由に賞レース辞退し、メディア露出が一時期より減る。

●2004年-2007年:倖田來未の時代
・2004年:「キューティーハニー」でブレイク。
「エロかっこいい」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」など一躍注目される。
・2005年:16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録。日本レコード大賞受賞。
・2006年:5thアルバム『Black Cherry』初回出荷150万枚。オリコン4週連続1位。
・2008年:「羊水発言」で活動自粛へ。

<2:歌詞の世界観の違い>
さて本題の浜崎あゆみと倖田來未だが、
大きな違いは歌詞の世界観にある。
非常に単純な二分をすると下記のようになる。

浜崎あゆみ:切なさ、暗さ、辛さ、弱さ、相手依存
倖田來未 :ノリの良さ、明るさ、楽しさ、強さ、自分依存

浜崎あゆみの歌詞はほんと切ないし、だからぐっとくるし、
聴いているだけで同時代、同世代の女性は、
自分の心の涙腺にふれ、ふっと涙が出てくるのではないか。
人生の儚さ、幸せの儚さ、光の裏にある闇、
永遠なんてない、ゴールはどこまでいってもない……。

でもそうした生きにくい、息苦しい時代、社会の中でも、
一歩一歩だけど歩いていくしかないんだというような、
悲壮な決意さえうかがわれる。

ある意味では非常にミスチル的「終わりなき旅」的世界観が貫かれている。
彼女の歌詞は、物質的には豊かだけど心が満たされない現代社会を、
包み隠さずズバリ本音で歌いながら、
そういう時代の中で「等身大」の自分を背負って生きていく、
宿命や覚悟みたいなものが感じられる。

浜崎あゆみのこうした社会的背景を感じさせる世界観は、
日本社会では、小泉純一郎内閣発足前、戦後最長の好景気がはじまる前の、
1998-2002年という長らく停滞した時代とリンクしている。
どこまで行っても先が見えない長いトンネルの中を、
自分の歩みだけを頼りに一歩一歩歩く。
そのはかない歩みがまさに浜崎あゆみと折り重なったのだろう。

一方、倖田來未は総じて明るい。
そもそも浜崎あゆみが自らの血肉を削り取るような、
痛ましい歌詞を自らすべて書いているのとは違い、
倖田來未の曲は、歌詞は彼女すべてではない。
そもそも音楽性として、浜崎あゆみのように、
歌詞を聴かせるための歌というより、
リズムの良さと音楽的なノリの良さで、
聴く人を心地良くさせる「快感」に主眼が置かれている。

ブレイクした「キューティーハニー」はその最たる例で、
歌詞がどうのと言う前に、聴いただけで体が動いてしまうようなノリと、
ファッションとしての音楽的色彩を強めている。
だからこそ倖田來未の音楽には、コスプレ的ファッションも重要な要素になる。
聴いて魅せて踊る音楽なのだ。

多分、長らく続いた日本の低迷時代に明るい兆しが見えてきて、
自信を持ってもいいんじゃないのってムードが漂ってきたこともあるだろう。
長らく続いた「あゆの時代」も、
いつまでも切なく苦しく辛い歌だけでは、
時代を乗り切ってはいけないと聴く側の意識が変化したこともあるだろう。

そして浜崎あゆみ(1978年生まれ)と倖田來未(1982年生まれ)に、
4年の年の差があるように、
「あゆ」を聴いた女子高生や女子大生が社会人になった時、
音楽マーケットの新たな中心となった若い世代にとっては、
重く苦しい「あゆ」の歌も悪くはないけど、
あゆ世代より少子化がさらに進んで育てられたこともあり、
どちらかというと自分に自信があるし、
そんなに世の中悲観してないというか、
面倒なことは考えたくないしといった雰囲気から、
倖田來未のような、ある意味では「開き直った」明るい音楽の方が、
時代にマッチしたのだろう。

歌詞を見比べると、
浜崎あゆみは、恋や夢に対しては受身的な面が見られるし、
どちらも手に入れたとしても常に失うことの恐れを意識している。
ところが、倖田來未となると、
恋や夢は自分で掴み取るものだし、掴み取れるものという、
圧倒的な楽観主義が貫かれている。
また浜崎あゆみの詞の世界が内面に重きが置かれているのに対し、
倖田來未の世界は外、外見、形、肉体に重きが置かれているような気がする。

生きるのが切なく辛いなんて言ってるなんて古臭いし、
そんな陰気なことはやめて、
明るくぱっとポジティブに生きようぜって感じが、
倖田來未の方がやや強い。
それが2004年以降の日本社会には合っていたのではないかと思う。

<3:自分の呼び名の違いに見る、自分とのスタンス>
私が最も2人の違いで気になっていることが、自分をどう呼ぶかである。
浜崎あゆみは自分のことを「あゆ」と呼ぶ。
すっかり定着して何の不思議にも思わないかもしれないが、
自分を自分の下の名前で呼ぶというのは、
これまでの時代になかった実に画期的異変ではないだろうか。
「あゆ」効果により、若い女の子の中には、
誰かと話をする時、自分のことを「あゆはね」というように、
自分の名前で呼ぶ人もいると思うが、
これが定着したのは「あゆ」出現以降ではないかと私は思っている。

一方、倖田來未が自分のことを「くみ」と呼ぶことはない。
「くぅちゃん」といった愛称があり、
著書等では自分のことを「くぅちゃん」ということもあるようだが、
テレビでの会話や雑誌などのインタビューで、
「くみはね」とは言わないし、「くぅちゃんはね」という言い方はしないように思う。

いわゆる一般的な一人称である「私」が多いように思うのだが、
それより何より、彼女が結構使うのが、
「倖田來未はね」「倖田來未的には」と、
自分のことを芸名のフルネームで呼ぶことだ。

これも実は普通一般では使わない呼び方だ。
みなさんの周囲に自分のことを自分のフルネームで呼ぶ人がいるだろうか。
謝罪会見でも「倖田來未の発言に傷ついた人に・・・」と、
自分のことを他人事のようにフルネームでいう用法を使っていた。

それでは「あゆ」と「倖田來未」という呼び名の違いに、
どのような意識の違いがあるのか、考えてみたい。
浜崎あゆみが自分のことを「あゆ」と呼ぶ。
本来なら家族や恋人が呼んでくれるであろう愛称を、
自ら先に名乗ってしまう。
誰も呼んでもらえないから、自分から名乗るという「寂しさ」からなのか、
自分がかわいい、自分が好きという意味で自ら愛称で呼ぶのか、
愛情に飢えていて、自分を愛して欲しいという訴えにも聞こえる。

また自分のことを自分の呼び名でしかない固有名詞で呼ぶことは、
ある意味では、「等身大の自分」を常に背負っていく覚悟もうかがわれる。
あゆはあゆでしかない。
あゆという与えられた条件で生きていくしかない自分。
自分に満足だろうが不満足だろうが、
自分自身が自分と付き合っていくしかないという決意とも取れる。

一方、倖田來未が使う「倖田來未」は自分本来の姿とは違い、
メディアや芸能界で作られた別の人間としての「倖田來未」というニュアンスがある。
ある意味ではメイクやファッションによって、自分は晴れの舞台では、
「倖田來未」に変身しているという意識が読み取れる。
コンプレックスのある自分を抱え込まず、
理想の自分、綺麗な自分、変身した自分、それが「倖田來未」。

倖田來未が「倖田來未」を演じている。
本当の自分は別のどこかにいて、それには不満を持っていたとしても、
「倖田來未」に変身すれば明るく強く綺麗な自分になれるという思い。
それが自分のことを客観視、第三者視するようなフルネームで呼ぶ、
ということに表れているのではないか。

だからこそ浜崎あゆみを支持する人は、
「あゆ=自分」という等身大を背負いながら生きていこうと思うだろうし、
倖田來未を支持する人は、
メイクやファッション一つでいつでも「倖田來未」に変身できるという、
変身願望的理想の自分を彼女に投影し、自信をつける。


このように、浜崎あゆみと倖田來未の表現の仕方は対照的だ。
どちらがいい/悪いの問題ではなく、
今の社会と時代の中で、自分はどう生きていくかという、
その方法論の違いで、その方法が時代によって、
「あゆ」が支持されたり「倖田來未」が支持されたりということになるんじゃないかと思う。

1995-1997:安室奈美恵、1998-2003:浜崎あゆみ、2004-2007:倖田來未と来たが、
次の時代を担う新たな「カリスマ」が表れるのか。
それはどんなスタイルをまとったキャラクターなのか。
それによって日本社会や時代背景を占う一つの指針になると、私は思っている。

※ミスチルがなぜ支持され続けているかといえば、
浜崎あゆみ的(ネガティブ)世界から、
倖田來未的(ポジティブ)世界を、時代とともに、社会の変化とともに、
また桜井さん自身の心境と合わせて、見事に曲や詞の世界観を、
違和感なくシフトさせてきたからだろう。

そうやって時代とともに表現スタイルをシフトできるアーティストが少ないため、
みな一時代の役割を担うと「リバイバル(再評価)」されるまで下火となる運命となり、
新たな時代の担い手によって変わられてしまうんだろうな。

※以上、私の独断と偏見に基づく勝手な考察です。

<参考資料:ベスト盤に見る歌詞比較>
■浜崎あゆみ
・「A Song for XX」
どうして泣いているの どうして迷ってるの
居場所がなかった 見つからなかった
いつも強い子だねって言われ続けてきた

・「Trust」
はやすぎる速度で取り巻く世界にはいつしか疲れて
愛情を救いの手も求め続けてきたけど
あなたから見つけてもらえた瞬間
あの日から強くなれる気がしてた 

・「Depend on you」
目指してたゴールに届きそうな時
本当はまだ遠いこと気付いたの?
一体どこまで行けばいいのか
終わりのない日々をどうするの? 

・「LOVE~Destiny~」
ねえ ほんとは 永遠なんてないこと
私はいつから 気付いていたんだろう 

・「Truma」
人が求めてやまないのは 一瞬の解放が
やがて訪れる恐怖に勝っているから 

・「appears」
まるで全てのことが 上手く
いっているかのように 見えるよね
真実はふたりしか知らない 

・「FLY high」
怖がって踏み出せずにいる一歩が
重なっていつからか長く長い
道になって手遅れになったりして 

・「SURREAL」
大事なモノならそこに必ず
痛み伴うはずだよね
ひとりぼっちで感じる孤独より
ふたりでいても感じる孤独のほうが
辛い事のように 

■倖田來未
・「Chase」
はやる気持ちはもう夏のゲーム いざ開始!!
大切な恋だから 必ずつかみとる 

・「奇跡」
叶わないものを叶えていく力が
世界にはきっと満ち溢れているから 

・「hands」
冷たく凍えそうなmy hands
こんなに想っているのに…
「本当は引き止めてほしい」
そう言いたかった… 

・「Hot Stuff」
行くぜ 間違いねえぜ やるぜ
マジ止まんねー そう All day all night
追っていくぜ一生 やりたい放題

・「Butterfly」
信じたい未来を今この手 掴みとるから
諦める事は まだ早いの
綺麗になる Burning Heart
もっと もっと輝けるわ Butterfly 

・「Promise」
胸に込み上げ 溢れる涙
止めることももう 出来ない私
いつまでも続く現実は 儚い夢になるとは 

・「Star」
甘いそう甘い ミルクシェイクのようなKissで
私の全てを飲みほして


by kasakoblog | 2008-02-25 18:00 | 音楽
2008年 02月 24日

マイルやポイントの誘惑

マイルがたまるクレジットカードや、
ポイントがたまるクレジットカードがある。
「ためたってどうせたいしたことないだろう」と、
今までそれほど気にしていなかったんだけど、
地道にためて稼いでいくと、結構なマイル数、ポイント数になる。
そんなわけで最近、できるだけクレジットカードを使おうという意識が働く。

単に現金で支払っていた代わりに、
クレジットカード決済するだけなら、
マイルやポイントがたまるだけで、何の損もないわけだけど、
「できるだけ早くためたい」という意識が強くなると、
何か必要ないものでも「買うものないかな」と探し回っている自分に気づき、
おっとこれはいけないなと思ったりもする。

本来ならできるだけお金を使わないことがいいはずなのに、
「使えば使うほどマイルやポイントがたまる」と言われると、
ついついお金を使う方向に意識が働いてしまう。
また最近ではいらんことに、
ここで買うとポイント2倍だとか5倍だとか倍率が違う。
そのせいでたとえば本を買うのでも、
こっちで買った方がポイントが数倍になるからと、
便利で買える方より、ポイントが増える方を選んだりしてしまう。

そう考えると、多大なコストがかかるにもかかわらず、
多くの企業がポイント戦略を実施する理由がわかる。
消費者の「合理的」な行動を、
マイルやポイントを餌に大きく変えることができるからだ。

それにしてもこうしたクレジットカード付帯のマイルやポイントだけでなく、
レンタルビデオ屋だとかレストランだとか、
やたらに自社ポイントプログラムやスタンプカードなどが多い。
「登録は無料でたまれば得」といってカードを作っていくと、
財布の中がカードだらけでほんと困ってしまう。
カードが増えれば増えるほど、使用頻度の少ない店で買い物する時、
そこのポイントカードだのスタンプカードなどを探すのが大変になってしまう。

そこで思うに、一層のこと、
現金決済はできるだけ辞めて、クレジットカード決済主体の社会にして、
さらにポイントプログラムも全部キャッシュバックで統一してしまえばいいのにと思う。
キャッシュバックがつくポイント比率だけ、店によって変えればいい。
そうすればみな統一基準で比較がしやすいし、
どこでも使えるし、いっぱいカード持たなくて済むし。

まあそんなことしたら企業や店にとっては、
自社のリピーターを増やすことにつながらないから嫌なのはわかるんだけど、
消費者からしてみれば、いろんな提携カードやポイントカードが増え、
しかも仕組みがどんどん複雑になって、
とてもついていけない。

それにしてもマイルやポイントをためようと、
現金決済ではなくクレジットカード決済にすると、
すごく便利な店と不便な店に分かれる。
スーパーなんかはサインレスで決済できるから、
現金より時間が短いし、財布が小銭で膨らむ心配がない。

その一方、本屋とかレストランとかで使おうとすると、
現金で決済するより2~3倍ぐらい時間がかかってしまう。
十数万の買い物するならそのぐらいの時間かけて慎重になってもいいけど、
たかだか数千円の支払いでそんなに時間かけてどうする?と思ってしまう。
そんだけ手間かけているわりに、
ほとんどの人がカード裏面のサインとレシートのサインを見比べてないし。

財布に小銭や紙幣いらず、
ポイントカードやクレジットカードやスタンプカードでいっぱいにならず、
定期とカード数枚で済む時代が来ないかな。

ケータイクレジットやおサイフケータイが進化すると、
すべてを担うカードの代わりに携帯1台で済むってことになるのかもしれないけど、
携帯で最近面倒なのはやはり会員登録。
携帯で空メールを送ると割引クーポンが送られてきたりするからぜひ登録を、
ということでやたらどの店でもQRコードがあったりするんだけど、
そうして登録した店から何度もメールが来たり、
いちいち割引クーポンを登録した画面を決済時に携帯で見せなきゃいけなくて、
ほんと面倒だし、店にとっても細かい個人情報とっているわけじゃないから、
あまり意味がないんじゃないかと思う。
そもそも携帯で登録した人が5%引きになり、
そうじゃない人が割引にならないというのもなんとも不公平な話だし。

もっと消費者にフレンドリーなリピーターづくりの仕組みにしてほしいなと、
最近つとに思う。


by kasakoblog | 2008-02-24 17:09 | 金融・経済・投資
2008年 02月 23日

大臣辞任ではなく防衛省を庁に戻せ

イージス艦の事故に伴い、
石破防衛大臣辞任すべきだとの議論が盛り上がっているが、
大臣が辞めて、大臣が変わったところで、
何の解決にもならないんじゃないか。

・イージス艦の見張りがしっかりしていなかった
・事故を隠蔽しようとした

だから大臣の責任だ!辞任しろ!
というが、大臣が辞任すると、
イージス艦の見張りがしっかりして、
事故の隠蔽体質がなくなるのか。

大臣の顔をすげかえたところで、
防衛省そのものの体質は変わらない。
それは厚生労働大臣に舛添氏がなって、
大改革を期待したものの、
結局は役人のメンツが変わらないから、改革しようとしても、
一向にずさんな体質は変わらないのを見れば明らかだ。

もうみなさんすっかりお忘れだと思うが、
防衛庁の天皇といわれた守屋元事務次官が逮捕され、
政治家との談合疑惑もあり、
久間章生元防衛相や元防衛庁長官の額賀福志郎財務相との
不透明な関係性が指摘されながら、
こうした政治家はのうのうと政治家をやっているわけだ。

久間氏の暴言で小池百合子大臣に変えたが、
官僚との対立が激しく、うまくいかずに、
結局、小池百合子氏は大臣を降ろされ、
石破氏になった経緯がある。
つまり、また大臣を変えるといったって、
どうせろくでもない政治家が選ばれ、
石破大臣が辞任したからこの問題は決着したと、
かえって、事故の原因究明を妨げる結果になりかねない。

それにしても驚きなのは、
石破大臣辞めろと衆院安全保障委員会で詰め寄ったのが、
社民党の辻元清美だったことだ。
秘書給与詐欺容疑で逮捕され、有罪確定した、
二度と政治家になるまじき人間が、いつのまにか再選し、
大臣辞めろと詰め寄っている姿を私は苦々しく思う。
石破氏が辞める前に「おまえが辞めろ」と言いたい。

さて、この事故の問題を解決するには、
石破大臣が辞めることじゃなく、
まず、防衛「省」を防衛「庁」に戻すべきだと思う。
守屋事件にせよ、これだけ不祥事続きで、
隠蔽体質がささやかれるところを、
庁から省に権限拡大したことは時代に逆行している。

いうなれば社会保険庁を今、
社会保険省にしますといったら、国民は激怒するだろう。
しかし不祥事続きの防衛庁が省になったことについて、
文句を言わないのはおかしい。

どうしても責任をとらせて政治家を辞めさせたいのなら、
防衛庁を省にした安倍晋三の議員辞職を求めるべきだと思う。


by kasakoblog | 2008-02-23 17:10 | 政治
2008年 02月 22日

青信号でも轢かれたら終わり~漁船はなぜイージス艦を回避しなかったのか?

不謹慎かもしれないが、
イージス艦が漁船に衝突したニュースはどうも興味を覚えず、
テレビで報道されてもチャンネルを変えてしまうし、
新聞で一面に大々的に報道されていても読み飛ばしてしまう。
なぜだろうかと考えた時、きっとこれが一番の理由ではないかと思う。

イージス艦が全面的に悪いに決まっているから。

だからどれだけニュースで詳しく事故の検証やら、
イージス艦批判を騒がれても、
なんだか「そんなの当たり前のことでしょ」と思ってしまう。
そんな折、あるマイミクの方の日記ではっとさせられる意見があった。

イージス艦がなぜ回避しなかったかではなく、
なぜ漁船の方も回避しなかったのか?

マスコミはイージス艦がなぜ回避しなかったのか、
イージス艦の非を挙げ続けている。
そりゃそうなんだけど、視点を180度変えて、
漁船はイージス艦という巨大船をなぜ回避しなかったのか、
と言われると、なるほど確かにそうだよなと疑問に思う。
マスコミによる一方的報道は、
知らず知らずのうちにいかに国民を盲目的にさせるかがわかる。

ただネット等によると、漁船が回避するというのも、
そう簡単なことではないようだ。
いろいろ海洋法制に詳しい人が専門的なことを書いているので、
私は漁船の非を指摘するつもりはまったくないし、
イージス艦に非があることに変わりないし、
許せないのはイージス艦だという認識でいる。

ただこの事故で思うのは、
いくら自分が正しく、ルールを守っていたとしても、
ルールを守らない不届き者がいることを警戒しなければならない、
そういう時代に生きていると認識しなくちゃいけないということだ。

漁船に通行の優先権があり、イージス艦に回避義務があった。
いわば漁船は青信号を渡っていたのに、
イージス艦が信号無視して突っ込んできたわけだ。
これを私たちの一般生活に置き換えるとどうだろう。
自分が青信号を渡っていたとしても、
信号無視してきた車が突っ込んできたら、
自分に非がなく相手が100%悪くても事故にあってしまうということになる。

最近道路を歩いていると、
車もバイクも自転車も歩行者もほんと交通マナーが悪い。
特にうちの近くでは、信じられないことだけど、
路線バスが平気で赤信号無視して猛スピードで通っていくことが度々ある。

だから青信号でも、安全ではないと思っているから、
車やバイクが突っ込んでこないか注意するようにしている。
自分がルールを守っていようが、轢かれてしまえば、
イージス艦事故のように悪い輩にいくら非を並べたところで、
悪い輩は生き延び、ルールを守った方が多大な被害を被ってしまうからだ。

ルールを守らせることは大切だし、
ルールを厳しくし、罰則を強化することも大切。
でも今の社会では悲しいかなそれだけじゃダメなんだな。
必ずルールを守らない奴がいる。
だから自分もルールを盲信せず、
自己防衛していなかくてはならない。
残念ながら自分がルールを守っていれば、
安全・安心だという社会ではないことは、
昨今の食品偽装や詐欺事件などを見ても明らかだ。

振込詐欺なんかにしてもそうだけど、
騙す奴は悪いし、こういう腐った輩は、
詐欺額の100倍ぐらい金銭的ペナルティを負わせるべきだと思うけど、
法律を守らず騙す奴は必ずいるから、
騙されないようにほんと自分自身が注意しなきゃいけない。

人間は悪いことをする生き物だという、
性悪説にたって物を考えなくてはいけない時代に我々は生きている。
それをうんと肝に銘じないといけない。

なんでもかんでもお上のせいにしても、
事故や事件にあってからでは遅い。
ルールうんぬんではなく、
自分で自分の身を守らなければという意識を、
強く持たなければならないなと、今回のイージス艦事故で思った。

追記
「米兵はたるんでいる!」ということで外出禁止になったらしいけど、
防衛「省」および自衛隊もたるんでるんじゃないのか。
漁船一つ気づけず、果たして有事の際は大丈夫なのか?と、
自衛のあり方が実に心配だ。


by kasakoblog | 2008-02-22 17:11
2008年 02月 21日

ホームページ開設8周年!

かさこワールドというホームページを、
2000年2月21日に立ち上げて、丸8年が過ぎました!
なんと今年で9年目突入です。

8周年を記念して、
見るのが大変なほど膨大なコンテンツになってしまった、
かさこワールドの見所を、
ホームページの歴史とともに紹介いたします。

私は大学を卒業した後、サラ金大手のアイフルに就職。
2年4ヵ月勤めた後、「深夜特急」(沢木耕太郎著)の旅に憧れ、
会社を辞めてアジア放浪へ。
帰国してからこの旅行記を発表する場として、
25歳当時の私が開設したのが、ホームページのはじまりでした。

●アジア90日間旅行
東京→下関→釜山→ソウル→天津→北京→ウランバートル→北京→
洛陽→西安→ウルムチ→トルファン→敦煌→チベット→ネパール→インド
http://kasako.web.infoseek.co.jp/asia.html

8ヵ月の長い休みを終えて、金融業界から無理やり、
未経験の編集プロダクションに転職。
かさこワールドでは、旅行コンテンツ以外のものをと思い、連載をはじめたのが、「かさこ金融道」。
サラ金勤務時代のおもしろおっかな話を実話で展開。
この連載をまとめたものが2005年に出版された、
『サラ金トップセールスマン物語』(笠虎崇著)です。

●『サラ金トップセールスマン物語』の原稿一例
http://kasako.web.infoseek.co.jp/sarakin.files/sarakin1.html

ラーメン探訪、書評ランキング、映画論評といった主要コーナーの他に、
2001年11月に、藤原新也の部屋、シャーロックホームズの部屋、グインサーガの部屋など、
趣味性の高いコンテンツを一斉立ち上げ。
その中でもコンテンツ充実度が高く、今でも更新頻度が高いのが、
コンサートレポートなども掲載されている、Mr.Childrenの部屋です。

●Mr.Childrenの部屋
http://www.kasako.com/mrchildren.html

サラ金から足を洗い、編集の世界にまんまと入り込み、
かさこワールドでの執筆も2年を超えた2002年。
これまでまったく異常がなかったにもかかわらず、
突然腰痛になり、歩けなくなり、
寝たきり&入院生活を余儀なくされるという、
とんでもない事態に遭遇しました。

●椎間板ヘルニアドキュメント
http://www.kasako.com/kosi.html
ちなみに椎間板ヘルニアで激痛の最中、結婚することになり、
かさこワールドで電撃発表したところ、
あまりの突然の発表に「できちゃった婚ではないか」と、
方々から問い合わせが来る始末。
●2002年5月4・5・6・7日 ゴールデンウイークスペシャル2 電撃?!
http://kasako.web.infoseek.co.jp/tubu02.files/tubuyaki47.html

2002年、27歳、突然の椎間板ヘルニアに襲われたことは、
私の今後の生活に大きな影響を与えました。
無事に手術を終え、退院すると、
自分の人生を大きく転換させることにしました。
勤めている編集プロダクションを辞め、
これまでずっと夢だったトラベルライターへの転身に成功したのです。

●トラベルライターになるのは
http://www.kasako.com/travelwriter.html

27歳は激動の1年だった。
椎間板ヘルニアでの寝たきり&入院にはじまり、
結婚、引越し、会社退職、フリーランスに、そして転職。
でもこの頃から、かさこワールドの毎日の日記の内容が、
これまでとは違い、ぐんと幅が広がり、レベルアップしているのに気づく。
病気が生の有限性を感じさせ、夢に向かって邁進する決意をさせたのか。
病気によってどこか生き急いでいた自分の生活を見直す契機となったのか。
この時から種をまきはじめた様々な活動が、
今、花開いていることに気づく。
中でも人気コンテンツとなった「はかねこ」写真を撮り始めたのもこの頃だ。

●はかねこ写真
http://www.kasako.com/nekofotomokuzi.html

トラベルライターに転身したおかげで、
仕事・プライベートとも海外旅行に行く機会が増え、
海外旅行コンテンツがかさこワールドでより充実してくることになった。

●海外旅行コンテンツ一覧
http://www.kasako.com/traveltop.html

そして2005年、かさこワールドは新たなスタートを切ることになる。
"Everything is kasako-world"
すべてをかさこワールドに注ぎ込む!
旅行ガイドブックの制作会社を辞め、
金融関連の編集制作会社に転職したのを機に、
ますますかさこワールドの発信活動を強化することにしたのだ。

この年から、2007年に出版された写真集『工場地帯・コンビナート』の撮影活動をスタート。
●京浜工業地帯写真目次
http://www.kasako.com/keihinfotomokuzi.html

この年から東京少女写真やライブ写真など、
これまで自分が撮ったことのない被写体を写すようになり、
かさこワールドの写真コンテンツの割合も増えるようになってきた。

海外トラベルライターだったことの反動なのか、
最近ではテーマをもとに日本を見つめ直す旅も増えてきた。
「はかねこ」から「島ねこ」へと猫写真を全国拡大に。
●島ねこ写真
http://www.kasako.com/shimanekofoto.html

旅行地として沖縄を頻繁に訪れるようになったのもこの頃から。
●沖縄旅行目次
http://www.kasako.com/okinawatabi.html
団地、商店街、市場、再開発など、昔ながらの昭和の街並み撮影も開始。
●『団地・路地裏・商店街』
http://www.kasako.com/kasakobooks.files/0710danti.html


ざっとこんな感じで、かさこワールドの歴史とともに、
おすすめコンテンツをご紹介しました。

ミクシィをやるようになってから、
毎日更新している「つぶやきかさこ」は、
ホームページ、ミクシィとも同じ内容を掲載していますので、
どちらで見ていただいても結構ですが、
テーマごとのまとまったコーナーや写真コーナーは、
ぜひ時間がある時にでもパソコンから、
かさこワールドをのぞいていただければありがたいです。
今回紹介した以外にも、思わぬツボにはまるコーナーも、
きっとあると思うので。

というわけで、9年目を迎えたかさこワールドですが、
これからも毎日飽きずに読者が楽しめるよう、
できるだけ幅広いテーマを散らして取り上げつつ、
テーマごとにコンテンツをまとめていったり、
出版したり雑誌に掲載するなどして、活動していきたいと思っています。

今、読んでいただいている方々が、
「未来の総理かさこに早くから目をつけた一人」として、
自慢してもらえるよう、がんばりたいと思ってます。

かさこワールド
http://www.kasako.com/


by kasakoblog | 2008-02-21 17:12 | お知らせ
2008年 02月 20日

隠し味の味噌~円周率3.14復活より考えるべきこと~

パスタソースに味噌。
キムチ鍋に味噌・・・。

私は料理についてまったく詳しくないのだが、
味噌というのは味噌汁以外にも、
いろいろな料理に使えることを最近知った。

私の極めて少ない料理レパートリーの中で、
パスタとキムチ鍋があるのだが、
この両方に味噌を入れるとうまくなるなんて、
まったく思いもつかなかった。

パスタのトマトソースに味噌を入れるなんて、
なんとも信じがたい組み合わせだと思っていたのだが、
味噌を入れると、単調な味が実にマイルドで奥深い味わいになるのだ。

そしてキムチ鍋のスープにも味噌を入れる。
キムチ鍋なんだからキムチスープさえあればいいだろうと思うのだが、
それだけだとただ辛いだけの、これまた単調なスープになってしまう。
ところが味噌をちょこっとキムチ鍋に入れるとね、
これまたマイルドで奥深い味わいになるから不思議である。

きっとこの他にも「えっ、こんなもんにも味噌入れるの?」みたいな、
隠し味的使い方はいっぱいあるんだろうな。

大人になると勉強したいことがいっぱいある。
たとえば料理もその一つだろう。
「自分で料理が作れたら」とか、
「自分でおいしく料理が作れたら」とか思う人は多いんじゃないか。

学力低下でゆとり教育見直しで、
主要教科の授業を1割増するとかいっているけど、
円周率を3と覚えさせるか3.14と覚えさせるかの違いで、
学力向上になったと騒ぐ前に、
なんかこう、もっと社会人生活に役立つような、
実践的な教科を増やして、
生活力を向上させようとかって発想はないのかな。

思うに学校の授業内容や教え方も悪いんだろうけど、
教える年齢もまずいんじゃないのかな。
小学生の時に調理実習とかやらせても、
小学生の頃に自分で料理ができなきゃいけないって必要性を感じないから、
授業をまじめに受けず、結局その時何も覚えず、
社会人になってから勉強し直すみたいなムダが生じるのかなと。
たとえば高校とか大学で教えたら、
一人暮らしして、自炊しなければならない人もいるだろうし、
親の帰りが遅くて自分が作らなければならないとか、
自分の生活に役立つ可能性があるから、
学ばなきゃって意欲がわくんじゃないかなとか。
※まあ義務教育のうちにやることの必要性もわかるんだけど、
小・中学生でやっても遊びになっちゃうよな・・・。

あとは家庭科とか調理とかって受験に関係ないってことも、
学ぶ意欲を大きく低下される要因になっている。
円周率を3.14と答えられる学力も大切なのかもしれないけど、
パスタソースに味噌を入れるとうまくなるとか、
そういう生きた知恵が試験に出たら、
これはみな必死で覚えるに違いない。

社会人になってから、料理の本を買ったり、
教室に通ったりするなど、
金と時間という多大なコストを取られるより、
学校教育でしっかり教える方がいいんじゃないかな。

「そんなの親のしつけの問題だ」と言われて今まで一蹴されてきたけど、
親の所得格差によって教育格差が広がるんじゃなく、
親の教養格差によって子どもの生活力格差が生まれることの方が、
社会全体にとって深刻な問題じゃないかなと思う。

最近では「食育」の重要性が叫ばれているらしいけど、
叫ばれているわりにどこまで実効性があるかは疑問だ。
料理にしても食育にしても、
今後重大な問題となる環境問題とかゴミ問題とかと、
全部つながってくるわけです。
料理を学べば当然、食品偽装とか食の選び方とか、
殺虫剤がついてベトベトな袋なのに気づかず食べてしまうとか、
そういうことにもつながっていくと思うんだけどな。

学校撮影時に、調理室とかにも入ったんだけど、
せっかくいい施設があるんだから、
調理実習の授業増とかだって、
「ゆとり教育」の見直しと子どもの「学」力低下防止のために、
考えられるべき一つの選択肢として検討されてもいいんじゃないかなと。

おっと、随分脱線したけど、味噌の話だった。
学校で料理をきちんと教えてくれたら、
社会人になってからの生活で、
ちょっとした工夫で彩りを添えられるのになとか思う次第である。


by kasakoblog | 2008-02-20 17:13 | 生き方