何もないけど何かある伊座利
2009年 07月 27日
“何もないけど何かある伊座利”
思えば、都会は、
「いっぱいあるけど何もない」のかもしれない。
だから何かを求めて漂流したり、
物欲に満たされながら、どこか心が虚ろだったり、
何をやっても満ち足りない人たちが多いのかもしれない。
人口約120人。
三方を山々に囲まれた陸の孤島、
徳島県の小さな漁村・伊座利。
交通の便は最悪。
商店が1軒。カフェが1軒。
観光名所もなければ、残念なことにお遍路の寺もない。
3月に偶然、仕事で訪れたこの場所を、
7月に個人的に再訪することに、
ちょっぴりためらいがあった。
考えてみれば何もないじゃないかと・・・・・・。
しかし再び訪れて、
伊座利の人たちに囲まれて、
この漁村がキャッチフレーズにしている、
「何もないけど何かある」という意味が、十二分にわかった。
そう、まさにその通り。
ここは何もないけど何かある。
だからまた来たいと思ってしまうのだ。
でもそんなこと言われたって、
行ったことのない人にとって、
この漁村の魅力は何だかわからない。
「何かある」の「何か」とは何なのか。
私なりのその答えが、伊座利のおっちゃんたちだった。
ここのおっちゃんたちはおもしろい。
来るものを拒まず、去るものを追わない、
適度な距離感で異邦人を迎え入れてくれる。
閉鎖的な感じはまったくないけど、
だからといって外の人を過剰に接待することもない。
荒くれ者の漁師という感じはまったくなく、
それぞれがマイペースで適度につきあってくれる。
話すとおもしろい。
なぜおもしろいかというと、
村の未来を考え、実践的行動に移しているからだ。
子供が少なくなり村の学校がなくなる危機に瀕したことから、
村のために何をしたらいいか、
みんなが集まっていろんな話をし、
「海の学校」というイベントをしたり、
カフェをつくったり、漁村留学をすすめたり、
都市の人と交流を図ったり、いろんなことをしている。
その考えと行動が実を結び、廃校の危機はまぬがれ、
子供たちの人数が徐々に増えてきている。
“何もないけど何かある”
伊座利の「何か」とは、
このおっちゃんたちの魅力ではないか。
だからおっちゃんの写真ばかりを撮った。
おっちゃんたちの顔からにじみでる“何か”を感じてもらえたら、
きっと伊座利の魅力の一端を、
わかってもらえるのではないかと。
大阪に勤めていて、毎月、伊座利の実家に、
帰ってくる人がこんなことを言っていた。
「今の都会の人たちは、笑顔がない。
笑えないから生活がつらくなり、
心の病にかかってしまったり、自殺してしまったり、
自暴自棄になって凶悪犯罪をしてしまったりする。
でもこの伊座利に来ると、みんな笑っている。
だから1ヵ月に1度、この伊座利に来ると、
自分自身も都会の心の疲れを癒すことができ、
また都会の生活をがんばろうと思える」
おっちゃんたちの写真を見て驚いた。
笑っている写真が異様に多いのである。
特に意識して笑顔の写真を狙ったわけではないのに、
笑顔の写真ばかりが写っている。
つまり、いつも笑ってばかりいるのが普通なのだ。
仕事を終えると、漁協組合の前の“たまり場”に、
人が集まってきて、ビール片手にバカ話に花を咲かせる。
よく笑う伊座利の人たち。
漁村の危機を乗り越えて、
もちろん今でも悩みはあるだろうけど、
人生楽しまなきゃ損、やりたいことやらなきゃ損ってな感じで、
人生を肯定的に捉えて、前に進んでいくために、
実際に行動に移していけている人たちだからこそ、
笑顔がたえないのだろう。
人生を悲壮感漂う旅路と捉えている感じはない。
にこにこしながら生きている。
そんな笑顔とその空気に魅せられて、
伊座利のファンになり、
何度も訪れたり、応援したりする人が増えている。
「何もないけど何かある」。
おっちゃんたちの笑顔を、たっぷりとご覧ください。
伊座利おっちゃん写真
http://www.kasako.com/0907izarifoto1.html