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2011年 11月 30日

当たり前のことが当たり前でなくなることに気づけるか?

人が愚かな行動をしてしまうのは、
今、与えられている環境や立場や仕事や家族や健康や時間や平和などが、
今後も一生、永遠に与えられるものと思っていることだ。

当たり前。
危機意識の欠如。
それが毎日の生活をだらしなく過ごす結果となり、
当たり前のことを大事にしなくなり、
感謝の気持ちを忘れて傲慢な態度で暮らしてしまう。

結果、何か大事故が起きてはじめて、
その当たり前に与えられていることの貴重さに気づくも、
失われてしまった後ではすでに時遅し。
後悔するしかなく、
取り返しのつかない人生の失敗をしてしまう、
ということになってしまう。

だから一度でも大病や大事故をした人は強い。
命のありがたさ、時間のありがたさ、
健康のありがたさ、食べ物のありがたさ、
家族のありがたさ、家のありがたさ、
仕事のありがたさ、平和のありがたさなどを理解している。
そのため無駄な時間の過ごし方をせず、
それこそいつ死んでもいいように、
悔いのないよう人生を過ごしている。

今年起きた311とはそういうことだ。
当たり前のことが一瞬にして当たり前でなくなってしまう。
今まで当たり前にできていたことが、
当たり前にできなくなってしまう。
でもそんなこと、いくら事前に日本には大地震がくるかも、
といわれても、やっぱり来るまでは本気で気づけない。
「そういったってどうせ来ないんじゃない?」
「100年後に来るんならオレは関係ないや」みたいな。

しかし今年は多くの日本人が気づいたはずだ。
今まで築き上げてきたものが、
一瞬にして脆くも崩れ去ってしまうことを。

いや、気づいたのは数万人しかいなかったのかもしれない。
被災地で「津波にすべてを流された気持ちなんて、
どんなに同情してもらってもあんたらには絶対にわからない」
と言っていた被災者の言葉がすごく心に残っている。
やっぱり本当に自分がひどい目にあわなければ、
結局多くの人は他人事で事なかれ主義で、
同情してみせても自分はどこか、
安全地帯にいると思い込んでいるのだ。

今、日本中に「温度差」が発生している。
先日、仙台に取材に行った時、
3社に取材したうちの2社から「温度差」という言葉を聞いた。

仙台はもう地震のことなど何もなかったかのように、
復興需要でわき、ビジネスチャンスとばかりに、
県外から多くの企業が進出し、
震災直後は完全に終わってしまった感のあった歓楽街が、
今や大盛況で予約もとれないほどの人気ぶりという。

しかし仙台から1時間も行けば、
津波で流されてしまった壊滅的な地帯が広がっており、
ガレキはひとまず片付いた(というか一箇所に集めた)が、
到底、ここにまた家を建てられるような状況ではなく、
復興なんて程遠い、先が見えない惨状がある。

先日、被災地に行った時、私は“めまい”がした想いがある。
岩手の陸前高田市に行ったら、もうそこは町が完全に壊滅して、
もうどうしようもない状況だった。
わずかな高台はあるものの、ほとんどは津波でやられた平地。
一体、この先、どうするのか、絶望的な気分に襲われた。
復旧、復興なんて到底不可能じゃないと。

ところがである。
そこからわずか車で1時間も行くと、
震災による被害など何にもなかったかのような、
一ノ関の町が広がっていた。
津波なんて無縁。
いくらでも空き地もありそうだ。
暗闇の陸前高田に比べて、
ここには煌々と町の灯りがともっている。

そしてそこから新幹線で2時間半も行けば、
もう東京である。
震災も津波もなんも関係ないし、
お金を払えばいくらでも住宅はあるし、
仕事だって選ばなければいくらでもある。
その格差というか温度差に非常にとまどうわけだ。

被災地という狭い世界でどうにかしようというより、
一度外の世界の可能性も探ってみれば、
生きる術はいくらでも広がる。
しかし逆にいえば、死ぬ思いをした被災地から、
たったの1時間で、のどもとすぎれば何とやらで、
震災の経験など忘れて、
もうすっかり平常時気分で暮らしているエリアもある。
一度死ぬ思いをした人と、
もう普段通りの生活に戻っている人とでは、
危機意識がまったく違う。
人生観が違う。
そういう温度差が、避難所内でも被災地内でも日本内でも、
まだら模様になって発生していて、
その格差は時が経つとともにどんどん広がっている。

でも311でわかったのは、日本にいる限り、
誰もが当たり前のことが当たり前でなくなる日が、
わずか一瞬にして訪れるかもしれないということだ。
その危機意識を共有できず、温度差が広がっているままだと、
復旧や復興を間違う恐れがある。
同じ過ちをまた繰り返す可能性がある。
地震被害も原発事故も津波被害も。

経験によって温度差が生まれるのは仕方がない。
なぜなら人間なんて自分で経験してみたいと、絶対にわからないから。
でも温度差のある同士で交流し、
そこの溝を埋めていっていき、
変えるべきところは変えていかないと、
また同じことが起きてしまいかない。

311は不可逆的な変化が起きた出来事だとある評論家が言ったが、
未だに元に戻れると思っている人がいる。
しかし当たり前のことが当たり前でなくなる、
あの恐ろしさをもう一度思い出し、
二度と悲劇が起きないよう、
新しい社会を作っていかなければならないと思う。

311で日本が変わらなければまた次の311が起きる。
でも今までのやり方を変えれば、
仮に次の311が起きても被害は軽減できる。

防災から減災が叫ばれているが、
悲劇を教訓にして態度を改めない限り、
また悲劇は起きてしまうだろう。


by kasakoblog | 2011-11-30 23:31 | 生き方
2011年 11月 30日

年賀状代わりに「かさこマガジン2」無料配布!

昨年に引き続き、年賀状代わりのミニ写真集「かさこマガジン2」を作成中。
10月末のかさこパーティーには間に合いませんでしたが、
今のところ12月中旬に完成予定。
今年は昨年の2倍のページ数、32ページの冊子を予定しています。
無料で配布しますので、ご希望の方はメールいただければと思います!
先着1000名限定です。

<応募方法>
1:メール送り先
kasakotaka@hotmail.com
にメールください。
※できましたらメアドから送っていただけると助かります。
mixiやフェイスブックやツイッターのメッセージだと、
一元管理ができずに見落としてしまう可能性があるため。
どうしてもという方は上記のメッセージ機能でも構いません。
メール送る際、件名を「かさこマガジン」にしていただけると助かります。

2:記載事項
・郵便番号
・住所(マンション名など省かずに)
・名前

※メール便で郵送します。
昨年、マンション名やアパート名が書いていない方が、
一部戻ってきてしまったため、
できるだけ正確に省かずお書きください。

用件のみのメールでも構いませんが、
ついでに、ブログの感想などを送っていただけると、
大変ありがたく思います。

また、友達に配りたいので「2」を何冊か欲しいという方は、
冊数をお知らせください。
ただ1人3冊を上限とさせていただきます。

<こんな方はメール不要です>
1:昨年または今年に「かさこマガジン1」の希望メールをいただいた方は、
住所がわかりますのでメールいただかなくても、
「2」を送らせていただきます。

2:名刺交換した方は基本的に送る予定ですので、
メールいただかなくても大丈夫です。

<なぜ無料?なぜ冊子?>
・年賀状が無料でもらえるように、
かさこマガジンは年賀状代わりですので、
無料で配布しています。

・私の活動の宣伝もかねてますので無料です。

・年賀状ぐらいしかやりとりしない方もいるなか、
せっかく送るのに、1枚のハガキでは写真も文章も伝えきれないので、
冊子にしました。

・日ごろから、かさこワールドを見ていただいている読者の方に、
1年に1回の感謝の気持ちを込めた、
プレゼントだと思っていただければと思います。

・出版している写真集の売上がおかげさまで好調で、
その印税収入の一部を冊子制作費用にあてています。

・かさこマガジンは読者の方だけでなく、
かさこの“会社案内”として、
営業ツールとして出版社などにも勝手に配布します。
今年「かさこマガジン1」を送ったおかげで、
いくつか仕事をいただけました。
そうした意味もあるので無料で配布しています。

一人でも多くの方に「かさこ」を知っていただき、
ツイッターでもブログでも猫写真でも工場写真でも、
海外写真でも何でも構わないので、
気に入ったコンテンツがあって楽しんでもらえればうれしいです。

そんなわけで「かさこマガジン2」をご希望の方、
遠慮なくメールいただければと思います。
kasakotaka@hotmail.com

※発送は年末年始を予定しています。

・前回のかさこマガジン1
http://www.kasako.com/works.files/kasakomz1.pdf


by kasakoblog | 2011-11-30 02:08 | お知らせ
2011年 11月 29日

社会派ムック本に原稿掲載!

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11/29発売・撃論ムックシリーズ「利権マスコミの真実」に、
サラ金とマスコミの関係についての記事を寄稿しました!

<今回の特集内容>
■総特集1 原発村を支えるマスメディアの堕落
■総特集2 利権に蠢くマスコミという権力
■特集1 メディアによる洗脳を解け
■特集2 報道されないニュース

私が担当したのは「総特集2 利権に蠢くマスコミという権力」の中で、
「~広告費に飛びつき、多重債務者問題に加担したメディアの大罪~
サラ金広告解禁が生み出した多重債務者問題」
というタイトルで原稿を書いています。
(著者名はひらがなの「かさこ」ではなく「笠虎崇」になっています)

興味のある方はご覧いただければ幸いです。

撃論ムックシリーズ「利権マスコミの真実」
撃論ムックシリーズ詳細内容
拙著「サラ金全滅~過払い金バブル狂乱」


by kasakoblog | 2011-11-29 21:37 | お知らせ
2011年 11月 28日

孤独死は防がなければならないのか?

岩手県の仮設住宅で79歳の女性が孤独死した、
というニュースがあった。
いまや震災ボランティアや行政の関心事は、
孤独死を防ぐことにある。

しかし私には不思議なことがある。
孤独死を防げ!というなら、
何も仮設住宅や被災地に限った話ではなく、
そこら中で支援なり対策をすべきではないか。

孤独死=家で誰にも気づかれず一人で死んでしまう、
というのは一人暮らしの高齢者なら、
被災地や仮設住宅に限った話ではない。
孤独死を防ぐことに力を入れるのなら、
1:一人暮らししている自分の両親や祖父母や親戚
2:一人暮らししている近所の高齢者
から始めるべきではないかと。

孤独死という言葉自体は阪神大震災から使われたために、
被災地=孤独死という図式ができ上がっているのだろうが、
いまや孤独死は被災地だけの問題ではないはずだ。

ただ根本的に不思議に思うことがある。
孤独死を防ぐ必要があるのか?
孤独死を赤の他人が防げるのだろうか?
という点である。

例えば一人暮らしのせいで、
助けが呼べずに死んでしまうという孤独死なら、
非常用のブザーを設置するなりして、
助けを呼べる対策をすれば済むことだろう。

しかし「精神的な孤独」にどこまで赤の他人が、
手助けできるのか。
孤独死を防ぐために、仮設から外に出てきてもらおうと、
ボランティアや行政がイベントをやりました。
でもイベントに出てくるのは決まって元気な人ばかり。
孤独死しそうな人って、
そんなイベントにはあまり出てこない。

いやそんなことはない、としよう。
でも1ヶ月に1度か2度のイベントごとで、
孤独な人が立ち直れるのか。
むしろ祭りの後の虚しさではないが、
それ以外の何十日もの間は、
一人で暮らさなければならない。
誰かが毎日同居しない限り、
孤独死を防ぐなんて不可能に近いのではないか。

ご近所でコミュニティを作って声をかけあえればいいという。
それで防げる人もいるだろう。
でも震災で家族や家を失った深い悲しみに暮れている人が、
そんなことで精神的な孤独が心の底から癒されるのだろうか。
面倒なご近所づきあいに巻き込まれるのは、
イヤだと考えるかもしれないし、
表面的に近所つきあいをしても、
どこまで本音を話せるか。

なかには放っておいてくれという人もいるかもしれない。
別に一人でいいという人もいるかもしれない。
自分の親でも祖父母でも考えてみればいい。
家族であってもなかなか一筋縄にはいかない。
高齢の一人暮らしをしているからといって、
子供が気を使って「同居しようか?」と声をかけても、
むしろ一人の方が気が楽でいいと考える高齢者も多いはず。
身内に気を使わせたくないと。

自殺防止せよとか孤独死防止せよって、
それはそれで正論だと思う。
でもそれは普通の人の正論であって、
心の底から死にたいとか、
一人で勝手に死んでも構わないとか思っている人に、
正論ふりかざして「生きていればきっといいことある」
なんて言えるのだろうかって疑問に思ったりもする。
そうやって辺に気を使って、
正論的にかまえばかまうほど、
かえってうざく思われてしまうのではないか、
ということもあるんじゃないか。

ほんのちょっとしたきっかけで、
孤独から立ち直り、みんなの輪に加わり、
仲良く暮らすことで孤独死を防ぐ手立てはあるだろう。

例えばイベントなんかやるより、
手芸教室を開いたボランティア団体がいたが、
これは実に素晴らしい取り組みだと思う。

何が素晴らしいかって一度教えれば、
イベントと違ってボランティアは不要なこと。
仮設住宅に住む人に手芸の楽しさを教えたら、
そのおもしろさにとりつかれ、
その後は勝手に一人でやるようになったとか、
時々、仮設住宅の手芸好きで集まってやるようになったとか、
きっかけを与えただけであとは自己完結できる。
孤独であっても趣味があれば毎日が楽しく過ごせる。
こういうのは確かに防ぐ手立てになるだろう。

でもやっぱり難問にぶつかる。
本当に孤独死しそうな深刻な人は、
そんな教室には参加しない。
じゃあかといって行政やボランティアが、
強制的に家を訪ねて、ひんぱんに声かけしても、
やっぱりそれには限度もあるし、
根本的な解決にはならない。

こんなこというとひどい人間だと言われるかもしれないが、
本当に死にたいと思っている人や、
世の中に関心がなく、放っておいてほしい人は、
生半可な支援や正論では助けられないんじゃないか。
それだったらむしろ放っておくしかないんじゃないか。
いくら「死ぬな生きろ」と叫んでも、
「生きていれば必ずいいことある」なんていっても、
まったく伝わらないんじゃないか。
その人と24時間人生を共にする覚悟があるならともかく。
というか死にたいという人間に、
赤の他人が死ぬなと言える権利があるのだろうかとか思う。

軽度な孤独はきっかけがあれば助けることはできる。
でも重度の孤独は手のうちようがない。
自殺や孤独死は「あるべきじゃない」という正論で、
赤の他人が数減らしに夢中になったところで、
何の意味があるのだろうとか思ったりもする。

孤独死は仮設でなくてもどこでも起こる。
防ぎたいなら近い関係のところからすべき。
でも自殺や孤独死を阻止したところで、
それがどれほどエライことなのか、私には正直わからない。

孤独死だろうが何だろうが、人間はいつかは死ぬのだから。

必要以上に「防ぐことが絶対善」という考えには、
なんとなく違和感を覚えている。
それだったら孤独死より、
交通事故死を減らすことに力を入れた方が、
いいんじゃないかとか思ったりもする。


by kasakoblog | 2011-11-28 21:30 | 東日本大震災・原発
2011年 11月 27日

空気に負ける日本人

日本が戦争に負けたのは「空気(ムード)」のせいだ。

今から約30年前に書かれた、
「空気の研究」(山本七平著)を読んでいるが実に興味深い。
というか未だに日本は「空気(ムード)」によって、
行動・判断がなされており、
そのために日本社会は時におかしな方向に流れる、
と感じることしばしば。

私がブログで一体、何と戦っているのかがわかった。
世の中の「空気」と戦っているんだと。

「あいつは空気が読めないやつだ」とよくいう。
空気=場の雰囲気を読むことは大事だと思う。
しかしこの空気がだんだんと絶大な力を持つようになり、
そのせいで人々の行動ががんじがらめになっている。

例えば3.11後の1週間や、
台風が来るといわれている時の出勤。
多くの人は余震がすごい、原発もやばい、台風もすごくなりそう、
電車のダイヤも乱れている、
だから普通通りに出勤するなんて難しいと思っている。
なかには「こんな状況で出勤する必要があるのか?」
と思っている人もいるだろう。

しかしここに絶大な空気が存在する。
どんな時であろうと「みんな」普通に出勤しなさいという、
無言の圧力だ。

誰かがそう言っているわけではない。
空気、としか言いようがない。
こんな状況で会社に遅れても誰も文句は言わない。
しかしそんなことは許されない空気が流れている。

こうして人々は空気に脅え、
どんなに非合理だろうが非効率だろうが、
「みんなの空気」に従わざるを得なくなる。
本当は「みんな」そんなのナンセンスだと思っているのに。
相互監視、連帯責任、みんな罰ゲームの、
カミカゼ特攻隊、死ぬ時はみんな一緒だから、
生き残るなんて不敬だって世界である。
そういう空気が未だに根強く日本には残っている。

わかりやすい例として災害時の出勤を出したが、
日本にはいろいろな場面で見えない空気が蔓延し、
個人の行動を厳しく規制している。
政治の問題だとか、特定の人をバッシングするとか、
そうした事象でも一方向に傾きやすく、
そういう雰囲気になったが最後、
リアルだろうがネットだろうが、
反対意見を言えない空気になってしまう。
実は反対意見が多い場合でも。

震災直後の自粛なんていうのも空気の1つだろう。
自粛すれば日本全体にマイナスになるだけで、
1つもいいことなんてない。
にもかかわらずあれだけの災害が起きたのだから、
外食なんて、居酒屋なんて、旅行なんて、買い物なんてと、
次から次へと意味のない自粛をして、
日本全体に経済的ダメージを与えた。
結局それは自らの首を絞めるだけにもかかわらず。

こうしたおかしな空気は変えなくてはならない。
先進国全滅債務危機が起きている最中、
放射能汚染でまみれた国で、
未だにオリンピックをやるとか、
とんでもないことを言っているのに、
東京都民が「災害時には強そうだから」と、
空気で選んでしまった都知事だが、
花見を自粛しろとわめきたてたが、
東北の酒屋が、自粛は東北を二度殺すことになるから、
花見をやって酒を飲んでくれという動画が注目を集め、
そこで空気が少しだけ変わった。

本当はみんな薄々感じているはずなんです。
「この空気に従ってもあんま意味ないんじゃない?」と。
でも空気の威力は絶大だ。
ここで逆張りよろしく「自粛は害悪だ。みんなで遊ぼう!」
なんて言った日には、はっきりとはみな言わないが、
そういう人の悪口を陰でこそこそ言ったり、
白い目で見たりするわけだ。
ぬけがけは許さない。
出る杭は打つ。
村八分の感覚だ。

だから日本を変えられるのは外圧か外人しかいないわけだ。
本音と建前を使い分け、空気を読みすぎる日本人では、
どれだけ非合理的なことが温存されていても、
そこにふれることはタブーなのだ。

ただ唯一の救いはネットがあること。
今もそうだがテレビと新聞によって、
ほとんど国民の空気は作られてきた。
しかし「それっておかしいんじゃない?」ってことが、
ネットでは誰もが簡単に言えるので、
おかしな空気に惑わされない反論が出やすくなった。
先の東北酒屋の動画もネットがあったからこそ広まったのであって、
これが10年前だったら花見自粛のせいで倒産したかもしれない。

本当はもうみんなこんな形ばかりのことやめたいと思っている。
無駄な長時間会議なんていらないとか、
会社に来れば働いていることになるとか、
残業代もらうために昼間わざわざさぼって夜残るとか
上司が帰らないから先に帰りづらいから、
仕事は終わっているのにネット見て時間つぶしているとか、
そんな空気はもううんざりだと思っている人は多いはず。

そこで誰かが勇気を持って発言する。
すると意外にも「誰かが言ってくれるのを待ってました!」
とばかりに賛同してくれる人が多いケースもある。
みな空気が怖くて言えなかっただけで、
内心みんなそう思っていたのだ。

私も時にこのブログで空気と戦っているんだと思う。
みんなおかしいと思っているのに、
空気という恐ろしい圧力に圧倒されて、
言うことすらできない。
「不謹慎」だとか「非常識」だとか「前例にない」とか、
「今まではこうだ」とか、まったく意味のない根拠で、
現実の非効率性が増幅され、
結果、誰も得せずみんな損するみたいな。

今年はこうした世の空気に逆らって、
「実はこうなんじゃない?」って言った記事が、
わりと大きな反響を呼んだ。
みんな内心思っていたんだ。
でも言えなかっただけなんだ。
「代わりに思っていることを書いてくれて、
ありがとうございます」というメールなどを、
今年は特に何度もいただいた。

空気は1人1人が生み出すもの。
でも空気に囚われていては、
このままではみんな沈没してしまう。

空気を読むことも大切だが、
おかしいと思った空気があるなら、
うまい形で異論を唱えるべきだ。
誰かが言わなければ何も変えられないし、
誰かが言うのを待っていても誰も言わない。

おかしな空気は変えていく。
そうした意識を持ってみんなが行動していけば、
みんなが損するための無駄な空気は、
一掃されるんじゃないかと思う。

圧倒的な空気に抵抗するには、
時に挑発や極論や事実の単純化をしないと、人々には伝わらない。
大阪維新をやってのけた橋下氏のように。

私もブログで引き続きおかしな空気があれば戦っていきたい。

・空気の研究


by kasakoblog | 2011-11-27 22:19 | 生き方
2011年 11月 26日

マテーラ写真

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イタリアのチベット!
南イタリアにある世界遺産、洞窟住居のマテーラがすごい!
崖に作られた町、洞窟住居街「サッシ」は、
かつて貧民窟として「南イタリアの悪夢」、
「イタリアの恥」とさえ言われた場所。
そこで政府が第二次世界大戦後に、
町民を強制移住させ、廃墟と化したという。

ところがである。
建築学上、貴重ということで、今度は保存に乗り出し、
その貴重さから世界遺産に登録されると、
多くの観光客が訪れる場所に一変。
無人の廃墟に人は戻り始め、
旅行客向けの洞窟ホテルやレストラン、
みやげものやなどもできるようになった。

もし取り壊してしまったら、
この地にまったく経済効果はなかっただろう。
見方を変えれば資産になる。
物事は捉え方次第。

イタリアのガイドブックをぱらぱら見た時、
写真を見てここに行きたい!と一番に思ったのがこのマテーラ。
こんな風景見たことない。
この町の中を歩いてみたいと。

まるで迷路のような細い路地や階段が入り組んでおり、
どこかファンタジー映画の世界に迷い込んでしまったかのよう。
歩いていると、山肌に街を作るチベットを思い出した。
でもここはイタリアなのだ。

イタリアって本当にいろいろな場所がある。
特に南イタリアはいわゆるイタリアイメージとは、
まったく異なる町並みが広がっている。
北イタリアを旅行するよりはやや不便ですが、
マテーラほか南イタリアを旅してみるとよいと思います。
おすすめの場所です。

マテーラ写真
http://www.kasako.com/1108ita5.html

イタリア写真約5000点収録の写真素材データ販売中!
http://www.kasako.com/photo.html


by kasakoblog | 2011-11-26 23:22 | 【写真】海外
2011年 11月 25日

シャッターチャンスと人生のチャンス

写真のシャッターチャンスは突然やってくるように、
人生のチャンスも突然やってくる。
チャンスを逃さないためには、
常にカメラをぶらさげていることだ。

写真を年間何万枚も撮影している。
そのうち「いいな」と思えるのが何百分の1の世界。
でも「いいな」と思える写真って、
これを撮ってやろうってな感じで、
おもむろにバックからカメラを取り出し、
何十分もかけて、ああでもないこうでもないって、
頭でこねくりまわした写真じゃなく、
ほんの一瞬、何気ない風景がぱっと通り過ぎた時に、
シャッターを切れた写真だったりする。

だから私は旅行中、ほぼずっと、
カメラを首から下げている。
いつ何時チャンスが訪れても逃さないように。

カメラを閉まったり出したりなんかしたらまあまず逃す。
あっと思った時に、ぱっとカメラを取り出せなければ、
さっとチャンスはどこかへ行ってしまう。

それは人生でも同じ。
チャンスがないと嘆いている人は、
チャンスがないんじゃなく、
目の前に通り過ぎているチャンスを見逃しているか、
もしくはチャンスが来た時に、
“人生のカメラ”を準備していないがために、
チャンスを逃しまくっているかのどちらかだ。

一方チャンスをものにして、
楽しく人生を送っている人の多くは、
常に“人生のカメラ”を構えている。
だから少ないチャンスでもものにし、
他人から見ると「なんて運がいいんだろう」
といったように映る。
でも運がいいわけではない。
着実にチャンスをとらえているだけの話に過ぎない。

「いつチャンスがきてもおかしくはない」と、
自分に何のチャンスが回ってきそうにない時でも、
いつでも本番、いつでもピンチヒッター、
臨戦態勢をとっておく。
だからチャンスに打てる。

でもなんでこんな当たり前のことが人はできないのか。
1つは恥ずかしさ。妙なプライドといってもいいかもしれない。
常に機会をうかがう貪欲な姿勢を周囲に見せたくない。
カメラをずっと首から下げているなんて恥ずかしい、
という発想だ。
そういう自意識がじゃまして、ついついかっこつけて、
誰に見られているわけでもないのにカメラを閉まってしまい、
そして見事に貴重な決定機を逃す。

もう1つは腐っている。いじけている。
1度か2度、勇気をふるって、
チャンスに挑んだものの、
失敗した経験が尾をひき、
自信がなくいじけてしまい、
チャンスに関心がなくなってしまっているか、
もしくはチャンスを見極める選球眼がないことに気づかないまま、
オレにはチャンスが来ていない、不運だと嘆いてばかりいて、
チャンスをチャンスととらえようとせず、
腐ってよりいい機会を逃し続けている。

もしくは自分が準備なんかしなくても、
待っているだけで、むこうから“絶世の美女”がやってくるから、
わざわざ重い思いをして、
カメラを首からぶらさげず、
ただのんびりじっと待っているだけだから、
いつまでたってもチャンスを逃してしまう。

いや、でも、ほんとチャンスって、
唐突に突然にやってくる。
それを逃したらもう二度とやってこないかもしれない、
素晴らしい好機があったりもする。
だから普段からあなどってはいけない。

そういう生き方をしていれば、
必ずいいチャンスにめぐり合えると思う。

人生のチャンスはシャッターチャンスと同じく、
常にシャッターを切れるようカメラを構えていることだろう。


by kasakoblog | 2011-11-25 23:22 | 生き方
2011年 11月 24日

サークルボランティアの功罪

「今回の震災で日本のボランティアが、
これまでとは変わった点は何でしょうか?
また問題点は何でしょうか?」

先日、ある記者から取材を受けた。
そんなお題を投げかけられ、今までの取材をふりかえって考えてみた。
いくつかキーワードが浮かんだが、
そのなかの1つが「サークルボランティアの功罪」だ。

東日本大震災で大活躍したのは「サークルボランティア」だ。
サークルボランティアとは、私が勝手にネーミングしただけだが、
(学校にある「ボランティアサークル」とは違う)
ボランティア団体でもなく、
災害ボランティアの経験があるわけでもなく、
企業や町内会といったある組織をベースにしたものではなく、
主にネットや口コミを通して、
今回の震災で何かしなくてはと個人が集まった、
勝手連ボランティア団体のこと。
(勝手連とは:あるテーマに賛同する者が、
自発的に集まって支援する市民活動の様式)

なぜこのような勝手連ボランティアが、
多数生み出され、大活躍したのか。
さまざまな要因が考えられるが、
被災地の被害が甚大で、
自治体のボランティアセンターの立ち上がりが遅かったこと以上に、
ボランティア専門団体の融通のなさに嫌気がさし、
でも個人1人で支援はできないけれど、
何人かやりたい人を集めて、
自分たちが支援しやすいスタイルやスケジュールで、
勝手に行いきたいという思いが強かったからではないか。
そしてそれを可能にするネットツール、
ツイッターやフェイスブックがあったことが挙げられる。

はじめ多くの人はボランティア専門団体に参加し、
被災地支援をしようと考えたに違いない。
しかしあまりにも制約が多すぎる。

1つはスケジュール。
社会人では到底無理な長期滞在やタイトなスケジュール。
もう1つは融通のなさ。
まるで軍隊の兵隊か工場の流れ作業の一員のように、
現地で被災地の被害状況を見ることもできず、
被災者と話をきちんとすることもできず、
何をするかも自分で決められず、
団体が割り振った細分化された作業を、
ただひたすらやらなければならない。

当たり前の話だが人間はロボットではない。
感情がある。
ひたすら9時から17時まで泥かきだけしろ、
と言われても、モチベーションは早々続かない。
「これは意味があるのだろうか?」
「この作業ではなくもっとやるべきことがあるのではないか?」
「ここ以外の現場はどうなっているのだろう?」
「被災者の方はどう思っているのだろうか?」
「そもそも自分はここでこんな作業をしていて安全なのか?」

そうした疑問は自然にわいてくるのが普通だろう。
ただ全体像もわからなければ、
自分の頭で考え行動することも許されず、
「ボランティア経験を積んだ賢いリーダーが、
作業を割り振っているんだから、
おまえらは効率よく目の前のことだけをやれ」
といわれても、よほど単純作業が好きで、
自分の頭を使うことが面倒な人間以外は、
自発的な支援活動に疑問を感じたり、
萎えてしまったりするだろう。

これが本当の軍隊や企業といった組織で来ているならまだいい。
命令系統があり、その報酬=対価をもらっているから、
上の命令を言われた通りにやるのは当然だからだ。

しかし個人で自発的にボランティアとして参加したのに、
金ももらわず、知り合いでも上司でもない人間から、
がちがちにスケジュールと行動を管理されたら、
イヤになるのは当然だろう。
そこでこうした組織ボランティアをデメリットを感じた人たちが、
「こんな団体に参加しなくても自分でできるんじゃない?」
と思った人が多く、さまざまなサークルボランティアができた。

だからサークルボランティアは非常に個人が参加しやすい。
・スケジュールはがちがちでなく、途中参加などもOK。
・上下関係はなく、みな仲間同士の横並び関係。
・軍隊方式ではないので、疲れたら休んでもいいし、
行きたいところがあれば行けばいいし、行動の自由度が高い。
・被災者とも直接話せる機会が多く、より現状を知れる。
といった点がメリットだ。

ただその一方、デメリットもある。
・活動が何でもありになるため、
「それって本当に今、必要な支援活動?」と疑問に思う、
自己満足に陥りやすい。
・仲間内と楽しくわいわいやることが目的化し、
被災者ぬきのボランティアサークル化、
ボランティアコンパ化しかねない。
・津波被害のあったエリアに平然と泊まるなど、
安全性や二次被害を考えない。
・時に被災者から反感を買う。

メリットがあればデメリットがあるのは致し方がない。
ボランティア専門団体のデメリットを強調したが、
裏を返せば、サークルボランティアにはないメリットがある。

私なんか古い人間なのかもしれないが、
サークルボランティアで一番疑問に思うのは、
自分たちが活動に行く度に、
被災地で記念の集合写真を撮影し、
それを堂々とネットにアップしていることだ。

まるで大学生のサークル活動か?
ここは仮にも何万人もの人が死んだ被災地なのでは?
しかも写真の載っているのはボランティアばかりで、
被災地の人がほとんど写っていない。

記念撮影を撮ること自体は悪いことではないと思う。
それを参加者同士がメールで送りあったり、
ネットにアップしても特定者しか見れないような、
配慮をすればいい。

ただむしろ一般世間に、
「自分たちは被災地でこんなことをやったんだぜ!」
っていうアピールに見えてしまう。
いやボランティアを集めるためのアピールなら、
泥かきしている作業風景の写真を載せればいいし、
被災者の方を出して、
この活動がどれだけ役に立ったか、
コメントを載せればいいわけだ。

ところがみんな楽しそうに、
時にはポーズなんかとったりして、
ここぞとばかりに記念の集合写真が載っていると、
「この人たちって被災地支援がしたいんじゃなく、
同じ仲間同士で楽しくわいわいやりたいだけなのか?」
と思ってしまう。

こんなことを思うのは私のような、
古い時代錯誤な人間だけなのだろうかと思ったが、
やはりあるボランティアの人は、
「ああいうのは犬の小便と一緒で、
ある種のマーキング行為じゃないですか」
と指摘していた。

ある被災者は若いボランティアが集団で来た時、
あまりにへらへらした態度でいたため、
「何もしなくていいから帰れ!」と追い返したという。

「津波ですべて流された気持ちなんて、
あなたたちには絶対にわからない。
わかったふりして同情なんかしてほしくない。
わからないのは仕方ないんだから」

「今まで家があったのに流され、
仮設住宅なんて場所に住まなければならない虚しさは、
あなたたちには絶対にわからない。
住所を書くとき、なぜ仮設住宅なんて、
書かなきゃいけないんだろうって、
その度に思う」

被災者の心はボランティアが思っている以上に、
深い悲しみや憤りを持っている場合もある。
ただその感情をボランティアに出すのは稀だ。
「我慢強い東北人」だからということもある。
こういう被災者の言葉を聞くと、
集団で記念撮影してネットに出してる場合かと、
私なんかは思ってしまう。

ただここで忘れてはならないのは、
こうした楽しげなサークル記念撮影を、
堂々とネットに載せていたからこそ、
「ボランティアしたいけど、
なんか危険だし大変だしこわそうだ」
という人の心を解きほぐし、
「こんな楽しそうな感じなら参加してみようかな」
と思わせたことだ。

この効果は非常に大きい。
それによってこれまで来なかった人を集め、
実際にそうした人員の手によって、
被災地での作業が進んだことには間違いないのだから。

私は別にボランティアに行く人は、
みんな悲壮な覚悟で申し訳なさそうな顔をして、
黙々と作業をすべきなんてちっとも思わないし、
変な言い方だが、ボランティアは自発で無償である以上、
楽しくなければ続かないし、
自分のためにならなければ続かない。

だから大いに楽しむべきだと思うし、
それによって単位をもらったっていいと思うし、
自分の社会経験になるのもいいと思う。

ただそれがあまりに度が過ぎると、
被災地や被災者や他のボランティアから、
「なんだあいつら、遊びに来ているのか」
と思われるのはどうかと思うが。

ボランティアに何が正しくて何が悪いか、
決めることはできないと思うし、
人によって捉え方は違うだろう。
ただ今回の震災では、今までのボランティア団体の欠点から、
こうしたゆるくて楽しげな、
サークルボランティア団体が大量発生し、活躍した、
というのは特筆すべき事実であると思う。

変な話だが今回災害ボランティアを経験した、
多くの「素人」「初心者」たちが、
今度どこかで災害があった時に、
今回の活動のよかった点や悪かった点を、
各々が見直し、今回以上によりよい支援活動ができたら、
いいんじゃないかなと思う。

・被災地レポート
http://www.kasako.com/110311top.html


by kasakoblog | 2011-11-24 22:24 | 東日本大震災・原発
2011年 11月 23日

311以降、地震が多い県はどこか?全47都道府県データ

2011年3月11日0時~11月21日24時までの、
都道府県別地震回数を気象庁のデータをもとに調べてみました。

地震が圧倒的に多い県は、ダントツで原発事故を起こし、
未だ事故の収束がつかず、
廃炉にするにも30年以上かかる福島です。

この8カ月間で、震度4以上が112回、
震度5以上が25回、震度1以上が1870回起きている。

<全都道府県別データ>
順位/県名/震度4以上回数/震度5以上回数/震度1以上回数

・特Eクラス
1位:福島/112/25/1870
2位:茨城/92/17/1496
3位:宮城/72/11/1327
4位:岩手/54/9/980

・Eクラス
5位:栃木/38/6/785
6位:長野/31/7/590
7位:千葉/28/5/764
8位:埼玉/22/4/525
9位:新潟/17/5/522
10位:山形/18/3/472
11位:青森/17/4/436
12位:秋田/16/4/402

・Dクラス
13位:群馬/13/2/591
14位:北海道/13/1/311
15位:東京/8/2/397
16位:静岡/6/4/283
17位:神奈川/6/3/283

・Cクラス
18位:山梨/4/2/187
19位:和歌山/4/1/80
20位:岐阜/3/0/174
21位:熊本/2/1/62
22位:沖縄/2/1/48
23位:広島/2/0/33
24位:島根/2/0/29

・Bクラス
25位:鹿児島/1/0/97
26位:石川/1/0/72
27位:愛知/1/0/63
28位:福井/1/0/40
29位:奈良/1/0/35
30位:徳島/1/0/24
31位:香川/1/0/18
32位:鳥取/1/0/17

・Aクラス
33位:富山/0/0/63
34位:滋賀/0/0/46
35位:大阪/0/0/37
36位:兵庫/0/0/37
37位:宮崎/0/0/36
38位:京都/0/0/35
39位:三重/0/0/34
40位:大分/0/0/32
41位:高知/0/0/27
42位:愛媛/0/0/24
43位:岡山/0/0/23
44位:福岡/0/0/21

・特Aクラス
45位:長崎/0/0/17
46位:山口/0/0/16
47位:佐賀/0/0/9


見ての通り、東日本が圧倒的に多く、
西日本が少ないという傾向が出ています。
それにしてもこの8カ月、暮らしている中で、
福島にいると1870回も地震を感じている一方、
同じ日本でも佐賀なんかはたった9回しかない。
しかも震度1と2しかない。

もちろん、この8カ月のデータなので、
これまで地震が多い県が多いとは限らないし、
少ない県が今後も少ないとは言いがたい。
たとえば先日の広島の震度5みたいな、
突発事項が平然と起こるから。

それにしてもただでさえ放射能問題がある福島が、
宮城や岩手なんかよりもはるかに地震も多いという事実。

日本にいる以上、地震だけじゃなく、
台風や大雨、土砂崩れなど、
様々な自然災害があるとはいえ、
地震が起きると様々な二次災害、三次災害・・・、
と続くことを考えると、
放射能問題もあって地震も多く、
未だ原発事故が収束していない福島に、
何が何でも住み続けるというのは、
考え直した方がいいのかもしれない。

福島に限った話でなく、
11月になってから全国各地で地震が増えているので、
地震が起きるものと想定し、
普段からしっかり備蓄や準備を行っておきましょう。

普段から防災対策に努めることは、
自分の身を守るためだけでなく、
他人に迷惑をかけないマナーであり、
他人を助けられる手段にもなるのだから。

・近いうちに必ず大地震がやってくる~大地震に備えてますか?
http://kasakoblog.exblog.jp/15296828/

・気象庁「震度データベース検索」
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/shindo_db/shindo_index.html


by kasakoblog | 2011-11-23 23:21 | 東日本大震災・原発
2011年 11月 22日

企業の震災ボラティア競争の裏にお寒い実態

ボランティアの方々にはほんとにお世話になりました。
みんなとってもいい人ばかりでありがたく思っています。
感謝の気持ちでいっぱいです。
でもあの企業だけは・・・

被災地で宿泊施設で勤めている方に話を聞いた時のこと。
ボランティアの話になった時に、
「ひどいボランティアとかはいなかったですか?」と、
何気なく聞いたところ、とてもいいにくそうに、
「実はある企業のボランティアはちょっと許せなかった」
とぽつりぽつりと話をしてくれた。

何十人単位のかなりの大人数で、
企業の社員が泥かきボランティアに来てくれた。
泥かきは真剣にやってくれて、とても助かったのだが、
ただ「えっ?」と思うことが度々あったという。

泊り+朝夕の2食付の予定だったが、
昼食も用意してほしいと頼まれた。
ただ「こんなに団体で泊っているのだから、
昼食代はまけてほしい」と言われたという。
そこでちょっとかちんときたが、
でも確かに団体客はありがたいので、
従業員総出で昼食の準備もすることにした。

ところがその企業担当者から要望が。
「量が少ないのでもっと増やしてくれ」
量を増やせば宿泊施設のスタッフに負担がかかる。
朝食を用意した後、昼食も数十人分を用意するのは大変だ。
通常営業の状態ならともかく、
まだ震災から3~4ヵ月の頃だ。

「すみません、まだまだ震災で、
いろいろ片付いていないことも多く、
スタッフに負担もかかるので、
この量で勘弁してもらえないでしょうか?」
と申し出たが、まったく聞いてもらえず、
やむなく作ることにした。
そもそも昼食代はもらっていないのに、
量を増やせなんてと思いながら。

夜、宿に帰ってくるとみな社員たちは、
日中の「仕事」から解放されたのか、
もうここが被災地であることは忘れてしまったかのよう。
トイレではちゃんとゴミがゴミ箱に入っていないとか、
夕食の後に宴会してもぜんぜん片付けてくれないとか、
挙句の果ては宴会場のふすまを破いたのに、
申告せずにそのまま帰ろうとしたとか。

あまりにも態度がひどいので、従業員の1人が注意したが、
結局ろくに聞いてくれなかったという。

「こんなひどいボランティアは後にも先にも、
この団体しかいません。
確かに宿泊施設にとって団体客は貴重で、
入ってくる収入も多い。
でも被災しているという特別な状況にあるなか、
ほんの些細なことであっても、
無神経な振る舞いがあると、
私たちにとっては心理的にこたえるんです」

どうもこの企業に参加した社員は、
自発的に申し出た人の集まりではなく、
本人の意志に関係なく、
強制的に参加したプログラムだったらしい。
だから他の企業ボランティアとも違い、態度がひどかった。

それでいてこのボランティアを引率しているのは、
CSR(企業の社会的責任)部の人間だ。
数年前から企業で「CSR」がはやっており、
「私たちは普段からこんな社会貢献活動をしています」
という企業イメージアップのPRコーナーを、
ホームページに設けたり、
会社案内に載せたり、IR資料に載せたりしている。
「CSR報告書」なんて立派な冊子を作成しているところもある。

いったい何なんだろう。
CSR=企業の社会的責任って。
企業の社会貢献活動って。
震災が起きて、多くの企業が支援活動をしている。
「うちらもやらなければまずいだろう」
「CSR報告書に震災支援活動がなければまずかろう」
みたいな意識から、ボランティアに来たとしか思えない。

そして被災地の宿泊施設の従業員の気分を害した挙句、
後日にはホームページや報告書で、
これみよがしに「私たちは被災地で泥かきをした」
と写真でも載せてPRするのだ。

どうも日本の企業はCSRとか社会貢献活動を勘違いしている。
企業の社会的責任って、被災地で泥かきする以前の問題として、
宿泊施設での態度とか対応とか、
そういうことこそ社会的責任なのではないのか。
というかCSRなんて横文字以前の問題で、
「一般常識のある大人かどうか」という問題だろう。
被災地支援できているのに、
昼食代はまけろだとかもっと量増やせとか、
一体、この企業は何をしにきているのだろう。

企業のCSR取材は何度もしたことがある。
ただ本当の意味でCSRをやっている企業って、
別に休日に河原でゴミ拾いしましたとか、
そういうことじゃない。

本業を通じた貢献。
それが本当の意味でのCSRだ。

というかそもそもCSRとかいう言葉がおかしい。
だって企業である以上、社会的責任を伴うのは当たり前で、
社会に貢献するのも当たり前の話だ。
特別な社会貢献活動をしなくても、
普段のビジネスを進めることが社会貢献になっていなければおかしい。

どうも日本は普段の企業のビジネスは、
あんまり社会貢献とはいえないんだけど、
とにかく自社の利益を優先させるために、
仕方がなく時には悪いことも目をつぶってやる、
みたいな意識でいて、
だからこそその罪滅ぼしと、
企業のブランドイメージアップのために、
社会貢献活動を利用しているとしか思えない。

いろんな企業が震災支援活動を行った。
そのほとんどは役に立っているものが圧倒的に多いと思う。
でもたった1社でもこうした履き違えた企業がいると、
被災者に与える心的ダメージは大きい。

あまりにもひどかったので、
話をしてくれた宿泊施設の方は、
企業名含めて、どこか週刊誌にでも、
話をぶちまけようと思ったらしいが、
町のえらい人から「あの企業には逆らうな」
と言われてやめることにした。

今後もこの町で生きていくには、
町の人の意見も聞かなくてはならない。
それにうちはもうその企業が泊るのはごめんだが、
他の宿泊施設にとっては、
観光客が皆無のなかで、
企業のボランティア団体客は上客だ。
その経済的効果を無視はできない。

せっかく企業で支援活動をしに、
被災地に行くのだから、
昼間の泥かきやればいいってスタンスではなく、
被災地や被災者のことに配慮した行動をとってほしいなと思う。

CSR報告書で震災ボランティア自慢するのは、
企業だからそれはそれで致し方がないとしても、
被災地でもう少しマシな態度をとれなかったものだろうか。

そんな無礼な企業がいっぱいいなかったことを祈りたいが、
もしかしたら被災者が泣き寝入りして言えないだけで、
実はほかにもこうした事例があったかもしれない。

※被災地で違和感を覚えていることがあるけど、
でもそんなこと言ったら周りからうとまれそうなので、
ずっと自分の心に抱えたままで苦しいという方は、
メールいただければと思います。
時間の都合がつけば、直接、話をうかがいます。
kasakotaka@hotmail.com

私のところには震災関連で、
「言いたかったけど言えなかったことを、
よくぞ書いてくれました」とか、
「実はずっと疑問に思っていたことがある。
私の素性は明かさず、ブログに書いてください」
というメールを結構いただき、取材させていただいています。

・同情はいらない。かわいそうって何?~浪江町出身の叫び
http://kasakoblog.exblog.jp/16013691/

・ボランティアが被災者の自立を阻害する?!
http://kasakoblog.exblog.jp/15291070/

・今、日本中で起きているケンカ
http://kasakoblog.exblog.jp/15406233/

・華やかな避難所祭の表と裏~原発被災地の深刻度
http://kasakoblog.exblog.jp/15196398/

・復興イベントの大量の残飯~ボランティア漬けの功罪
http://kasakoblog.exblog.jp/15085177/

・ボランティアの涙と被災者の憤り
http://kasakoblog.exblog.jp/14992713/

・書籍「検証・新ボランティア元年~被災地のリアルとボランティアの功罪」


by kasakoblog | 2011-11-22 23:58 | 東日本大震災・原発