チベットがなくなる日
2001年 01月 15日
僕は新聞は朝刊しか頼んでいないのだが、なぜか今日に限って、配達員が間違えたのか、夕刊が入っていた。
「別に夕刊なんか大して読むところないのに」と、何気に新聞を開いてみて驚いた。
一面のトップが、「チベットを鉄道走る」という記事だったのだ。
1999年、僕は中国・ゴルムドから約1100kmの道程を、バスで30時間かけてチベット・ラサに旅した。
平均標高4000m、5000m以上の峠を二つ越える難所の道程を、オンボロバスで走るのだ。
これほどきつかったバスの旅はなかった。
しかしその甲斐あって、到着したチベットは美しい場所であった。
その時、鉄道ができるという噂は聞いていた。
確かに中国ゴルムドからチベットに行く道の途中に、鉄道の路線を工事している箇所を何度か見掛けた。
しかし本当に建設するとは到底思えなかった。
全く何もない高原地帯に、しかも異常に標高の高い地に、
1000kmもの鉄道を敷設するというのは想像を絶する難事業のはずだからだ。
しかしこうして朝日新聞がトップで紹介するからには、本当に建設するのだろう。
チベットに行ったことがあるだけに、この記事を他人事とは思えず食い入るように読んだ。
チベットは中国から独立したがっていて、チベットの最高指導者ダライラマは現在インドに亡命中。
昨年は、高僧の一人がチベットから脱出してインドに亡命した事件もあった。
こんな非常に微妙な地区に鉄道を敷設するということは、単に「観光の切り札」としてだけではなく、
非常に政治的な意味を持ち合わせているのだ。
鉄道ができれば、中国人・中国文化・さらには高度成長真っ盛りの近代化文明までもが、
固有の文化を持った自然と共に生きるチベットに、一挙に運ばれることにある。
これは実に恐ろしいことだ。
鉄道が完成すればチベットの固有の文化は急速に失われ、中国の単なる一観光地としての位置づけに堕するだろう。
今でさえも、中国近代化の波と政治的抑圧によって、チベット文化が失われつつある。
現在では、チベット固有文化を残している地域は、チベット本土よりむしろネパールやインドに移ってしまっているのだ。
あの苦難のバス旅をせずに、鉄道でチベットに行けるということは、
旅行者にとっては非常に魅力的なことだが、そんな背景があるだけに手放しでは喜べない。
奇しくもこの夕刊を見た夜、僕はチベットで出会った旅行者と飲むことになっていた。
その旅行者も、僕の家に来るなり真っ先に目を奪われたのが、この新聞記事だった。
この先「チベット」がどうなってしまうのか。
「チベット」がなくなる日が、この鉄道建設によって大きく早まってしまう可能性は高い。