世界一人口密度の高い町~軍艦島レポート
2009年 09月 26日
周囲わずか1.2kmの島に、
最盛期の1960年には、なんと約5300人が暮らしていた。
当時の東京の人口密度の約9倍以上で、
世界一の人口密度を誇ったといわれる。
炭鉱で栄えた軍艦島(正式名称は端島<はしま>)。
長崎港から船で約40分。
東西わずか160m、南北わずか480mのちっぽけな島が、
日本でも西の端にある島が、
日本一、いや世界一、活気にあふれ、
繁栄した時代があったということだ。
日本最初の鉄筋高層集合住宅ができたのもここ軍艦島。
1916年(大正5年)に完成した。
7階建ての建物である。
これだけ人口も多いので小さな島にもかかわらず、
7階建ての小中学校もある。
1958年に建築された。
昭和30年代には、長崎県内でもトップクラスの、
電化製品普及率を誇ったという。
いわば、日本で最も繁栄した町といえるだろう。
しかし石炭の採掘はハイリスクハイリターンの仕事といえた。
軍艦島は海底炭鉱。
海面下1000m以上の地点にも及ぶ場所で、
気温30度、湿度95%という条件のなか、
過酷な労働を強いられた。
繁栄、利益の代償は決して安いものではなかった。
それでも石炭がエネルギー源の主軸であり、
敗戦から戦後復興を遂げる日本にあって、
軍艦島をはじめとする炭鉱産業は、
輝かしい“勝ち組”業界であっただろう。
ところが石油の登場で状況は一変。
石炭から石油に急速にシフトしていく社会構造のなか、
最も輝かしい石炭産業は、
最も未来のない斜陽産業へと急転してしまう。
軍艦島も出炭量の減少とともに人口も急減。
1974年には閉山となり、炭鉱しかない島は無人島となった。
こうして軍艦島は無人の廃墟となり、
炭鉱以外に産業があるわけではない島は、
建物が解体されることもなく、
日本の“粗大ゴミ”となった。
そのおかげで、かつての高層住宅や学校などが、
見事に残る廃墟島となった。
これだけの廃墟が残されている場所はそうそうないだろう。
軍艦島は産業遺産としての背景を持つことから、
単なる廃墟マニアの観光地としてだけでなく、
歴史的意義のある興味深い場所であることから、
2009年4月から一般公開され、観光地化され、
また世界遺産にしようという動きもある。
先日の日記で、会社が業界はだいたい30~50年で潰れると書いた。
勝ち組企業、勝ち組業界に入れば安心だと思ったら大間違い。
かつて世界一の人口密度を誇った軍艦島は、
一転して無人の廃墟と化したように、
どんな企業も業界も、
社会構造の変化や新たな技術の登場により、
一転して負け組企業、負け組業界になる可能性がある。
「どうしてくれるんだ!国が悪い!生活を保障しろ!」
と言ったところで社会の流れは変えられない。
鉄砲が登場したのに、弓で戦って、
「鉄砲を使うのは卑怯だ!」と騒いだところで、
死ぬのは新技術に適合できない自分なのだから。
社会の栄枯盛衰を考える上でも非常に興味深い軍艦島。
ぜひ一度、行ってみることをおすすめします。
軍艦島へは船会社や旅行会社が長崎港発のツアーを催行しています。
上陸するツアーは所要3時間(上陸せず軍艦島を周遊するだけのツアーもある)。
軍艦島に行く前に懸念していたことが2つあった。
1つは、観光地化されてしまったため、
廃墟内へは立ち入ることができず、
見ることができるのは、
観光用に整備された220mの見学通路からのみ。
そんなんで行く意味があるのかと不安に思っていたが杞憂でした。
見学通路からでも廃墟の迫力は十分です。
(私が撮影した写真もすべて見学通路からのものです)
もう1つは、上陸できない日もあるということ。
風速が秒速5メートルを超える、波高が0.5メートルを超える、
視程が500メートル以下、といった条件の日は、
上陸できず周遊のみで終わってしまう。
どうせ行くならなんとしても上陸したいと思ったので、
5連休全部を長崎で宿泊し、
上陸できるまで軍艦島にトライしようと思いました。
上陸したいという方は、最低でも2泊して、
予備日を設けた方が上陸確率があがると思います。
ちなみに長崎には軍艦島と同じように、
炭鉱で繁栄した島がある。
今回はその中で、高島と池島に行ってきた。
高島は炭鉱島の面影はほとんどなく、釣り客が多いさびれた島に。
池島はなんと炭鉱施設も残っていて、
団地廃墟が100棟もある、第二軍艦島といったところです。
あわせて訪れてみるとよいかと思います。
軍艦島写真
http://www.kasako.com/0909gunkanfoto.html
写真貸出