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椎間板ヘルニアドキュメント3

椎間板ヘルニアドキュメント3です。



7・16:16日目
●病室引越
退屈の絶頂期にささやかな変化が。
病院の他の患者の都合で、病室を移動することになったのだ。
窓側になれたわけでもなく、今までと反対向きになったぐらいで、病室の構造に何ら変わりはないが、
若干の変化でも、退屈の極みに達していた僕にとっては、ありがたかった。
それほどまでに入院生活というのが単調なのだ。

●やっぱり2週間
手術後2週間は寝たきり・・・
そんなの最長期間で10日もすれば大丈夫だろうと思っていたが、やっぱりだめみたいだ。
まあ仕方がない。
退屈で不自由だが、日にちは確実に過ぎ去っている。
もう少しおもしろいテレビ番組さえ多ければいいのに、
ほんとつまらん、くだらん番組が多いことに改めて気づく。
ニュースでさえも結局朝・昼・夜と同じことの繰り返し。
入院が1ヶ月早ければ、サッカーたっぷり見れたのになあ。

●監獄と病院
病院を時折監獄にたとえたが、どちらも体なり精神なりに病を患った人を治療させるわけで、
そのために世間と隔離するわけだが、日常生活に戻っていくには、
隔離された特殊空間の中にも、日常性を取り入れることが大事だなと感じた。

僕は腰痛で入院し動けない状態でいるわけだが、入院している約1ヶ月の間、
外を見ることもなければ、陽の光にあたることもなく外気にふれることもない。
これじゃあ、せっかく治療して悪い所を直したとしても、他の病気になってしまう。
ましてこれが内科的な病気ならなおさらだ。
「病は気から」であるなら、外も見れずに病室におしこめられていたら、治るものも治らなくなるのではないか。

テレビで東京拘置所の様子をやっていたが、まああんな独房に入れられたら、
更生なんてできず、余計神経ひんまがるよ。
独房にはトイレがついてるんだけど、しきりがない。
つまり毎日トイレを見ながら生活してる。
死刑とか終身刑の人にはいいかもしれんが、
他の人は悪いことしたのはわかるけど、何年かしたらまた社会に復帰するわけじゃないですか。
そんな劣悪な環境に入れられて健全な精神が育まれるかは、非常に疑問なわけです。

劣悪な環境にぶちこんでおくことが罪の償いになるとは思えない。
別に悪いことやった奴に快適な環境を提供しろといってるわけじゃない。
犯した犯罪に見合った償いをさせて、それが社会にプラスになればいいわけで、
そういう罪の償わせ方をさせれば、トイレにベニヤ板1枚でもしきりをつけてあげればいいし、
防犯面で難しいのかもしれないが、外が見える窓も必要なんじゃないか。
でなければ、単に独房に入ることだけが罪の償いになり、
その行為は何ら社会的なプラスにならないばかりか、
余計に彼らの精神を陰気なものにさせるだけであって、彼らが出所した時のことを考えると、
絶対にふさわしくない更生環境といえるのではないか。

●ぷよぷよ
足のふくらはぎがぶよんぶよん、たるんたるんなのに驚いた。
まあ当然の帰結なんだけど。だって1ヶ月近く歩いていないし、ここ2週間は立つことすらしていないのだから。
今、中国のダイエット食品が問題になってるけど、僕のこの事例を見ればわかるように、
ようは食べて運動しなければ、脂肪が増えてぶよぶよになるということだ。
へんちくりんなダイエット法やダイエット食品によるダイエットではなく、
ようは食った分だけ動けばいいんだ。
「運動」なんていうから大変そうだけど、歩く距離を毎日増やすだけでも全然違う。
涙ぐましい食事制限やまやかしのダイエット法に時間を割くなら、
通勤・通学で一駅でも歩いてみるとかすれば、毎日のことだから効果的だろう。
まああのダイエット食品の問題は、太ってもいないのに「ダイエット」と騒ぐ、
アホな女性を逆手に取った事件という側面もあるけど。

●虚
今日もまた、ただ何もせず寝ているだけの時が流れた。
世間ではとんでもないスピードで物事が流れていて、
僕もその流れにかなりのスピードで突っ走ってきたけど、もうそれははるか昔のこととなった。
普段では考えられない21時消灯という毎日の中で、僕は暗闇の天井をじっと見つめている。
こんなところで何やってるんだろうか・・・
一日も早く普通の生活に戻りたい・・・

夜になるとなぜか眠れなくなる。
いろんなことが頭をよぎり、静寂と暗闇に反比例するかのごとく、頭がどんどん冴え渡っていくのだ。
今日もまた眠れぬ夜を過ごす。
入院生活が1日1日と伸びるにつれ、焦りや不安ややるせなさや苛立ちが募っていく。

すっぽりとはまってしまった虚ろなエアポケット。先の見えない暗闇のトンネル。
僕はいつこの悪夢から逃れられることができるのだろうか。

7・17:17日目
もう入院して17日が過ぎた。
確かに退屈ではあるが、こんなに日がたつと、この怠惰な入院生活に慣れてしまったようなところもあり、
意外と月日がたつのも早いなとも思う。
手術後最大の懸案事項であった大便も、
今じゃちゃっかり看護婦に内緒で起きあがりすんなりできるようになった。
2時間あまりも苦しみ、座薬に浣腸に、それでもだめで起きあがってしまった頃の僕とはもう違う。
不便なら不便なりに、そこでの容量のいい方法を覚えてしまったからだ。

まあでもうれしいことに、明日が起きあがっていい約束の術後2週間。
何も明日まで待たなくてももう大丈夫かと思われたが、
抜き打ちで、しまも熟睡してる時に限って先生が来て、自分のいいたいことだけいって、
僕が何か言おうとすると、それを先回りするかのごとく、
「しばらくこのままでいてください」
と捨てゼリフをはいて去ってしまう先生に何もいえなかったからだ。

でも僕はどうしても「立ってみたい」という衝動を抑えられず、
看護婦の目を盗んでちょっと立ってみようと試みたが、足が震えて立つことはできなかった。
一刻も早く日常生活に戻りたい。
そんな気持ちでいっぱいだ。

<ドキュメント6:リハビリ~退院(7/18~24) >
7・18:18日目
●歓喜!
待ちに待った起き上がれる生活。
今までただひたすら寝たままを指示していた先生がやってきて、
コルセットをつけて起き上がっていいとのお墨付きを得た。
しかもそれだけではなかった。なんと歩くことも許されたのだ!
といっても立ち上がるだけでちょっとふらつく今の僕は、
当然すぐには歩けないから、リハビリ用の歩行補助器を使って、
な、ななんと、トイレにいくことも許された!
これでベッドでうんちしなくてすむ!それが何よりうれしかった。

2週間寝た後は、まず起き上がるだけで、まだしばらくベッド生活が続くのかなと思ったが、
一挙に歩くことを許されて、もううれしくてうれしくて仕方がない。
歩けることで大喜びする・・・ほんとに健康であることの喜びを味わった。
歩くことなんて普段じゃ当たり前のことなんだから。それで大歓喜できるのだから。

さすがに寝たままでノートパソコン打つより、ちゃんと座って打った方がはるかに早い。
思いつくまま文章を書ける喜び。
こうして僕は2週間寝たきりという拷問に等しい生活から脱出できた喜びを、存分に味わっていた。

シャワーも浴びれる。歩けるからホットコーヒーも飲める。
トイレにもいける。座ってテレビを見れる。座って飯を食える。ああなんて極楽・・・

寝たまま、テレビをみ、本を読み、パソコンを打ち、電話をかけ、食事もし、トイレもする。
こんな辛いことにも慣れはじめた2週間。こんなにうれしい瞬間はない。
とにかくいち早く病院内を歩き回って筋力を復活させ、退院を願いたい。

●5分で筋肉痛
歩行補助を使って、空調の効いた快適な環境で、
何の障害物もなく、人通りもなく、平坦な道をわずか5分歩いただけで、早くも筋肉が痛い。
思うに、ドラマや映画などで監禁されたところから脱出するというシーンがあるが、
狭い部屋に2週間もおしこめられていたら、筋力弱って歩けないですよ。
まして走って監禁者から逃げおおせるなんて絶対に不可能。
最近の事件でも、長期にわたり監禁する事件があったけど、もし手足を縛られて動けずほっておかれたら、
いくら鍵が開いていても自分で脱出することなど不可能に近い。
「歩く」なんていう当たり前のことでも、ちょっと動かなければ簡単に人間の筋力は落ち、骨抜きにされてしまう。
いかに毎日の何気ない継続が大切かを知るいい勉強だな。

しかし、レーザーなんぞやらずにはじめから切開手術すべきだった・・・
手術後2週間。足のしびれもなく、痛みもない。嘘のように背筋を伸ばしてまっすぐ歩ける。

●人間の欲望は尽きることがない。
立てた、歩けた喜びもあっという間に終わり、1日も早く退院したいという焦燥に駆られている。
なんだか3ヶ月アジアを旅行した、旅の終わりに似ている。
目の前に迫った日本帰国を前に、やりたいことを列記し、
1日も早く、それを実行に移していきたい衝動に駆られている。
生き急ぐ僕に、旅や入院という空白を神がプレゼントしてくれたものの、
その空白は、逆に空白後の反動となって、ものすごい勢いで行動力を増幅させる結果となる。
つまりは結果、また生き急ぐことになるのだ。
当たり前のことが当たり前にできない入院生活の中で、
あれもしたい、これもしたいという想いが、普段の何倍にもなって爆発しそうだ。
だからこそ退職しなければ時間がないんだろうな。

7・19:19日目
●自分で何でもできる喜びはこの上ない。
人にやってもらえば何かと気を使う。
朝、パンが出るのだが、トーストするなら給湯室に行かなくてはならない。
さすがに忙しい看護婦にトーストしてくれとは頼みにくい。
それだけでなく、頼んだはいいものの、いつになっても来ずに、
朝食をいつまでたっても食べれないという状況も、十分考えられる。
そうなれば、仕方がないけど、トーストはあきらめようと思う。まあたいした問題ではないのだから。

でも自分で動けるようになり、誰に気兼ねすることもなく、自分のペースで物事を行える。
たかがトースト、されどトースト。
そしてまた、食後に一杯のコーヒーも、2週間ぶりの飲める。
夏だろうがほとんど冷たい飲み物を飲まず、ホットコーヒーばかり飲んでいる僕には、
2週間の禁ホットコーヒー生活は辛かったけど、歩けるようになれば、自分で何でもできる。

そして2週間ぶりのホットシャワー。
気持ちいいな。
この2週間、頭を洗ってもらったのは2回。体はおしぼりでふく程度。
それが熱いシャワーを浴びれるのだから、ほんとこの上ない喜び。
ほんとなんだか旅のよう。
安宿を泊まり歩いて、いちよシャワーはついているものの、熱湯などでるはずもなく、
ぬるま湯シャワーで何日も過ごしていていると、「日本に帰ったら風呂に入るぞ!」と願う。
まったくそんな状況に似ている。

ホットシャワーといえば、ネパールの安宿選びで、ホットシャワーが出るところをと選んだりして、
旅先で知り合った人が、「ホットシャワーでるの?!」と驚き、
僕の部屋のシャワーを浴びにきたりもした。
それほどまでに熱湯で浴びれるシャワーというのは、
単に体を洗うという意味以上に、大きな活力となるのだ。

自ら選んだ旅ではなく、強制的に入れられた病院での旅は、もう終わりに近づいている。

●ひたすら歩く
今日はかなり歩いた。
というか2週間寝たきりで、昨日歩き始めたばかりとは信じられないぐらい歩いた。
歩行補助器を使わずに結構歩いた。20分も歩くと足のあちこちが痛い。
筋肉痛なのだろう。でも僕は歩く。
だって下界で歩くことはこんなもんじゃない。
階段はある。立ちっぱなしの状態もある。
人混み、暑さ、障害物、昇り坂、下り坂・・・
今は病院で歩けるだけ歩く。

看護婦からさんざん「歩き過ぎ」と言われたが、とにかく歩く。
病院内で歩いた距離なんて知れてるのだから。
もちろん筋肉痛は覚悟の上。今はとことん痛みつける。
ここでしか安全な環境でのリハビリはできないのだから。
痛みに痛みつけて、負荷をかける。ガンガンに筋肉痛にして、それでも歩き続ける。
肉体が思い出す。新たに筋肉が再生する。
だから僕は、ひたすら歩く、歩く。

●カップラーメン
ほんとここの夕食はへぼい。典型的な和食で、腹にたまりそうもない。
年配の人は喜びそうなメニューだが、若者には到底絶えがたい。
とりあえずごはんとみそ汁とメインの魚を食べると、
さっさと食器を下げ、いよいよ本当の夕食がはじまる。
寝たきり生活時は、ポテトチップスを夕食の足しにしていたが、
本来ポテチはおやつであって食事の足しにするものではない。
食事をたらふく食べた後、別腹で食うものだから、
空腹時にポテチを食べるのは邪道であり、あまりおいしく感じない。

ところが自分で動けるようになったものだから、見舞いに来た人にカップラーメンを買って来てもらった。
給湯室にいって熱湯を注ぎ、3分待つ。
そして手術前日に脱走してラーメンを食べた以来、約2週間ぶりにあたたかい麺をすする。
食べたのは日清のカレーカップヌードル。

う~ん。最高!
ほんと涙が出るほどうまかった。
とことんジャンクフード世代なのだなと思いつつ、
しょうもない夕食出すなら、カップラーメン一つ出してくれればいいのにと思う。

食事を残してカップラーメンを食べる不届き者などこの赤坂の病院にはいないわけだが、
川崎の病院にはそんなのがわんさかいた。
僕の前のベッドの人は、必ず昼は、病院の食事に一口も手を出さず、カップラーメンを食っていたし、
隣のおやじは、マヨネーズやらしょうゆやらソースやら、調味料をすべて取り揃えていて、
うす味で味気ない病食を自分で味付けするだけにとどまらず、酒も看護婦にばれぬよう飲んでたりもした。
まあそんな雰囲気を踏襲して僕もここでカップラーメンを食べているわけだが、
赤坂の病院だとどうもその行動は浮いてしまって心苦しいものの、
そんなことよりカップ麺を食える喜びの方が勝ってしまうわけである。

7・20:20日目
●起き上がり3日目
今日は歩行補助器なしでの単独歩行のリハビリ中心となる。
しかし歩く場所は病院の1フロワーで単調この上なく短い。
かつ看護婦の目につき心配されるのでこれでなかなか歩きにくい。
こんなことで歩いて喜んでいたらいけない。
シャバで歩くには、もっと複雑な状況で歩かなければならないのだから。
歩く場所がつまらないということもあるが、20分が限界だな。
それ以上やるために歩行補助器を使って、CDを聞きながら40分歩いた。

今、僕は何をやるべきか。
手術後、僕の仕事は、ただひたすら我慢して寝続けることだった。
それが治療上で僕の最もやるべきことだった。
そして今、起き上がっていいと言われた僕がやるべきことは、とにかく歩くことなのだ。
だから僕は時間のある限り、自分で無理をしない範囲ながらも、120%力を出すことを目標に歩いている。
安全に気をつけて歩くことと、長く歩くことはイコールではない。
7、80%程度の力にとどめておけば、単なる足ならしに過ぎず、
日常生活に向けて(実戦に向けて)のリハビリにならず、リハビリのためのリハビリになってしまう。
だから筋肉痛になるまで120%力を出しきるところまで歩いている。

ところがそんなリハビリ姿を見て、ことごとく看護婦が遠回しにやめるように言うのである。
特に今日はひどかった。
2日目に短い距離で歩行補助器なしで何度も歩いており、
その姿を主治医も知っていて、特に何も言われていないのに、
「歩行補助器を使って歩いてください」と言うのだ。

おいおいそんなもん、昨日で卒業したんだよ。
いつまでもちんたらリハビリで、毎日莫大な入院費とかかる病院にとどまっているわけにはいかないんだ。
入院にコストがかかっていることを忘れてないか?私は金持ちではないのだよ。
いつまでも入院しているわけにもいかず、時間も無駄に過ぎていく中で、
起き上がった僕がやるべきことは、ただひたすら歩くことなんだ。
どうもその点を看護婦はわかっていない。

心配してくれるのはありがたいが、どうもこの手の心配は、僕の心配というより自分の保身くささが漂う。
自分が担当の時に何かあったら大変だ。余計な手間をかけたくない。
リハビリしてる最中に何度も声を掛けられ、歩くことを反対されればされるほど、
リハビリはしにくくなり、歩くことに集中できず、看護婦の目にとまらぬようにしようだとか、
ナースステーションの前は早く通りすぎようとか余計な気を使う結果となり、
看護婦が余計な心配をすればするほど、僕は安全に歩くことから遠退くのだ。

その点、ベテランの看護婦や主治医は違う。
僕が歩行補助器なしで歩いているのを見ても、「気をつけて」と口先だけでなく、
まずコルセットがきちんと着用されているかを見てくれる。
その上で、「あまり無理せずかんばってね」と言われると、
ああこの人は他の看護婦と違って、患者のことを思って言葉をかけているなとわかるのである。

こんな風にしてせっかくのリハビリも、バカな看護婦のせいで思う存分できず、
苛立ちが募る中、バカな看護婦がいる時には目立たぬように秘密特訓せざるを得なかった。
まあでもそんな彼女らの言葉を「はい」と言いながら、なかば無視して、僕はどんどん歩いている。

なぜなら、今僕がやるべきことは、ベッドで寝ていることではなく歩くことなのだから。
病院内でいくら歩いたって、町を歩くのとはわけが違う。
外は暑さ、人混み、階段や坂、でこぼこな道や障害物、車や自転車など、
極めて高度な歩行技術を要するわけで、クーラーの効いた、何の障害物もない、
カーペットがしきつめられた道をいくら歩いたって、
筋肉痛になるだけの話で、本当のリハビリには程遠いのだから、
せめてこんな安全な環境で歩けるだけ歩いておくのが、僕の今最もやるべきことなのである。

僕だってつぶやき書いたり、本を読んだりしたいのはやまやまだが、
それではコストをかけて今、僕が病院にいる意味がなくなってしまう。
とにかく今は歩くこと。
バカな看護婦、自分の保身ではなく本当の意味で僕の心配をしてくれるなら、
つまらん単調な1フロワ-だけのリハビリコースだけでなく、
もっと他のコースを用意することぐらいしてくれるのが、本当の意味での患者への心配というべきだろう。

7・21:21日目
●秘密特訓2
2週間ぶりに起き上がってリハビリ4日目。
例のごとく、フロワ-を所狭しと何周も回っていたのだが、今日は日曜日なのに入院患者が続出で、
看護婦と廊下で話す患者の前を何度も通るのは悪いなと思っていた。
そんな状況下ではてどうしたものかと迷った挙句、
とりあえず歩きの訓練ではなく、外の暑さ対策をしようと切り替えた。

昨日も5分ほど外に出ていたのだが、それではほんの暑さならしにもならないので、
14時の検温までの20分、外に出て暑さに対するリハビリを行おうと、
さっそうとエレベーターに乗って外に出た。

昨日外に出た時よりはるかに暑かった。なんたって午後1時過ぎなのだから。
しかしその暑さがなんとも心地良かった。
ただ外に出てつったっているのはつらいので、リハビリがてら病院の回りを少し歩こうと考えた。
赤坂の日曜日にはほとんど人通りもなく車も通っていない。
しかもこの暑さ。僕のリハビリにはもってこいだ。
僕は気持ち良く暑い日差しを受けながら、約1ヶ月ぶりとなる外の散歩を楽しんだ。

さすがに外は恐い。院内を歩くとのは全く違う。
こんなにも下界とは恐ろしいところなのかと、想像以上のギャップを感じた。
普段気にしないなだらかな坂でさえ歩くのがしんどい。
歩道を歩くことはままならず、障害物を避けながら、車や自転車に後方を注意しながらゆっくり歩く。
気持ち良いと感じた日差しは容赦なく照りつけ、
1ヶ月ぶりに外を歩く僕の体力を急激に奪っていく。

病院内を歩いている時から、ここで歩くのと外で歩くのとは全く違うことを頭ではわかっていたが、
ここまで違うとは思ってもみなかった。
僕は荷物さえ持っていないのに・・・。

病院内で1時間歩くより、実戦の場で歩くわずか10分足らずは、貴重なリハビリだった。
外出許可はもちろん出ていないし、
歩行補助器なしで騒ぎ立てる看護婦連中に何を言われるかと怯えながら歩くのは、ほんと緊張の連続だ。
もしここで何かあったりしたら、「ほらみろ!」と言わんばかりに総攻撃させる。
そんなことになってはならないと、実に緊張しながら歩いた。

でもやっぱり太陽の日差しは気持ちいいよ。
クーラーの部屋に閉じ込められると、ほんと体に悪い。
外の緑に心洗われ、夏の日差しに季節を感じる。
僕の大好きな夏がやってきたことを、やっと今になって実感できたのだった。

つづき
http://kasakoblog.exblog.jp/10741009/

by kasakoblog | 2009-07-31 00:03

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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