長崎原爆の悲惨さ
2007年 07月 01日

原爆資料館を見たばかりの私にとっては、
久間防衛相発言は、一部気持ちはわからないでもないけど、
その場の凄惨さを知らない、無知な発言だなと思った。
先週、長崎の原爆資料館を見たばかり。
強烈な印象に残っているのは、
原爆が落とされたせいで丸焦げになった人の死体の写真。
私はまともにその写真を見つめることはできなかったが、
国民として、これから政治をめざすものとして、
この写真を避けてはいけないのではないかと思った。
どんな理由であれ、原爆に限らず、戦争は許されてはならない。
しかし、そうはいっても同じ過ちを繰り返している世界。
思うに、世界のすべての軍人・政治家は、義務として、
長崎・広島に行き、原爆によって丸焦げになった人の死体の写真を、
10分間、凝視し続けるべきだと。
そしたら、世界は、もうちょっと平和になるんじゃないかと。
久間防衛相にしても、
アメリカ・ロシア・イスラエルを筆頭に、
軍事力で有無を言わせぬやり方をする政治家や軍人にしても、
被爆写真を見たことがないんだと思う。
この写真を目の前にしたら、
人が人を戦争によって殺すことの愚かしさに気づくはずだが、
お偉い方々の「大局観」はそんなことは考えていないわけだ。
だから平気でああいう発言をしてしまう。
ただね、ちょっと気をつけなければならないのは、
なんでもかんでも自民反撃ムードを煽るために、
久間発言を大きく取り上げて批難することは、
それはまたそれで少し意味が違うような気がする。
マスコミは文脈を取り上げず「原爆を落とされたのはしょうがない」
という部分だけわあわあ騒いでいるが、発言の文脈は、
先の大戦に関し、アメリカの広島、長崎への原子爆弾投下が、
日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘。
その上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、
あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている。
それに対して米国を恨むつもりはない」と述べている。
彼を擁護するつもりは毛頭ないし、誤解を生む発言だろうし、
被爆者に対する配慮がものすごく欠けた発言ではあるけど、
言いたいことはわからないではないわけです。
彼が語っているのは結果論。
原爆投下→日本降伏→ソ連侵攻ストップ。
それは結果的にしょうがなかったんじゃないかという発言は、
別に原爆を落とされた方がいいといっているわけではないのだから。
私が危険だと思うのは、原爆投下をすべてアメリカのせいにすること。
確かに落としたのは紛れもなくアメリカで、
どんな理由であれ落としたアメリカの責任は、
どんな罰を食らわしても償えない、
人類史上最大の大罪といってもいいわけだけど、
そういう状況に日本を追い込んだのは、
アジア侵略、軍国主義政策を徹底して進めてきた、
当時の日本政府のやり方にあるわけで、
日本政府や軍部の責任は非常に大きいわけです。
もし原爆というものすごい強烈なインパクトがなかったら、
当時の日本は、ほんと日本人がこの世から全滅するまで、
無謀な戦争をやめることなく盲進していったに違いない。
原爆の悲劇を二度と繰り返さないためにも、
安倍のような軍国<美しい国>主義者はダメなわけです。
そういう政治家がいるから、
他国から原爆を落とされるような遠因を作ってしまう。
国民もマスコミも都合のいいことは忘れ、
ムードに流されやすいわけだが、
久間防衛相は、イラク戦争をめぐり、
アメリカ政府批判を堂々とやってのけた数少ない日本の政治家の1人である。
就任以来、イラク戦争に強く疑問を投げかけ、
「(イラクに)核兵器がさもあるかのような状況で、
ブッシュ大統領は踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていたと思う」と、
アメリカの犬になりさがっている日本の政治家らしからぬ発言をしていた人物だ。
別にだからといって今回の配慮のない発言が許されるわけじゃないけど、
こうした発言をしていることも知らずに、
ただ、ムードに流されただけで、この発言を批難することこそ、
かつて過ちを犯した日本のように、
ムードに流され国民全体が無謀な戦争に突っ込んでいった、
過ちを繰り返しかねない。
お気づきだろうが、久間「防衛庁長官」は、
いつのまのか「防衛大臣」に変わった。
防衛庁を防衛省に無理やり強行したのは誰か。
そちらの方に批判の矛先を向けないと、
ほんと日本は同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
長崎でノラ猫写真を撮影している時のこと。
カメラを構えている私に通りすがりのおじさんが、
「いい写真は撮れましたか?」と声をかけてくれた。
「私はもう76歳になるんです」
60歳ぐらいにしか見えなかったので私は、
「そんな歳には見えませんね!」と、
単なる歳自慢と勘違いしてしまったのだが、
その後の言葉に、彼の真意が理解できた。
「原爆が落とされた時にも私はここにいたんです・・・」
はるか遠く過去の出来事と思いがちな「戦争」「原爆」だが、
実はそう遠い過去の話ではないのだ。
こうして被爆経験をした人が今もなお生きている。
つまり、現在進行形の大きな問題なのだ。
アウシュビッツや長崎、広島に行き、
人類の過去の過ちをこの目で見れば、
おかしな発言やおかしな政策やおかしな戦争はしないはず。
実際に足を運び、過去の悲惨な現実に、
自分の目を向けることの大切さを思った。
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