技術より心、行動の前に目的
2007年 04月 04日
飛びぬけた才能(能力)は感じないけど、すごいな、と思う人がいる。
仕事やプライベートで、いろいろな「クリエイター」的職業の方に会う機会が多い。
ライター、カメラマン、デザイナー、イラストレーター、
ミュージシャン、タレント、俳優、モデルなどなど。
どんな仕事でもそうだと思うんだけど、
こうした職業は才能や能力に左右される面が大きい。
でも最近すごく感じるのは、
どんなに才能が素晴らしく、どんなに技術があっても、
そこに心が込められないと感動しないんだなってこと。
それは映画とかでもそうなんだけど、
「俺はこんなにすごい技術ができるんだぜ」って技だけ見せられても、
そこに心がないと、何か意図がないと、
「だから何?」って言いたくなることも多い。
自分の才能を活かして活動しているんだけど、
いつまでたっても同じことの繰り返しで、
進歩がない人がいるのを見ると、すごく「もったいないな」と思う。
才能はあるのに、なぜか進歩がないかといえば、
行動の先にある到達点や明確な目的がないからだ。
何でもいいと思う。
億万長者になりたいのか。会社にしたいのか。
会社の規模をでかくしたいのか。仕事よりプライベートな時間を優先したいのか。
自分自身の人生のプライオリティ(優先順位)がはっきりせず、
でも才能があるからどんどん仕事は舞い込んできて、
それにただ漫然と流されるうちに、ただなんとなくで終わってしまう。
逆に、ものすごい才能や能力を感じるわけではないんだけど、
会う度に成長し、夢を一歩一歩、実現している人たちがいる。
このような人たちの共通点は、明確なビジョンと長期的な目的、目標がしっかりしていること。
何のために何をやり、何をめざすのかさえしっかりしていれば、
才能うんぬん以前に「夢」というとでかすぎるかもしれないけど、
直近の目標や自分の目的は確実に実現する可能性が高いと、つくづく感じさせられる。
才能があってビジョンがないと、その技術が悪用されてしまったりする。
才能がなくてもめざすべき目標がはっきりしていれば、後から力がついてくるし、
そこに情熱(心)がこもっているから、
他人を感動させたり、他人を動かす力になる。
別にビジネス的な成功でなくても、
たとえば自分はそんなに金はいらないから、
プライベートの時間を充実させたいとか、
趣味に力を注ぎたいとか、そういうんでもまったく構わないと思う。
そうした考えが自分の中で明確化していれば、
普段の行動が変わっていき、自分のやりたい方向に向いていく。
よく自分には才能や能力がないという人がいる。
でもそれは言い訳に過ぎない。
「才能とは持続する情熱である」
才能がないのは自分に情熱(心)がないだけなのだ。
ようはやりたいという意志が弱いだけだと思う。
一方、才能や優れた技術を持ちながら、伸び悩んでいる人。
きっとそれは心がこもってないから。将来的なビジョンがないから。
だから技術に溺れて日常に流され、
「すごいね」って言葉だけで終わってしまう。
私もちょっと前まで自分にずっと言い訳ばかりしてきたけど、
このことに気づいた時に、自分の目的や目標を、
なんとなく自分の心の中で思っているだけなんじゃダメなんだと思い、
「トラベルライターになる」「作家になる」「総理大臣になる」という、
大風呂敷を他人に見せるように、プロフィールに公開するようにした。
まだ何者にもなっていない時、
こうした「夢」を聞いた多くの人は真に受けてくれない可能性もある。
特に、家族や親友など近しい存在になればなるほど、
心配や不安が先にきて「そんなのやめておきなよ」と、
親切に忠告してくれるのが常だ。
でも自分が自分を信じなきゃ、誰が信じるというのか。
自分に自信がなきゃ、何もはじまらないし、何者にもなれない。
心をこめて、明確なビジョンを持ち、その上で行動すれば、
たいていのことは実現するんじゃないかと思う。
時代や社会はひどいかもしれないけど、
自分が変わらなきゃ何も変わらないと、
先日インタビューした人がいっていたけど、それにすごく共感した。
一人一人が楽しく生きれば社会はよくなる。
一人一人がつまんなく生きていると、
しょうもない不正を働いたり、どうしようもない犯罪をしたりしてしまう。
明確なビジョンがなく、技術や知恵だけあると、
たちの悪い、手の込んだ犯罪に加担したりする。
それこそ今の政治家や官僚や大企業のように。
一人一人が手段である才能や能力を目的化せず、
才能や能力によって実現すべき目的をしっかり持ち、
前向きに、楽しく生きていけば、
世の中、変な犯罪や不祥事とかなくなるんじゃないかと、
そんなことをちょくちょく感じる毎日です。