人生は山登りのよう
2010年 08月 24日

この時期になると登山の遭難ニュースが増える。
場合によっては大きな事故になったりもする。
そんな時、山に登らない人は、
テレビに向かってこうつぶやくわけだ。
「わざわざなんで山なんか登るんだよ」
「装備ちゃんとしておけよ」
「天気が悪いんだったら辞めればいいんだよ」
「もともとその年で登るなんて無理なんだよ」と。
日曜日に3000mの山に登って思った。
山登りって人生のようだと。
山を登るには時間もかかるし体力も使う。
疲れるし、かったるいし、大変だ。
でも山に登って頂上にたどり着けば、
素晴らしい景色が広がっている。
だから人は「無謀」と言われようと、
山に登ってみたくなる。
山に登ったことがない人にはわからない。
頂上からの素晴らしい景色を。
今いる自分の景色で満足している。
だからわざわざ山を登る人をバカにする。
やめておけばいいのに。
ほれみたことか。だから失敗するんだと。
でもそれはとてもかわいそうな発言だ。
頂上からの景色を味わったことがない者は、
山の登らない限り、一生、その感動を味わえない。
まさに山登りは人生だなと思った。
頂上=目標・夢にたどり着けば、
素晴らしい景色が待っている。
一度、その感動を味わうと、
さらなる感動を得るために、
もっと高い山、今まで登ったことがない山を登りたくなる。
自分の実力はどの程度あり、
どのぐらいの山(夢)を登るべきか。
登る山を決めたらどういうルートで頂上(夢)をめざすか。
山に登るにはいろいろな道がある。
どこからどうやって登るのか。
それは自分の判断次第。
タイミングも重要だ。
晴れの日なのか雨の日なのか。
暑い日なのか寒い日なのか。
いつ登るかによって、
頂上に登るまでの苦しさが違うし、
頂上に上った時の景色も違う。
雨の日に強行して登ったところで、
せっかく頂上に上っても、
何も見えずに終わってしまうこともあるだろう。
いやもしかしたら頂上だけは晴れているかもしれない。
そんな時、今、山に登るべきか、
判断しなくてはならない。
その判断によって山登り=人生の感動も大きく変わっていく。
時には勇気ある撤退も必要だ。
しかし一度、登りはじめた山=夢を途中であきらめるのは、
とても難しい判断だ。
あきらめて違う山をめざした方がいい場合もあるし、
あきらめず頂上めざして強行した方がいい場合もある。
山登りって人生のよう。
どこの山にいつどうやって登るかは自分次第。
それと同じように、
生きていくなかでどこに目標を置き、
どのような方法でそれを実現するかは自分次第。
無数の選択肢から1つを選び取り、
その山にチャレンジしていく。
達成した時の感動を味わいたいがために。
そんなことを思いながら山に登っていた。
山に登ることは1つの目標=夢を実現すること。
だからかつて山登りは、修行や山岳信仰の場にもなったのだろう。
的確に状況を判断し、困難を乗り越え、頂上に無事にたどり着く。
その行為自体が人生で夢を実現するための準備運動みたいなもの。
どこの山(夢)に登るかは自分次第。
どう登るかも自分次第。
いつ登るかも自分次第。
でも山に登らない限り、頂上から見る感動は味わえない。
どうせ一度きりの人生ならば、
自分の山(夢)を見据えて、
頂上にたどり着いた時の感動を胸に、
一歩一歩、山を登っていってみてはどうだろう。
山登りは人生のよう。