好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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2011年 07月 31日

日本人の鏡!宮崎から福島まで支援に来た宮崎県門川町チーム

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この澄んだ目の輝き!
なんといい顔してるんだろう!
1600km、車に乗って福島まで支援しに来た、
宮崎県門川町チームのメンバー、出口さんと道前さんだ。

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7月23日夜20時過ぎ。
福島県南相馬市の避難所となっている、
原町二中に到着すると、
「宮崎から来ている人たちがバーベキューしてるから、
よかったら来てください」と、
この避難所の責任者となっていて、
献身的に避難所支援をしていて評判のいい、
市職員の星さんが私たちを誘ってくれた。

私たちとは、
本店と工場が原発20km圏内にあり、
被災地企業の社長で、たびたび避難所支援を行っている、
ADワールドの平澤潤子さん、その社員の庄子さん、
建築家の高崎正治さん、そして私の4人。

トラックの前で豪快に宮崎地鶏などをふるまってくれた、
宮崎県門川町の人たち。
明日の避難所祭りにボランティアとして参加するため、
3日間がかりで車で宮崎から来たという。

なぜ宮崎なんてはるか遠くから、
わざわざ福島に?
門川町支援チームの出口さんはこう答えてくれた。

「うちの町もよ、漁師町だから、
3.11のような地震・津波があったら大変な被害にあう。
津波被害の映像見てたら他人事じゃないって。
とうちゃん、かあちゃんが被害にあったら、
真っ先にみんな助けにいくだろう。
それと同じよ。
困っている人がいるんなら助けにいかなきゃ。
そう思って4月9日に南相馬に支援に来た。
それでまた祭りやるっていうから誘われて来たってわけよ」

3月に出口さんは仲間たちを集め、
支援の方法を考えた。
「みんなきっとあたたかいもの食べて、
あったかいお風呂に入りたいはず。
じゃああったかい食い物とお風呂を持っていこう!」

水まわりの設備機器を経営する出口さんは、
お父さんほか仲間たちに頼んで、
薪を使って沸かせる風呂を作り始めた。
「被災地に水道がなくてもよ、
川の伏流水があるところなら、風呂沸かせると思ってよ」

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約3週間かけて風呂を作り上げた。
さてそれをどこへ持っていくか。
出口さんは手当たり次第、
津波被害のひどい自治体に、
「お風呂を持っていきたい」と電話したが、
ことごとく断られたという。

「みんな自作の風呂なんて持ってこられても困ると思ったのか、
どこも受け入れてくれんのよ。
あちこち断られたけど、たまたま電話をかけた南相馬市は、
星さんが電話に出て、なら持ってきてくれって話になり、
4月9日に持っていったのよ」

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4月といえばまだかなり厳しい状況だったはず。
彼らは大人6~7人を集めて、
大型トラックに自作風呂を乗せて、
宮崎から1600km、福島まで運んだ。

原発から近い南相馬市は悲惨な状況だった。
風呂を設置すると同時に、
出口さんは太鼓まんじゅうを、
(白あん、黒あんの入った今川焼き風のもの)
道前さんは魚のすり身揚げをふるまった。

「厳しい状況だったから被災者の方に、
なんと声かけたらいいかわからんかったけど、
とにかく俺たちは俺たちのやり方でやるしかないって、
もくもくと作ってふるまっていった。
はじめはみんな遠慮していたみたいだけど、
あったかいものおいしいってわかってくれて、
いろいろと俺たちに話しかけてくれるようになった」

炊き出しを何日か続けた後、
200~300万円かけて作った風呂は置いていき、
何事もなかったように立ち去っていった。
プロ級の支援を行った彼らは、
なんと今までボランティアなんかやったことはないという。
災害ボランティアの経験ももちろんない。

そんな彼らが再び7月24日の祭りのためにやってきた。
今回も出口さんは太鼓まんじゅうを、
水産会社を経営する道前さんは魚のすり身揚げをふるまった。
昼12時頃よりスタートし、夜20時頃まで、
彼らはほとんど休むこともなく、どこの出店よりも長く、
ひたすら作り続け、被災者の方たちに無料でふるっていた。

今回は出口さんも道前さんも息子さんを連れてきていた。
息子と二人三脚となって、炊き出しをしていた。
こんな素晴らしい教育というか夏休みの親子旅行って、
ないだろうなって感心していた。
どちらの息子さんも「お父さんと一緒に写真撮ろう」
といっても、年頃のせいか恥ずかしがっていたが、
炊き出しの手伝いは文句もいわず、
炎天下のなか、黙々と手伝っていた。

今回の震災で支援をしている人の中には、
こんな「奇特」な人たちもいる。
被災地に縁もゆかりもあるわけでもない。
被災地からはるかに遠い。
にもかかわらずテレビの悲惨な被害状況を見て、
いてもたってもいられなくなり、助けに来た。

だからといって彼らはこうした支援活動で、
何か自分たちをアピールしようという気は、
さらさらないようだった。
お祭りの際、福島のテレビ局が取材に来たが、
「みんな太鼓まんじゅう並んで待ってるだろうが!
そんな取材してる暇なんかねえ!」
と追い返している。
たまたま私は祭り前日に来て、
夜を共にしたことから、
他のメディアとは違って、話を聞かせてくれた。

日本は捨てたモンじゃない。
宮崎県門川町の出口さんと道前さんを見て思った。

でもきっと今回の大震災では、
今まで災害ボランティアの経験などない、
多くの“素人”の人たちが、
いろんなところでいい支援をしているはずだ。
未曾有の災害だったからこそ、
「他人事じゃない。助けなきゃ!」
と思った人たちが大勢いるはずだ。

こうした人々によって被災地は支えされている。

・被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-07-31 22:50 | 東日本大震災・原発
2011年 07月 31日

衝撃の出会いから4年半~ネットからリアルへ(1)~

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見たことも聞いたことも会ったこともないバンドのメンバーから、
mixiのマイミクになっていることから、
ライブの誘いメールが来たのが4年半前のこと。
2006年12月4日、はじめて彼らのライブを聴いて衝撃を受け、
すぐその場でアルバムを買い漁り、
メンバー3人にそれぞれインタビューし、
2007年3月のワンマンライブ以降、
ほぼ毎回彼らのライブ撮影を行っている。

そんな彼ら=メリディアンローグと出会った新宿RUIDO・K4で、
2011年7月15日にライブが行われた。

「かさこさんと出会ったのもこの会場ですね!」

ボーカルの涼さんにそう声を掛けられ、思い出した。

「あれからの付き合いになるんですよね」

そう、もう4年半。
私はメリディアンローグを追いかけている。

出会った時はインディーズバンド。
それからすぐ所属事務所が決まってメジャーデビュー。
メジャー後、さまざまな経験を経て、
ついに彼らは自ら会社を設立し、
既存の音楽ビジネスモデルを変革するために、
無料で音楽を配信するサイトを立ち上げた。

ずっと彼らを見てきた。
今もなお進化し続け、楽曲の素晴らしさは申し分なく、
ミスチル、マイラバに割って入って、
私の日々音楽を聴くローテーションの中に組み込まれていて、
しかも4年半前に比べてライブでのパフォーマンスは、
格段にレベルアップした。

4年半前の新宿RUIDO・K4では、
2日間のワンマンライブを行った。
メジャーデビューをかけて、
興味を持った業界関係者にその実力を披露するという、
勝負の場でもあった。
そんな思い出の地、新宿RUIDO・K4に帰ってきた彼らのライブは、
いろんな経験を巡り巡って、何かこう吹っ切れたかのように、
音楽を存分に楽しむライブになっていた。

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メジャーを脱退し、サイトオープンの配信はじめの曲となった、
記念すべきスタートを祝う「ブランニュー・スタート」。
やや暗く重い楽曲が多かった彼らに、
きらきら輝く未来を見させてくれるような、
わくわく感のある楽曲からスタート。

2曲目は4年半前のライブでも中核をなしていた、
彼らの代表曲ともいえる「蒼星の系譜」を久々に披露し、
スピード感とパワーあふれるサビでは、
ファンも私も自然と体が縦に揺れた。
私は4年半前、この「蒼星の系譜」にしびれて、
ファンになったといっても過言ではない名曲だ。

かっこいい音楽なのに、
MCになるととってもおちゃめでおもしろい、
彼らのトークが終わると3曲目は、
彼らが設立した会社名ともなっている「ワールドスケープ」。

最近のアップテンポな曲が多い中で、
ゆったりとした草原が広がるような、
とっても癒される。
会場の空気感が急に草原に変わるみたいな、
そんな不思議な力を持った曲。

再びおもしろぶっちゃけトークのMCをはさんで、
ボーカル涼さんがギターを持って、
ライブ向け激しいのを2曲。

メジャーデビューして事務所からのリクエストなど、
しがらみを感じていた中、
思いっきり自分たちの好きなことをしようって、
かなり吹っ切れて作ったのがものすごく人気で、
ライブでも盛り上がる「ディストピア」。

メジャーの苦悩、周囲からのプレッシャーの苦悩を、
音楽に昇華させて力強い曲に仕上げた「アンバランス」。

この5曲ぐらいでいつもはライブが終わって、
盛り上がって終了というのが最近のライブなのだが、
ここで最後にとてつもないものをもう1発。
2011年6月に無料配信された「ウェイストランド・イン・メトロポリス」。

すごい・・・。
すごすぎる。
始まった途端、鳥肌が立った。
なんだろう、この圧倒的な力は。
壮大な世界が目の前に広がり、
そこに音楽とともに立ち向かっているかのような、
世界観のある楽曲。

4年半前に「蒼星の系譜」の聴いた衝撃と同じぐらい、
この「ウェイストランド・イン・メトロポリス」に衝撃を感じた。

凄まじい力。凄まじい音楽。
音楽ってすごい。
こうも人を惹きつけられるものかと。

次回アルバムが出るとするなら、
私なら文句なくアルバムタイトルは、
この「ウェイストランド・イン・メトロポリス」をつけたいぐらい。
そのぐらい圧倒的な存在感のある曲だ。

ライブを終えた後、涼さんにそんな話しをしたら、
「タイトルとしてはかなり長いですけど(笑)」と、
にこやかに笑っていた。

「被災地取材など忙しいのにいつもライブ撮影に来てくれて、
ありがとうございます!」とボーカル涼さんに言われたけれど、
「いやいやいつもこんな素晴らしい音楽を聴かせてくれて、
こちらこそありがとうございます!」と返した。

ライブを撮影しているカメラマンとして、
「仕事」として彼らを追いかけているわけではない。
メリディアンローグの音楽が素晴らしく好きで一ファンだから、
彼らに協力できることとして撮影しているに過ぎない。
撮影のおかげで彼らのライブを聴けるわけだし。

私がこんなにべた褒めするアーティストってそんなにない。
ぜひよかったらみなさんも聴いてみてください。
下記メルマガに登録すれば1ヵ月に1度、
新曲が無料でもらえるので。

次回以降のライブ
2011/08/13(土)■下北沢DaisyBar
2011/09/03(土)■下北沢MOSAiC※メリディアンローグ主催イベント
2011/10/02(日)■下北沢MOSAiC※ワンマンライブ

特に9月、10月のライブがおすすめです!
私も毎回ライブ会場で撮影してますので!

・7.15ライブ写真
http://www.kasako.com/1107merifoto.html

・新曲がタダでもらえるフリクル
http://frekul.com/artists/profile/mr

・メリディアンローグの今後のライブ予定
http://meridianrogue.com/pc/schedule.html

・メリログ応援サイトトップ
http://www.kasako.com/meritop.html


by kasakoblog | 2011-07-31 20:50 | 音楽
2011年 07月 30日

もう8月~今年撮影した場所

3月に大震災が起きてから時が過ぎるのが早く感じ、
もう来週月曜には8月に。
震災以降は被災地という新たな取材先が加わり、
私の行動も大きく変わりましたが、
7月まででどんなところに行って、
どんな撮影をしたかまとめてみましたので、
よかったらご覧ください!

1月
・ブリュッセル夜の町並み(ベルギー)
http://kasakoblog.exblog.jp/13946127/

・パリ地下鉄写真(フランス)
http://kasakoblog.exblog.jp/14009994/

・モンサンミシェル(フランス)
http://kasakoblog.exblog.jp/14024299/

・世界遺産ブルージュ(ベルギー)
http://kasakoblog.exblog.jp/14257494/

・スノーモンキー写真(長野地獄谷温泉)
http://kasakoblog.exblog.jp/14058590/

・温泉サル写真(長野地獄谷温泉)
http://kasakoblog.exblog.jp/14072743/

2月
・たき火にあたるサル(愛知県モンキーパーク)
http://kasakoblog.exblog.jp/14309300/

・桃太郎神社(愛知県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14321518/

3月
・小豆島のサル(香川県小豆島)
http://kasakoblog.exblog.jp/14521553/

・二十四の瞳映画村(香川県小豆島)
http://kasakoblog.exblog.jp/14660655/

4月
・被災地・千葉浦安液状化(千葉県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14539175/

・被災地・石巻(宮城県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14650842/

5月
・沖縄・竹富島
http://kasakoblog.exblog.jp/14702333/

・沖縄・小浜島
http://kasakoblog.exblog.jp/14750279/

・忘れられた被災地(長野・栄村)
http://kasakoblog.exblog.jp/14741969/

・被災地・福島いわき市
http://www.kasako.com/1105iwaki1.html
http://www.kasako.com/1105hisa.html

6月
・リニア鉄道館(愛知県)
http://kasakoblog.exblog.jp/15019880/

・五島列島教会写真(長崎県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14940171/

・黄島の猫写真(長崎県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14955476/

・美ヶ原高原(長野県)
http://kasakoblog.exblog.jp/14926403/

・被災地・福島いわき市
http://www.kasako.com/1106toyo.html

7月
・被災地・福島いわき市の復興イベント
http://kasakoblog.exblog.jp/15085177/

・被災地・福島いわき市の仮設住宅
http://kasakoblog.exblog.jp/15095528/

・秋田道祖神写真(秋田県)
http://kasakoblog.exblog.jp/15136760/

・南相馬の避難所祭り(福島県)
http://kasakoblog.exblog.jp/15196398/

8月もまた精力的に動いていきたいと思います!

・かさこワールド旅行コンテンツ
http://www.kasako.com/traveltop.html


by kasakoblog | 2011-07-30 23:28 | 旅行記
2011年 07月 30日

華やかな避難所祭の表と裏~原発被災地の深刻度

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なんて素晴らしいお祭りなんだろう!
南相馬の避難所祭りをモデルに、
他の被災地でも同様のイベントを開催すれば喜ばれるのではないか。

そんな風に思っていた矢先に、
「これは仮の姿ですよ」と地元の人から言われ、
原発被災地の問題の深刻さに気づかされた…・・・。

2011年7月24日、福島県南相馬市で避難所となっている、
原町二中のグラウンドでは、
朝10時から夜21時までお祭りが行われていた。

原発20km圏内のために、
立ち入りができない小高地区で、
毎年行われている火祭りを再現しようと、
避難所となっている学校での祭りが決まった。

しかし単に例年行われている祭りの縮小版では意味がない。
震災が起きたこともふまえて、祭りにいろんな意味が加わった。

・まだ避難所で生活している100人あまりの被災者のための楽しみ
・今まで南相馬の支援を行ってくれたボランティアを再び集めて、
避難所の人たちとボランティアの人たちのつながりを深める
・避難所を出て仮設住宅に移ってしまった人のための、
物資配布の会をかねる
・原発爆発で一度南相馬から離れてしまった人を、
呼び寄せるための1つのきっかけ

そういったさまざまな要素が複合した祭りだった。

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こんな素晴らしい祭りはない。
私が何度も取材している被災地、福島のいわき市でも、
こんなイベントができたらいいと考えていた、
いわば理想形が目の前に広がっていた。

しかもこの祭りは市や県も協力的。
原町二中の避難所運営を行っているのは、
南相馬市の税務署職員が中心で、
いわき市の市職員とはまったく違い、
実に献身的に避難所運営を行っていた。

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開会の挨拶には今回の震災で、
一躍有名になった桜井市長も来るほど。
市や県が協力的でなく、
ボランティア主催になりがちな企画が、
被災者もボランティアも行政も一体となってできるなんて、
とてもいいイベントだと私は思っていた。

ここが世界を騒がせ、日本全土を汚染しつくした災厄、
福島原発から20~30kmしか離れていないなんて信じられない。
しかし見た目の“平和さ”とは裏腹に、
ここに来ている人たちの心の陰は、
あまりにも大きかった・・・・・・。

祭りに出店していた地元の青年会議所の一人と話す機会を得た。
「このお祭りは、放射能問題のせいで復興が遅れている、
南相馬市の人たちが心のなごむきっかけとなり、
これから復興に向けた力を出すきっかけとなればと思っています」
素晴らしい祭りにふさわしい模範回答ともいうべき受け答えだった。

ほんとそう。
こうやっていろんな人が集まる機会があれば、
そこで人と人とがつながり、
また新たな力になっていくんじゃないかと。

「お話聞かせていただきありがとうござました」と、
次の出店者の取材に移ろうかと思ったところ、
立ち去ろうとする私を引き止めるように、彼はこう付け加えた。

「でもね、かさこさん、この祭りは、
南相馬の仮の姿にしか過ぎないですよ」

「仮の姿?!」

彼は「お祭りは復興のきっかけになる」という、
表向きの“きれいな”答えとは別に、
本音ベースではまったく違うことを考えているようだった。

「私個人のややネガティブな考えかもしれませんが、
祭りは一時的な息抜きにしか過ぎず、
抜本的な復興とは程遠いものです。
本来ならこの南相馬市にいる全住民をただちに避難し、
どこか別の町に住民大移動を行うべき。
私は今でもそう思っているんです」

彼が住んでいるのは原発から20~30km圏内。
彼の実家は原発20km圏内にある。
地元志向が根強そうな人が、
この地も避難区域に指定して、
町ごと別の場所に移った方がいいというのはなぜなのか。

「南相馬の放射線量は今は確かに低いです。
でもこの先、原発から近いため、
危険な状況になるかもしれないとも言われている。
ようは危険か危険じゃないかわからない場所なんです。

そんな場所を復興して、今まで通り、
何の不安もなく暮らせますか?
そんなの無理です。
すでに住民は半減し、学校の再開は難しく、
病院も機能していない状態。
そんな場所で暮らすなんて無理です。
米国の言うように原発から50マイルは一律避難エリアに指定し、
政府主導で住民大移動をすべきです」

彼はあくまで淡々と冷静に語っていた。
でも心の中では憤りや不満が渦巻いている。

「ガイガーカウンターすら住民に配られていない。
それで危なくなったら避難しろと言われたって、
いつ危険なのかもわかりようがない。
南相馬に中央政府直轄の放射能対策組織を置き、
放射能の科学的調査をすべきなんです。
でも結局は電力会社の都合や地域経済を優先し、
経済合理性判断と行政判断によって、
住民はこのまま住んで大丈夫なのか、
それとも本当はすぐにでも逃げた方がいいのかわからないまま、
どっちつかずの状態に縛りつけられてしまっているんです」

福島の被災地に取材に行くと、
必ずといっていいほど下記のような言葉を聞く。
「宮城や岩手は福島よりいい。
放射能の問題をそんなに考えなくていいから。
メディアにも取り上げられ、ボランティアもいっぱいくるから。
でも福島には地震、津波被害だけでなく、
放射能の問題がつきまとっている。
簡単に復旧・復興なんて言えない」と。

避難所の学校の目の前にあるモスバーガーやうどん屋は、
営業を再開しており、
コンビニエンスストアもビジネスホテルも営業を再開している。
しかも放射線量は今のところ低く、
海岸部の壊滅的なエリアに行かずに町にいれば、
震災などない普通の平和な町に見える。
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そこで行われる祭りも素晴らしいものに見えるが、
ここで暮らす人々の葛藤、心の闇は、
生半可なもんではないことに気づかされた。

地震被害や津波被害は甚大だったが、
何よりも原発被害は、
人々の人生を180度狂わせてしまう、
とてつもない破壊力を持つ。

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素晴らしいお祭りの光の影に、
とてつもない深い心の闇が広がっていた。

原発被災地の復興は恐ろしいほど複雑な問題を抱えている。
政府が思い切った判断をしてくれればいいが、
被災者任せの生殺し状態を強いているのが現状だった。

・被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-07-30 00:31 | 東日本大震災・原発
2011年 07月 29日

ギャラを言わずに仕事を頼む会社は要注意

サラリーマンは自営(フリー)の気持ちがわからない」の記事が大反響で、
ツイッターを中心にあちこちで紹介されているので、同テーマで1つ、話題を。

フリーランスにとって「この仕事でいくらもらえるのか?」
というのは一にも二にも重要な関心事だ。
なぜならそれでメシを食っていかなければならないからだ。
サラリーマンと違って一定額の給与がもらえるわけではないので、
「いくらになるのか」というのは生活がかかっている。

しかし日本では「お金の話をするのはいやらしい」
という雰囲気があるせいか、
「お互いの信頼関係でやっているんだからギャラの話はまた後で」
といった雰囲気や、
「はじめの段階で仕事の範囲が明確でないし、
予算も明確でないから、ギャラはあやふやなまま仕事をするのが通例」
といった感じがあるせいか、
ギャラがはっきりしないまま、
企業からフリーランスに仕事をお願いし、
仕事がスタートするケースもある。

でもギャラをはじめに決めていないと、
たいがい後になってもめる。
もめるというよりフリーランスが泣き寝入りせざるを得ない、
といった方が正確か。

何度も仕事している相手先ならいい。
お互いに信頼関係があるから。
でもそうであっても、
ましてやあまり仕事をしていない同士なら、
発注者側の会社の担当者(サラリーマン)は、
フリーランスに仕事を頼む際は、
できるだけはじめの段階でギャラを明確にするのが、
ビジネスマナーだと思う。

なぜって、フリーランスはそれで生きているから。
いくらもらえるかわからないまま仕事をさせるなど、
本来なら“契約”違反であり、ビジネスとはいえないはずだ。
なぜならビジネスとは金と仕事の交換作業なのだから。

サラリーマンがフリーに仕事を頼む際、
なぜギャラをはっきり言わないのか、
サラリーマンでもある私の経験上、
以下のようなことが考えられる。

1:ギャラがまだはっきり決まっていない
仕事の総予算がまだわからず、
でも仕事を進めなくてはならず、
とりあえずフリーに仕事をお願いするため、
はじめの段階でいくらとは言いづらい。

2:仕事の範囲が決まっていない
とりあえず今はこれをやってほしい。
でも追加で作業が発生する可能性もある。
だからギャラをはじめの段階で決めづらい。

3:ギャラが安すぎる
あまりにも予算がない仕事で、
ろくにギャラを支払える可能性が低く、
「予算がなくてあまり払えないんですけど、
とりあえずお願いします」といった頼み方をする。

4:ギャラをはじめに言うのは望ましくない
はじめにいきなり金の話なんて、
なんか生々しくて汚らしい。
相応の額は払うつもりではいるが、
はじめに言うのはなんとなく気がひける。

5:担当者にギャラの決定権がない
ギャラを決めるのは上司であり、
直接仕事を頼む担当者にギャラを決める権限がない。
でも上司に「ギャラはいくらですか」と聞きづらく、
(もしくは聞いても答えてくれない)
結果、フリーの人にギャラを明示できない。

だいたいこんなところだろう。
それでギャラがはっきりしないまま仕事がスタートしてしまい、
仕事が終わってから、「いくらになります」といった際、
相応のギャラなら文句は出ないが、
はっきりギャラを明示しないような会社に限って、
「こんなに働かせてたったそれだけのギャラですか?」
みたいな話になり、もめる原因となるのである。
しかも支払いは2ヵ月も3ヵ月も先なのが通常だし。

ギャラをはじめの段階で示さないサラリーマンも悪いが、
ギャラをはじめに聞かないフリーランスも悪い。
でもなぜフリーははっきり問いたださないのか。
個人で仕事をしている私の立場からすると、
以下の理由が考えられる。

1:いきなり金の話をすると嫌がられそう
2:いきなり金の話をすると、
仕事の依頼を断られてしまうかもしれない
3:きっと相手はそれなりの額を払ってくれるに違いない、
と自分を納得させてしまう
4:それとなく聞いてみたが、はっきり言わないのであきらめる

結果、後で泣き寝入りしなければならないケースも出てくる。

問題の解決策は実に簡単だ。
仕事を頼む側が、仕事を頼む際に、
仕事の範囲とギャラをきっちり提示すればいい。
仕事を頼まれる側は、相手が言わないのならきちんと聞けばいい。

お互いがギャラの明示に対して、
今までより意識を高めれば済む話だ。

ただ現実にはなかなかそうはいかないのはよくわかる。
そこで仕事を頼む側がはじめの段階で、
どうしてもギャラを明示できない際は、
1:今の段階でははっきり金額は提示できないことを言う
2:そしてその理由を伝える
ことはすべきだろう。
そうすれば仕事を頼まれる側は事情がわかり、
仕事を断るべきか否か、判断がしやすい。

でもできればそれだけでなく、
3:はっきり決まってはいないが、
だいたい○円から○円ぐらいで考えている、
最低だと○円ぐらいになる可能性がある、
といった風に、
おおまかな範囲でもいいので金額を伝えるべきだ。

仕事を頼まれる側としては、
できるだけ後で言った言わないでもめないよう、
こうしたやりとりはメールでしておいた方がいい。
口頭では証拠がないから泣き寝入りは必死である。

こうやってお金の話をすると、
発注者側のサラリーマンはこう勘違いするかもしれない。
「そんなに高いギャラ払える仕事なんてないんだよ」
でも仕事を頼まれる側、フリーランスにしてみれば、
ギャラが安いか高いかよりも、
いくらもらえるのかよくわからないまま、
仕事をさせられるというのが一番ストレスがたまる。

ギャラが安くたって別にいいんです。
事前にきちんと言ってくれれば。
フリーランスだって別にギャラの高い仕事だけするわけじゃない。
ギャラが安くたって下記のような事情があれば、
むしろ率先してやる可能性も高い。

1:ギャラは安いが仕事がおもしろそう
2:ギャラは安いが自分の後々の経験・実績になる
3:ギャラは安いが空き時間をうまく活用できる
4:ギャラは安いが今は暇だからやりたい
5:ギャラは安いがこの会社とつきあいができれば、
今後大きな仕事もとれるかもしれない
などなど。

先日、カメライターを探していた会社が、
私のホームページを見て連絡してきた。
会いにいったらひたすら執拗に、
「いやほんとうちの仕事は安いですから!」
と何度も連呼するわりに、
その金額をなかなか教えてくれないのだ。

私からすればこの仕事に興味を持ったのは、
おもしろそうだし、土日とかの空いた時間に、
ちょこっと小遣い稼ぎ程度にできればいい、
ぐらいのつもりで来ているから、
別にそんなにギャラが高くなくてはやらないなんて、
ぜんぜん思っていないんだけど、
相手は「安いから」をひたすら連呼する。
最後になってやっと教えてくれたが、
私からすればぜんぜんそれでもOKな金額だった。

発注者側はギャラが安い=みんな引き受けてくれない、
とは思わず、相手は台所事情とかにもより、
安くても喜んで引き受けてくれる可能性もある。

だからはじめにうにょうにょいって、
ギャラを濁して後でもめるより、
仕事を頼む際にはっきりギャラの金額を伝えるべきだ。

それがお互いに仕事を気持ちよくする秘訣だと思う。
日本の悪しき風習からギャラの明示がなされないまま、
なりゆきで仕事がはじまってしまうケースが多いが、
そういうのは変えていった方がいいんじゃないかなと思っている。

・かさこツイッター
http://twitter.com/kasakoworld

・かさこホームページ
http://www.kasako.com/


by kasakoblog | 2011-07-29 01:06 | 働き方
2011年 07月 28日

体育館で2ヵ月、教室で2ヵ月

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「なかなか仮設住宅の抽選に当たらなくってね、
もう4ヵ月も避難所生活してます。
もうそろそろ、いくらなんでもね・・・」

2011年7月24日。
福島県南相馬市の避難所の1つ、原町二中には、
まだ100人前後の被災者が避難所生活をしている。

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仮設住宅も建ち始めて当選して移る人を横目に見ながら、
抽選で外れた彼女たちは、教室の床にダンボールを敷き、
そこに布団を敷いて生活している。

「はじめの2ヵ月は新潟の体育館に避難していました。
原発が爆発しちゃったから。
新潟の避難所では大変よくしてくれました。
でもできることなら生まれ育ったふるさとに戻りたい。
南相馬市の放射線量が低くなっているというので、
ならばとふるさとの避難所に移ってきました」

この方の家は津波被害を受けたものの、
1m30cm程度の床上浸水で済んだという。
周囲の家はほぼ全壊で全滅。

でも家に戻ることはできない。
原発から20km圏内にあるからだ。
わが家は人が住むことが許されない土地に指定されてしまった。

「息子夫婦と孫はまだ新潟にいますよ」

放射線量が低くなったとはいえ、
避難所は原発から20~30km圏内。
緊急時避難準備区域、すなわちなんかあったらヤバイから逃げろ!
という極めて不安定な地域ゆえ、
子供や孫を連れてくるわけにもいかず、
自分ひとり、ふるさとに戻ってきた。

実際、7月21日には南相馬市の一部地域が放射線量の高い、
ホットスポットになっているため、
4地区59世帯が「特定避難勧奨地点」に指定された。

「仮設住宅に当たればねえ~」
といっても仮設住宅だって原発から約30~40kmの距離にある。

家には帰れない。
避難所を転々。
仮設住宅の抽選に当たったとしても、
所詮は「仮設」。いつかどこかに移り住まなければならない。

わが家に戻れない。
避難生活も時期によっては、
放射線量の影響でどうなるかもわからない。

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そんな途方もない先の見えない未来のなかで、
同じ境遇の人たちと身を寄せ合って、教室で暮らしている。

今日はお祭り。
原発20km圏内の町のお祭りだが、
今年はそこでできないので、
避難所で代わりに祭りをすることになった。

半月前から祭りの準備を手伝った。
「もう私は年寄りだから写真に写らなくてもいいよ」
と恥ずかしがっていたおばあちゃんが、
慣れない手つきでニンテンドーDSを取り出した。
「これで今日のお祭りの写真撮ろうと思って」

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DSでの写真の撮り方を教えてあげたら喜ばれた。

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おばあちゃん、いい写真、撮れたかな。
仮設の抽選当たったかな。

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先が見えない生活の中で、
ほんの一時だけかもしれないけれど、
祭りによって心に小さな明かりを灯すことができたら、
それはそれで素晴らしいこと。
難しいことかもしれないけれど。

被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-07-28 02:43 | 東日本大震災・原発
2011年 07月 27日

中国を笑えない日本の恐ろしい実態

中国で高速鉄道の事故が起きた。
このニュースを見て多くの日本人が、
「だから中国製は安全性に問題があるんだ」
「中国だからずさんな管理で危険なんだ」
「事故を隠蔽しようと必死になっている非民主的な国家だ」
という印象を持ったのではないか。

しかし、中国をそんな風に“下”に見れるのだろうか?

「安全性に問題がある」ものを平然と作り、
「ずさんな管理」で次々と問題が発覚しているにもかかわらず、
未だに「真実を隠蔽」しようとしているのは、
まさしく日本の原発事故そのものではないか。
中国のものは危ない、日本は安全なんて、
いまや誰も思えない。
日本はある意味では中国レベルの危険な状況に陥っている。

数年前に中国の毒ギョーザ問題が騒ぎになった時、
「中国の食品=危ない」というイメージから、
多くの日本人が中国の冷凍食品などを買わなくなった。

しかしじゃあ日本の食品は今、安全なのか?
毒ギョーザのみならず、
“毒”牛肉、“毒”稲わらが大きな問題になっていて、
しかももうそれは全国に拡散し、消費されてしまいました、
という話だ。

中国並みのずさんな食品管理ではないか。
中国並みの危険な食品だらけではないか。

私はガイガーカウンターで被災地など、
放射線量を計っていてブログでも掲載しているが、
「被爆」という意味で大気の放射能なんて、
ほんの一部にしか過ぎない。

いっておくが3月の原発爆発で、
日本中の大気、水、土壌が汚染されたのだ。

稲わらと牛肉しかなぜ問題にしないのか?
他の畜産物は大丈夫なのか?
野菜は?魚は?水は?

なぜ稲わらと牛肉しか取り上げられないのか不思議。
他の食品だって汚染されている可能性は当然あるに違いない。
牛の全頭検査をしろなんて言っているだけでなく、
日本産のすべての食品検査をしなければ、
日本版“毒”ギョーザが広く流通してしまっている可能性は高い。

原発事故で日本は中国をバカにできなくなった。
中国並みの危険・ずさん管理・隠蔽体質であることがわかった。

放射能汚染で日本産の食品が全滅する恐れだって十分にある。
我々が生き残る道は、高い輸入食品を買うか、
汚染された日本産の食品を食うかぐらいしか選択肢はない。

稲わらが危ない。牛肉が危ない。
中国が危ない。福島が危ない。

そんな問題じゃない。
危ないのはどこか特定のところじゃない。
遠くのどこかで、
自分には関係のないものが危ないんじゃない。
原発事故が起きていまや何が危ないかもわからない。

一刻も早く何の食品が危ないのかを調べないと、
手の打ちようがない。
自衛することすらできない。

土日に南相馬市に行った際、
「被爆」という言葉が日常会話のように飛び交っていたのに、
驚きを感じた。

でも残念ながら日本はそんな国になってしまった。
もはや起きたことはどうしようもない。
中国のように隠蔽するのではなく、
きちんとした調査をして、
何が危なくて何が危なくないのかをはっきりさせないと、
日本は中国と同レベルの危険社会になってしまうと思う。


by kasakoblog | 2011-07-27 12:54 | 政治
2011年 07月 25日

距離に比例しない放射線量の恐ろしさ~飯舘村、原発20kmを測定してきた

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土曜日。原発から20~30キロ圏内=緊急時避難準備区域、
ようは原発が不安定だから何かあったら、
すぐ逃げなければならないエリアに指定されている、
南相馬市の避難所に行ってきた。

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えっ、かさこさん、
そんなやばいとこいって大丈夫なんですか?と思うかもしれないが、
そこでの放射線量はだいたい0.20マイクロシーベルト/時程度。

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さらに南に進み、原発20キロの立入禁止エリア手前まで行って、
警官の前で放射線量を測ってきたが、
0.20~0.30マイクロシーベルト程度。

今は、という限定がつくが、
そんなに高くないのである。

東京だと0.08~0.15マイクロシーベルト程度。
南相馬が0.20ならそんなに高いとはいえない。

しかし、原発から遠く離れた千葉の柏市の一部などは、
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p008857.html
0.40マイクロシーベルトあるところもある。
原発から20kmの南相馬の2倍もあるのだ。

もうご存知の方も多いとは思うが、
放射線量の多い少ないは原発の遠い近いに関係ない。
原発からわずか20キロでも0.20しかなく、
遠く離れた関東でその2倍もあるといったことが起こる。
これが原発の恐ろしさだ。
近くに原発がなければ被害はないということにはならない。

そのような意味でそんなに近いわけではないのに、
全域が計画的避難区域=放射線量が高いから人は住めません、
というエリアに指定されてしまったのが飯舘村だ。

南相馬市に行くために飯舘村を通った。
高速道路の三春ICを降りてから、
車のなかでガイガーカウンターでずっと計測していた。
0.20~0.40程度で推移したが、
飯舘村に入ってから1.00~1.90に上昇した。
※ただ飯舘村のトンネル内を走っている時だけ0.10まで急減した。
そして外に出るとまた車内は1.00を超えた。

密閉された車の中でこの数値である。
外に出て測ってみるとなんと3.46!
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さらに驚くべきことに草むらに近づけたら、
なんと14マイクロシーベルトを超えた。
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確かにこんなに高いのなら、
原発から30キロ圏内でなくても、
ただちに避難せよという話になるのはうなずける。

しかし放射能の恐ろしさは見えないし、
線量が高いかどうかは人間の感覚ではわからないことだ。
飯舘村が高いというニュースがあり、
それでガイガーカウンターを持って測ったから、
ほらやっぱり高かったですとわかるに過ぎない。
しかしガイガーカウンターがなければ高いなんてわからない。
線量が高い地域に降りると気分が悪くなるとかなら、
危険を察知できるだろうが、
0.20だろうが3.4だろうが14だろうが、まったくわからない。
しかも日によっても場所によっても数値がくるくる変わる。
まさに見えない敵。
実に恐ろしい。

そしてもっと恐ろしいのは政府や自治体の対応。
福島市なんか毎日発表されている数値では、
1.30マイクロシーベルト程度もある。
この数値は、先月、いわき市側から原発20キロの、
立入禁止エリア手前のJヴィレッジで測った値と同じだ。
しかし放射線量が高くてもまったく避難区域に指定されない。
なぜか。
人口が多くて、福島市全域に避難させる金を負担したくないのと、
大パニックが起きかねないからだ。

私が土日に訪れた緊急時避難準備区域の南相馬市は0.20程度で、
何の区域にも指定されていない福島市は1.30程度。

ほんと恐ろしい。
しかもその恐ろしい効果は即効性がないから、
すぐに良い悪いが判断しにくい。
数年後、数十年後いならないとわからない。

でも例えば5歳のわが子がいたとして、
20年経ち、25歳で放射能のせいで病気になったらどう思うだろう?
みんななるわけじゃないから大丈夫かもしれない。
でもなる可能性は高まる。
親はどう思うか。
なぜあの時、何が何でも逃げなかったのか。
悔やんでも悔やみきれないのではないか。
なぜあの時、国や自治体は逃げる場所を用意しなかったのか。
でもその時の責任者なんてもう20年後には誰もいない。
怒りをぶつける先はもうないのだ。

まだガイガーカウンターを持っている人が少ないことに驚く。
この先、原発がどうなるかわからない。
放射線量は人間の感覚ではわからない。
一家に一台、4~5万円程度のものでいいから、
ガイガーカウンターは手に入れておきたい。
それが放射能に汚染された国に、
これからも生きる第一歩だと思う。

※ちなみに先日、秋田空港から羽田空港までの飛行機内で、
ガイガーカウンターで計測すると0.50~0.70マイクロシーベルトだった。

※私が購入したのは下記のもの。アマゾンで購入しました。
http://amzn.to/j1tQnS

被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-07-25 23:30 | 東日本大震災・原発
2011年 07月 24日

南相馬の避難所祭の取材終了

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日曜日は南相馬の避難所祭。
朝8時の打ち合わせに出席し、
写真撮影する人がいないという話になり、なら、私がしましょうという話になって事務局のバッチをつけることに。
朝から夜21時過ぎまで校庭の祭取材&撮影をし、夜23時過ぎに仙台に到着しました。
被災地のなかでも南相馬がいかに特殊かがよくわかりました。
原発はさんで南のいわき市に何度も取材をしているが原発に対する人々の意識はぜんぜん違う。
いろんな取材ができましたので随時記事をアップしていきたいと思います。
せっかく仙台泊まりですが、仕事の関係で月曜朝一の新幹線で東京に戻ります。
仙台から東京まで新幹線でわずか2時間なので。

by kasakoblog | 2011-07-24 23:57 | 東日本大震災・原発
2011年 07月 24日

原発20kmそばの避難所にいます

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福島県南相馬市の避難所となっている中学校に泊まっています。
ここは原発20〜30km圏内のため何かあったら緊急避難しなければならない場所。
しかしガイガーカウンターで計ったら放射線量は東京並み。
ところがここより原発から離れた飯舘村を通ったが大気で3マイクロシーベルト、地面に近づけたらなんと15マイクロシーベルトもあった。
だから飯舘村は人が住めないゴーストタウンになっている。
地震や津波被害がほとんどないにもかかわらず。

引き続き日曜も南相馬の被災地取材を続けます。

by kasakoblog | 2011-07-24 01:24 | 東日本大震災・原発