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2011年 09月 29日

感情的判断が合理的判断を抹殺する日本のあやうい全体主義

「苦しい時期におまえだけ逃げやがって。
今さらのこのこ帰ってきて、
何が故郷の復興に尽くしたいだ?
おまえになんか復興を手伝ってほしくない」

国難ともいえる危機的状況にあった時、
その場に残っても、下手すると全滅する恐れがあるから、
今は勇気ある撤退を行い、一時緊急避難をして、
そこで英気を養い、機会を待つ。
このような“合理的”判断をする人間を、
時に“感情的”に許せず、
残った人間は逃げた人間を無視してしまう。

3月に原発が爆発した際、
津波被害にあった福島のある被災者は、
ここにいたのではまずいと考え、
東京の親戚の家に身を寄せた。

3ヵ月が過ぎ、いろいろな状況がやっと見えてきて、
現状では3月よりも落ち着いていて、
自分の地域は放射線量も高くないことから、
今こそ故郷に戻って復興に力を入れようと、
活動をはじめたものの、
地域の人たちは表立ってはいわないものの、
彼に対して非協力的だった。

なぜなら他の人たちは原発が爆発しても、
逃げるところがなく、
この数ヵ月間、長く苦しい、
避難所生活を送ってきたにもかかわらず、
こいつだけ逃げたという意識があるからだ。

「おまえだけ逃げてのうのうと暮らしていたくせに。
一度、故郷を見捨てて逃げたくせに。
一番つらい時期をともにしなかったくせに。
何が今さら復興活動だ」
そういう心情が非協力的な態度となって表れたのだろう。

日本人は特にそうなのかもしれないが、
合理的判断より感情的判断を優先させる傾向にあるように思う。
そうした妙な温情主義というか馴れ合い主義が、
本音ではみんな逃げたいと思っているのに、
周囲の空気を読んでみんな逃げられず、
結果全滅してしまうみたいなことになっている。
台風が予想されているのに、
帰宅難民があふれて交通機関が大混乱してしまうとか。

でも感情的判断しかできない人間に、
合理的判断を説いても無駄だ。
他人の感情を変えることなどできないからだ。

それはそれで別にいいんです。
誰だってすべてにおいて合理的判断を下せるわけなどなく、
人間である以上、感情的な生き物だし、
感情によって行動するのはその人の生き方なのだから、
それを他人がとやかく言う問題ではない。

でもだからといって合理的な判断をした人間を、
上記の例のように排除したりするのはおかしいと思うし、
感情的な判断をすることによって、
自分が死ぬのは構わないが、
無言の圧力で感情的判断を優先させる雰囲気を作り、
他人を巻き添えにするのは違うと思う。

でも今の日本って、合理的な判断をしようものなら、
「見捨てた」「冷酷だ」みたいな見られ方をして、
本当はみんな合理的判断をしたいのに、
世間の無言のプレッシャーから、
感情的判断を優先しなければならない強制力が働いていて、
結果、誰もトクしない、みんなで死ねば怖くない、
みたいな、まるで第二次世界大戦に突入した日本のような、
そんなファシズム(全体主義)的雰囲気が蔓延しているようにも見える。

強権的な一人の指導者が暴力を持って、
国民をそのような方向に強制しているのなら、
その指導者さえいなくなれば呪縛はとけるが、
今の日本はみんなが加害者であり、
被害者になっていることが恐ろしい。
そのような状況を変えることは容易ではない。
一人の指導者を追放すればいいわけではなく、
多くの人たちの意識を変えなくてはならないのだから。

特に一番やっかいなのは、
短期的な視点しか持たない行動力のある人間だ。
なまじ行動力があるだけに、社会に実害を及ぼす。
短期的な視野で見ればそれは「いいこと」なのかもしれないが、
長期的な視野で見ればみなを、
「不幸」にする選択をしている可能性がある。

その最たる例が原発だろう。
原発を誘致すれば過疎化する町が発展できる。
金がわんさか入ってくる。
でもそれは短期的には利益になるが、
事故が起きれば「死の町」と化す、
とんでもないリスクがある。

そのリスクを負ってでも原発を誘致する必要があるのか。
他に方法はないのか。
結局すべては目の前のアメしか見えていなくて、
甘い方、楽な方ばかりの選択をする結果、
最後に落とし穴が潜んでいるというのが、
今の日本の有り様だと思う。

別に原発を誘致した人だけが死ぬならいい。
しかし事故が起きたら反対した人も、
他県の住民にも被害を及ぼす。

先日、震災について有識者に取材をした時のこと。
彼は「復興とは元に戻すことではない。
今後もその町や企業や産業が持続できるよう復興=再生すべきだ。
だから復興は万人受けするものではなく、
時には切り捨てるような決断もあるかもしれない。
でもリスクをそのままにして、
復興させてもそれは真の意味で復興にはならない」と。

しかしこんな発言をまともにしようものなら袋叩きだろう。
見捨てるのか、切り捨てるのかと。

合理的判断がすべて正しく、
感情的判断がすべて間違っている、
といっているのではない。
感情的判断が合理的判断を抹殺している雰囲気が怖いといっている。

だから今の日本はあやうい。
あまりにも感情的判断が優先されすぎている。
短期的判断が優先されすぎている。
それが新たな破滅的な大事故を招くんじゃないかと危惧している。


by kasakoblog | 2011-09-29 21:57 | 東日本大震災・原発
2011年 09月 29日

リアル桃鉄してます!

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金、土、日は福島へ。
月は東京。
火は徳島で取材した後、淡路島、西明石経由で名古屋宿泊。
水は名古屋から車で2~3時間かけて、
世界遺産の白川郷付近まで行ってきました。
全国各地、世界各地を無駄に普通の人以上に飛び回ってます。

ただいろんなところに行って思うのは、
どこもいいとこだなということ。
「ここにもし永住することになったら、
自分はどんな人生を歩むのだろう?」なんて
想像してしまうこともある。

旅をしなくなった日本人は、
故郷に固執しすぎる傾向にあるように思うけど、
放射能が舞いちり、死の町まで出てきた今、
「住めば都」、いいところはいっぱいある、
日本各地、世界各地を見渡して、
場所を変えて生きていくのも、
選択肢として考えてみたらいいと思う。

実際、大手企業なんかに勤めたら、
中国とかに何年か住むことだってあるだろうし、
縁もゆかりもない日本の片田舎に転勤させられることもある。

誰だって生まれ育った場所がいいというのはわかるけど、
いろんなところを旅すればわかる。
いいところはいっぱいある。


by kasakoblog | 2011-09-29 00:49 | 旅行記
2011年 09月 27日

虚しさ~自分だけがよくても人生よくならない

虚しさとはどんなに自分が努力しても
変えられないと悟った時に感じる気持ち。

変わらない人間を、変わらない社会を、
変わらない国を、変わらない世界を、
変えようとしている私が間違っているのではないか。
時にそんな徒労に襲われることがある。

自分は自分の意志で変わることができる。
自分は変われて人生が180度変わって楽しくなったから、
他の人にもそれに気づいてほしいと、
手をかえ品をかえ、いろんな言い方をして、
変わるきっかけをつかんでくれればと思ってみても、
過去の常識や習慣や思考に囚われている人には、
何を言っても無駄なんだと思うこともある。

だったらそんなやつ、ほっとけばいい。
自分が楽しければいいじゃないか。
そんなやつ、勝手に自滅すればいいじゃないか。
そう思ったりもするんだけど、
でもそういう輩が幅を利かせていると、
結局は自分にもその“害悪”が回ってくる。

被災地を取材してもそうだし、
徳島の漁村を取材した時もそう。
そこで活動している人は、
決まってこんな風にいう。

「自分たちのところだけがよくなればいいなんて思わない。
そういう発想では結局、自分のところだってよくならない。
隣町も市全体も県全体も国全体も世界全体もよくならなければ、
自分たちだけがいいなんてあり得ない」と。

人は社会的な生き物。
自分だけで生きている人間なんていない。
多くの人間とのかかわりあいで生きている。
だから自分だけがよくなったからいいとはならない。
みんなが“変わらなければ”全体も“よく”はならないのだ。

例えばあるライブ会場に来ている観客の、
99%の人がちゃんとマナーを守って楽しく見ていたとしても、
そこにたった1人だけ変な輩がいて、マナー違反な行動をすれば、
そのライブは台無しになってしまうわけです。
自分だけがマナーを守っていれば楽しめるとはならない可能性もある。

どんなに素晴らしい会社であっても、
1人変な社員がいておかしなことすれば、
その会社のイメージは台無しになる。
そういうたとえに似ている。

でも結局は最終的に一人一人の意志でしか変われない。
他人が何を言おうと、
ダメなやつは残念ながらダメだし、
何度も何度も同じ失敗を平然と繰り返すし、
いつまでたってもオレがオレで、
相手のことを何とも思わない人もいる。
だから原発事故が起き、台風なのに帰宅難民が大量発生したりする。

人の意識を変えるのは難しい。
自分で気づかないとダメだから。
自分に問題意識がないとダメだから。
変わろうとしている意志さえあれば、
どんなきっかけでもそれをチャンスに変えることはできるけど、
自分の問題にまったく気づいていない人は、
変わるきっかけを与えられても変わることなく、
チャンスを見逃し、やがて“原発事故”を起こすのだろう。

それがわかっているから事前に防ぎたいと思って注意しても、
言えば言うほど言い訳の連呼でより強固に過去の因習にしがみつく。

人は痛い目にあわないとわからない。
いや痛い目にあってもわからないのかもしれない。
そんな少数の“犯罪者”が大勢の人に迷惑をかける。
何かいい方法はないのだろうかと思いながら、
気づく人を一人一人増やしていくしかないんだろうなと思う。

時に虚しさを感じるけれど、私はあきらめない。
それをあきらめることは、自分の人生をあきらめることだから。

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by kasakoblog | 2011-09-27 23:22 | 生き方
2011年 09月 27日

原発推進派に賠償金と義援金は不要~原発推進派の町長が3選

産業のない田舎町が金欲しさから、
日本の安全を売って、原発を自ら好んで建設したのだから、
事故が起きても、原発推進に賛成した町民に、
賠償金や義援金はいらないのではないか。
福島原発事故が起きて以来、
ずっと思っていたことだ。

世界では福島原発事故の大惨事を受けて、
脱原発の流れが加速する中、
当の日本では、なんと原発推進派の町長が、
ダブルスコアという圧倒的大差で、
脱原発候補を破ってしまった。
山口県上関町の町長選である。

投票率はなんと87.55%。
別に投票率が低くて原発推進が勝ってしまったのではない。
過疎化し、人口が減少し、ろくな産業がないこの町で、
地域活性化をするには、
原発関連の交付金しかないと主張し、
原発推進派の立候補者が圧勝した。
町民自らが原発を支持したのである。

結局、今、日本にある原発立地なんて、
ほとんどこのような理由によるものではないか。
別に住民の大多数が反対しているにの、
国や東京が福島に作れと命令して、
福島に原発ができたわけではないだろう。
東電や国が原発は安全だといういかさま情報に騙された、
という側面があったにせよ、
原発が危険だと指摘する人はいっぱいいたわけで、
危険を承知で金目当てで原発を自ら招きいれたのだ。

そのおかげで産業がない田舎町は潤った。
原発があることによる先払い賠償金みたいな、
莫大な交付金や寄付金。
Jヴィレッジのような箱物建設。
そして原発があることによる雇用と、
周辺地域の商売活性化。

別に東京のためにいやいや原発を作ったのではなく、
原発で多大な恩恵を受けられるから、
喜んで招きいれ、電力は足りてるのに、
何機も原発を増発した。
増発しないと地域が潤わないから。

しかし福島原発事故が起きたらどうなったのか?
被害は原発で潤っていた人間だけでなく、
原発に反対していた、
農業・漁業・畜産業・観光業の人たちが甚大な被害を受け、
放射能に汚染され、二度と住めない町になりかねない危機を迎えている。
町が消滅する可能性があるのだ。

いやそれでも金目当てで原発の恩恵を受けた町だけが、
被害を受けるなら自業自得という面もあるが、
そのせいで原発の恩恵が少ない周辺地域、隣接県だけでなく、
日本全体に被害を及ぼした。

そうした事態が起きているにもかかわらず、
上関町の町民の多くが、原発推進を選択した。

ならば、こうするのが筋ではないか。
原発を推進した町民は、万が一事故が起きても、
賠償金や義援金はもらわないこと。
それだけでなく、もし事故が起きて他県に被害を与えたら、
その被害の賠償は原発で恩恵を受け、
原発を推進した町民が支払うべきではないかと。

こういうことを言うと、
「電気を使っているのは東京の人たちだろ!」と反論する。
しかし今回の事故で明らかになってしまった。
少なくとも東京電力圏内は、
福島原発なんかなくても114年間で4度目の暑い夏にもかかわらず、
電力不足になることもなく、他の電力会社に電気を供給するほど余裕だった。
つまり原発なんかなくても電力は足りたのだから、
別に東京の人たちのために作ったというのはウソだったと。
単に原発利権に群がり、原発マネーに群がった、
地元住民含めた人たちのために、
いろんなウソをついて原発が必要なだけだったのではないか。

ならば原発事故による賠償金は、
原発を推進した町民に払う必要があるのか?
それどころか、その町民が原発を推進したせいで、
他県に迷惑をかけたのだから、
むしろ賠償すべき立場にあるんじゃないか。

私は何度も福島県いわき市に取材しているが、
いわき市には原発で「死の町」と化して住めなくなった、
原発立地の町民たちも避難している。
いわき市外で原発の甘い汁を吸ってきた原発被災者が、
いわき市で原発の恩恵も少なく被害しかもらっていない、
津波被災者よりも厚遇されているという話をいろいろ聞く。
でもそれってほんとはおかしいのではないか。

過疎化し産業がないから、
必要もないのに金で潤う原発を、
自ら誘致した町民に賠償金を払う必要があるのだろうか?

被害ばかりで恩恵は受けていない多くの国民が、
増税されて原発の賠償金を支払うっておかしくないか。

原発に賛成する町民は、
金で魂を売ったわけだ。
それで自分に被害を受けるのは当然だし、
他県に被害を及ぼすのなら賠償しろって話。

金に目がくらんだせいで「死の町」になってしまった、
福島原発事故の教訓をせず、
原発推進派がゆうゆう勝利してしまう日本って、
原発とともに滅びるしかないんじゃないかとも思う。

賢人は危険が起きる前に危険を最小限にする工夫をする。
普通の人は、一度すごい事故や失敗が起きると、
それで今までの生き方を改め、反省する。
愚人は、事故や失敗が起きているのに、
その生き方を改めようとしない。

日本は愚人の道を歩みだしたようだ。


by kasakoblog | 2011-09-27 01:21 | 東日本大震災・原発
2011年 09月 25日

意味のある復興イベントを~画期的な「避難所同窓会」レポート

震災から半年が過ぎ、自粛ムードから一転して、
何でもかんでも“復興イベント”と称したお祭り騒ぎが数多く開催され、
「それってホントに復興のためのイベントなの?
単なるお金の無駄遣いじゃないの?
他に今、やるべきことあるんじゃないの?
企画者の自己満足じゃないの?」
みたいに思えてしまうものも多い中、
9/24に福島県いわき市の平工業高校で開催された、
「避難所同窓会」は非常に画期的なイベントだった。

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避難所同窓会とは、避難所が閉鎖され、
みな仮設住宅や借上住宅などに移って、
バラバラになってしまった被災者の方々を集めた会という意味。

いわき市中心部の平工業高校の体育館では、
津波被害で壊滅的な打撃を受けた、
薄磯・豊間の2地区の人たち約200名が避難所生活を送っていた。
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この2地区は宮城や岩手の津波被災地のように報道される機会は少ないが、
ほぼ町が壊滅し、ほとんどの家が壊れ、流された、
大変な被害を受けた場所だ。

6.19に平工業高校の避難所は閉鎖された。
被災者のほとんどが仮設住宅や借上住宅などに移ったからだ。
それから3ヵ月が過ぎた今、
津波被害者は慣れない場所の仮の住まいで多くの不安を抱えながら、
新しい生活を始めており、
それをどう支援していくかが課題となっていた。

被災者の方々は不安や悩みを打ち明けようにも、
近所にいた人たちはみなバラバラに散ってしまい、
周囲に住んでいる人は見知らぬ人のため、
または津波被害者ではないため、
孤立感を深めやすい。

避難所での集団生活はみんな一緒にいるので、
不便な反面、安心感もあったが、
個別の生活になると、現実に戻らねばならず、
もとあった地域コミュニティも崩壊しており、
物がないとかお金がないとか以上に、
精神的に非常にしんどい時期だ。

そこで3.26以来、避難所の運営・支援を行っていた、
東京都文京ボランティアグループ(響きの森net)が、
この同窓会イベントを企画した。

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ボランティアグループのリーダー、加藤良彦さんは、
「避難所が閉鎖されて以降、被災者の方々から、
またみんなで集まりたいという声を多く聞いた。
そこで津波被害・避難所暮らしという、
同じ境遇の人たちを集めて情報交換ができる、
“小さなコミュニティづくり”のきっかけとなるのが、
このイベントの目的」と話す。

同窓会に集まったのは約50名の被災者の方々。
被災者の方にこの同窓会イベントについて話を聞くと、
「久々にみんなに会えるこの機会がすごく楽しみで、
前日からワクワクしていた」
「今は周囲に知っている人が誰もいないので、
さみしくて仕方がない。
知っている人たちと再会できるのがうれしい」
といった声を多く聞いた。

11時から始まるのに、
「そんなイベントやるならぜひ手伝わせてほしい」と、
9時過ぎには被災者の何人かが来て、
自ら厨房に入って調理を行っていた。

避難所にいた小中学生の子供たちも、
10名ぐらい集まってきていて、
開催された高校の合宿所に泊まりこんで、
昼過ぎから深夜まで子供同士で、
無邪気に遊んでいる姿も見られた。

ある被災者の方は、
「他の避難所の人に避難所同窓会があるって言ったら、
すごくうらやましがられた。
そんなイベントやってくれるところなんてない」
と言われたという。

なぜできないのか。
被災者の新居の連絡先を控えているところが、
自治体以外はないからだ。

文京ボランティアグループでは、4月末頃から、
避難所から出ていく被災者の連絡先を、
任意で聞いていた。

「被災者の支援は避難所だけで終わるものではない。
むしろ避難所を出てからどうフォローしていくかが大事。
阪神大震災では避難所後の孤独死が大きな問題となった。
そうしたことを少しでも防いで、
生活再建・自立支援のお手伝いをするには、
連絡先を聞いておかないとできないことに気づいた」(加藤さん)

今は個人情報保護の壁もあり、
ボランティアが避難所後の被災者支援をしたいといっても、
自治体から被災者の連絡先を聞き出すことは不可能に近い。
文京ボランティア(響きの森net)は4月末時点で、
すでに避難所閉鎖後の先を読み、
早めに手をうっておいたからこそこうしたイベントができたのだ。

このグループは災害ボランティアの専門グループでもなければ、
ボランティア経験があったわけでもない。
でも被災者・被災地には何が必要かを、
俯瞰した視点と長期的な時間軸で考えていたことは素晴らしい。

なぜならボランティアの多くは、
目の前の短期的な支援だけに目を奪われて、
2ヵ月、3ヵ月先はどうなるのか、
1年先、2年先はどうなるのかといった、
長期的な予測をしていないからだ。
だから時に場当たり的な支援になってしまう。
そして単なるお祭り騒ぎの、
誰のための何のための支援だかよくわからないけど、
復興と名がつく一発イベントに労力をかけすぎてしまう。

数ある「?」と思ってしまう復興イベントの中で、
この避難所同窓会が優れているのは、

①誰もが来れるオープンなイベントではなく、
避難所にいた津波被害者だけを集めるというクローズなもので、
「誰を支援するのか」「誰のためのイベントなのか」
という点が明確なこと。

②被災者が今、欲していて、
かつ、自分たちではできないことを行い、
この先、過度にボランティアに依存することなく、
自立につながる機会づくりというイベントに徹していること。

③無駄にお金をかけていないこと。

④被災者の方々が望んでいることを絶妙なタイミング
(新生活を始めて約3~4ヵ月)で行っていること。

⑤イベントに参加している被災者の人数が、
ボランティアスタッフの人数よりはるかに多いこと。

などが挙げられる。

莫大なお金をかけて、大掛かりに場所を使って、
いろんな企画を用意し、派手な演出を行えば、
見た目は華やかだが、
「それってほんとに復興イベントなの?」
「費用対効果を考えたら、そんな金あるんなら、
先にやるべきことあるんじゃない?」
って話になりかねない。

この避難所同窓会ははっきりいって非常に地味だ。
私のような「メディア」という立場で考えれば、
はっきりいってメディア受けしないイベントだ。

なぜなら、何の変哲もない高校の合宿所で、
11時ぐらいから25時ぐらいまで、
ただ集って話をしているだけで、
「絵(写真や映像)になる」派手なイベントなど1つもない。
子供たちが楽しく遊んでいるのは、
100円ショップで買ってきたシャボン玉や風船、
スーパーで買ってきた普通の花火ぐらい。
あとは合宿所のふとんの上で、
修学旅行みたいに大暴れしているぐらいの話。

でもここに来た被災者の方々が、
まさにこんな機会が欲しかったという、
誰のための何のための支援かが、
実にはっきりしているイベントという意味では、
大掛かりな復興イベントなんかより、
はるかに意味のある、かつ費用対効果に優れた、
イベントではないかと私は思う。

もちろん完璧ではない。
むしろこうしたイベントに参加しなかった被災者こそ、
孤立している恐れもあり、支援すべきだという意見もあるだろう。
でもそのような人にはどんな復興イベントをやっても無駄だ。
それはそれで別のアプローチを考える必要があるだろう。

しかし何よりもうれしかったのは、
ここに来ていた被災者の方の多くが、
「避難所同窓会がまた1年後くらいにもやれればいいね」
と話していたことだった。

私はてっきり「3ヵ月後」とか「1ヵ月に1回」とか、
言うのかと思った。
でもここで同じ境遇の者同士が連絡先を交換し合えば、
別にこうしたイベントをしなくても、
不安や悩みは相談できるだろうし、
情報交換や気分転換もできるだろう。

今、復興と称したイベントが多く開催されているが、
あらためて本当に復興の役に立つのか、
そんなことを今する必要があるのか、
開催の仕方や内容を変えた方がいいのではないのか、
費用対効果に見合っているのか、
考えるべきだと思う。

時間とお金とマンパワーが無限にあるわけではないのだから。

・被災地レポート目次
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-09-25 19:54 | 東日本大震災・原発
2011年 09月 25日

避難所同窓会

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今日は福島いわき市で10時くらいから25時くらいまで、
避難所にいた人たちを集めた避難所同窓会の取材とお手伝いをしました。
今まで個別にインタビューした方に再度お会いできたり、
新たないい出会いもあり、そして何より被災者の方々が、
こんな集まりをやって欲しかった。昨日からワクワクしていた、
という話を多くの方から聞き、
被災者のための素晴らしいイベントだと実感した。

また1年後くらいにやれたらいいねと話を何人からか聞き、
とてもうれしく思った。
何がうれしいって「1年後」という部分。
私はまた3ヶ月後くらいにやりたいねという声が多いのかと思っていたが、
1年先くらいでいいのだと知り、
こうしたイベントに寂しさから依存せず新しい生活を始めていることに安心した。

もちろんこの場に欠席した人が一番孤独死とかが心配なんだけど、
この同窓会に来た多くの人たちは津波で家を流されているにもかかわらず、
今を前向きに生きているんだなと。

この人たちと会うのは1年後でいいとするなら、
私にとっても今回の同窓会で福島いわき市取材に関しては一つの区切りを迎えたのかなと思っている。
見捨てたわけでなく、そろそろそれぞれの日常に戻る時期がきたのだと。

今回もいろいろな興味深い話を興味を聞けたので
徐々に記事をアップしていきたいと思います。

・避難所同窓会レポート
http://kasakoblog.exblog.jp/15585313/

by kasakoblog | 2011-09-25 02:22 | 東日本大震災・原発
2011年 09月 23日

福島いわき市なう

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福島いわき市に来ています。
避難所閉鎖から3ヶ月が過ぎ、ちりじりになってしまった被災者の方々を集めた避難所同窓会を行うため、その取材とお手伝いのためです。
また今日は久之浜で復興に力を入れていて自身も被災者である高木さんと3時間ほど密な取材をしました。
引き続き取材を続けて詳しい記事は帰宅後にアップします。

by kasakoblog | 2011-09-23 23:45 | 東日本大震災・原発
2011年 09月 22日

上田真田まつり写真

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長野県上田市の上田真田まつりに、
先週の3連休の最終日、9/19に行ってきました!
毎年4月に行われる祭りも今年は震災の影響で9月に。
あんまり観光客がいなかったけど、
なかなかすごかったです!
火縄銃演武や合戦、甲冑の行列などなど、
なかなか見応えがありおもしろい祭りでした。
ぜひ機会があったら行ってみるといいと思います。

上田真田まつり写真
http://www.kasako.com/1109ueda1.html

ちなみに9/23~25は再び被災地取材、
福島いわき市に行ってきます。
何度も訪れたいわき市ですが、
いわき市取材を締めくくる素晴らしいイベントがあります。
その取材&レポートをしたいと思います。

ツイッターでも現地から時々つぶやく予定ですので、
お気軽にフォローどうぞ!
http://twitter.com/kasakoworld


by kasakoblog | 2011-09-22 23:36 | 【写真】国内
2011年 09月 22日

台風なのに社員を出社させた企業はバカだ~帰宅難民は人災

台風が来るって言っているのに、
社員の安全も考えずに通常通り出社させ、
夕方ぐらいになってあわてて、
「台風が来ているから帰れ」と命じたものの、
もうその頃には電車は大混乱で、
結局、途中で電車が止まってしまい、
会社にもいられず、家にも帰れず、
多くの“帰宅難民”を生み出し、
社会に大迷惑をかけたのは、
日本企業の経営者や上司の、
仕事能力のなさ、経営判断のなさ、危機管理能力の欠如、
社員を大切にしない体質ゆえだ。

本当にバカじゃないかと思う。
日本企業は。
3.11の大地震と違い、
台風が間違いなく日本を直撃すると予想されていた。
想定内中の想定内の出来事である。

しかも名古屋では100万人以上が避難勧告を出されるなど、
この台風がいかにすさまじいかは、
関東の人たちは容易に想像ができたはずだ。

にもかかわらず、関東に台風が近づいて、
予定通り、電車が動くなくなり、
多くの一時帰宅難民が生み出されたり、
電車が大混乱になったのは、
日本企業がいかに状況判断能力がない、
アホな体質であるかということが、
9.21で明確になったのだ。

なんてバカなんだろう。
いつまでこんなことしているんだろう。
だから想定内なのに、原発は爆発して放射能が降り注ぎ、
だから敗戦濃厚なのに玉砕して国民の命を無駄にさせるのだろう。
つまり3.11からも第二次世界大戦からも、
日本は何も学んでいないということだ。
だから3.11が第三の敗戦とも呼ばれるのだろう。

いやもう若い人たちは、その非合理な根性論というか、
意味のない建て前論には、
ほんと飽き飽き、うんざり、勘弁してよと思っているのだろうが、
権力や権限を持つ「上の人間」はまだまだ古い価値観を持って、
311が起きたにもかかわらず意識改革ができない、
時代についていけない老害ばかりだからなのか、
平然と社員は玉砕して死ね、
社員の安全や過労死なんか知ったこっちゃない、
大事なのは会社がどれだけ利益を上げるかだけだ、
みたいなことをし続けているから、
日本は数字的に豊かになっても人の実感として幸福を味わえないのだ。

そんな輩が未だに日本を牛耳っているから、
「台風が来て危ないっていってんだから、
休みにするとか昼前には帰らせたりするのが普通でしょ」
とか思っている人がいても、
上の人間に逆らったら首になりかねないから、
「なぜ台風なのに行かねばならないのか」
ということが十二分にわかっていても、
会社を行くのがやめられないのである。
ある種の“パワハラ”とすら言えるかもしれない。

だから日本は無謀な戦争に突っ込み、
原爆が落とされるという悲劇を引き起こしたのだろう。
そして311で3度目の“原爆”を自らの手で落とした。
歴史から何も学んでいないのだ。

日本企業は自主判断ができない。
状況把握能力が皆無。危機管理能力もない。
ならば法律で「台風予報の日は出社を禁止します」
「外出を禁止します」と規制でもしないと、
もうこの国はダメなんじゃないか。
そのぐらいバカだと思う。

企業が利益至上主義ならなおのこと、
台風の日に来させるなんて能率悪いし、
社員のモチベーション下がるし、
結果、利益にはマイナスになる。
いまやネットもパソコンもケータイもあるのだから、
会社に来させなくても仕事をさせることはできるわけだし。

多分、台風が来るのに社員を出社させる、
または最もタイミングの悪い16時頃に帰宅させて、
そのせいで会社にも戻れない、家にも戻れないという、
最悪の判断をした会社が多い今の日本社会は、
また原発を爆発させたり原爆を落とされたり、
国民の命をコケにして玉砕させたりし続けるのだろう。

何度過ちがあっても学べない日本。
3.11の記憶が半年で風化してしまい、
危険が事前にわかっているのに、
帰宅難民や駅の大混乱を生み出す、
会社の経営判断能力のなさ。

どれだけ自然災害を正確に予知できる科学力があったとしても、
その警告に従わず、自然災害を甘く見て、
命よりも金を優先させる愚かな企業が多ければ、
科学力も予知も何の役にも立たない。
自然災害の猛威による被害などではなく、
その企業の愚かなる判断が人災を拡大させるだけだ。

9.21の首都圏の交通混乱はひとえに人災。
決して台風による自然災害なんかではない。
なぜなら前の日から夕方に来るってわかってたんだから。

3.11でも9.21でも変われない日本は、
一度滅亡した方がいいのかもしれないと思ってしまうほど、
命をコケにして建て前を優先して自滅する、
どうしようもない国民性を内包しているとしかいいようがない。

ちなみに前日のブログを読んだ方で、
「よし、今日は出社をやめよう」
と思った方がいたら一人でもいたらうれしい。

古い常識に縛られた人間を駆逐しないと、
この国や国民に未来はない。


by kasakoblog | 2011-09-22 02:00 | 一般
2011年 09月 21日

自然災害を拡大させるのは小市民的行動

ものすごい台風が来ると事前にわかっているのに、
通常通り出社しようとする人たちについて、
2年前に「台風で出社するバカ」
http://kasakoblog.exblog.jp/11318327/
という記事を書いた。

今回もものすごい台風が日本各地を襲う予定で、
ぜひ自然災害を人災に変えないために、
小市民的行動は控えて、
あまりに雨・風が強いなら、
外出はできるだけ控えてほしい。

自然災害は防ぎようがない。
しかし被害を拡大させるのは、
自然よりも人災だということを、
3.11以降の原発事故で目の当たりにしてきたはずだ。
あなたは人災の原因になるんですか?

例えば明日台風が来ると予報されていて、
あなたが小学校の先生で、
明日予定されている運動会を決行しようとするだろうか?
子供たちに被害があったらどう責任をとるのか?
普通の感覚なら中止にするだろう。

ところが日本人は「会社」となると頭がいかれてしまう。
行くことが仕事だと思い込み、
電車本数が激減し、ダイヤが乱れているところに、
みんなで突っ込んで、
「いや~普段よりも1時間も長くかかってしまいましたよ」
ってそれが会社への忠誠尽くしたみたいな感覚って、
ほんとバカじゃないかと思う。

どうしても大事な仕事があるなら、
前日から泊りこめばいいわけだし、
無理に悪天候のなか1時間長くかかって出社しても、
誰もトクはしないし、会社に何の利益も生まないわけで、
それなら前日に持ち帰れる仕事があったら、
持ち帰って家でやって、ダイヤが正常になり、
天候がよくなったら出社することの方が、
会社にとっても自分にとっても「利益」になるのではないか。

そもそも大きな勘違いは、
悪天候でダイヤが大幅に乱れているということは、
取引先も同僚も上司も部下もお客様も、
みんなその悪天候の影響を受けて正常な経済活動が、
できない状態にあるということだ。

そこにいつも通りに無理やり出社しようとしたところで、
みんな行けないのだから意味がない。

3.11の教訓は自然災害を甘く見すぎたことだ。
「津波なんてたいしたことない」と甘く見ていたことが、
被害をより拡大させた。

「台風なんてたいしたことない」といえるのだろうか。
名古屋では一時110万人に避難指示・勧告が出たという。

日本人は3.14以降、
原発が爆発し、余震が頻繁に起き、電車本数が激減しているのに、
無理やり出社しようという人がいかに多かったことか。
そして多くの人はそのために被ばくしたわけだ。

自然災害が原因で原発事故が起きたとしても、
被害を拡大させたのは小市民的行動ゆえだろう。

自然災害を防ぐことはできないが人災は防げる。
気象情報を見て、かつ外の状況を見て、
今、何が何でも通常通り出社すべきなのかどうか、
きっちり見定めて、人災を拡大させないように注意したい。

命が一番大事でしょうに。
自然の猛威を甘く見てはいけないなんて、
3.11が起きたからわかっているとは思うけど。


by kasakoblog | 2011-09-21 01:50 | 働き方