好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

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2001年 06月 05日

古くて新しいものを(3)

「チーズはどこへ消えた?」の書評から、
一つの時代のキーワードとして「古くて新しいものを」という提言を行っている。
そんな矢先にこんな新聞記事が掲載されていた。
「新古書店」ーつまりは古本屋の大流行についてである。

「新古書店」とは聞きなれない言葉だが、従来の古本屋と違うのは、
顧客から買い取った本を研磨機で磨き、きれいにして売るのが特徴なのである。
はじめてブックオフに入った時の驚きを僕は忘れない。
本のきれいさ・美しさに「ここは新書店なのか?」と見間違えたほどである。

新聞記事では新古書店の流行より、作家の著作権の問題にウエイトを置いたものだったが、
「作家の生計が成り立たぬ」と新聞で騒ぐほど、この新古書店の流行具合がわかる。

ただの古本屋だったら、いくらデフレ時代で倹約しているといっても人は本を買わないだろう。
買い取った本をきれいにして売るという、まさしく「古くて新しいものを」安く提供することによって、
これだけのブームを巻き起こしているのだろう。

人々が求めているものは新しいチーズではない。
もう世界には新しいチーズなど無いかもしれない。
今、時代に求められているものは「古くて新しいもの」なのだということが、
新古書店の流行からも容易に推測できるだろう。


# by kasakoblog | 2001-06-05 00:19
2001年 06月 04日

パロディー

6/3のつぶやきかさこで「チーズはどこへ消えた?」の書評を展開したが、
今この本で話題なのは「バターはどこへ溶けた?」という類似本が出て、扶桑社が訴えたというニュースであろう。
この「バターは~」は「チーズ」の論旨を全く逆転させて批判しているのだという。
確かにこの「チーズ」の論旨には、起業家の経済的成功のみを目指した論調が強いということもある。
だから僕が批評を展開するべくもなく、「バター」のような本が発売されるのだろう。

訴えられた本とはいかなるものか、早速新宿の紀ノ国屋書店に見に言ったら、これがすごいこと。
「チーズ」の横にびっしりと「バター」が何冊も並べられている。
こういう配置で本を置く書店も扶桑社さんは訴えた方がいいんじゃない?ってぐらい第2弾みたいに見える。

さらにさらに驚くなかれ。これにとどまらず「ひまわりの種は誰が食べた?」なる第3の類似本まで出る始末である。
しかし思うに、こういうパロディー本が出ることは、本家本元にも相乗効果で売上が伸びるだろうし、
「バター」を読んでみたところ、完璧なまでに「チーズ」を真似していることがわかるので、
明らかなパロディー作品として認められてもいいんじゃないかなと思う。
(まあ個人的な意見だが「チーズ」は訴えるほど大した内容の本ではない)

パロディーとは確立された文学作品のジャンルであり、
辞書によると「既成の著名な作品などの特色を一見してわかるように残したまま、
違った内容を表現して、風刺・滑稽を感じさせる文学作品」と定義されている。
ここで重要なポイントは完全に真似することで、逆に読者に「これはパロディーですよ」とわかるのであって、
部分的に似ているだけでいかにもこれは独自の作品ですみたいな姿をしたものこそ、訴えるべきなのである。

残念ながら独創的なアイディアとはそう何度も出るわけではなく、
大概どこの業界も二番煎じ、三番煎じで食っていっているようなものである。
パロディーはパロディーとして二番煎じとは違った意味を持つものであるから、
チーズ君はそう青筋立てて訴えたりしなくてもいいのになあ、というのが私の個人的な感想である。


# by kasakoblog | 2001-06-04 00:20
2001年 06月 02日

古くて新しいものを(1)(2)

今、時代は大きな変革の時にある。
社会システムそのものが根本的に揺らいでいる時代。
新しい価値なり指針なりをどこに置くかが未だ定まらず、右往左往しているのが、ちょうど今なのだ。

揺らいでいる価値観とは、第二次大戦後、全世界的に広まった資本主義システムであり、
アメリカ型社会であり、経済至上主義である。
大量生産・大量消費・経済成長・景気・GNP…
そういった経済用語が全く意味のないものになりはじめた時代が訪れている。
新製品を開発し、それを大量生産・大量消費させ、それで人々が幸せになる。
そんな右肩上がりだけの、常に新しいものを求める社会的風潮に疑問が投げ掛けられているのだ。

そんな時代的雰囲気をかぎとってか、市場には「過去のもの」の復活が見受けられる。
消費者が新しいものを追いかけることに飽きたし、疲れたのだろう。
漫画界では、今から10~20年前のヒット漫画が次々と復刻版となって発売されているし、
たとえば井上陽水のカバ-アルバムも昔のヒット曲をカバーするという手法は、その流れを組んでいる。
「明日がある」の大流行などもその一つではないか。

私たちは今まで新しいものばかりを追い求め、時代が進むにつれそのスピ-ドはどんどん加速化していた。
昨今の音楽ヒットチャ-トを見ればそのことは明らかだ。
デビュ-したばかりの新人やグル-プがいきなりヒットチャ-トのトップになったりするが、
それが全くつづかずに、次から次へと新しいものがヒットチャ-トに並ぶ。
新人が活躍することはいいことだが、それが育たずに終わってしまうのである。
というより人々はただ「新しい」ということだけに価値を置いているので、
新人が古くなってしまえばもう用はなくなってしまうという状況にあるのだ。

でもさすがに人々は疲れはじめた。
懸命に働き懸命に消費していくことにばからしさを覚えはじめたのだ。
超デフレ経済のおかげで人々はやっとそのことに気づいたのだ。

何も新しいものばかりに目を向けなくても、昔にいいものがいっぱいあるじゃないか。
新しいことを追い掛けるだけではなく、古いものを見つめ直したらどうか。
そうした流れの一貫として漫画の復刻や井上陽水のアルバムなどがあるのだと思う。

しかしそれは単に古いものをそのまま今の時代に持ってくることではだめだ。
古いものを今の時代にあった形でアレンジする必要がある。
つまりは、「古くて新しいものを」。
それが今の時代の流行の一つのキ-ワ-ドであるかと思う。

とここまで今の時代の流れをした上で考えてみたいのが、今、大流行の本「チ-ズはどこへ消えた?」である。
迷える現代人に生きる指針となるべくした本ということで売れているのだろう。
僕もたまたまこの本を読む機会があった。

この本を読んで僕が思ったことは、「時代と逆行してないかい?」ということだった。
「古いチ-ズには早く見切りをつけて、新しいチ-ズを探しにいこう」というこの著のスト-リ-は、
未だに前時代の「新しいことを追い求める」風潮を踏襲した、非常に資本主義的、経済成長主義的思想から
はっせられているような気がしてならない。

もちろんこの書でいいたいこともわかるし、もっともなこともある。
変化に対していかに早く対応していくかということは、時代の過渡期にある現代にとっては大切なことであるし、
古い考え方を捨てて、新しい時代に対応すべく考えや行動を変えていかなくてはならないという主旨もわかる。

しかしどうもこの本の全体的な思想背景には、前時代の経済成長主義的発想が色濃く残っているような気がしてならなかった。
古いチーズが無くなったからといって新しいチ-ズを探すことだけでなく、古いものにも目を向けること、
現在の状況を受け入れることも、これからの時代には必要なことではないか。

20世紀は世界にある新しいチ-ズをめぐって、各国が競って捜し出し奪い合い食べ尽くした時代である。
そのために環境は悪化し、資源は枯渇し、人々の精神は退廃し、不幸になった。
新しい時代を生き抜く指針は、極端な論かもしれないが、
もし古いチ-ズが消えてしまったら、別の新しいチ-ズを是が非でも人と競って捜し出すのではなく、
チ-ズがなくなったという状況を素直に受け入れ、そこで飢え死にすることも、大事なことではないかと思うのだ。

人間中心の時代は終わった。
人間は世界中のチ-ズを食べ尽くしている飽食怪物に成り果てた。
迷路を探し回り、破壊し尽くし、荒らし回った。
新しい時代を生き抜く指針は、非常にパラドキシカルなことだが、
「死」を素直に受け入れることも忘れてはならないものの一つなのである。
代理出産やクロ-ン人間、さらには管漬け薬漬けにした現代の医療事情は、
「死」や「運命」を素直に受け入れず、人間の悪あがきをして生命の尊厳を侮辱しているだけであるように思える。

チ-ズが消えた。だからまた迷路の中を新しいチ-ズ探して走り回るべきだとするこの書の論旨は、
だから時代に逆行しているのである。

新しいチ-ズを探すことではなく、チーズが消えた状況の中で、迷路を荒らさずそこにいて生き抜く方法を考えていく。
それが今の時代に最も必要なことではないだろうか。
そうした時にはじめて「古くて新しいもの」の創造が生まれるのではないだろうか。


# by kasakoblog | 2001-06-02 00:20 | 生き方
2001年 06月 01日

進行状況

「笠原、どうだい、人生の目標の方は?」と唐突に会社の上司から尋ねられた。
「いや、だいぶたりないですね。もっともっとやらなければって感じです」
「そうか。まあ焦りはよくないからな」
そんな二人に会話に、周囲の人間は「なんのこっちゃ?」という顔をしていた。

その上司とは、業界未経験の僕を採用してくれた面接官でもあった。
「3~5年でフリーのライターとして独立します」
そんな僕の生意気な言葉を買ってくれた人だった。
「一生会社のタイムカードを押し続けますって奴よりは、独立するっていう奴の方が会社にとっても戦力になるってことだ」
そう考える人なのだ。
つまり上司が「人生の目標」といったのは1年前に面接でいった「独立」に向けてどうかい?ということなのだ。

確かに自分自身では会社の仕事はそれなりこなしていると思う。
見方によっては2年目でよくやっていると捉えられるかもしれない。
でもだからといってそれが独立への道に進んでいるかといえば、残念ながらノンといわざるを得ない。
だから僕は上司にまだまだだと答えたのだ。

ただ今年の2月から個人的な仕事をひとつやるようになった。
「Weekly eye」というパンフレットの旅ページを引き受けることになったのだ。
つい先日2・3月分の原稿料約8万円が振り込まれ、僕はそのお金をそのままベトナム航空券代に注ぎ込んだ。
そういうことができるようになったというのは一つの進歩ではあるが、僕の理想はもっともっと高いところにある。
だからこそまだまだがんばらなくてはならないと思うのだ。

それにしても採用してくれた上司が、こうして気に掛けてくれることが実にうれしい。
どこかで誰かが僕の仕事ぶりを見ていてくれる。どこかで誰がが僕に期待を掛けてくれる。

「どうだい、人生の目標の方は?」
目の前の仕事に精一杯になっていた僕に、ふと長期的な視点を与えてくれた上司に感謝したい。
常に自分の方向を見定めながら、毎日を過ごしていかないと、
何にもしないうちにあっという間に時が過ぎ、「こんなはずじゃなかった」なんてことになりかねないから。


# by kasakoblog | 2001-06-01 00:21 | 働き方
2001年 05月 31日

おいしいカップラーメンを探せ(10)

久しぶりにヒット作にあたった。
その名は、サッポロ一番の「濃熟仕上げこってりとんこつ」168円。
カップラーメンを選ぶ時のポイントはなんといってもカップ表面にある写真だが、
見る限りではそんなにうまくはなさそうだったが、なんとなく気になって買ってみた。

時代はとんこつブームなのか、カップラーメンのとんこつも実に多く発売されているが、
だいたいにおいて、カップラーメンのとんこつは、
1.くさい。2.こってりしすぎて胃にもたれる感じが残る。3.スープが濃いだけでうまいんだかまずいんだかわからん。
といったマイナス事項が多い。

このカップラーメンも「濃熟」「こってり」が強調されているが、意外にももたれ感なく、
味はしっかりしていて濃いが、さっぱりしていて全部スープを飲み干しても問題ない。
特にこのカップラーメンでおすすめなのが特徴的な麺だ。
日清どん兵衛のきつねうどんの「もちもちうどん」のように、麺にこしがあってもちもちしているのである。
これが実にスープとうまく調和しておいしい。

具は決して多くはないが、ちりばめられたネギがスープと麺にからまって実にうまい。
こんぶも入っていて、なかなかこれがいけるのだ。
決して凝っているカップラーメンではないが、シンプルゆえにかえって三位一体感があってうまかった。

ここ最近食べたとんこつカップラーメンでは一番の味。
強いていうならもうちょっと具があればそれにこしたことはないが、
なんといっても168円なのだから、それは贅沢な願いというものか。
実にバランスのよいシンプルでおいしいカップラーメンだった。


# by kasakoblog | 2001-05-31 23:53 | グルメ・ラーメン
2001年 05月 30日

Mr.Childrenのこの一曲

僕が最も好きなアーティスト、Mr.Childrenの曲で一番のおすすめは何かと聞かれたら、これはもう実に難問である。
すべてと答えるわけにもいかないし、かといって一曲に絞るのは相当難儀なことである。
大ブレークした「inocent world」もいいし、未だに名曲として名高い「抱きしめたい」。
20世紀最高のラブソングともいうべき「名もなき詩」に、壮大なテーマを歌い上げた「終わりなき旅」に、
最新シングル「NOT FOUND」まで、もう名曲をあげたらきりがない。
でもそんな中で僕が一曲だけ選ぶとしたら、アルバム「DISCOVERY」に収録されている「I'll be」を文句なくおすすめしたい。

「I'll be」はアルバムバージョン、ライブバージョン、そして全くテンポの違うシングルバージョンと3タイプあるが、
歌詞が最も心に響いてくるのはアルバムバージョンだろう。

閉塞された社会の中で、もっと自由に生きていけば、唯一の光を信じて生きていけば、
きっと目の前には無限の世界が広がっているんだよ。
「心にしてたアイマスクを外して」やれば、きっと目の前に自由な世界が広がっているんだよ。
一人一人の人間なんてほんとちっぽけな存在だけど、「明日はないぞってな具合に」開き直って力強く生きていこうよ。

失敗する事もある。うまくいかないことだらけだけど、「何度へましたっていい」。
不安や迷いや悩みを抱えながらも前に向って歩いていこうよ。
矛盾を背負い込みながら、決していい時代に生きているわけじゃないけど、もっと素直にもっと自由に生きていこうよ。

そんな意味の歌詞が、桜井君が伸びやかに自然につぶやくように歌っている。
はじめに聞いた時に、鼻歌かと思ったぐらい実に伸びやかに歌われている曲。
後向きな自分を素直に押し出させてくれる曲。
それは桜井自身が悩みや不安を抱えながらも、前向きに生きていこうと必死にもがいている様子が、
ファンにもよくわかるからではないだろうか。

「旅立とう 明日はないぞってな具合に」「当たり障りのない道を選ぶぐらいなら 全部放り出して」
この歌詞を聞いた時、僕は会社を辞めて旅に出ようと決心をつけた。
僕を旅立たせてくれた曲。
いいことばかりを描いた夢物語や理想論ではなく、こんなにも内向きで現実を見据えた上での力強い曲というのは、
桜井君でももう二度とは作れないだろうというぐらい、人生の一過程におけるある局面でしか書けないものだろう。

何度聞いてもこの曲には心が打たれる。


# by kasakoblog | 2001-05-30 23:53 | 音楽
2001年 05月 29日

カルテル

カルテル:同一業種の企業が競争を避けて利益を確保するため、
価格・生産量・販路などについて協定を結ぶこと。
原則として独占禁止法で禁止されている。

海外旅行に行ったことのない人も「格安航空券」といって思いつく企業はと言われたら、
多分誰もが「H.I.S.」と答えるだろう。
今注目の成長企業であちこちに出店し、過剰な広告で格安イメージを植え付けた。

しかし実際はH.I.S.は大して安くない。
去年、中国行きの飛行機代を問い合わせたところ、全く同じ日程で全く同じ飛行機会社で、
マップツアーの方が5000円安く、かつすぐにチケットが確保できた。

しかしこれはいいほうだ。
格安航空券業界はカルテルをしているのではないかという疑いがきわめて強い。
去年、中国を辞めてバリに変更したが、その途端、H.I.S.とマップツアーの値段は全く一緒。
1週間日にちをずらしても全く同じ値段で変わった。
こんなことはもう何年も前からあることで、今から3年前、タイの航空券を取るときにも、
H.I.S.とマップツアーの値段は全く一緒だった。
で、いつも値段が同じなのでどちらを選ぶかというと、
知名度が高くてやたら忙しくて対応の悪いし、チケットの確保がしにくいH.I.S.ではなく、
格安のイメージが強くないせいか忙しくないから対応が良くてチケットも取りやすいマップツアーにしていた。

そして今回、ベトナムに行こうとABロードを見ると、
H.I.S.は61000円、マップツアーは71000円となっていたので、H.I.S.にしたら、
61000円というのは非常に乗り継ぎの悪い時間のかかる飛行機だけで、直行便は71000円だという。
マップツアーでの料金表示は、乗り継ぎの悪い飛行機の値段ではなく直行便の値段が書かれていたので高く見えたが、
結局はH.I.S.もマップツアーも全く同料金なのである。

はっきりいってこれはカルテルだ。
これ以上格安合戦を繰り広げると互いに体力がなくなってしまうので協定しているとしか思えない。
超デフレ時代にこんなカルテル結んで甘えている業界は許されてはならない。
正当な競争をすればもっと飛行機代は安くなるはずだ。

ちなみにH.I.S.とマップツアーはベトナムまでの飛行機代は全く同じだが、
ベトナム国内線となるとマップツアーの方が5000円安い。
ほんとイメージって恐いよな。
H.I.S.は決して安くはない。
そして航空券業界はカルテルを結んでいる。
こんな風に消費者はイメージと陰の企業努力で騙されているのだ。


# by kasakoblog | 2001-05-29 23:57 | 一般
2001年 05月 28日

3億円の悲劇

彼はドリームジャンボ宝くじを買おうかどうしようか、かなり深刻に悩んでいた。
というのも彼には3億円当たる自信があったからなのだ。
「もし当たってしまったら、俺の人生は悪い方向にいってしまうのではないか?」
しかし彼は自分が当たる確率など冷静に考えたら全くないのだからと思わず10枚買ってしまった。

そして彼の予感は的中した。
なんと彼は見事に3億円を的中させてしまったのである。
彼は3億当たってもマイホームだけ買ってあとは貯金し、現在の生活を続けようと思った。
風呂なしアパートから引っ越し、都心の新築マンション1億円を購入した。
しかし彼にはまだ2億円が残っていた。

彼はフリーライターめざして、日夜安月給で編集プロダクションに勤めていた。
しかし彼は宝くじが当選してからというもの、仕事に集中できなくなった。
それはそうだ。徹夜や休日出勤したところで20万の給料しかもらえないのに、
彼にはマンションも持っていれば2億円の貯金もあるのだ。
働く気概が抜け腑抜けになり、ついに会社を退職することにした。

しかし彼には唯一金を使う手段があった。「旅」である。
会社を辞めたので時間はあるし、宝くじの当選金はたっぷりある。
そこで彼は再び長旅に出たのであった。

しかしそこに以前のような旅の楽しさを味わうことはできなかった。
いくら使ってもいくらぼったくられても湯水のように金があるから、ばんばん金にまかせて旅をした。
ドミトリーなぞ泊まらず高級外資ホテルに泊まり歩き、高級レストランでいいものをたらふく食べる。
そんなことをしても以前のような旅の楽しさを味わうことができず、
貧乏時代を思い出して安宿に泊まってみたりもしたが、ちょっとしたことが気になって、
すぐに快適な高級ホテルに移ってしまう。
金があるので何も我慢する必要がなかったのである。

彼はその旅行記を書いたが、以前のような異国の生々しさがそこにはなかった。
日本に帰ってくると金があるからしょうもない旅行記を自費出版しまくったが、
そんなものは売れるはずがない。
帰ってきたもののまだまだ金はあるので、働くこともせず毎日毎日ただなんとなく時を過ごしていた。

・・・やっぱり僕は今、宝くじを買うべきじゃないな。
もし3億円当たってしまったら、きっとこんな人生になってしまうだろう。
当選してしまったことで不幸になりそうだ。当たったら困るから今回買うのはやめておこう。
そんなことまで考えて、かさこ氏は今回の3億円宝くじ購入を見送った。
考え過ぎか?


# by kasakoblog | 2001-05-28 23:59
2001年 05月 27日

500円以下のラーメン探訪(2)

八王子駅から徒歩約20分。
この付近では有名なラーメン店という「長浜ラーメン」に行ってみた。
行ったのは深夜2時過ぎだというのに、店には人が並んでいた。
さらに驚くべきことは、長浜ラーメンがなんと500円なのである。
これだけ有名な店で、こんなに安い値段でラーメンを出している店は皆無といっていいのではないだろうか。

しょうゆラーメン、みそラーメンもあったが、なんといっても自慢の長浜ラーメン500円を注文。
薄くて広いお椀で登場した。
スープをまずすすってみて「むむむ、これは!」と思った。
こんなにうまいとんこつスープを飲んだことは今まで記憶にない。
こってりとしていながらさっぱりしていて、濃いしっかりした味付けながら実にまろやかで、
味噌汁のようにするする飲んでいった。

そして麺へと移行する。
ちょっと硬めと細麺というか、ラーメンの麺というよりビーフンのような麺で、
かたまっているいる感じがして、ちょっと引っ掛かる。
これでも十分おいしいのだが、麺とスープとの調和はいまいちだった。
これを普通の麺に変えたら格段にうまくなるだろうなという感想を持たざるを得なかった。

具はまろやかチャーシュー1枚にネギにきくらげが入っていた。
とにかくスープがうまいのでそんなに具がなくてもこれだけで完結できるラーメンだった。
これで500円なのだから大したもんだと感心した。

麺さえ変えてもらえれば特A級なのにな。
それでもこの値段でこれだけのラーメンを出す店はなかなかないだろう。


# by kasakoblog | 2001-05-27 00:00 | グルメ・ラーメン
2001年 05月 26日

便利という名のパラドックス(2)

5/22のつぶやきで「幻?!のアイスモナカ」と題して、
雪印のコーヒーモナカを絶賛したが、なかなか売っていないと報告した。
ところがぷりめーら。さんからイレブンで普通に売っている、という貴重なご意見をいただき、
実際にセブンイレブンに行ってみると、なんとごく普通に売られていた。
五反田でも八王子のセブンイレブンにもあったので、セブンイレブンならどこにでも置いてありそうだ。
残念ながらうちの近くにセブンイレブンはないが、幻の品でないことがわかったのでほっとした。

カップラーメン探訪を続けている僕だが、コンビニによって全然品揃えが違うという現象がある。
逆に言うと、同じコンビニならどこにあろうと同じものが置いてある可能性が高いということである。
考えようによっては実に便利な世の中である。

「セブンイレブン」と聞いて思い出したが、その名は朝7時から夜23時まで営業している便利な店ですよということでスタートした、
いわばコンビニのはしりみたいな存在であるわけだが、コンビニに限らずいろんな店が24時間営業する今の時代を考えると、
朝7時から夜23時でありがたがった時代から、随分と人々の生活様式が変わってしまったのだなと、
時代の移り変わりの早さと、価値観の変化を思った。

セブンイレブンの名前は変わらないが、営業時間は朝7時から夜23時から24時間に変わって便利になった。
でも便利になるということは実は不便になるということの裏返しでしかないことに、人々は気づいていない。
便利だから「可能になってしまう」ことによる人々の負担は、実は増しているのである。

便利という名のパラドックス。
科学や経済の発展で「進歩」していると考えている我々の社会は、単に欲望垂れ流ししただけの、
きわめて幼児化している退行期にあるのかもしれない。
できることを何でもしてしまって、制約や我慢をしらない社会。
便利さを享受する影にあるものに目を向ける必要があるのではないか。

コンビニが24時間営業でなければ、人々は健康な生活を送れるのかもしれない。


# by kasakoblog | 2001-05-26 00:02 | グルメ・ラーメン