apbankfesはエコイベントか?
2009年 07月 18日
apbankfesのどこかエコなのか。
出演アーティストだってエコっぽい人、少ないし。
そもそも大規模イベントやること自体が、エコに反している・・・
ミスチル桜井和寿と音楽プロデューサー小林武史が中心となり、
環境によい企業やプロジェクトに融資する活動などを行うapbank。
その音楽フェスティバル&エコイベントであるapbankfesが、
今日の前夜祭を皮切りに、明日から3日間開催される。
今年で5回目となる。
毎年開催される度に上記のような批判が繰り返される。
どこがエコなんだと。
アンチにとってはこれほど叩きやすいネタはないし、
一方、桜井崇拝者たちはかような批判は完全拒絶する。
私は、100%否定することも100%盲目的に信奉することも、
このイベントの開催趣旨や意図とは、
外れてしまうのではないかと思っている。
確かに、近年、出演アーティストの、
“エコイメージ度”は落ちているだろう。
開催しなければその方が環境にいいというのも、もっともだ。
しかし、特に昨年あたりから、
小林武史も桜井和寿もことさら「エコ」に、
ふれないように努めているように思えた。
それをアンチが見ると、
イベントやってもエコの話ねえじゃねえか、みたいなことになる。
しかしエコの定義が揺らいでいる今、
また、エコを新たな経済の起爆剤にしようと、
エコポイントだのエコ減税だの、エコが商業主義を帯び、
利己的な経済至上主義に取り込まれ、
ブームになっている今だからこそ、
小林武史も桜井和寿も意図的に「エコ」を、
口にしなくなったのではないか。
昨年の桜井和寿インタビュー記事でも、
「例えばCO2が地球の温度を上げているというのが
定説のようになっているけど、そうじゃない意見もあって、
ぼくはその意見にも耳を傾けたくて」
ということを言っている。
「地球に優しく」みたいな言い方にも、疑問を投げかけている。
彼らは音楽イベントで人を集めて、
エコを騙った政府や企業のように、
「みんなでエコしよう!CO2排出するのを少なくしよう!」
みたいなことをやっているわけではなく、
むしろそういう呼びかけは、
何が正しいかがわからない今の段階で、
危険ではないかとも感づき始めている。
しかも恐ろしいのは一部には盲目的な信奉者がいること。
もし桜井さんが「エコのためにクーラーの温度を上げよう」
なんて言った日には、どんなに暑かろうが、
クーラーを我慢したり涼しくない状態で我慢する輩が、
出てこないとも限らない。
そういう影響力の恐ろしさを知っているからこそ、
何か具体的なことをしようという呼びかけは、
極力イベントでしないようにしている風に見える。
じゃあだからといって何もやらないかというと、
別にそういうわけでもなく、
単なるお祭り騒ぎの夏フェスと違い、
ライブエリアの外には、今の時点で彼らが考えたエコ基準に照らし合わせて、
実際に融資した企業が出店し、食べ物や衣料の販売を行っていて、
そこでエコとは何かを考える“きっかけ”をつくっている。
apbankfesの「エコ」活動とは、
逆説的な言い方かもしれないけど、
何がエコなのかを一人一人が考える場を設けることにあるのではないか。
また小林武史の方は、我慢をせず快適なエコ、
ということを言い出している。
まあそういう言い方をすると批判はいかようにもできるが、
人間と地球の共生ができる持続可能なレベルとは何かを、
模索する活動がエコであって、
人間の生活が持続できない状態がエコなら、
そんなエコ活動は人間がやる意味がないんじゃないかと、
言いたいのではないか。
つまりクーラー我慢して熱中症で死んでしまうのはエコではない。
フェスをやらない方がエコだというなら、
人間そのものの存在がエコじゃないという話になりかねないから、
そういうレベルでのエコは考えない、ということだろう。
そして何よりも、彼らのイベントの主眼は、
エコからレゾナンス=共鳴・共振へシフトしている。
共鳴・共振というとわかりにくいけど、
ようは、みんなどんな人も草木も動物も地球も、
犯罪者も国家も外国も、みんな“つながっている”ということ。
つながっているから、一人一人の些細な行動が、
それはやがてはすべての“環境”に作用する。
それを何より伝えたいのではないか。
「僕らは連鎖する生き物」であることに気づいてもらい、
それを認識できるよう、一堂に会したフェスを行い、
そこにファンやアーティストや融資企業が集い、
人が連鎖し合い、共振し合うことを確認する。
彼らの「環境」とは単なる「自然環境」ではなく、
「社会環境」を指しているのではないか。
自然にいいことだけが「エコ」じゃなく、
人間の社会的生活を営む上でのいいことを、
みんなで一緒になって考えていきましょうというのが、
このフェスの最大の目的だと思う。
ただ今、私が書いたようなことを、
フェスでああだこうだと話されたところで、
なかなか耳にはすっと入ってこないと思うし、
そんな説教じみた話を聞くために、
わざわざ時間とお金をさいて来ているわけじゃないし、
だからこそ、そこに音楽という、
楽しむ仕掛けが全面に押し出されている。
音楽を通じて何かを感じ取る。
でも音楽だけでは伝えきれないからこそ、
会場にさまざまな仕掛けがある。
我慢させるエコではなく、
楽しい気分にさせるエコ。
それができるのが音楽によるレゾナンス=共振なのではないか、
とミュージシャンである彼らが考え、
かような“エコ”イベントを行っているのだろう。
そのような意味では音楽というのは、
使い方を間違えば“洗脳”にもなりかねない、
ものすごく大きな影響力を持っている。
だからいろいろなアーティストを呼ぶことで、
一方的な思考を植えつけるのではなく、
コインの表裏を見せてやる手法がとられている。
特にそれはミスチルの昨年のセットリストに顕著に表れ、
単に“エコっぽい”ような優しい歌をちりばめて、
いい気分にさせるだけではなく、
「フェイク」「掌」のような、耳にひっかかる、
ざらっとした曲を交えることで、
みんなに同一の方向を向かせる、
“エコごっこ”“エコ洗脳”“環境至上主義”にならないよう、
気を使っているのではないか。
昨年はapbankfesの速報ステーション記者として4日間参加したが、
今年は残念ながら速報ステーションはなく、
観客としてもフェスへの参加の予定はない。
ただ毎年、決まった日に、
必ず同じ場所で同じイベントが行われ、
そこで1年に1回集える機会があるというのは、
素晴らしいことだと思うし、やる方も大変なことだと思う。
フェスに行く人はぜひ熱中症だけには十分気をつけて、
存分に夏の思い出を楽しんできてほしい。
いいな~つま恋!
Bank Band、新曲を配信限定リリース!
「奏逢 〜Bank Bandのテーマ〜」Bank Band
君の描く『幸せ』ってどんなもの?
僕とは少し違っているようだけど
時々こうして
同じ歌をうたって歩いてく
この時間僕らは幸せ
これで『完璧』だって言えるもの。
そんなもの、この世界にありはしない
少し不安定だけど
愛する人と共に生きてる
それで十分な幸せ
君と僕を繋ぐ音 大空に響いて飛んでけ!