「私がすべて悪い」と。
でも世の中にそんなことってほとんどない。
世の中で起こるいろんなことは、
いろんな人が関わりあい、いろんなことが絡み合い、
その結果、生じたもの。
「すべて自分が悪い」って、
ある意味では、非常に思い上がった考え方だ。
そんなにあなたはえらいのか。
そんなにあなたは影響力があるのか。
そんなことはない。
自分ひとりだけのせいで起こることなんて、
ほとんどない。
「すべて自分が悪い」って、
ある意味では、現実から「逃げる」ことでもある。
目の前に起きている現実を、
冷静に分析することなく、
他人を責める勇気がないから、
「自分は悪い」といってしまえばラクになる。
でもそれは現実をちゃんと見ていない。
自分はちっとも悪くなくて、
すべて他人のせいだという人は、
とってもたちが悪いけど、
自分がすべて悪くて、
他の人はすべて悪くないという人も、
善人に見えて、実はたちが悪い。
すべての責任を自分一人で背負い込む必要なんか、
ぜんぜんない。
ちゃんと目の前に起きている現実を、
冷静に見なくっちゃ。
そんなに力を入れすぎなくていい。
そんなに自分を責めなくていい。
100%悪人なんてこの世の中にそう多くはいないんだから。
自分だけを責めることは、
最もラクな方法だけど、
それは正しいやり方とはいえない。
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げて、
傷つくことで生きてる証を得ることは簡単だけど、
それは倒錯した考え方。
一人のせいですべてが悪いことなんてない。
自分だけを責めないで。
もっと気持ちをラクにして。
時には他人のせいにするぐらいの、
ずる賢さを持ったっていい。
人のせいにしたって、
それが正しい分析なら、
嫌われることなんかないから。
自分だけをいじめたって、
誰も同情なんかしてくれないから。
自分だけを責めたところで、
余計に虚しくなるだけだから。
必要以上に自分を責めないで。
泣きたくなることがあれば、
思いっきり泣けばいい。
怒りたくなることがあれば、
思いっきり怒ればいい。
そんなことしたって、
ぜんぜんみっともなくないんだから。
そんなことしたって、
誰も嫌いになったりしないから。
100%の悪人がいないように、
100%の善人なんていないわけで、
自分が100%の善人じゃないからって、
それを執拗に責め立てる必要なんかない。
そんな人、どこにもいないんだから。
自分が100%の善人になれると思っていること自体、
おかしい。
そんなの誰もなれっこない。
だから自分だけを責める必要なんかない。
自分に完璧を求めすぎてはいけない。
完璧な賢い人なんかどこにもいないし、
みんな人それぞれ、愚かな部分や弱い部分や、
至らない部分をいっぱい持っている。
それが「普通」なんだから。
自分を責めすぎず、他人を責めすぎず、
完璧を求めすぎず、
ちょうどいい具合の、折り合いを探っていけばいい。
それが「普通」の人間が、
いろんなことが起きる毎日の生活のなかで、
少しでも未来を前向きに、いい方向に、
進めていく考え方なんじゃないかと思う。
自分だけが悪いなんて、
そんな驕った考え方、
そんな逃げた考え方をしてはいけない。
自分だけを責めず、
思いっきり深呼吸して、
目の前に起きる出来事を、
時には突き放した目で見て、
気持ちをラクに持てばいい。
起こってしまったことを後悔してもキリがない。
自分を責めることは過去にこだわり続けること。
過去は変えられないが、
未来はいかようにでも変えられるのだから、
自分だけを責めるのをやめて、
明るい未来にするために、
何をしたらよいか前向きに考えればいいと思う。