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2011年 03月 31日
被災地ってどこ?被災者って誰?
「被災地・被災者に配慮する」って言葉が流行っているが、
「被災地ってどこ?」「被災者って誰?」って質問に、
正確に答えられる人はいるのだろうか?

首都圏に住む人の被災地の一般的イメージって、
「岩手県、宮城県、福島県」の3県を指しているのではないか。
実際に「被災3県」といった場合、この3つを指す。
いやそこまで明確に県をイメージしておらず、
漠然と「東北地方と北関東」ぐらいにしか考えていない人も多いかもしれない。

しかし報道を見れば明らかなように、
茨城県も千葉県もひどい「被災地」だ。
津波で家を失ったのは被災3県だけではない。
千葉県だってそうだ。
千葉県旭市では津波で762棟が全半壊している。
しかし首都圏の人が「被災地」「被災者」という時、
千葉県を被災地だと思っているだろうか?
茨城県も同じくそう。
今回の地震で大変な被害を受けた。

津波被害はなくても液状化現象により、
家が傾いたり、道路が使えなくなったりしている、
千葉県の浦安市なども被災地だ。
東京ディズニーランドだって被災地。

じゃあ東京都は被災地ではないのか?
東京の九段会館では、天井が崩落し、
2名が死亡し、26人が重軽傷を追っている。
でも首都圏の人が、
東京にいる人を被災者とは思わないだろうし、
東京都を被災地と考える人は少ないだろう。

何を持って被災地というのか。
何を持って被災者というのか。

テレビがひたすら津波による被害映像が流し続け、
避難所に避難している人ばかり映すから、
被災地=津波で家屋が流された場所、
被災者=避難所に避難している人、
という極めて限られたイメージでしか捉えられない人が多い。

でもひどい被災地だって、場所によって被害はぜんぜん違う。
被害がひどい同じ街であっても、
完全に家が倒壊した人と、
家はほとんど無傷で残っているところもある。

じゃあ家で倒壊した人だけが被災者で、
家が残っている人は被災者じゃないのか?
被災者イメージが特定化されているから、
避難所に救援物資は行くのに、
自宅被災者には救援物資が届きにくい、
といった歪みが発生する。

被災3県とひとくくりにされて、
宮城県、福島県、岩手県の人すべてが、
「被災者」みたいなイメージがあるが、
被害状況は場所によって人によってぜんぜん違う。
もしかしたら宮城にいる人より、
千葉にいる人の方が被害が大きいかもしれないが、
「被災地」という言葉のなかに、
被害がひどくない宮城のある地域も含めてしまい、
被害がひどい千葉は含めないといった、
おかしな状況が現実を歪めている。

だから被災3県では選挙を延期しているのに、
千葉県浦安市は被災で選挙ができる状態じゃないのに、
「被災地」に含まれていないから、
千葉県の選挙管理委員会が、
期日通りの日程で選挙を実施することに、
浦安市が「そんな状況じゃない」と、
反対するといった問題が出てきてしまう。

家が流されたら被災地で、家が無事なら被災地でないのか。
家族が死んだたら被災者で、家族が無事なら被災者じゃないのか。
宮城県と福島県と岩手県はすべて被災地で被災者だけど、
茨城県や千葉県はすべて被災地ではなく被災者ではないのか。

漠然と世の中に使われている、
「被災地」「被災者」の範囲が正確でない。
定義がしっかりしていない。
だから過剰反応した自粛とか、
おかしな風評被害とか、
特定地域に偏った救援とかが起こっている。

だから「被災地」や「被災者」が、
どこか自分とは遠い無関係の出来事のように、
リアルにイメージできず、
リアリティのない「被災地のため」「被災者のため」、
という言葉を繰り返し、
「それってほんとに被災地/被災者のためになるんですか?」
と突っ込み満載の意味不明な自粛をしたりしている。

自分は被災地でも被災者でもないと思っている、
首都圏の人だって、考え方によっては、
被災地であり被災者といえるかもしれない。

首都圏に住む自分も被災地であり被災者だと考えれば、
漠然としたイメージで、
「被災地配慮」「被災者配慮」って言葉を乱発せず、
自分よりよりひどい被害を受けた、
「被災地」や「被災者」のために、
何をすべきで、何をしないべきかが、
もうちょっとまともに判断できるのではないかと思う。


by kasakoblog | 2011-03-31 20:41 | マスコミ
2011年 03月 30日
花見自粛が被災地配慮?が東京のトップという絶望感
不謹慎という名の自粛という思考停止している国民に対して、
「桜は日本人の心。
被災地を助けるためにも首都圏の人は休日になったら、
家で電気使ってないで、くだらんテレビなんか見てないで、
買いだめしたカップラーメン食いつぶしてないで、
昼間に外で桜でも見て、英気を養い、
被災地支援のために平日、大いに働いて支援すればいいじゃないか」
ぐらいのことを言うのが東京都のトップかと思ったら、
それとはまったく真逆の発言をしたのが、
「天罰」発言でお馴染みの石原慎太郎。

「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」
と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示したという。

こんな無能な発言しかできない輩が、この大地震で大事な時に、
日本の復興の原動力となるべき東京都のトップにいることが、
この国の絶望といえるだろう。
「天罰」発言を何とか打ち消し、
国民の自粛ムードに俺も配慮しているんだとアピールしたいのか。
東京都民はまたしてもの「天罰」知事に投票するのか、
それともこの我欲にまみれた知事にこそ「天罰」を下せるのか。

何でもかんでも自粛することがいいと思っている、
とんだ勘違いが蔓延している。
花見を自粛することが被災者配慮になるのか?
花見もせず、旅行もせず、
イベントにも参加せず、酒も飲まず、
家にこもって暖房つけて、
テレビ見ていることが被災者配慮なのか?
それが“自粛”なのか。

大震災があったので花見をする気分じゃない、
という人は当然いると思う。
そういう人は勝手に自粛すればいいだけの話であって、
それを「震災に配慮」とか「被災者に配慮」といった、
偽善的な理由付けをするからおかしくなる。

自分は大地震があって気分が乗らないから花見をしません。
それでいいじゃないか。

花見だけでなく結婚式場のキャンセルも相次いでいるという。
旅行や温泉宿のキャンセルも相次ぎ、
飲み屋などの客が激減している。

でもそれが本当に被災者配慮なのか?
不謹慎という名のもと、
それだけキャンセルしまくれば、
そこで働いている人の収入は減少する。
下手したらリストラされたり倒産するかもしれない。

もしそこで働いている人の家族に被災者がいたらどうなる?
その人の収入が少なくなれば、
自ら生きるのに精一杯になり、
被災した家族を経済的に助けることができなくなる。
そこまで考えて自粛することが被災地配慮とか言っているのか。

上述したケースはややオーバーな例だとしても、
相次ぐ自粛をすれば、
企業や労働者の収入は減り、税収が減り、
復興するための税金が足りなくなる。
倒産や失業が増えれば、
首都圏の失業者を助けるために税金が必要になり、
被災地支援どころじゃなくなってしまう。

誰かを助けるには、
助ける側の経済基盤がしっかりしていなければならない。
助ける側も世の中の自粛ムードで溺れて死にそうになれば、
自分が助かることに精一杯になり、
被災地を助ける余裕なんかなくなってしまう。
そしたら助けられるものも助けられなくなる。

東京ドームでナイターやって大量の電力使うせいで、
他の人に停電を強いる迷惑をかける恐れがあるとか、
そういうことを自粛するのは当然だし、
やたら桜をライトアップするとかは、
別に今だけでなくこれからも不要だと思うけど、
別に大量の電力を使うわけでもない、
被災者に迷惑をかけるわけでもない、
昼間の花見や結婚式や旅行やらをキャンセルする、
合理的理由がどこにあるのだろうか。

それにしても花見自粛とは石原都知事の言葉とは思えない。
不謹慎という名の自粛という思考停止している国民に対して、
「桜は日本人の心。
被災地を助けるためにも首都圏の人は休日になったら、
家で電気使ってないで、くだらんテレビなんか見てないで、
買いだめしたカップラーメン食いつぶしてないで、
昼間に外で桜でも見て、英気を養い、
被災地支援のために平日、大いに働いて支援すればいいじゃないか」
ぐらいのことをむしろ言うべきだろう。

首都圏だって震度5の地震に見舞われ、
震災の悲惨映像でPTSDになってしまう人もいるなか、
桜を見て心を落ち着けることは、
被災地支援を今後行っていくためにも大事なことではないのか。

東京都民が花見をせずに自粛すると、
一体、被災者の人にどんなメリットがあるのだろう?
東京都民が花見をすると、被災者にどんな迷惑があるのだろう?
そこに説得力のある確固とした理由があるのか。

自分が気分が乗らないのを、
軽々しく「被災者配慮のため」みたいに、
偽善ぶった理由にすりかえる卑怯な態度こそ「不謹慎」だ。

もちろん原発が使えない以上、
これまでのように無駄に、、
大量に電力消費する生活を見直す必要はあるだろうが、
みんながキャンセルしてるし、なんか不謹慎そうだから、
誰かに非難されるのもイヤだからやめておこうみたいな、
被災者のためでなく自己保身のための自粛ムードは百害あって一利なし。

そうやって自分の頭で考えず、
周囲の雰囲気に流される人が、
風評被害を拡散したり、
デマメールをうのみにして信じたりとかしてるんじゃないか。

自粛することが本当に被災者のためになるのか。
合理的理由もなく無意味に経済活動を縮小させることは、
むしろ被災地支援を遅らせている“加害者”になる可能性すらある。
自粛ムードだからではなく、
自分の頭で考えて、被災者のためになるのかならないのか、
迷惑になるのかならないのかを考えて、判断したい。

このままでは自粛ファシズムで日本は沈没するだろう。

※ちなみにNYタイムズは、
「日本には自粛という強迫観念がまん延」と題し、
「ぜいたくだと見られる振る舞いが非難を呼ぶ」と説明している。
被災地のためなんじゃなく、
周囲から非難の目で見られたくないという自己保身を、
「震災配慮」に置き換えているだけというのが、
こうした記事からも浮き彫りになっている。


不謹慎という名の思考停止
http://kasakoblog.exblog.jp/14471079/


by kasakoblog | 2011-03-30 23:04 | 生き方
2011年 03月 30日
小豆島のサル
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まだまだ地震後の影響は予断を許さない状況だけど、
ずっと緊張しっぱなしで神経はりつめていたら、
いざという時に動けなくなってしまう。
ほっと一息、かわいい子ザル写真で、
癒されていただければ幸いです。

小豆島のお猿の国写真
http://www.kasako.com/1103saru1.html


by kasakoblog | 2011-03-30 21:16 | 【写真】サル
2011年 03月 30日
こだま~人生で出会う人は自分の映し鏡
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとで、さみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、いいえ、だれでも。

企業が地震後で「不謹慎」という理由から、
CMを中止したことで、
その穴埋めとして登場したACの広告に、
うざいという非難が殺到したわけだが、
そのなかでキラリと光るCMで話題となっているのが、
「こだま」のCMだ。

「こだま」のCMを見て思い出すのは、旅に出た時のこと。
私はいつも旅に出る度に思うことがある。
それは、
「旅で出会う人は自分の映し鏡」
ということだ。

言葉も通じず、顔見知りの人がいない異国の地で、
旅をすれば良くも悪くもいろんな出会いがあるわけだが、
出会う人って、今の自分自身の“レベル”に応じているというか、
不思議と自分の人間性や志向に対応した人ばかりが現れる。

旅に限らず、普段の生活においても同じ。
「人生において出会う人は自分の映し鏡」。
不思議と自分と似たもの同士が寄ってきて、
引き合う感じがある。

なんでも鑑定団でお馴染みの北原照久さんに取材した際、
こんなことを言っていたのが印象的だった。

「自分が昔、不良だった時は町を歩いていると、
不良やトラブルメーカーばかりと出会っていた。
ところが不良をやめた途端、
同じ町を歩いているのに、
悪い人とは出会わなくなった」

オーラというべきか雰囲気というべきか。
その人の内面・外面から発する気って、
似たような人を引きつけてしまうのだ。

人との出会いが自分の「こだま」であるように、
人に接する態度や言葉も自分の「こだま」であることを、
ACの広告は端的に表している。

人に優しく接すれば人から優しく接しられ、
人に冷たくあたれば人から冷たくされる。
つくづく人と人って「こだま」だなと思う。

ただ現実の社会において難しいのは、
こだまにならない時が往々にしてあることだ。

自分が優しく接しても、相手は冷たい。
自分がごめんねって謝っても、
相手は謝らないどころか逆ギレするみたいな。

こんな時、どうしたらいいんだろう?

私の場合、明確な基準がある。
「目には目を」「歯には歯を」だ。
私が優しく接しても、
相手から冷たくされたら、
相手に「こだま」であることを思い知らせるために、
相手以上に冷たく接する。
それで相手が「こだま」であることに気づき、
謝ってきたら、こちらも謝る。
そうやって相手の態度次第で自分の態度を変えている。

でも最近、果たしてそれが対応の仕方としていいのか、
悩み、迷うことがある。
たとえば自分が優しく接したのに、相手が冷たく接してきた。
だから自分は相手に優しくするのをやめて冷たく接する。
するとより相手との溝は開いてしまう。

場合によっては相手はさらに自分に対して、
冷たい態度をとり、自分もさらに冷たい態度をとる。
といったような、悪い連鎖が続き、
冷たさ競争が互いにエスカレートしていく。

途中で「こだま」に気づいてくれればいい。
そっか、自分が冷たい態度をとったからいけないのか。
優しくすればこの人は優しく接してくれるんだと。

でもそうではない場合は、
下手をしたら互いに傷つけあって、
最後には修復不可能な破綻状態になってしまう。

それを「相性が悪かった」といってしまえばそれまでだし、
「そんな冷たい相手とはつき合わない方がいい」
というのもある意味、正論ではあるけれど、
本当は相手とのいい関係を続けるための“かけひき”だったはずが、
悪い態度の「こだま」の連鎖により、
相手との関係を“ぶち切って”しまうことが、
果たして自分にとってよかったのかと・・・。

本当は相手が冷たい態度でも、
こちらは相手の態度が変わるまで、
優しい態度を貫くべきじゃないか。
そうすればいつか相手も「優しいこだま」を返してくれるに違いない。
そう信じてはいるけれど、
仕事でもプライベートでもそうだけど、
そうならない時っていうのは結構あるわけで、
その時、ずっと優しい態度で接するべきなのか、
こっちもならば冷たい態度をとるべきなのかは悩ましい問題だ。

私自身の体験でいえば、
相手が冷たい態度になったので、
こちらも冷たく接したら、
相手が謝ってきてくれて、
今までよりいい関係を築けたケースもあるし、
前述のように冷たく接したのが、
互いにエスカレートして、
「もうおまえなんかに仕事は頼まない!」
「どんだけ金つまれてもおまえの仕事は絶対にしない!」
とケンカ別れになって決裂したケースもある。

相手にもよるし、ケースバイケースだし、
自分の状況にもよると思うので、
一概に何がいいとは言えない。
ただはっきりしているのは、
相手の態度は自分の「こだま」になる可能性が高いということだ。

自分が優しく接すれば、
相手も優しくしてくれる可能性が高い。
自分が冷たく接すれば、
相手も冷たくしてくる可能性が高い。

最終的には自分がその人との関係性を、
このまま続けていきたいのかどうなのかに尽きる。

自分と相手との気持ちをすりあわせて、
お互いが望む「こだま」になるように、
いろんな方法でコミュニケーションを続けていき、
お互いが納得する形で、
お互いへの関係性を決めるしかないとは思うんだけど、
自分と相手との気持ちが微妙に違うから、
「こだま」にならず、苦しむことも現実的には多い。

「遊ぼう」っていえば「遊ぼう」っていう。
「もう遊ばない」っていえば「遊ばない」っていう。

しかもこうした場面では、
どちらが先に折れるのかとか、
相手から先に言わせたいとかっていう、
プライドとか体面とかが素直な気持ちをジャマし、
本心とは違った「こだま」を増幅してしまう可能性もあるけれど、
一番大事なのは相手とどのような関係を築いていきたいのか、
素直な気持ちになることだと思う。
素直な気持ちを伝えれば、
きっといい「こだま」が返ってくるはず。

お互いが別の感情を持った生き物だから、
人間関係、そう簡単にうまくいくわけはないけれど、
相手は自分の映し鏡であり「こだま」である、
ということを頭の片隅に入れておけば、
自分から「悪いこだま」を発信することを、
避けれるのではないかと思う。

私の場合、自分から悪いこだまを、
できるだけ相手に向けないようにしているつもりだけれど、
相手が悪いこだまで返してきた場合、
「目には目を」と思って悪いこだまで返しちゃうという、
良くないクセがあって、
そのため相手もさらい悪いこだまで返してきて、
結果、自分自身が傷ついてしまうという、
負の連鎖にはまってしまうこともある。

とにもかくにも多くの人が、
いいこだまを響かせていけば、
世の中、いいこだまだらけになるのになと思う。
難しいけど、結局、人生で出会う人は自分自身なんだと思う。
自分が変われば相手も変わるし社会も変わり、
見える世界も変わってくる。

AC「こだま」
http://www.youtube.com/watch?v=IuFSlTmD95c


by kasakoblog | 2011-03-30 01:24 | 生き方
2011年 03月 28日
震災映像を繰り返し見てPTSDに
被災地じゃない人でも、そこで懸命な活動をしている人じゃなくても、
震災映像を繰り返し見た視聴者やテレビ局スタッフが、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていることが問題視され始めた。

スピッツの草野さんも震災報道などの影響で、
「急性ストレス障害」と診断され、約3週間の療養が必要となり、
4月のコンサートがいくつかキャンセルされた。

「被災地でもない人がテレビ見ただけでダウンするなよ」
と思う人がいるかもしれないが、
それは幸運にも鈍感か精神力があるかのどちらかだろう。
世の中には、現実に起こった悲惨な映像を見て、
感性が鋭いせいか、悪い想像力を際限なく働かせてしまい、
映像以上に悲惨な映像を想起してしまい、
かつ自分もそうなってしまうといった強迫観念にもかられ、
心がやられてしまう人もいることを知っておくべきだろう。

原発の問題があるとはいえ、
余震がだいぶ少なくなってきて、
人災ともいえる計画停電や交通機関の乱れ、
買いだめパニックなどが落ち着きを見せつつあるので、
今「震災報道でPTSD」なんて言われても、
「何言ってるんだ。被災地の人の方がかわいそうだろ」
と言いたい気持ちはわかるが、それは今だから言える話だろう。

大地震が起きた直後は死者が数十人、
といったテロップが流れていて、
被災地ではない首都圏などでは、
「すごい大きな地震だったよね」ぐらいに思っていて、
徒歩で帰宅する人のなかには、
ナンパする人もいたというほど、
まだこの深刻さがわかっていなかった人も多かったに違いない。

私もその時はまさかここまで甚大な被害が出ているとは思わず、
地震当日、帰宅をあきらめ、
「会社に泊って漫画スラムダンク全巻読めばいいや」
ぐらいに思っていた。

しかし金曜日夜から土曜、日曜にかけて、
そんな程度の地震ではなかったことが次々と明らかになった。
町が壊滅したとか数百人の遺体が発見された、
町のなかで数千人の人と連絡がとれていないといった、
桁違いの恐ろしい惨状が次々報道された。

テレビ自体もこの時は大分混乱していた。
金曜日夜はまだそれほど情報がないせいか、
何度となく工場火災の映像などを繰り返し流していた。

しかし夜が明け、土日になると、
メディアはハイエナのようにこの衝撃映像に群がり、
「どの局がこの地震がひどかったかという、
一番悲惨な映像を撮れるか合戦」をはじめ、
「どの局がこの地震がひどかったかということを証明するための、
死者数、行方不明者数を増やせるか合戦」をはじめ、
地震がいかにすごかったかという悲劇的な映像を流し続け、
死者数・行方不明者数が増えることを喜んでいるかのように、
数の多さを声高に報道し続けていた。

どこのテレビ局もCMが一切なく、
四六時中、地震の悲惨映像合戦。
土日ということもあって、
多くの人がテレビを何時間も見た。
しかも、いつまた大きな余震が起きるかもしれないといった不安や、
原発事故がどこまで広がるかという恐ろしさを感じながら。

私は被災地に親族がいるわけでもなく、
悪い想像力が豊かな方ではない鈍感な方で、
比較的精神的にも強い方だと思うだが、
それでも土曜日は震災報道をずっと見ていたら、
精神がおかしくなりそうになった。

テレビを一度消し、好きな音楽を1曲かけただけで、
どれほど救われた感じがしたか。

ツイッターやブログ、mixiを見ていても、地震情報だらけ。
みんなパニックになっている状態で、
デマや不安を煽る内容が実に多かった。
私もテレビを見て地震についての感想などをつぶやいていたが、
ふと机の脇にあった確定申告書類を見て、
「そうだ、確定申告にいかなきゃ」とつぶやいたところ、
「この非常事態にくだらんつぶやきするな!」
と返信してきた人がいて驚いた。
そのぐらい地震後の土日は、
世の中全体が今とは違って尋常ならざる雰囲気だった。

このままテレビとネットで地震情報をあまりに増幅させると、
さすがの鈍感な私でも精神がまいってしまいそう。
それで日曜は、余震が恐かったけど、
ちょっと外に出て散歩したり、
テレビをつけない時間を決めて、音楽かけていたりもした。
それでだいぶ気持ちがラクになった。

でも地震後の不安に脅えるなか、
あの土日の2日間で大量の悲惨映像を、
それこそ一人でずっと家にこもって、
テレビを見続けていたら、
心がやられてしまう人がいてもまったく不思議ではない。

実際に私の知り合いにもいる。
一人で震災報道をずっと見続けてしまったために、
精神不安になり、神経過敏、過剰な驚愕反応、
恐怖感、無力感、絶望感といった感情が、
わっと押し寄せてくるような、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状になっていた。
それは今もまだ後遺症のように引きずっている。

私ははじめ、その気持ちがよく理解ができなかった。
例えばその人の実家が被災地で、家族と連絡が取れず、
テレビでは絶望的な映像が流される、
といった状況なら、ものすごい精神不安になるだろう。
でも被災地に親族や知人はいない。
にもかかわらず、なぜそこまで?と思ったが、
映像から被災地の人の絶望感や悲しみを想像し、
深く受け止め過ぎてしまい、
それが自分の心にもべっとりと張り付いてしまい、
自分も襲われる恐怖を感じてしまったんだと思う。

そこで、
・テレビを見過ぎないこと
・外で散歩して気分転換すること
・好きな音楽を聴いたり、違う楽しい映像を見ること
などを勧めた。

私ですらそうしなければ、
気分がおかしくなってしまいそうなのだから、
そういうことに過敏な人が見たら、
激烈な反応になってしまうに違いない。

地震直後のテレビ報道の仕方はほんとひどかった。
被災地に何が必要かとか、
どこが避難所になっているとか、
首都圏では何をして何をすべきでないかといった、
その手の報道は一切なく、
ひたすら悲惨な映像入手合戦と、
死者数の多い合戦を演じていたからだ。
それを見て、精神不安になり、
人によってそれが極度に達すれば、
実生活にも影響が出てしまうほどの症状になっても不思議ではない。

悪夢やトラウマ体験のフラッシュバック。
強い恐怖感。
意欲低下。
孤立感。
浅い睡眠、悪い寝つき。
イライラ感。
キレやすくなる。
集中力低下。
過敏な警戒感。
外部刺激への過剰な反応・・・。

こうなってしまったら、
ゆっくり療養するとか病院に行くとかしないと、
精神的にきつくなり、
時にはひどい混乱状態に陥ってしまうこともある。
いい悪いの問題じゃなく、
単に心が弱いとか強いとかではなく、
そういう人がいて、
それなりの心のケアをしっかりしてあげないと、
治らないケースもあるのではないか。

地震後の人災パニック状況が続くなか、
私自身もだいぶ地に足ついてないで、
浮き足立った状況のなかで、
自分ができることは何かと考えたら、
文章で、冷静な行動に務めるよう促すことだと思った。

しかしパニクっている状況のなかで、
冷静に務めろと書いても「そんなのできるかよ!」
とさらなるパニックになってしまう人もいたので、
癒されるような写真を集めてアップし、
ほっと一息、気分転換を促すことも大事だと思った。

そこで3/16の日記では、
「いつか必ず明るい笑顔で暮らせる日を信じて」と題し、
これまで撮影した海外子供写真を集めてアップした。
http://kasakoblog.exblog.jp/14437801/

それは見る人を癒すだけでなく、
自分自身が癒されたかったからだ。

文章はネガティブになりがちだが、
写真はポジティブになれると。

だいぶ今は落ち着いた風に見えてきたとはいえ、
それでも被災地の深刻な状況は変わらず、
原発問題はまだまだどうなるかわからず、
それどころかこの大地震をきっかけに、
東海や首都圏での大地震や、
富士山噴火の可能性だってないとはいえない。

まだまだ正常な状況とはいえず、
不安定な心の状態のまま、
日常を送っている人も多い。

自分の心は大丈夫だから、
他の人も大丈夫だと思わず、
焦らず、急がず、ゆっくり、落ち着いて、
状況を冷静に見極め、一つ一つのことに対処し、
他の人への心の気配りもいつも以上に必要な時期なんだと思う。

そして何より「テレビは見過ぎるとバカになる」
というのにも十分気をつけたい。


by kasakoblog | 2011-03-28 22:19 | マスコミ
2011年 03月 27日
環境にやさしい原子力発電所~CO2悪玉論によるエコ商法が日本を破滅の危機に
「原子力発電所は環境にやさしい」ってご存知だろうか?
電力会社を筆頭に、政府、官僚、産業界が、
原子力発電所を何が何でも普及させるためにでっちあげた、
ここ数年のロジックだ。

なぜ原子力発電所が環境にやさしいのか?
その論理を可能にしたのは地球温暖化問題のCO2悪玉論である。

環境問題と一口に言ってもさまざまあるはずなのに、
(それこそ放射能汚染だって重大な環境問題なはず)
近年、環境問題といえば地球温暖化問題だけに限定するような風潮が作られた。
しかも地球温暖化の原因はCO2排出にあるとされ、
環境にやさしい=CO2排出量を少なくすることに一元化された。
各企業がCO2排出削減をPRするような広告も増えた。

これは経済成長に息詰まった先進国が、
さらなる経済成長を遂げるために生み出した、
エコごっこによる環境商法バブルだ。
CO2排出削減の取り組みによるさまざまな商法が生まれ、
それによって経済成長を遂げようという思惑だ。
いわば金儲けを正当化するために、
地球環境問題=温暖化問題=CO2排出削減ビジネス、
という風に環境問題が矮小化されたのである。

つまり、すべての善悪基準はCO2排出量が多いか少ないか。
CO2排出量が多ければ悪。
CO2排出量が少なければ善とされた。

そこで、原子力発電所が世界的に近年脚光を浴びるようになり、
世界中で原子力発電所建設計画ラッシュが始まった。
なぜか。
原子力発電所はCO2排出量が少ないからだ。

火力発電所はCO2をいっぱい排出します。
だから環境に悪い発電方法です。
しかし減力発電所はCO2をほとんど排出しません。
だから環境に良い発電方法ですと。

地震やテロなどによる放射能汚染という環境問題は、
ここには一切、考慮はされていない。
なぜなら環境問題=温暖化問題=CO2排出だからだ。

そもそも本当に温暖化しているのか。
仮に温暖化していたとしてもその原因がCO2なのか。
CO2の排出量を削減すれば温暖化は解決できるのか。
こうした疑問は都合が悪いから無視され、
とにかく放射能汚染問題があろうが、
CO2の排出量が少ないのが環境にいいことだということが、
ここ数年、世界中で宣伝され続けてきた。
それが原子力発電所を増やす正当化させるロジックになってきたのである。

こうした欺瞞の環境商法による原発推進に対し、
警鐘を鳴らす人たちは多くいた。
実に皮肉な話だが、昨年8月に発売された、
「原子炉時限爆弾」広瀬隆著では、

地球温暖化対策のもとで、原発がクリーンエネルギーとして脚光を浴びている。
エコの名の下で、日本人は疑問を抱くことなく
電力会社の宣伝文句に踊らされているが、
日本の原子力産業が突進しようとしている未来には、
とてつもなく巨大な暗黒時代が待ち受けている。
その正体こそ、地球の地殻変動がもたらす「原発震災」の恐怖である。

スマトラ島沖地震、四川大地震、新潟県沖地震等々は、刻々迫る東海大地震の予兆である。
この日本列島に阪神大震災をはるかに上回る巨大地震が襲うのは確実で、
そうなれば浜岡をはじめとする原発が大事故を起こし、
首都圏崩壊、さらには日本全土が壊滅するおそれが高い。

という内容が書かれている(アマゾンの内容紹介より転載)。

東海大地震ではなかったが、
まさにこの通りの事態が今、日本で起こってしまった。

大地震や津波という天災は防ぎようがない。
しかし今、日本を苦しめているのは、
原発問題という“人災”だろう。

「大地震や津波だけだったら甚大な被害とはいえ、
日本は復興できただろうけど、原発の問題があるからな・・・」
と先週取材した多くの企業が嘆いていた。

日本に大地震が起こるというのは、
想定外のことではなく想定内のことであったはず。

<大地震が多い県と原発>
1位:新潟県*原発あり
2位:宮城県*原発あり
3位:北海道*原発あり
4位:静岡県*原発あり
5位:岩手県
6位:長野県
7位:鹿児島県*原発あり
8位:青森県*原発あり
9位:福島県*原発あり

しかも、宮城県沖で869年に起きた大地震による大津波の再来があると、
2009年の原発の耐震安全性を検討する経済産業省の審議会で、
専門家が指摘していたにもかかわらず、
東電も政府も軽視していたという。

大地震が起きて原発事故が起きた結果論で、
批判していると思うかもしれないが、
地震が起きる前に原発の危険性を指摘した人はいっぱいいた。
しかし「CO2を排出しないから原子力発電所は環境にやさしいんだ」
という論調のもと、原発の本来の環境リスクは無視され、
日本の原発メーカーが次々と世界で受注して、
金儲けができるんだから余計なことを言うんじゃない、
といったような風潮があったのではないか。

ただ東電と政府だけを悪にして、
国民は被害者だという態度ではいられない。
今回の事故でわかったことだが、
いかに国民が無駄な電気を使っていたことか。

私は2006年7月14日に、
「スーツ着用するから原発がいり、戦争がいる」
http://kasakoblog.exblog.jp/14493943/
という日記を書いている。

猛烈な暑さにもかかわらず、スーツを着ているせいで、
クーラーががんがんかけられていて、
そのせいでまた都市は暑くなるわけだが、
電力消費が増えてしまうわけである。
するとどうなるか。
極めて危険な原発をばんばん立てなければならなくなるのだ。

そこでかさこ内閣は、スーツ着用禁止法を制定する。
夏季、企業に勤める会社員はスーツおよびネクタイは着用禁止。
会社員でスーツを着用した場合は、
地球環境悪化罪および電力消費負担増加罪で、
その企業に罰金を取ることにして実効性を高める。

・・・・・・

当時では「何をバカなこと書いているんだ」と
思った人も多いかもしれないが、
今年の夏はまさにこのような法律が制定されるかもしれない。
夏の電力不足解消を補うため、
枝野首相、違った、枝野官房長官は単なる節電だけでなく、
国民の生活様式を抜本的に変えねばならない、
というところまで踏み込んだ発言をしている。

暑いのに男性がスーツを着ているせいで、
薄着の女性は寒いのにクーラーの設定温度が低く、
そのために電力消費が増えるといった愚かな行動が、
原発事故が起きてはじめて辞められるかもしれない。

「地球環境に貢献する原子力発電所」について、
2006年10月23日の日記ではこのように言及している。

自分の生活態度は改めず、二酸化炭素を放出し続けているくせに、
原子力発電所というだけで「そんな危ないものダメ」と反対する。
だったら、自分の生活を改めて、
自動車に乗らない、電気の使用量を減らすなど、
二酸化炭素の放出量を減らす生活できますか?
ほら、できないでしょ。
だからね、原子力発電所が必要なの、っていう論理が、
説得力を持ち、必要性を増してしまう。

・・・・・
国民が生活を改めない限り、
原子力発電所だけを批判することなんてできない。
今回の事故が起きてはじめて、
家庭や企業は節電の重要性を認識したのではないか。

2006年12月23日の日記、
「温暖化がなぜいけないの?~apbankfesDVD発売を契機に考える~」では、
http://kasakoblog.exblog.jp/14496215/

家庭でやるべき環境対策って面倒なことじゃないし、
環境対策のためにやるって意識がなくても、
無駄な金を使わず節約しようというモチベーションが働きやすい。

環境のためというより無駄金使わず節約になり、
自分の好きなものにお金を使えるようになるといった観点から取り組めば、
お金も節約でき、地球環境にも優しいということになるんじゃないかなと。

環境対策を進めることは、戦争と原発事故を減らすことにつながる。
石油をめぐる戦争を減らすことができる。
CO2削減に役立つという名の下、原発が日本も含め世界的にバンバン建設されているが、
それを止めることができる。
環境対策は単に自然災害防止ではなく、戦争と原発事故という、
人類に破滅をもたらしかねない人為的災難を減らすことにもつながる。

と書いているが、電力を大量に使う生活があったからこそ、
「原発事故という人類に破滅をもたらしかねない人為的災難」を
避けることができなかった。


地震による原発事故という意味では、
2007年の新潟県中越沖大地震による、
東電の柏崎刈羽原子力発電所事故では、
ずさんな原子力発電所の管理体制と隠蔽体質が明らかになった。

2007年8月10日の日記、
「このくそ暑いのにスーツ~だから原発事故がなくならない」では、
http://kasakoblog.exblog.jp/14493874/

北朝鮮の核なんかより日本の原発の方がいかに現実的な危険があるかが、
IAEAの査察という事態でわかったわけだけど、
無駄な電気が必要だから原発が必要なわけで、
原発を少しでも減らす努力=すなわち、
電気をなるべく使わない努力をすれば、
地震やテロの標的となる原発を減らし、
原発事故による社会壊滅リスクを減らすことができるわけです。

やれ環境、環境と騒ぐけど、
真夏のスーツをやめることすらできない。
北京オリンピックを1年後に控え、
中国の大気汚染を問題視しているけど、
その前に日本もやることあんだろう。

原発で東電批判する前にスーツ姿をやめなさい。
中国の環境問題を批判する前にスーツ姿をやめなさい。

と書いている。
確かに原発をめぐる東電や政府のずさんな対応は非難されるべきだが、
それだけでなく、国民が無駄な電力を使わない努力をしないと、
原発はなくならないのだと。

こうしたなかで2008年9月に金融危機が起きた。
バブル化した世界経済が崩壊するなか、
世界では経済復興策として、
CO2悪玉論による環境商法を主軸に据えようとした。

2008年12月21日の日記、
「環境商法が次のバブルだ!CO2悪玉論は嘘だった?!」
http://kasakoblog.exblog.jp/9694374/

私はこの2~3年、
ずっと不思議に思っていたことがある。
なぜ利益しか追求しない企業が、
「環境問題に取り組みます」などとほざき、
自ら積極的にCO2削減などに乗り出したのかと。

そこで出た私の答えは1つ。
国民に環境にいいことだからと言って、
CO2削減を推進することで、
自動車、家電、住宅など、
様々な製品の買い替え需要が起き、
好景気になり、ボロ儲けできるから、
国も企業も率先してCO2悪玉論を叫んでるんじゃないか。

今まで環境問題に背を向けてきたアメリカ。
環境問題はアメリカ経済の足を引っ張りかねないので、
ろくに取り組もうとしてこなかったのに、
なんと環境に真剣に取り組みはじめるのだ。

なぜか。
金融危機と自動車産業危機を解決できる、
唯一の処方箋だからだ。

・・・・・
ちなみにオバマ政権になって、
アメリカでは原発推進政策に転換している。
原発建設も「クリーン」で「エコ」な公共事業になるということだ。

エコポイントなんていう前代未聞の詐欺環境政策も行われた。
何が一体エコなんだ?
自動車買い替えるやつにエコポイント付与するなら、
自転車通勤や公共交通機関通勤に変えた人に、
エコポイントを付与すべきだ。

こういう政策を見てもわかるように、
世界はエコという名のもとに、
新たな経済バブルを起そうとしているだけだった。
本当に「エコ」なことなんて考えていないのだ。

再び2008年12月21日の日記;

CO2削減=環境にいいという論理から、
世界中で原子力発電所が作られまくっている。
でも地球環境のことを考えたら、
温暖化の原因かもわからないCO2なんかより、
原発事故で放射能漏れすることの方が、
はるかに地球環境を破滅的な状況に追いやるのではないか。

まさに今、それが現実となった。
チェルノブイリ、スリーマイルと並ぶ「フクシマ」は、
世界中で原発推進一方向だった風潮にストップをかけた。

この「フクシマ」で止まればいい。
しかし今まで通りの生活を送りたいがために、
環境問題と経済成長=GDP至上主義を両立しようなんて、
都合の良い政策を続ける限り、
さらなる悲劇が起きかねないとも限らない。

日本より技術力もなく管理体制もいい加減な、
中国やインドや米国で原発事故が起きたらどうなるか。
今は「フクシマ」だけだが、
東海地震が起きて、浜岡原子力発電所で重大な事故が起きたらどうなるのか。
宮城に次いで地震の多い新潟県にある、
柏崎刈羽原子力発電所は大丈夫なのか?

環境問題とはCO2を減らすことだけではないはずだ。
放射能汚染で土、水がダメになり、
食べ物や飲料水不安が現実に広がっているのは、
重大な環境問題だ。
温暖化問題の比ではないかもしれない。

日本における原子力発電所の電気依存度は3割だ。
http://www.fepc.or.jp/present/nuclear/setsubi/index.html
ということは、個人や家庭や企業が3割、電気量を削減すれば、
原子力発電所はいらなくなる。
(そう単純な計算では済まされないので、
実際には4割ぐらいは削減しなきゃいけないのかもしれないが)

大地震が起きた後、町を歩くと無駄な電気の多さに気づく。
最近の駅や地下道などの節電の徹底ぶりをみて、
「やればできるんじゃないの?そんなに不便しないし」
と思うことも多々ある。

経済成長させるためのいかさまエコごっこは終わった。
人類が持続可能な生活を送るために、
真に取り組むべき環境問題とは、
CO2排出削減ではなく原子力発電所の全廃なのではないだろうか。

原発を廃止してその分の電力を、
太陽や風力や地熱で補おうといった非現実的な議論ではなく、
電力消費そのものを減らせばいい。
人口減少だって万々歳じゃないか。
移民政策で無理に人口増やす必要なんてまったくない。

そのために国民一人一人ができることはいっぱいある。
ただし従来の価値観で物事を考えてはいけない。
例えば、夏にスーツを着るのが礼儀ではなく、
社会への背信行為だぐらいの価値観の転換が必要だろう。

手っ取り早いのは、電気料金に50%ぐらい税金かければいい。
そしたら否が応でも節電するだろう。
その税金を財源に復興支援に回せばいいじゃないか。
一石二鳥だ。

政府主導で節電誘導する政策はいくらでもある。
サマータイム制度は必須としても、
労働時間が多い日本人に夜の残業禁止にしてもいいだろう。
電力需要が不足する夏には、
7~9月の間に1カ月の休暇=バカンスを、
義務付けする制度があったっていい。
これだけ通信手段が進んでいるのだから、
在宅勤務をもっと推進してもいい。
働き方が変わるだけでもだいぶ違う。

電力消費を減らす方法はいくらでもある。
例えば、東京電力菅内のパチンコ店の、
1日あたりの電力消費量は43万世帯分。
飲料自販機の1日あたりの電力消費量は41万世帯分にもなる。
パチンコと自販を停止すれば1日84万世帯分の電力が浮く。

そりゃパチンコと自販がなければ不便かもしれないが、
原発が1基減らせて、パチンコと自販がない生活と、
原発が1基増えて、パチンコと自販がある生活と、
どちらがいいのか?

音楽CDなんて禁止にすればいい。
エコなんていっているアーティストは、
CD販売をやめて配信だけにすればいい。
CDを作るための工場がいり、
それを配送するための自動車がいり、
それを販売する店がいる。
そこに使われている電力を考えたら、
配信での電力は相当少ないだろう。
寒い時に暖房をつけないとかじゃなく、
今の質を維持したまま電力削減する方法って、
このようにいろいろあるはずだ。

今、節電で駅のエスカレーターを止めているところが多いが、
20年前に駅にエスカレーターがあるところなんて、
ほとんどなかったんじゃないのか。
それでみんな普通に生活していた。

「人にやさしい」という名の近視眼的な「やさしさ」で、
エスカレーターを造りまくったせいで、
電力が今まで以上に必要になってしまい、
階段が狭くなってしまうという皮肉な現実を招いている。
エスカレーターなんか全廃すればいい。
電力削減方法はいくらでもあるはずだ。

経済成長至上主義を捨て、
天災が起きても壊滅的な人災が起きない、
真に“平和”な社会を作るチャンスではないかと思う。

<原発に関する小説で興味深いおすすめ本>
原発をめぐる人間ドラマ~「天空の蜂」東野圭吾著
http://kasakoblog.exblog.jp/14419501/

地球環境に優しい原子力?!~「マグマ」真山仁著
http://kasakoblog.exblog.jp/14496106/


by kasakoblog | 2011-03-27 20:12 | 一般
2011年 03月 26日
工場夜景ツアー
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本日予定通り、工場夜景ツアー開催しました!
8名の方にご参加いただき、
川崎の工場夜景を約1時間、堪能してきました。

地震後ということもあり、
ツアーを取りやめようかとも思いましたが、
工場夜景ツアーをとりやめることで、
節電になるわけでもないので、予定通り行いました。

一番の心配は工場自体が節電していて、
夜景が見れないのではないかという点でしたが、
通常よりやや暗かったかなというぐらいで、
特に夜景ツアーに影響はありませんでした。

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かさこワールドを7年間も読み続けている方やら、
名古屋からこのツアーのために来てくださった方や、
ユニークな趣味をお持ちの方やら、
みなさん、自分の世界を持っている方が多くて、
とても楽しかったです。

今日は晴れたものの、
風速予報が7~8mと強いこともあり、
後半はやや寒かったですが、とても楽しいツアーでした!

昨年に引き続き2回目の開催で、
また次はまた来年やろうかなとは思っていますが、
もしお友達が5~6人集まるので開催してほしい、
といった要望がありましたらメッセージいただければと思います。

※参加していただいたみなさん、寒いなかお疲れ様でした!

工場写真目次
http://www.kasako.com/kouzyoufotomokuzi.html


by kasakoblog | 2011-03-26 23:40 | 【写真】工場
2011年 03月 26日
子供写真掲載!
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2011/3/10に発売された書籍「多文化に出会うブックガイド」(読書工房)のP60に、
私の子供写真が掲載されました!

海外子供写真
http://www.kasako.com/kodomofoto.html


by kasakoblog | 2011-03-26 16:02 | お知らせ
2011年 03月 26日
夢のような日々
多くの人は毎日の単調な生活が
ずっと続くと思っている
淡々と日々をこなす毎日がずっと続くと思っている
可もなく不可もない人生

しかし人生は突然、
魔法にかけられたように
一瞬にしてバラ色に変わることもある

例えば、人との出会いや仕事との出会い

今までどちらかといえば暗かった生活が、
突然、光輝くまばゆいものとなる
今までと同じ世界なはずなのに
まるで世界が違って見えるように思えてくる

世界のすべてが自分を祝福してくれるように思う
朝の陽射しや小鳥のさえずりや風の音までもが
すべてが自分を祝ってくれるような
幸福感に彩られた気分

単調だった生活にメリハリがつき
だらだら無駄に時間を過ごすこともなく
1つ1つが充足感あふれる毎日
すべてがうまくいくような万能感
プラス思考から次々といいことばかりが舞い込んでくる
そんな夢のような日々が
まさか自分に突然訪れるとはといったような瞬間が、
誰の人生にもきっと何度かあると思う

しかしいつかは夢のような日々が終わりを告げ
またもとの単調な生活に戻ってしまう、辛く悲しい瞬間もある

でも今までの自分とこれからの自分は違う
なぜなら夢のような充実感ある生活を一度でも経験した人は
アンテナ張って前を向いて歩き続けていれば
いつかまた夢のようなチャンスが必ずやってくると信じられるから

だから単調な生活に戻ったとしても大丈夫
必ずまた夢のような日々がやってくる

自分にチャンスがこないのではなく
自分がチャンスに気づかないだけ
でも前を向いて歩いていれば
チャンスに気づき、チャンスをものにする確率がぐんと増えるはず

今は単調で退屈な毎日かもしれない
今は辛く苦しい、何の楽しみもない時期かもしれない
でもそこで下を向いて後ろばかり気にするのではなく
上を向いて前に向かって歩いていれば
きっと必ず自分にとって幸せな日々が訪れるはず

夢のような日々はいつか終わったとしても
夢のような日々を一度でも経験した人は
またそのような日々が訪れることを信じてがんばれる

大丈夫
誰にでも夢のような幸せな日々が必ず何度か訪れる

だからあきらめちゃいけない
今は辛くとも、またチャンスはやってくる
そのチャンスが来た時にチャンスと気づけるように
チャンスを逃さずきっちりものにできるように
いつチャンスが来てもいいように
単調で退屈な毎日であっても準備は怠ってはいけない

そうすればまた必ず
夢のような日々がやってくるだろう

人生、辛く、悲しいことばかりじゃない
楽しくて、うれしくて、幸せな日々が舞い戻ってくる
だからその時まで前を向いて歩いていきたい


by kasakoblog | 2011-03-26 00:10 | 生き方
2011年 03月 25日
思い込みのすごさ・恐ろしさ
人生は思い込みで変わる。
だからプラスの思い込みをするか、
マイナスの思い込みをするかで、
その人の人生もプラスにもマイナスにも変わる。

思い込み、自己暗示力、イメージトレーニング、妄想。
いろいろ言い方はあるけど、
自分のことやこの先の人生のことを、
どう思い込むかでその人の人生は180度変わってしまう。
それほど思い込みというのは強い力を持っている。

自分は絶対にできないと思えば絶対にできない。
自分は絶対にできると思えば、
不可能なことが可能のなるかもしれない。

プラスの思い込みをしている人は、
いい意味で人の言うことを聞かない。
というかプラスに転化する。

どんなに批判されようがダメだと言われようが、
そうしたマイナスの言葉を、
すべての自分の都合のいいようにプラスに転じ、
そうした言葉をバネにしてさらなる飛躍を遂げる。

ところがマイナスの思い込みをしている人は、
悪い意味で人の言うことを聞かない。
せっかく「こうしたらいいんじゃない?」という、
親身なアドバイスも「余計なおせっかいだ」
「そんなこと私にできるわけがない」と聞く耳を持たず、
それどころか言われれば言われるほど、
「自分には無理だ」とマイナスに転化していき、
ますます自分をマイナスな方向に持っていく。

今、マンガ「スラムダンク」を読んでいる。
高校生のバスケットボール部を舞台にしたマンガなのだが、
主人公の桜木花道はバスケットボール素人にもかかわらず、
「自分は天才だ」という恐ろしいほどの自惚れと思い込みから、
失敗しても「俺は天才だからできるはず」とあきらめずにいるうちに、
その思い込みの強さからどんどん上達していくのだ。

むしろ「自分は今までうまくやってきた」「実績もある」
といった実力ある他校の人たちは、そうした慢心をつかれ、
弱小・素人の主人公率いる高校生の思い込みの強さに負け、
次々と破れていってしまう。

「俺たちが絶対に1番だ」「優勝してやる」「天才だ」
根拠のない自信でも、
自分自身を最高のイメージに思い描く力が、
目の前の現実を塗り替え、夢のようなドラマを実現していく。

マイナスな思い込みをする人の多くは、
過剰な自己防衛と自己保身が動機となっている場合が多い。
大口(ビックマウス)を叩くのが恐い。
失敗されたと他人から批判されたくない。
自分を低く見積もることで言い訳ができる。
こうして常に逃げ道を用意していく保身から、
自分を低く見積もり、「どうせうまくいかない」と、
マイナスの自己暗示をかけ、
「ほらやっぱりうまくいかなかった。自分だから仕方がない」
と心のバランスをとりながらあきらめることを正当化していく。

そういう逃げ癖、負け癖がつくと、
人生はどんどん悪い方、悪い方へと向かっていく。
悪くなればなるほどチャレンジすることができなくなり、
プラスの思い込みができず、
情報収集も自分に言い訳ができる都合のいい、
マイナス材料ばかり集めてきて、
マイナスな自己暗示に輪をかける。

情報なんて捉え方次第で、
同じ情報であっても良くも捉えられるし、悪くも捉えられる。
でもマイナスな思い込みをする人は、
どんなに好材料であっても自分にとって悪材料と判断する。

いろんな情報があるにもかかわらず、
自分の言い訳が成り立つ悪材料だけ集めてきて、
「ほらだからできない」「だから私には無理だ」
と悪材料だけを並び立て、マイナスな思い込みを加速させる。
結果、どんどん現実は悪い方、悪い方へと言ってしまうのだ。

こうしたマイナスの思い込みをしてしまう人を、
なんとかプラスの思い込みに転化できないものか。
それが私の1つのテーマではあり、
手をかえ品をかえ、いろんな形で問いかける。
でもやっぱりマイナスな思い込みをしている人には、
何を言っても無駄なんだという徒労感を覚えることも多い。
マイナス志向の思いに凝り固まった人には、
言えば言うほど、余計悪く捉えられる恐れがあるからだ。
だったら何も言わない方がいいって結論になりかねない。

でもそういう人に限って、
大事なところで人生を楽観していて手を抜いていて、
どうでもいいことに悲観し、力を入れる。
その力の入れ具合が間違っていると、
マイナスの思い込みは保身どころか命取りになりかねない。

スラムダンクを見ていて爽快なのは、
主人公をはじめそのチームメイトたちが、
驚くほどプラスの思い込みをしていて、
その思い込みが現実をプラスに塗り替えていくからだろう。
プラスの自己暗示が現実を塗り替える爽快感。
何でもうまくいきそうな万能感。
それが見ていて心地よい。

でも人間、誰しもポジティブな思考でい続けることなんてできない。
ついつい弱い思考、逃げの思考になってしまう。
そんな時、スラムダンクでは友や監督などが、
様々な励ましの言葉や時には挑発や、
アドバイスをして、
選手たちのマイナスな気持ちをプラスに変えていく。

人間、どうやったって自分ひとりでは生きてはいけない。
自分ひとりでプラス思考を続けていくのも困難だ。
でもそんな時、周囲に自分のことを、
親身に思ってくれる人がどれだけいるか。
嫌われるかもしれないけど、
本人が傷つかないよううまく本質をズバリ指摘してあげて、
うまくいくようにアドバイスしてくれる人がどれだけいるか。

それはきっとその人自身が、
周囲に対してどれだけ真摯に人とつきあっているかによるんだと思う。

別にベタベタした関係がいいといっているわけでもない。
大人になればなかなか相手にいろんなことを言いにくいものだ。
でもマイナス志向の負の連鎖に落ちかかっている人を、
助けるきっかけを与えることができるのは、
その人の周囲にいる人たちなのかなと思う。

そういう周囲の人の意見を、
マイナスな思い込みからシャットダウンせず、
プラスのアドバイスをプラスのまま受け取り、
思考を変えて自信を持って行動に変えていけるか。
それが人生、楽しく幸せに暮らせる秘訣なんだと思う。

だからマイナスなオーラばかりな人には、
人はだんだん寄り付かなくなり、
プラスのオーラを出している人に、
人は寄り付いていき、
負の連鎖はどんどん負の連鎖を呼び、
プラスの連鎖はどんどんプラスの連鎖を呼び、
プラスとマイナスの差は広がっていくのだと思う。

マイナスな思い込みが極限に至れば、
死刑判決が出た秋葉原の無差別殺人事件を起こした犯人みたいになってしまう。
自己否定してしまうことの恐ろしさ。
マイナスな思い込みの恐ろしさ。
そういう負のエネルギーは時に恐ろしい犯罪をも引き起こしかねない。

一度でいいからマイナスな思い込みはやめて、
ウソでもハッタリでもいいから、
プラスの思い込みをしてみたい。

それが簡単にできなくて困っているなら、
マンガ「スラムダンク」を読んで、
主人公・桜木花道の思考回路をマネて見ればいい。
いい意味で“バカ”になれること。
それはそれが“好き”だからやり続けられる。
だからプラスの思い込みが続き、
現実をもプラスに変えていく原動力になると思う。

先行き不透明な時代。
どんなことが起きるかわからない時代。
100年に1度の危機がしょっちゅう起き、
1000年に1度の危機が起きてしまう今、
マイナスなイメージを膨らますことは簡単だが、
そうすればより現実もマイナスなものになってしまう。

マイナスな思い込みよりプラスの思い込みを。
そのためには自分の心に素直になることが大事。
過剰なプライドも過剰な自己防衛も捨てて、
いろんな虚飾や雑念を取っ払い、
自分の本音に耳を傾けること。
そうすればきっとプラスの思い込みができるようになるはず。


by kasakoblog | 2011-03-25 00:52 | 生き方