気持ちの強さが技術を上回る
2010年 06月 20日
それは「気持ちの強さは技術を上回る」ということだった。
闘志を剥き出しにしてプレーしていたと私が感じた、
DF闘莉王、GK川島、DF長友、MF松井などは、
気持ちを全面に出すことで、積極果敢なプレーができ、
技術以上の実力が出ているのではないかという風に見えた。
一方、途中出場の中村俊輔などは、
何かこう、こわごわやっているというか、
きれいなプレーにこだわっているのか、
弱い気持ちにつけこまれて、
相手にボールを奪われるシーンが目立ったように感じた。
サッカーに限らずどんなことでもそう。
強い気持ちを持って臨んだ人の方が、
技術力や実力に関係なく、
どんどん成長し、結果を出していく。
一方、どんなに素晴らしい技術や実力の持ち主でも、
気持ちが弱いと本番で力を発揮できず、
思わぬ失敗ばかりしてしまう。
日本では闘志を剥き出しにすることは、
かっこわるいという風潮があるように思える。
気持ちを全面に出して、積極果敢に行動すると、
下手をすると「空気がよめない」「目立ちやがって」
「実力もないくせに」みたいな嫉妬心が渦巻いたりもする。
挙句の果ては、雰囲気を乱すといった理由で、
出る杭は叩く風潮があるように思う。
そうした雰囲気に慣れ親しんでいるせいか、
闘志を剥き出しにすることをしなくなり、
上品に、優雅に、静かに、かっこよくプレーすることばかり
無意識に考えるようになってしまう。
サッカーでも仕事でも人生でもそう。
もっと泥くさくやってもいいんじゃないか。
もっと自分の気持ちを前面に打ち出し、
失敗してもいいぐらいの気持ちで、
果敢にチャレンジしてもいいんじゃないか。
どんなに技術があっても、
魂がこもっていないものは心をうたないように、
どんなに実力があっても、
気持ちがのりうつっていないと実力を発揮できない。
気持ちの弱さは相手につけこまれる原因となり、
「こんなはずじゃなかった」
「俺はもっとできるはず」
「今日は運が悪かった」などと毎度のように言い訳して、
いつも結果が出せないまま終わってしまいかねない。
闘志を剥き出しにして積極果敢にチャレンジすることは、
別に決して無謀に突っ込めということではない。
サッカーでいうなら、私が上げた4人は、
それぞれ自分の役割を理解し、状況を理解した上で、
そのうえで自分がなすべきことに、
強い気持ちを持って望んでいる。
その強い気持ちがプレーにも表れ、
気迫なようなものが相手を萎縮させる要因ともなる。
日本人は自信がなさすぎるのかもしれない。
謙遜が美徳だと思っているが、謙遜は美徳ではない。
謙遜ばかりしていると、
いつしかどんどん自分を自分で過小評価し、
その評価に合わせるように実力が下がってしまう。
日本社会は誉めるのが下手な社会なのかもしれない。
うまくいった時に誉めてあげれば、
人材は伸びていくのに、
うまくいった時はやって当たり前、
失敗したら「ほれみたことか」と言わんばかりに、
批判の嵐をするから、プレーがどんどん萎縮してしまう。
自信を持って強い気持ちで試合や仕事に臨む。
実力があるとかないとか関係ない。
本番でははったりでもいいから、
闘志を剥き出しにして相手を萎縮させる。
日本は素晴らしい技術を持っていながら、
それをグローバルの競争でうまく活かせないのは、
強い気持ちが足りないからかもしれない。
一人一人が毎日の生活のなかで、
強い気持ちを持って臨むこと。
それが今の日本に必要なことではないかと思う。
失敗すると思うから失敗する。
つまらないと思うから人生つまらなくなる。
自分は成功する。
自分の人生は楽しい。
そういう気持ちを持って臨めば、
自ずと人生は開けていくと思う。