夢はなぜ実現しないか
2009年 08月 13日
自分がしたいこと=夢が実現しない、
大きな理由のひとつは、自分であきらめてしまうこと。
ただ最近、もう1つパターンがあるのではと思ったのが、
この「途中で満足してしまうから」。
途中まで結構がんばっていて、
夢に手が届きそうなところまで、
行っているにもかかわらず、
その後、伸び悩み、最終的な夢が実現しないのは、
きっと本人が「もうこれでいいや」と、
あきらめたんじゃなく、満足しちゃったんじゃないかと。
たとえばすごく単純な例でいえば、
年収2000万円をめざす!と思っていた人が、
年収1000万円ぐらいで「もうこれで十分じゃん」って思うとか、
社内の出世争いで「社長をめざす!」と思っていた人が、
部長ぐらいまで昇進して「もうこれでいい」って思うとか。
山登りにたとえるとわかりやすい。
はじめは頂上まで登ることをめざしていた。
あきらめず、努力を重ね、
山の中腹まで登ってきた。
中腹で休憩し、
さあめざすべき頂上まであと少し、
というところで、こう思ってしまう。
「ここからの景色でも十分すごいじゃん。
だからわざわざ頂上まで登る必要ないんじゃない」と。
頂上まで行けば(夢の実現)、
きっと素晴らしい景色が広がっていることはわかっている。
でもそこに行くには様々な困難が待ち構えている。
これからさらにつらい思いをしなくても、
中腹で結構景色がよくって、
もうこれまで努力してきたんだし、
もうこの辺で十分と思ってしまう。
だから夢の実現を目前にして、
中腹で休憩したまま、
頂上に登らなくなってしまう。
途中で満足してしまうことが、
いいことなのか悪いことなのかはわからない。
さらに頂上までめざせば、
途中で事故にあってしまうかもしれないし、
遭難してしまう危険性はある。
でも中腹ぐらいで満足すれば、
もうそういう危険はなくなる。
中腹ぐらいで満足する程度の夢だった、
ということも考えられる。
別に頂上からの素晴らしい景色でなくても、
そこそこ素晴らしい景色ならいいと、
実は前々から思っていたからかもしれない。
最後まで頂上まで登りきろうという気力は、
そう続くもんじゃない。
中腹の素晴らしい景色にも満足せずに、
「もっと素晴らしい景色を見よう」と、
モチベーションを維持するのは大変なことだ。
夢がある程度実現すれば、
人はそれで満足してしまう。
だから挑戦はやめ、安定をとる。
そんなことを思ったのは、
今、自分が“夢の中腹”にいて、
今の状態でも十分満足という思いが、
あるのではないかと思ったから。
そしてまた自分だけでなく、
周囲にもそれなりに夢を実現している人が、
結構いっぱいいるんだけど、
その先、あと一歩、二歩のところで、
足踏みしている人が多いなと思ったから。
きっと山の中腹で満足してしまったんだろうな・・・。
休憩のつもりが、いつのまにか中腹を最終ゴールに変更し、
頂上まで行くことをやめてしまったのかなとか。
今日、9月に出る写真集の最終校正をしてきた。
これまで出た私の写真集を並べてみると6冊目となる。
著書としては10冊目になることに、
自分自身が驚いていた。
ほんの数年前まで著書1冊が出せず、
はがゆい思いをずっと胸に抱き続けてきた。
なぜ本が出せないのだろう。
実力はあるはずなのに。
認めてくれない社会が悪い、システムが悪いと、
恨み節をつぶやいたことも数知れず。
ところがはじめの1冊が出ると、
その後はぼんぼん本が出るようになった。
そこでふと思ったわけです。
今の状態が一番いいなと。
このままこのペースで本を出し続けていければ、
もうそれで十分じゃないかと。
今、私はきっと山の中腹にいる。
頂上をめざすのか、それとも中腹で満足するのか、
きっと迷っている。
もちろん、今、山の中腹にいるとはいえ、
まだまだ行きたい場所もあるし、
撮りたいものも書きたいものもいっぱいあって、
活動のペースをゆるめる気はまったくないんだけど。
頂上=夢を変えることは、別に“敗北”ではない。
自分がやりたいことなんて、
その時の状況や年齢によって変わるわけで、
頂上に行くとはじめに決めてしまったから、
途中で気が変わって、別に行きたくないけど、
行かなければならないという思考から、
無理やり頂上めざしても、ろくなことはないだろうし。
どこまで登れば自分は満足できるのか?
ここから見える景色が自分にとっての頂上=夢なのか?
きっとそんなことを考えながら、
みんな夢の旅路を歩いているのかもしれない。
Tweet
