<   2010年 10月 ( 43 )   > この月の画像一覧

2010年 10月 31日
決断した時点で自分は変わる
土曜日も日曜日もmixi経由で、
「話がしたい」とメッセージを送ってきてくれた、
どちらも24歳の女性の方にそれぞれお会いした。

土曜日に会ったAさんは、
4年間勤めた会社を来年に退職することを決めた。
すでに職場には伝えている。
理由は前にできなかった海外留学をするため。

彼女の不安は「留学して何か得るものがあるのか」
「留学して自分は変われるのだろうか」という点にあった。

私は断言した。
「会社を辞めるという決断をし、
留学するという決断をした時点で、
すでに自分は変わっている。
だから留学で何かを得られなかったとしても、
別に問題はない。
この決断によって人生は大きく変わっているのだから」

私が会社を辞めて長期旅行に出かけたのも、
ちょうど彼女と同じ24歳の時だった。

3ヵ月間、アジアを旅行した。
多くの人からこう聞かれた。
「3ヵ月も旅行していたら、
考え方とか価値観とか大きく変わりましたか?」と。

正直、3ヵ月旅行したからといって、
私の気持ちに大きな変化はなかったし、
具体的に何かを得たといったような“成果”はなかった。

だから私はいつもこう答えていた。
「旅行に行ったから価値観が変わったというより、
会社を辞めて旅に出るという決断をした旅行前に、
すでに私の考え方や価値観は変化したと思う」

私が90日間の旅行初日に思ったことは、
「ほんの少しの決断力と、ほんの少しの非常識さえあれば、
誰だってこんな自由な旅に出れる」ということだった。

そう。旅行に行ったから人生観が変わるんじゃない。
旅行に行くために会社を辞めるなんていう、
「非常識」な決断をした時点で、
人はもう変わっているのだ。

だから自信を持っていい。
具体的に何かを得られなかったとしても。
今までの人生におさらばし、
自分のしたい道を歩む信念を行動に移せたのだから。

よく会社を辞めたいという人がいる。
辞めたいなら辞めればいいじゃないかと思う。
辞めないなら、会社でがんばればいいじゃないかと思う。

会社を辞めないのに辞めたいといって、
いつまでも居残り続ける人は、
自分の仕事に言い訳しているに過ぎない。
辞めるか、がんばるか。2つに1つしか道はない。
それが自分にとっても会社にとっても、
取引先や客や同僚や株主に対しても、
責任ある態度だと思う。

彼女は会社を辞めるという決断をした。
私はそれだけで素晴らしいことだと思う。

終身雇用が崩壊したとかいったところで、
やはり会社を辞めるにはそれなりの勇気や覚悟がいる。
辞めるときっぱり決断できたことは、
相当な信念なり考えなりがないとできないことだ。

会社を辞めない方がいいのか、辞めた方がいいのかは、
実はたいした問題じゃない。
辞めたいと思ったら辞めれるのがいい。
それだけに過ぎない。

4年間も勤めていれば、相当、居心地はいいはずだ。
仕事も慣れていて、そんなに苦労はしなくとも、
日々は流れていくはずだ。

しかしそこに彼女は疑問を持った。
このままでいいのだろうかと。
このまま、なわなわで、ぬるま湯につかったまま、
年を重ねていけば、いつか後悔する日がきてしまうのではないか。
やりたいことをするなら若いうちがいいんじゃないか。
そう思って決断した。
素晴らしいことだと思う。

「留学したってたいしたことは身につけられない」
という人もいたという。
結果はそうかもしれないけれど、
自分でやってみなきゃわからない。
自分で実際にやってみて「留学は意味がなかった」としても、
「意味がなかった」ことがわかれば、
それが十分な成果だと私は思う。

やりたいことをやったけどダメだったというのと、
やりたいことをやらずに、
ダメそうだからやらなかったとでは、
まったく意味が違う。

どうしてもしたいことがあるのなら、
早めにした方がいい。
ずっと我慢して、日常を過ごしていると、
いつかその想いが爆発する。
我慢してできないとストレスがたまり、
毎日が不満だらけになる。
我慢したまま自分をごまかし続けると、
いつか「あの時やっておけば」と一生後悔する。

失敗してもいい。
やりたいことをやればいいんです。
そして失敗したらそこから得るものはたくさんある。
そこで軌道修正をすればいい。

やらずに失敗しなくても何も得ることはできない。
結果が大事なのではなく、
自分で考えて決断し行動することが、
人生において何より大事だと思う。

※日曜日にあった24歳の女性は、
すでに会社を辞めて新たな道を歩み始めていますが、
その話はまた後日。



by kasakoblog | 2010-10-31 23:54 | 生き方
2010年 10月 30日
インスブルック写真
e0171573_22463280.jpg

e0171573_224807.jpg

e0171573_2248192.jpg


オーストリアのチロル州の州都。
スイスに程近いインスブルックの写真アップしました。
ウィーンからは列車で約5時間、
ドイツのミュンヘンからは列車で約2時間の場所です。

インスブルック写真
http://www.kasako.com/1009ins.html


by kasakoblog | 2010-10-30 22:48 | 【写真】海外
2010年 10月 30日
たった1つのこと
たった1つのことがうまくいくだけで
どんなに大変なことがあっても
世の中がバラ色に変わったりする

たった1つのことがうまくいくだけで
すべてのことがうまくいくような気がして
こうしたポジティブな想いが運を引き寄せ
次々と本当に物事がうまくいったりする

逆にたった1つのことがうまくいかないと
どんなに他のことがよかったとしても
世界がどんよりとした灰色に見えてきて
生きる気力をなくしてしまうこともある

たった1つのうまくいかないことで
すべてのことが失敗するような気がして
こうしたネガティブな想いが悪運を引き寄せ
次から次へとうまくいかないことだらけになったりする

人間とは感情の生き物
論理なんかあんまり関係ない
冷静でいられるうちは論理は通用するけど
とっさの判断を迫られる場面では
論理より感情が打ち勝つ

だからプラスの感情を持つのか
マイナスの感情を持つのかで
見せる世界の色まで変わってしまう
起こる出来事まで変わってしまう

当たり前の話だけど
自分は運が悪いと思う人は運が悪い
なぜなら自分が運が悪いと思っているから
こうしてどんどん悪運を引き寄せる

自分は運は悪くないと思う人は運は悪くない
なぜなら自分は運が悪くないと思っているから
だからどんどん好運を引き寄せる

人間なんて思い込みの感情の生き物
たった1つのことをどう捉えるかで
人生は180度変わってしまう
だから勝負師などはげんをかついだりするわけだ

自分の目の前に見える景色をバラ色に変わるには
たった1つのいいことをつくること
たった1つのことをいいことだと思うこと

たった1つでいいんです
それがうまくいっていると思えば
それがうまくいくようがんばって
うまくいくようになれば
すべての世界は光り輝くから

たった1つうまくいくことで
人生に起きるつらいことや大変なことが
簡単に乗り越えられるようになる

自分の感情を揺り動かす
たった1つのうれしいことが
すべての好運(幸運)のはじまりになる

うまいものを食べれば元気になって
すべてがうまくいくような気がしてくるかもしれない
会いたい人に会えば元気になって
すべてがうまくいくような気がしてくるかもしれない

好きな音楽を聴けば力がわいてきて
すべてがうまくいくような自信がわいてくるかもしれない
おもしろい映画を見れば笑顔になって
すべてが楽しくなるような気がしてくるかもしれない

なんでもいい
たった1つのきっかけを
プラスに捉えること

それが悪運のスパイラルから抜け出し
幸運のスパイラルに転換するスタートとなる

たった1つのことでいい
1つのことがうまくいけば
きっとすべてがうまくいく


by kasakoblog | 2010-10-30 01:54 | 生き方
2010年 10月 29日
無数の未来。生きてこそ人生
e0171573_137140.jpg
e0171573_13776.jpg
e0171573_1371378.jpg
e0171573_137186.jpg
e0171573_1372449.jpg
e0171573_1373070.jpg
e0171573_1373937.jpg
e0171573_137453.jpg
e0171573_1375010.jpg
e0171573_1375671.jpg
e0171573_138290.jpg
e0171573_138794.jpg
e0171573_1381339.jpg
e0171573_1382016.jpg
e0171573_1382525.jpg
e0171573_1383118.jpg
e0171573_1383781.jpg
e0171573_1384235.jpg
e0171573_138481.jpg
e0171573_1385246.jpg


<心が軽くなるフォトエッセイシリーズ>
今を生きる
http://kasakoblog.exblog.jp/12983116/

心の扉を開いて
http://kasakoblog.exblog.jp/12950978/

言葉の贈り物
http://kasakoblog.exblog.jp/12237429/

心の清涼剤
http://kasakoblog.exblog.jp/12700029/

フォトエッセイ「メメントモリ」
http://www.kasako.com/mementofoto.html


by kasakoblog | 2010-10-29 01:38 | フォトエッセイ
2010年 10月 27日
うまい!安い!豚肉焼肉!!!
e0171573_23444794.jpg

つぶやきかさこ、怒涛のブタネタ3連発!
「ぶりぶりざえもん」「幸せの豚カレー」に続き、
今日は超おすすめの、
サムギョプサル(豚バラ肉)専門店とんちゃんを紹介します。

いや~、うまい!安い!腹いっぱい!
こんな店があるなんて、ほんと日本は幸せです。

羽田空港の国際化で行ってみたい国は韓国が第一位で、
その目的が本場の焼肉を食べたいなんて、
相変わらず寝ぼけたおバカな日本人が多いわけですが、灯台下暗し。
うまくておいしい韓国料理はいくらでも日本で食べられる。
その一つがこのとんちゃんでしょう。

焼肉というと牛肉ばかりをイメージするが、
ここは豚肉専門店。
「え~、豚肉なんて!」と思うかもしれないが、
ここの豚肉はほんとおいしいんです。
なんかすごい豪勢なステーキみたいな感じ。

どでかい豚肉をオンドル(石)で焼き、
それを細かく切って食べていくんだけど、
とってもジューシーでやわらかくてうまい!
ごま油につけて食べてもおいしいけど、
サンチュにまいて、焼きキムチ入れたり、
特製ネギサラダ入れたりして食べても実においしい。
e0171573_23451251.jpg

しかも1人前980円!
女性だったら1人前だけ肉頼めば十分お腹いっぱいに。
しかもこの値段のなかには、
サンチュ、ネギサラダ、キムチなどのおかず4品食べ放題付きなんです。
e0171573_23454299.jpg

しかも肉は店の人がちゃんと焼いてくれて切り分けてくれる。
だいたいどこも店員は韓国人で、
わりとイケメンぞろい。
そのせいか今日行った五反田店では、
客の9割が女性客という焼肉店としては信じられない光景。

いろんな食べ物を食べて思うこと。
それは本当においしいものはそんなに高くない。
いやむしろ安い。

大金はたいて年に1回か2回しか食べられないようなものは、
きっと「おいしく」ない。
庶民の味ともいうべきおいしい店は、
手ごろな値段で腹いっぱい、
おいしいものを出してくれる。
そういう店は探せば結構あるはずです。

店は新宿、渋谷、高田馬場、上野、赤坂、
五反田、新大久保にあります。
どこも混雑して並んでいますが、
残念ながら予約は4名以上じゃないとダメ、
という店が多いみたい。

ぜひ一度食べにいってみるとよいと思います。

とんちゃん公式ページ
http://www.tonchang.com/
※ぐるなびにも各店掲載されてます。
※最近この店をマネた類似店が増えているみたいです。


by kasakoblog | 2010-10-27 23:45 | グルメ・ラーメン
2010年 10月 27日
幸せの豚カレー
豚の話をもう1つ。
昨日はなんとなく気分がのらないまま、会社に向かった。
明日までに書かなきゃならない、
M&Aについての2000字の原稿が思うように進まない。

気分がのらない理由はわかっている。
何事も宙ぶらりんのままだからだ。

悪い結果であることはそう怖くはない。
怖いのは結果がどうなるかわからないこと。
いつまでも結果が引き延ばされ続けること。

例えば大学の合格発表でも、
企業の内定連絡でもいい。
早めに不合格とわかれば、
それはとても残念なことだけど、
気持ちを切り替えて新しい別の道を考えられる。

しかし結果がわからないまま、
ずっと待たされ、延ばされて続ければ、
次に進むことができない。
その間、何も自分ではできない無力感。

そんな状態にいるために何も進むことができず、はがゆい。
それで気分がのらなかった。
午前中があっという間に終わってしまい、
昼食を食べに、毎週1度は必ず訪れている、
神楽坂のうどん屋「花びし茶屋」におもむいた。

ここの豚カレーうどんがとってもおいしくて、
1年ぐらい通っているせいか、
「まいどどうも!」だけでなく、
最近は「豚カレーですよね!」と、
注文内容を覚えてくれている。

今日はとっても肌寒く、
冷たい雨が降り出した頃、
なんとなく気持ちがのらない中、
あったかい、おいしいカレーうどん食べたら、
心も体もあったまってきて、気分がとっても癒された。

なぜか今日は食べてる最中ご主人が、
「お客さん、いつもよりちょっと少なかったかもしんないから」
と食べている最中にうどんとカレーをばざっと足してくれて、
なんだかそれは少なかったからではなく、
私がいつもより気分が沈んでいるのを見抜いた、
気遣いの特別サービスに思えて、
そんな心遣いがとっても心に身にしみた。
(いや、ほんとに少なかったのかもしれないけど)

あったかいカレーうどんを食べて満腹になり、
いつものように会計する時に、
ご主人もおばさんも「いつもどうも」「まいどどうも」と、
声をかけてくれて、とってもうれしかった。
多分それは私の気分が弱っていたから余計にしみた。

そんな気持ちからふと言葉が思い浮かんだ。

おいしい料理は心もあたためてくれる。
優しい言葉は心を癒してくれる。

そうだったのか。
おいしい料理を食べれば気分は癒される。
優しい言葉や声を聞けば気分は癒される。
元気になれる方法はあるじゃないか。

うどん屋の料理と言葉に勇気づけられ、
立ち止まったままずっと気になっていたことを、
少しだけ前に進めようと思った。


人の感情はジェットコースターのように揺れ動く。
そんな時こそおいしいものを。
そんな時こそあったかいものを。
そんな時こそ優しい言葉を。
きっとそれだけで人は元気になれる。

気分が沈んだ時に、
自分を癒してくれるものは何かに気づけば、
きっと人は元気になれる。

それが自分にとって何なのか、
幸せの豚カレーが教えてくれた。

むろん、もう1つの豚の話、すなわち、
ぶりぶりざえもんの物語も、
もちろん私を随分と元気づけてくれたわけだけど。

感動!ぶりぶりざえもんの物語
http://kasakoblog.exblog.jp/13509474/

神楽坂・花びし茶屋
東京都新宿区北町23
(大久保通り沿い、タリーズコーヒー前)


by kasakoblog | 2010-10-27 00:35 | 生き方
2010年 10月 26日
感動!ぶりぶりざえもんの物語
※この日記はクレヨンしんちゃん映画、
「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」のネタバレを含みますので、
お気をつけください。

昨日、感動の映画を見た。
そう、クレヨンしんちゃん映画「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」だ。

クレヨンしんちゃん映画の中でも、
大人が見ても感動して泣ける作品には、
「オトナ帝国の逆襲」と「戦国大合戦」が二大巨頭だ。
それ以外のクレしん映画はすべて見ていたけれど、
久々にまた見直しているところ。

そこで見たのが「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」なのだが、
二大巨頭作品に負けない、素晴らしい感動シーンがあった!
もうなんとも涙と笑いと感動がつまった、
最高のシーンだったので、
ぜひみなさんも映画を見て欲しいのだが、
そうはいってもクレしん映画を実際に借りる人は、
きっと少ないと思うので、
そのシーンを紹介したい。

クレヨンしんちゃんが考案した「ぶりぶりざえもん」は、
かわいくて生意気な豚人間。
その豚人間・ぶりぶりざえもんが、
世界中のコンピュータを犯すウイルスとして登場するのだが、
そこでクレヨンしんちゃんが待ったをかける。
「ぶりぶりざえもんは救いのヒーローだぞ!」と。

悪の支配者になろうとしていたぶりぶりざえもんは、
その声に耳を傾け、救いのヒーローの話を、
しんちゃんから聞かされる。

・・・・
ぶりぶりざえもんは渋谷のセンター街で、
女子高生のパンツをのぞこうと地面をはっていた。
そこで女子高生同士が話していた、
「お宝いっぱいの山」があることに知り、
ぶりぶりざえもんは山に出かける。

山の途中で泣いているレースクイーンに出会う。
しかし先を急いでいるぶりぶりざえもんは無視するが、
レースクイーンに無理やり呼び止められたので、
「どうしたの?」と聞くと、
靴が壊れてしまったという。

そこで手先が器用なぶりぶりざえもんは、
いやいや靴を直してあげた。
するとレースクイーンからお礼にF1チケットをもらう。

再び山を登っていくと、今度は泣いているOLに出会う。
面倒なのでぶりぶりざえもんはOLに気づかないよう、
道を変えて進むもOLにつかまってしまう。
「どうしたの?」と聞くと、
部長に頼まれたコピーができないという。

コピー機に詳しいぶりぶりざえもんは、
「紙ずまりだな」と気づき直してあげると、
OLからお礼に居酒屋ドリンク無料券をもらう。

F1チケットや居酒屋ドリンク無料券をもらい、
るんるん気分のぶりぶりざえもん。
山を歩いていくと、今度は泣いている小さな女の子に出会う。

ぶりぶりざえもんは今度はまったく逃げようとせず、
真っ先に女の子のもとにかけつけ、
「どうしたの?」と聞く。
「おなかがいたい」という女の子に対して、
「助けてあげたら何くれる?」とぶりぶりざえもんは問い詰めるが、
小さな女の子は「お礼にあげるものはない」というと、
ぶりぶりざえもんは怒り心頭「じゃあダメ!」といって、
女の子を無視して立ち去ってしまう。

しばらく山を登っていくと薬局があり、
ぶりぶりざえもんはF1チケットと居酒屋ドリンク無料券で、
おなかの薬に換えてもらい、女の子を助ける。

こうしてぶりぶりざえもんはお宝の山を登りきったものの、
頂上には何のお宝もなく、
F1チケットと居酒屋ドリンク無料券もなく、
何のために山に登ってきたのだと後悔する。

しかしぶりぶりざえもんはふと気づく。
レースクイーンやOLや小さな女の子を助けたことで、
「ありがとう」とお礼を言われたことを。

こうしてぶりぶりざえもんの心の中には、
かけがえのない宝物でいっぱいになり、
「ぶりぶりざえもんは救いのヒーローとなり、
世のため人のために働きましたとさ。
でめたしでめたし」としんちゃんが締めくくる。

・・・・

いや~なんかじーんときてしまって、
このシーンを何度も見返してしまった。
なんかこう人間のすべてが凝縮しているような、
見事なシーンだと思って。
しかもそれを、ぶりぶりざえもんやクレヨンしんちゃんという、
笑いのキャラクターで描いているところがもうほんと素敵すきるのだ。

人間、いいことをするってなかなか難しい。
道徳の本みたいに、「こんなやつどこにもいねえよ!」みたいな、
100%の善人が登場し、
何の私利私欲も持たずに人助けする話って、
なんかリアリティも説得力もない。

しかしこのぶりぶりざえもんの物語には、
人間の本性がいっぱいつまっている。

仕方がなく助ける。
いやいや助ける。
でもそこに思わぬお礼がついてくると、
それに味をしめ、お礼目的に人助けがしたくなる。
でもお礼がないと知ると、
じゃあ助けるか!という気持ちもなんかすごいよくわかるけど、
でも結局、見捨てるほど冷徹にはなりきれず、
すべてのものを失ってまで結果助けてしまい、
自分のお人よしにあきれてしまう。

でも、何も物が得られなくても、
人からありがとうって言われたのを思い出すだけで、
にやけてしまうほどうれしい気持ちが、
きっとまた人の助けをしたいという思いにかわる。

そう。欲望を持った凡人でも、
「救いのヒーロー」になれるのだ、
ということをクレしん映画は見事に描き出している。

私は昔、非常に功利的(効果や利益を求める発想)主義なところがあった。
何かするのであれば、何かお返しにしてくれなきゃ、イヤだみたいな。

でも最近は「大人」になったせいなのか、
功利が一番ではなくなっていて、
お礼がもらえるとかそういうの関係なしに、
自分が誰かの役に立ればうれしいって想いの方が、
すごく強くなっている。

今でもよくぜんぜん知らない人から、
「トラベルライターになるにはどうしたらいいか」とか、
「マスコミ業界に転職したいのだが」とか、
「カメラをうまく撮るにはどうしたらいい」とか、
メールがくることが結構ある。

それに対してほぼすぐにクイックレスポンスすると、
すごくみんな喜んでくれるのと同時に、
「忙しいのになんでこんなすぐに、
丁寧に返信してくれるのですか?」という、
不思議な思いをされることもある。

でもそれはきっとぶりぶりざえもんが、
頂上に登った時の気持ちと同じ。
誰かに助けを求められ、自分がそれに答えて、
役に立ったと思われることがうれしい。
それだけのことなんです。
自分にできることならできる限りのことはしたいという。

そういうのって、はじめのぶりぶりざえもんがそうだったように、
若い頃の私がそうだったように、
はじめはできないわけです。
なんか自分が損しちゃうとか、
見返りを計算しちゃうとか。

でもそんなのぜんぜん関係なくなるんです。
役に立つことができれば。

いやだからといって私もぶりぶりざえもんですから、
道徳に出てくる善人みたいに、
自分のすべてを犠牲にして、
なんでも他人に尽くすってわけにはいかないし、
そりゃお礼をいただければ、
断ることなく遠慮なく頂戴します(苦笑)。
でも別にそれが目的じゃないし、
ありがとうっていってくれれば、
ほんとそれだけでいいっていう気持ちの方が、
だんだん大きくなってくるんです。

誰もが一歩踏み出せば、
よこしまな欲望は持っていても、
救いのヒーローになれるぶりぶりざえもんの物語。
そんなリアリティのある物語に、
私はきっと深い感動と笑いと涙を感じたのだと思う。

そんなわけで、
クレヨンしんちゃん映画「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」、
ぜひおすすめですので見てみてください~。

クレヨンしんちゃん映画ランキング
http://www.kasako.com/sintyaneiga.html


by kasakoblog | 2010-10-26 21:28 | 書評・映画評
2010年 10月 25日
自分だけを責めるのは間違ってる
何でもかんでも自分のせいだと思い込む人がいる。
「私がすべて悪い」と。

でも世の中にそんなことってほとんどない。
世の中で起こるいろんなことは、
いろんな人が関わりあい、いろんなことが絡み合い、
その結果、生じたもの。

「すべて自分が悪い」って、
ある意味では、非常に思い上がった考え方だ。
そんなにあなたはえらいのか。
そんなにあなたは影響力があるのか。
そんなことはない。
自分ひとりだけのせいで起こることなんて、
ほとんどない。

「すべて自分が悪い」って、
ある意味では、現実から「逃げる」ことでもある。
目の前に起きている現実を、
冷静に分析することなく、
他人を責める勇気がないから、
「自分は悪い」といってしまえばラクになる。
でもそれは現実をちゃんと見ていない。

自分はちっとも悪くなくて、
すべて他人のせいだという人は、
とってもたちが悪いけど、
自分がすべて悪くて、
他の人はすべて悪くないという人も、
善人に見えて、実はたちが悪い。

すべての責任を自分一人で背負い込む必要なんか、
ぜんぜんない。
ちゃんと目の前に起きている現実を、
冷静に見なくっちゃ。

そんなに力を入れすぎなくていい。
そんなに自分を責めなくていい。
100%悪人なんてこの世の中にそう多くはいないんだから。

自分だけを責めることは、
最もラクな方法だけど、
それは正しいやり方とはいえない。
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げて、
傷つくことで生きてる証を得ることは簡単だけど、
それは倒錯した考え方。

一人のせいですべてが悪いことなんてない。
自分だけを責めないで。
もっと気持ちをラクにして。
時には他人のせいにするぐらいの、
ずる賢さを持ったっていい。

人のせいにしたって、
それが正しい分析なら、
嫌われることなんかないから。

自分だけをいじめたって、
誰も同情なんかしてくれないから。
自分だけを責めたところで、
余計に虚しくなるだけだから。

必要以上に自分を責めないで。
泣きたくなることがあれば、
思いっきり泣けばいい。
怒りたくなることがあれば、
思いっきり怒ればいい。

そんなことしたって、
ぜんぜんみっともなくないんだから。
そんなことしたって、
誰も嫌いになったりしないから。

100%の悪人がいないように、
100%の善人なんていないわけで、
自分が100%の善人じゃないからって、
それを執拗に責め立てる必要なんかない。
そんな人、どこにもいないんだから。
自分が100%の善人になれると思っていること自体、
おかしい。
そんなの誰もなれっこない。
だから自分だけを責める必要なんかない。

自分に完璧を求めすぎてはいけない。
完璧な賢い人なんかどこにもいないし、
みんな人それぞれ、愚かな部分や弱い部分や、
至らない部分をいっぱい持っている。
それが「普通」なんだから。

自分を責めすぎず、他人を責めすぎず、
完璧を求めすぎず、
ちょうどいい具合の、折り合いを探っていけばいい。

それが「普通」の人間が、
いろんなことが起きる毎日の生活のなかで、
少しでも未来を前向きに、いい方向に、
進めていく考え方なんじゃないかと思う。

自分だけが悪いなんて、
そんな驕った考え方、
そんな逃げた考え方をしてはいけない。

自分だけを責めず、
思いっきり深呼吸して、
目の前に起きる出来事を、
時には突き放した目で見て、
気持ちをラクに持てばいい。

起こってしまったことを後悔してもキリがない。
自分を責めることは過去にこだわり続けること。
過去は変えられないが、
未来はいかようにでも変えられるのだから、
自分だけを責めるのをやめて、
明るい未来にするために、
何をしたらよいか前向きに考えればいいと思う。


by kasakoblog | 2010-10-25 19:52 | 生き方
2010年 10月 24日
恋人ができないから死にたい~シンデレラ症候群
私には恋人もいないし友達もいないから死にたい。

う~ん、勘弁してよ。
子供じゃあるまいし・・・。

最近そんな発言をする人の言葉を聞いてイラっときた。
確かに社会人になると出会いも少なくなるし、
友達とも疎遠になる。
この状況で恋人がいないと、
仕事と孤独な淋しい家の往復になり、
無味乾燥な毎日になるのはわかる。

でもさ、努力している様子がない。
恋人が欲しいのなら、
出会いを求めてあらゆる手立てを打てばいいわけだ。

現に社会人で独身の人でも、
結構いろんな新しい出会いを常にしている人もいる。
無論そのチャンスを活かせるかどうかは別問題だけど、
趣味とかを通じて、仕事以外の人間関係を広げることは十分可能だ。

そういうことをしても恋人ができない、友達ができない、
というのならわかるけど、
そういう努力をしている様子は見られない。
それでできないから「死にたい」とか安直に言われて、
なんかイラっとしたわけです。

それって営業職の仕事の人が、
一本も電話せず、一社も訪問せず、
「仕事がとれないから死にたい」って言っているようなもの。

自分は一切努力はしないけど、
待っていさえすれば幸運が転がりこんでくると思っている、
“シンデレラ症候群”な人たちが案外多い。
それは過剰なプライドの高さと過剰な自信のなさゆえなのだろう。

自分から何か行動を起して失敗するのは恥ずかしい。
でも自分は他人よりも優れているから、待っていれば、
誰かいい人が現れるに違いない。
そして最後は、自分を認めてくれない今の社会が悪い、
自分の良さをわからない人間が悪い、
というところまでエスカレートしていく。
ほんと、困ったものだ。
そういう人が理不尽な異常な事件とかを起こしたりするわけです。

失恋したある知人は、しばらく沈んでいたが、
その後、人が変わったように、
積極的にいろんな人と交流を持つようになり、
いろんな趣味とかにも挑戦するようになった。
そうした努力が実ったのか最近恋人ができた。
やっぱり100の言い訳より1の行動が大事なんです。

まだ恋愛経験もない10代の人が、
もじもじしてるならわかるけど、
もういい年してろくに行動もしないで、
恋人ができないから死にたいとかって、
そんなんだから恋人ができないんだよってことに、
多分本人は気づいていない。

そんな恋人がほしいなら、
極端な話、毎週、ナンパにしいけばいい。
ナンパは効率の悪い方法だとは思うけど、
例えば毎週土曜日に渋谷あたりにでもいき、
10分に1人声をかけ、5時間続ければ、
1日で30人に声をかけられる。
1カ月で120人、1年で1440人。
そのぐらいすれば1人ぐらい引っ掛かるかもしれない。

無論、それでいい異性に出会えるとは思えないけど、
そういう努力をしてもいないで死にたいっておかしい。
それは多分、本気で死にたいとは思っていないからだろう。
人間、本当に死ぬ気になれば何でもできる。

もちろん恋人ができなくて、
死にたいぐらい淋しいって気持ちはわかる。
やっぱり、人って人とつながっていたい。
仕事ではなく仕事をを抜きにした関係で。

でもどんなに親しい友達でも、
社会人になりどちらかが結婚したり子供が生まれたりすると、
親友だって1年に1回飲むぐらいの間柄になってしまう。
するとどうしたって、1~2週間に1回ぐらいの頻度で会ってくれて、
心だけでなく体を通い合わせる恋人の存在というのは、
生きていく上では非常に大きい存在。
恋人が欲しいと思うのはごく健康的な悩みだ。

だからこそ行動して欲しい。
もじもじしてたって何も始まらないんだから。
いろんな手立てを考えればいいじゃないですか。
今なんか昔と違ってネットもあるわけで、
共通の趣味のコミュに入ってオフ会とかだってあるし、
昔より出会いのツールはすごく増えていると思う。
断然、恵まれた環境にある。

妙なプライドは捨てて、そういうのを積極的に利用すればいい。
1年ぐらいがんばったら、
よほどその人に人間的欠陥がなければ、
一度も異性とつきあったことがない若造みたいに、
外見でしか判断しないような、おかしな高望みさえしなければ、
まあまずだいたいは恋人できるんじゃないか。

恋人がいないと精神的に不安定になり、
仕事もメリハリがつかず、
恋人との予定もないから、
無意味にだらだらだらだら仕事する結果になりがちだ。

恋人がいないことが今の生活が楽しくないと、
その理由がわかっているのなら、
そのための行動すればいいんじゃないかと思う。

どれだけ賢くても、行動ができない人間は、
何も実現できない。

失敗したって別に気にする必要もなければ、
恥ずかしがる必要もまったくない。
そんなにみんなは他人のことをいちいち注目しているわけじゃないし、
覚えているわけではないのだから。

恋人探しに限った話じゃなく、
あらゆることでもそうだと思うけど、
結局は何事も行動あるのみ。

行動すれば必ず活路は見えてくる。


by kasakoblog | 2010-10-24 21:18 | 生き方
2010年 10月 24日
不妊化で子供が王様になる時代
子供がほしくてもできない。
今そういう人が急増している。

不妊治療をしている病院では、
朝7時の診察ネット予約が開始されると、
5分もしないうちに50人~100人が瞬く間に予約。
自分の予約番号の10~20番前に病院に行っても、
待合室で3~4時間待たされることもざら。

こんなことを毎週のようにやり、
しかもそれが1年、2年、3年、4年・・・と続く。
何年通えば必ず効果があるわけでもない、
まったく先の見えない戦い。
何年後かでも結果が出ればともかく、
何の効果もない場合も多い。

今の資本主義社会ではほとんどのものが金で買える。
ところがどうやっても金では買えないものがある。
その一つが子供だ。

だから保険がきかなくても、
莫大な金がかかろうとも、
わらをもすがる気持ちで金と時間を注ぎ込み、
不妊治療に力を入れる人は多い。

昔の日本はそうではなかったと思う。
もちろんいつの時代にも、
子供がほしいけどできなかった夫婦はいるだろうけど、
しかし今ほどではなかっただろう。

というより今より簡単に、ぽこぽこと生まれたんじゃないか。
それも1人ではない。
2人、3人、4人、5人と。

子供が「簡単に」手に入れることができ、
しかも数多く手に入れることができれば、
親は今ほど子供を「貴重」だとは思わない。

ところが今は違う。
子供が大変「貴重」だ。
何年もの不妊治療の末に、
何十万円、何百万円かけて、
やっとたった1人の子供を得る。

するとどうなるか。
親の子供への愛情が極端に過剰になるのだ。

だから今、
モンスターペアレントみたいな問題が出てきているのかもしれない。
わが子はかわいい。
わが子はすべて正しい。
わが子を怒る奴は許せない。
子供が天然記念物のように「貴重」で、
苦労して得られたからこそ、
過剰な愛情、というより変質的ともいえる執着にかわり、
徹底的に子供を保護するようになる。

少子化・不妊化社会で貴重になった子供に対する、
変質的な執着は、親だけでなく、親の親も同じ。
「孫がほしい」という想いだ。

これも金ではどうやっても手に入れられない。
まして晩婚化が進み、子供の結婚が遅いだけに、
親は孫を早く見たいという焦る気持ちも高まる。
そうやって親は子供に「早く出産しろ」「早く孫を見せろ」と、
有形・無形の圧力をかけてくる。

こうした様々な要因から、
ノイローゼになってしまう女性も少なくない。
親からは早く生めのプレッシャー。
毎日働いてへとへとに疲れているにもかかわらず、
週末は3~4時間待ちの病院に毎週通う。
何年たってもゴールが見えない無力感にさいなまれ、
時に子供が生めない自分は、
「女性として失格」なのではないかという想いを募らせる。

だからそこまで苦労して、
やっとの想いで子供を手に入れたとすれば、
女性が子供への過剰な愛情、変質的な執着を持ってしまうのは、
今の時代、致し方がない面はあるかもしれない。

でも過剰な愛情は子供への過剰な期待も生む。
それは現代の三種の神器ともいうべき、
「正社員として就職しろ」「結婚しろ」「子供を産め」の3つだ。

親は子供に対して、「子供のため」という、
“正義の盾”を振りかざしながら、
結局は子供のためではなく自らの満足感のために、
この三種の神器をふりかざし、
「いつまでもフリーターやってないで就職しなさい!」
「早く結婚しなさい!」
「早く子供を産んで孫を生みなさい!」
という異常なまでの圧力をかけることになる。

こうして子供は大迷惑する。
「幸せ」は人によって価値観は違うのに、
昔の時代の、自分の価値観を、子供に強制する。
だってそれが「子供の幸せ」になると信じているから。

何が原因で不妊化が進んでいるのかはよくわからない。
女性の社会進出、すなわち女性を資本主義市場に組み込んだ、
女性の労働力化により、晩婚化が進み、
年齢的・肉体的な面で子供が生まれにくくなっていることは、
大きな要因かもしれないが、
それだけではなく、もっといろんな要因が絡まっているとも考えられる。

だから子供手当てなんか出したところで、
子供が増えるわけはない。
もちろん、経済的な理由で子供をつくらないという、
選択をしている人も少なくはないが、
じゃあ経済的な援助を国がすれば子供が増えるかといえば、
残念ながらそうではない。
金があっても生めない人が増えているのだから。

だから今、貴重な子供は王様化しつつある。
貴重なものとして子供を崇める変質的ともいえる執着が、
子供の人間性をねじ曲げ、親の人間性をねじ曲げ、
社会をおかしくしている原因の1つになっているのではないか。

子供は素晴らしい。
子供が生まれたら、
それは何物にも代えがたい喜びがあるに違いない。

しかし、子供だけが人生ではない。
たとえ生まれたとしても、
病気や事故で不幸にして亡くなってしまうことだってある。
生まれ育っていけば、いずれは親から巣立っていく独立した存在。

そのような存在を、なかなか得がたい状況ゆえ、
自分の人生の生きがいのすべてとして思い込んでしまったら、
子供ができないと不幸だとか、
生まれても子供の一挙手一投足がすべて気になるとか、
ねじ曲がった精神構造になってしまう。
それはいつかは破綻する。
なぜなら子供は親のおもちゃではないのだから。

子供が貴重になったせいで、
子供を王様のように扱う親たち。

子供の存在を自分の人生の生きがいの100%として、
捉える人が増えれば増えるほど、
子供も親も結果としては「不幸」になるのではないか。

社会全体が子供に対する適度な距離感が必要だと思う。

※無論、これとはまったく逆の状況、
子供を無視したり、虐待したりといった、
大きな逆の問題もある。

※子供に対する適度な距離感が必要だといえるのは、
私にはまだ子供がなく、
かつ男性だから言えることかもしれない。


by kasakoblog | 2010-10-24 00:04 | 生き方