2002年 02月 14日
お嬢様
お嬢様っていうのはえてして大局観がない。
田中真紀子の自分が外されたことに対するヒステリーを見ていると、それがよくわかる。
大事なことは改革であって、改革の足を引っ張ることではない。
小泉首相の政策がいいか悪いかは別問題にしても、小泉さんには自分なりのビジョンがある。
それに引き換え、他人の政策を非難するばかりで、具体的な提案を何もできない民主党によりそって、
今までは大臣に起用してもらったからってしっぽふってたやからが、
理由や処置はどうあれ、切られた途端、反旗を翻すって、いかに物事を大局的に捉えていないかの証拠である。

僕は今回の更迭後の田中真紀子の行動をみるに、期待外れだったなと思う。 人気も地に落ちたな。
所詮は自分のうらみつらみで政治をやっているのだ。

田中真紀子に限らず、仕事を勘違いしているお嬢様・おぼっちゃまが多い。
親の過保護に育ち、勉強していい成績を残すことが至上命題として、
植えつけられた教育習慣を身に付けてしまったせいか、仕事に対してもどこか甘えがある。

「私は一生懸命やったのに、なぜ非難されなければならないの?」
世論に同情を訴える田中真紀子の気持ちはきっとこんなんだろう。
しかし小泉首相(かさこ総理)に言わせれば、そんなの仕事でもなんでもない。
自分のマスターベーションにしか過ぎない。
「仕事っていうのは一生懸命やることが大事なんじゃない。目に見えた結果を残すことが大事なんだ」

いくらさぼろうが、いくら適当にやろうが、きちんと結果を出していればそれで問題はない。
それが社会人の仕事ってもんだ。
(もちろん、きちんとした結果を出すためには、適当にやっていては多分結果はでないだろうが)

仕事っていうのは「いかに私が一生懸命やったか」なんてことは問われていない。
たとえば私はお客さんを100軒もまわりました。こんなに努力したんですよ。
でも1軒も契約が取れていないでは意味がない。
たとえさぼって5軒しかまわらなかったとしても、5軒契約を取ってきた方が、 100軒まわって契約ゼロの人間より評価は高い。
そんなの当たり前の話だと思うかもしれないが、意外にも生ぬるい意識でやっているおじょう・おぼっちゃまには、
この感覚が理解できずに、できない言い訳に「一生懸命やっているのに」と愚痴をこぼす。

これは実にたちが悪い。
なぜならさぼって契約ゼロの人間には、自分がさぼったから悪いんだという罪悪感がある。
しかし一生懸命やった人間には、なぜこれだけ努力しているのに責められるのかという反攻心だけが渦巻いている。
結果を残してないのに一生懸命もへったくれもあるか!
だからたちが悪い。

田中真紀子は一生懸命やっていたのはわかる。 しかし結局何もできなかったではないか。
もちろんあの人がヒステリックに騒ぎ立てたことで、
外務省には信じられない問題があるんだということを露呈させたという点だけは評価できるが、
その問題を解決する方法は見つけられなかった。
「大臣の言うことは聞け」と頭ごなしにいって、結局は官僚との溝が広がり、問題の解決にも程遠くなってしまった。
(誤解されないように言っておくが、悪の権化はあくまでどうしようもないエリート意識を持った、
おぼっちゃま・おじょうさまの官僚ではあるが、まあその後の田中真紀子の大人気ない態度をみるに、
あいつもたいした器じゃないなということであって、不祥事はあほたれ官僚が悪いのは明白)

おぼっちゃま・おじょうさんに限ったことではないが、この手の人間が最近、非常に多い。
それは過保護教育が影響してるんだろうな。
子供時代からいつでもどこでもお客様で、
かわいがられて殴られたことも叱られたこともなくって、あまちゃんな環境で育てられて生きてきたんだろうな。
だから社会に出て責任任された仕事やってみいというと、一生懸命まじめにやるんだけどできない。
社会に出て仕事ができないっていうのは害悪でしかありえない。

教育改革が叫ばれても一向に進まない改革。
歴史の年号や複雑な方程式解かせる前に、たとえばそうじの時間とか給食の配膳だとか、
社会生活に欠かせない基本的なことをきちんと教えていかないと、いつまでも仕事のできないあまちゃん人形を育てることになる。

最終的には国の改革や社会の良し悪しって、そこに住む人間の質で決まるんだ。
その質を育む教育が、ウルトラクイズの答え当てみないたことをしているようじゃ、
何もできない、自分のプライドや私服を肥やすことしか考えない、自分だけがかわいい、政治家やら官僚やらを生むんだな。
ようは大局観がない。
どうしようもないよな。


# by kasakoblog | 2002-02-14 12:41 | 政治
2002年 02月 13日
安ければ借りるのだ
デフレだマイナス成長だ、耳にタコができるぐらい騒いでいるが、
景気刺激策を考える上で、一つの身近なお店を紹介しよう。

うちの近くにあるビデオレンタル店では、第2・第4火曜日は、
CD・ビデオなんでも1週間200円となる。
通常350円かかるところ半額近いこの値下げ日には、いつもの5、6倍は人が訪れる。
一人一人が借りていく量も多く、瞬く間にCDやビデオがなくなっていく。

消費者は安ければ借りるのだ。
ただ普段が「高い」と感じているからお金を使おうとしない。
だからせっかく店があって商品があっても無駄に終わってしまう。
こんなもったいないことはない。

たかだが350円を200円にしたわずか150円の値下げで5、6倍の売上を上げられるのなら、
商品の回転率もよくなり、こんないいことはない。
光熱費や家賃などの固定費用は売上が少なくとも一定の額かかってしまうのだ。
だったらできるだけ店にある商品を借りてもらって、多少店員を増員してでも売上を伸ばした方がはるかにいい。
薄利多売にすることにより、消費者も今までよりお金は使うし、ビデオという商品の有効活用にもなるし、
店が忙しければ店員の雇用も促進されるわけだから、いいことづくめなのだ。

物が売れないのは、値段が高いか商品の質が悪いかのどちらかだ。
値下げする事により、商品やお金や人の回転率がよくなれば、
物の値段が下がったとしても、貨幣の流通速度は上がるから景気はよくなるのだ。

売れない、不景気だ、どうにかしてくれと騒ぐ前に、
自分の売っている商品が果たして妥当な値段なのかどうか、考えるべき時期に来ているのではないか。
そして、できる限り1商品あたりの儲けを増やそうと考えるのではなく、
社会に貢献するために薄利多売の心掛けをしていくことが、
今後の商売のポイントとなるのではないだろうか。

いまだ日本は値段が高いものが多すぎる。
ただそれだけのことだ。


# by kasakoblog | 2002-02-13 12:41 | 金融・経済・投資
2002年 02月 12日
リトルダンサー
アメリカ映画ではなく、イギリス映画のせいか、
舞台はイギリスの片田舎町の日常なんだけど、話に深みがあってなかなか良かった。

「バレエは女の子がやるもんだ」
そんな固定観念から、本当はバレエをやりたいのにやれないでいる11才の主人公。
でもそのうちバレエに惹かれ、固定観念を捨て、周囲に内緒でバレエのレッスンに女の子に交じって参加する。
才能を見込んだ先生がロンドンのバレエ学校のオーディションを受けることをすすめ、
見事に合格して才能花開くダンサーになる。

まあこれだけだったら、単純なサクセスストーリーでおもしもなんともないわけだが、
ここにそっと絡み合っているのが、町の炭坑閉鎖のストに関わっている父と兄の問題。
そして母を亡くして男手に育てられたということだろう。
あくまでメインテーマ-は「リトルダンサー」にあるわけだが、
ダンスが象徴する意味は、閉鎖に腐りむやみやたらにストを起こし、
酒ばかりのんだくれて苛立っている男たちに、新しい生き方を考える契機となっていることだ。
バレエに反対していた父が、子供の夢に理解を示し、子供のために無益なストを辞める姿は感動的だ。

互いに理解することなく、母の不在で対立しあっていた父子が、
オーディションに合格し、公園でじゃれあってる姿は、一つのこの物語のエピローグといってよかった。
本当はこの場面で終わらせればいいものを、映画につきもののしょうもない「●年後」を付け加え、
成人した主人公が晴れの舞台で活躍する姿を父が見るといったシーンは、何か押しつけがましく、不要な気がした。

なぜならこの物語の核は、成功することではなく、
固定観念に縛られず新しい生き方を積極的に模索してくことにあるからだ。
だから極端な話、オーディションに不合格でもいいわけだが、
さすがにそこまでやってしまうと暗い話になってしまうので合格は致し方がないとしても、
成功シーンを最後に付け加えることは、物語の核をねじまげてしまうことになりかねない。

とはいえ全体的にはなかなかおもしろい作品だった。
ダンスや炭坑を今の自分の何かに置き換えて考えてみれば、極めて意義深い作品になるだろう。

またおまけとして、バレエをやる主人公に近づいてきた、
友達のオカマちゃんもなかなかいいキャラクターをしていて、物語に一つのアクセントをつけている。


# by kasakoblog | 2002-02-12 12:42 | 書評・映画評
2002年 02月 11日
「家庭」考現学
もはや日本に「家庭」は存在しない。
なぜなら日本の家族には、「家」も「庭」もないのだから。


# by kasakoblog | 2002-02-11 12:43
2002年 02月 10日
主観的採点による不満は当
オリンピックにはあまり興味のない。
というのも、国を越えて、素晴らしい選手を応援するというより、
日本人がメダルをいくつ取るかに終始している報道姿勢に嫌気がさすからだろう。
ひいきめに日本人を見て、素晴らしいプレーをする外国人と同列に扱う姿勢が、視聴者に日本は強いんだみたいな錯覚を起こさせる。

とはいうものの今回のソルトレイクオリンピックに一つだけ気になる競技があった。
いや気になる「人」がいた。
女子モーグルの上村愛子である。
4年前の長野オリンピックで18才ながら7位と入賞を果たした上村の今回には、
4年の上積みで大きなメダルへの期待が寄せられていることよりも、
ただ単純にかわいいことと、思いっきりのいい豪快なエアを見せるからだ。

そして予選、決勝ともにほとんどの選手の滑りを見ていたが、
一番思いっきりがよく、豪快で、観客を喜ばせる「魅せる」プレーをしていたのは、
間違いなく彼女がナンバーワンであると思った。
しかし得点はあまり良くなかった。観客からもその採点にブ-イングがあがった。そして結局6位に終わった。

女子モーグルの採点方法は、30点満点でターンが15点を占め、
観客を最も喜ばせるエアは7.5点、スピードも7.5点となっている。
だからこそ上村愛子の豪快なエアがどんなに素晴らしくても、
荒削りで攻撃的な滑りは、採点基準からするとマイナスされ、
里谷やその他上位選手のように機械的な滑りの方が、たいしたことのないエアであっても圧倒的に評価が高くなる。

スピードは明確な客観的数値に表れるが、ターンやエアの採点方法は、
何カ国かの採点委員が決めるという極めて主観的な方法によるものだ。
日本もターンの採点委員に入っており、当然日本人には採点は甘くなるのは心情だと思うし、
開催国のアメリカも入っているから、やはり地元の選手には甘くなることは考えれられなくはない。
スポーツという厳密な競技に客観的な勝ち負けではなく、
極めて主観的な採点を持ち込むものには、必ず不平がつきまとう。
今回もそれを感じさせた結果になった。
里谷が銅だと騒いでいるが、4位との得点差はわずか0.01点。
こんなもの、審査員の主観的な印象によっていかようにも変わってしまう数字だ。

主観的な採点競技と割りきるなら、一部の国の採点委員によるものではなく、
観客にも採点させるとか、徹底的に主観的採点競技にすべきだし、
厳密な技術を競う競技にするならスピードだけとか、絶対に客観的数値に表せるものにすべきだ。
今の女子モーグルは非常に中途半端な採点によって成り立っている気がする。
だからこそ長野でやったから日本人が金を取ったりできるのだろう。

それならばエアはエアだけの競技にし、
ターン&スピードはそれだけの競技に分けた方がいいのではないかとも思える。
女子モーグルは見ていて非常にスリリングでおもしろい。
あれだけ観客を喜ばせた上村愛子の採点が低いのに、どうしても納得がいかないのは、
いくらターンがあまりよくなかったとはいえ、
採点方法の主観客観混在のあいまいさがあるからではないだろうか。


# by kasakoblog | 2002-02-10 12:44
2002年 02月 09日
たちわるい
仕事ができない奴に限って、変なプライドが高い
仕事ができる人間は、他人の言う事を素直に聞ける
その差は大きいんだな
最近の若いモンは、何もやってはいないくせしてプライドだけ高いからたち悪い
自分に自信の持てる能力がないから、変なプライドや虚栄心を持つんだ

生ぬるい環境で育って、食うもんも困らず贅沢三昧で、
親からかわいがれ、周囲からお世辞を言われ、
いつのまにか骨抜き人間が量産されちまった

かわいこぶってんのもいい加減にせい
豊かな時代はとっくに終わったのだ
今は生きるか死ぬかのサバイバルな時代
プライド持つ前に、自分の意識を高め、向上心を持て!
そうすれば自ずと能力なんて勝手についてくる


# by kasakoblog | 2002-02-09 12:45 | 働き方
2002年 02月 08日
ミネラルウォータ
ヨーロッパ、アジアを問わず、海外旅行に行ってお世話になるのがミネラルウォーターだ。
水道の水は日本人には合わず腹をこわしてしまうので、ミネラルウォーターを買うことになる。

ここで気をつけたいのがヨーロッパ圏によくある「ガス入りミネラルウォーター」である。
「ガス入り」とは炭酸入りのこと。
ミネラルウォーターを頼んだ時に「ガス入りかガスなしか」を確認しないと、
このとってもまず~い炭酸入り水が出てくるのである。

味のしない水に炭酸を入れた飲み物がうまいかどうかは、想像通り。
食事中にのどが乾いてレストランなんかで水を飲もうと思っても、
炭酸が入っているとどうにもむなくそわるく、ちょこっとしか飲めない。
中にはそんなに気にならないものもあるが、
どうせ炭酸にするならコーラなりスプライトにすればいいわけで、
水なら水で、炭酸なしの普通の水が欲しい。

ということで、くれぐれも海外では「ガス入りミネラルウォーター」に気をつけよう。


# by kasakoblog | 2002-02-08 12:46 | 旅行記
2002年 02月 07日
道路の歩き方を学校で教えろ!
ほんと日本は歩き方のわからん人間が多くて困る。
いつのまにか「車中心社会」になってしまった日本では、歩道が異常に狭い。
大概、2~3人通れるのが精一杯。
ということは、逆方向に歩く人も考えると、歩道は一方向一人までとなる。

にもかかわらず、この狭い歩道を目一杯2、3人で横に並んで歩くバカどもが絶えない。
後ろはつかえる。反対方向から歩く人が来てもどこうとしない。
僕なんかはもう10m手前で「おまえら邪魔だ」視線を送っているにもかかわらず、
ほんと直前になってもよけようとしない。
しかもこれが子供ならわかるが、以外にサラリーマンが多かったりするから、ほんとたちが悪い。
この「Gメン歩き」は法的に禁止すべきであり、厳しく罰した方がよい。
道路交通法違反で逮捕せなあかん。

あとはこの狭い歩道のど真中を一人でゆっくりと歩くバカがいる。
どちらも通れない。後ろから抜かすに抜かせない。
こういう周囲を考えない、自己中心的な歩き方をする人間が多い。
特にたくさんの荷物を抱えたおばさんが多く、仕方がないから無理やり狭い片側を抜かそうとして荷物に当たると、
「何、荷物にぶつかってんのよ、あんた」とものすごい形相でにらむから、たちがわるい。
「あんたがどまんなか歩いてるからだろうが、ドアモ!」と僕もすごい形相でにらみ返すわけである。
この「殿様歩き」も法的に禁止すべきであり、厳しく罰した方がよい。
道路交通法違反で逮捕せなあかん。

3人しか歩けない歩道。
右側に、僕とは反対方向にちんたら歩いている2人組の女の子。
僕は左を歩いていると、すれ違いざまにその女の子を抜かそうと、こちら側の進行方向に侵入してきたおっさんとぶつかった。
悪いのはこのちんたら歩いている2人組の女の子であり、次に悪いのは、反対車線に侵入してきたおっさんであるが、
そのおっさんは僕に文句を言ってきた。

この時、僕は「ぷちっ」と切れ、争い事を好まぬ平和裏解決温厚主義モードから、
インド客引き撃退モードに変身する(またの名を取り立てモード)。
「おい、何やってんだよ、いてえな」とおっさんが言う。
「何さらしとんじゃ、われ、よう見てあるかんかい、このボケが!」
僕のまじめでおとなしそうな外見をみてケンカを吹っかけてきたのだろうが、
それとは裏腹の僕のぶち切れモードにおっさん、かなり引き気味だ。

それでももしおっさんがかかってくるなら、こちらも容赦なく正当防衛で、
三沢光晴の必殺技・回転エルボーをくらわそうと、待ち構える。
歩き方のしらんやつに、思い知らせてやるいいチャンスだ。
僕は怒りと同時に、ここでそのうっぷんを晴らせることに顔がニヤついていたのかもしれない。
獲物がめぐってきて殺気に満ちていたのだろう。

そんな僕の様子を見て、おっさんは結局何も言い返せずにあわてて去っていった。
「畜生!やるんだったらかかってこい。でなけりゃ、いきがってぶつかるんじゃねえ。
正しい歩き方覚えてかかってきやがれ!道路交通法違反で即刻回転エルボーの刑に処すぞ」

インドにいると性格の悪くなっていく自分を感じていたが、それはどうも日本でもたいして変わりはないらしい。
小学校の低学年のうちに『狭い日本の正しい歩き方』を必修科目にした方がいい。


# by kasakoblog | 2002-02-07 12:47 | 一般
2002年 02月 07日
田中真紀子の底の浅さ
田中真紀子更迭問題がくすぶり続ける日本政治。
真相を解明して鈴木宗男や野上事務次官にもっと厳しい措置にすべきだとは思うが、
田中真紀子の実力もたいしたことはないなという感じを最近受ける。

もちろん他のくず政治家よりはましだが、はったりがあるだけであまり能力はない。
威勢がよくはっきり物を言うだけで駆け引きをしらない。
他人を攻撃することは容赦なくするが、自分が攻撃されると非常に弱い。
ヒステリックになる。
あれは野党の野次馬として威力はあっても、政権を担う閣僚としては器が足りない気がする。

いまだに田中真紀子の人気が高いのが不思議でならない。
本当に外務省改革をしたいなら、大臣を降りてからも新外相に協力すべき。
にもかかわらず、自分が更迭されたことを逆恨みして、政権批判だけにとどまり、
新外相に協力しない。

こういってはなんだが、あれは女のヒステリーだな。
小泉首相はそこを見ぬいて辞めさせたのだろう。
自分が辞めさせられたことで、腐って改革の足を引っ張る野次馬となった田中氏に、
将来田中首相なんて考えられないし、田中新党なんて作っても無意味だと思う。

ただそんなことはある程度わかっていたことだ。
小泉内閣発足当時、なんとしてでも国民の支持を得るために田中氏を外相に起用したのだろうが、
正直、官房長官なら適任だが、外相はどうかな?と疑問に感じていた。
そのはじめの判断ミスが、これまで尾を引いた原因となっているのだろう。

田中真紀子は大臣の器でも首相の器でもない。
自分の私怨で政治を空転させてはならない。


# by kasakoblog | 2002-02-07 12:46 | 政治
2002年 02月 06日
海岸列車
絡み合う人間関係と様々な展開に引き込まれた。
節々に見られる作者の思想が、登場人物を使って語られていく。
「海岸列車」という一つの象徴的なからくりを使って、
「生と死」を感じた人々が、懸命になって、それぞれの舞台で活躍していく。
人間は常に死と隣り合わせに生きている。
それに気づくからこそ、精一杯生きられる。BR> 会社の盛衰、死によるそれぞれの人生の急展開。
実におもしろかった。

ただ結末が納得いかない。宮本輝は書きすぎるのだ。
ああここでこの物語も終わったなというところでやめておけばいいのに、
終わり時を逸して書きすぎてしまうから不満が残る。

ちなみにあまりおもしろくなかった宮本輝作品「海辺の扉」「オレンジの壺」「螢川」も書評にアップしています。


# by kasakoblog | 2002-02-06 12:50 | 書評・映画評