自分には関係ない他人事と突き放せるだろうかと、
ふと最近思う。
私たちは違法な薬物に依存していなくても、
何かに依存した生き方をしてはいないだろうか。
親に依存。
恋人に依存。
友人に依存。
子供に依存。
ペットに依存。
会社に依存。
国家に依存。
宗教に依存。
借金に依存。
ケータイに依存。
mixiに依存。
テレビに依存。
ゲームに依存。
ギャンブルに依存。
お酒に依存。
たばこに依存。
セックスに依存。
音楽に依存。
ポテチに依存。
人は一人では生きてはいけないし、
人はとっても弱い存在だから、
何かと共存していかなければ、
生きてはいけない存在だけど、
何かに頼りきる依存というのは、
何も薬物でなくても恐ろしいこと。
過疎化に見舞われた徳島の漁村が復活を遂げたのは、
行政からの依存をやめたからだ。
依存していた行政があてにならなくなり、
このままでは衰退してしまう。
そこで自分たちで立ち上がることに決めた。
もちろん漁村の人たちの力だけでなく、
いろんな人の協力があってこそ、
過疎化から脱することができたわけだけど、
彼らは何かには依存していない。
何かに頼りきるのが当たり前になれば、
自分の足で立てなくなってしまう。
頼っていた何かがなくなってしまった時、
寄生していた自分は生きていくことはできなくなる。
自立した個人が自分の特性を活かしながら、
お互いに過度に依存するのではなく、
互いの価値観を認め合いながら、
時に助け合い、時に競い合いながら、
共存していくのがきっと理想の社会なんだろう。
依存というのは恐ろしい病気だ。
パブロフの犬がごとく、
飼い慣らされていくと条件反射で、
音を聞いただけで唾液が出てしまう。
慣れというのは恐ろしい。
自分の意志に関係なく、
慣性の法則によって、
習慣化したものがなくなった途端、
発狂し、精神に異常をきたす。
芸能人の薬物依存のニュースをきっかけに、
自分が何かに依存していないか、
見直してみてはどうだろう。
ほとんどが慣れの問題。
慣れを断ち切って、ないのが当たり前になれば、
依存しなくても生きてはいける。
もしくは依存ではなく共存し合うこと。
自立した個の集合体となれるか、
何かに依存した個の集合代となるかで、
組織や国家の盛衰は決まるんだと思う。
まあえらそうなことをいう私は、
重度のポテチ依存ですが(笑)。
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