理由はなんなん?」
コンビニすら車で30分も行かないとない、
辺境集落、徳島の漁村、伊座利に再訪した時のこと。
以前、この漁村に2年ほど住んでいた、
子供もいる若夫婦が「また戻ってきたい」との言葉に、
定置網漁の親分が不信感を持って、
この夫婦に問いただしていたのが印象的だった。
若者が少ないこの漁村にとって、
子供もいる若夫婦で、
しかも以前に住んだことのある人なら大歓迎のはずだ。
しかしこの漁村ではそういう“甘え”た態度はしない。
歓迎どころか、
都会の生活が厳しいから、のんびりしたいみたいな、
そういう“不純な動機”ならば、
受け入れ拒否するといわんばかりの態度だ。
都会の生活がイヤだから、厳しいから、
田舎でのんびり暮らしたいという人は多いだろうが、
金を持っているリタイア世代ならともかく、
これからも働いて生活費を稼がなければいけない、
所帯持ちの家族にとって、
田舎で暮らすことは都会とは違う厳しさがある。
職探しの難しさ。
整備はされていない教育環境。
都会のような利便性のない環境。
都会とは違い、逃れられない限られた人間関係・・・。
そういう厳しさを覚悟した上で、
それでも田舎で暮らしたいというなら、
来てもいいという“面接”を、
仮に2~3年の短期間の移住であっても、
ここでは厳しく行う。
実際、定住希望者でも、この面接によって、
受け入れ拒否した家族は何組もいるという。
それはこの漁村が傲慢なのではなく、優しいからなんだと思う。
いい顔をして何でもかんでも受け入れたところで、
あとからミスマッチが起きて、
結果すぐ村を立ち去ってしまうようなことになれば、
来た人にとっても漁村にとっても“無駄”になってしまう。
ミスマッチが起こらないよう、
はじめにハードルをきちんと設けて、
それでも来たいという人だけを受け入れる、
この漁村のやり方はとても親切だと思う。
さらにこの漁村には、
新たに20代の若者が2人来ていた。
ともに漁師希望。
どちらも来てから1カ月未満だったが、
とても漁村に馴染んでいた。
定置網漁の親分は若者が来てくれたことを、
とてもうれしそうにはしていたが、
「まあずっとここに居てくれるかはわからなんけど」
と冷静に見ていた。
この漁村でいいなと思うのは、
こうした若者を強引に引き止めようとしないこと。
大事な若者が来てくれたから、
何が何でも定住させようと、
変に特別扱いしたり歓待することもなく、
適度な距離感を保ちつつ、
来るものは拒まず、去るものは追わず的なスタンスで、
彼らと接していた。
決してお客様扱いしないのだ。
田舎暮らしにせよ農業やりたいにせよ、
大企業に就職したいにせよ、マスコミ志望にせよ、
現実の厳しさに目を向けず、
いい部分の憧ればかりを期待したものの、
後からギャップを感じて、辞めてしまう人がたえない。
それは志望する人が悪いだけでなく、
受け入れる側がはじめの段階で、
きちんと言わないからいけない部分も多々ある。
商品やサービスの営業手法でもそうだけど、
メリットばかりを宣伝して、
デメリットやリスクを説明しないと、
はじめは売れたとしても、
後からクレームになり、結局は長続きしない。
今も田舎暮らしや農業志望者などは多い。
しかしそれが本当にやりたいからなのか、
田舎生活の厳しさの覚悟はできているのか、
単に消去法的選択で、
都会がイヤだからみたいな理由だと、
結局、またどこにもない別の場所(ユートピア)を、
追い求め続けることになりかねない。
この漁村のようにはじめに厳しさを伝えてくれる田舎は、
そう多くないのではないか。
一時のイヤから逃げ出すための、
田舎志望や農業志望ではなく、
自分が何をしたいか、どんな生活をしたいか、
しっかり見つめてから考えたい。
ちなみに世界や日本の“辺境”ばかり旅している私は、
絶対に田舎暮らしは無理だと思う。
都会の便利な生活に慣れきってしまったら、
たまに旅するのは楽しいけれど、
自然が美しいとか言われたところで、
不便な田舎生活はできないだろうな・・・。
まあだからこそ都会にはない魅力を感じ、
旅するんだろうけど。
そういえば私、中学生の頃、
何を思ったか「スイスに留学したい」とか、
一時ほざいていた。
自分自身ではかなりマジなつもりでいた。
でも本音のところは日本がイヤで受験がイヤで、
だからなんとなく良さそうなイメージのある、
海外のスイスに行きたいなんて、ほざいてなんだろうな。
小さな漁村の奇跡の復活劇~徳島県・伊座利地区
http://kasakoblog.exblog.jp/9913849/