罪と罰・あとがき
2001年 01月 31日
というのも、ここで書いた話は、夢で見た本当の話だからだ。
正月に東海道遠征に鈍行を使って行っていたのも本当の話。
そして、どうやってキセルをしようかと真剣に考えていたのも本当の話だ。
そんな時、この夢を見た。
キセルに成功するが、全然関係のない罪を着せられそうになる夢だ。
「罪と罰」
悪い事をするとどこかでそれがはねかえってくるよ、という暗示の夢であったかのようだ。
ある罪をしたからといって、その罪の罰を受けることになるとは限らない。
しかしそのつけは、どこか違うところで罰として与えられるのではないか。
実に暗示的な夢で、ぞっとしたのを覚えているが、じゃあキセルをしなかったかといえばやっぱりしたのである。
話の結末は、キセルをした証拠が冤罪を晴らす証拠になる、という皮肉で終わっている。
キセルをしたことを認め冤罪を晴らすか、それとも無罪を強行に訴え続けるか、
どちらか選択する事は難しいことだが、罪を犯したことはいずれどこかで罰を与えられるのだろう。
それにしても、よくもまあこんなにできた話の夢を見たよなと、我ながら感心する。
「これはつぶやきのネタになる!」とあわててノートにメモしたことを覚えている。
罪を犯したつけは必ず罰としてまわってくる。
しかしこれは理想論であると思う。現実はそんなによくできていない。
罪を犯しても捕まらない奴もいるし、正当な罰を与えられない場合も多々ある。
この夢は、現実社会の理不尽さに向けたメッセージであったかもしれない。
奇しくも、JRは運賃の誤表示で乗客から余分な金を取っていた事件が発覚した。
その罰が、キセルという形でまわってきているともいえる。
悪い事はやっちゃいけないんだよな。