取捨選択
2001年 01月 17日
僕は通勤電車でつり革に捕まって、宮本輝の短篇小説を読んでいた。
まだ眠くて幾分流し読みをしていた中で、ふと目にとまった言葉があった。
「取捨選択」
いい言葉だなと思って、一度本から視線をそらし、その言葉から沸き上がってくるイメ-ジを思い浮べていた。
本から視線を外し物思いに耽っていたその時、僕の目に信じられない光景が飛び込んできた。
外の公園で子供とお父さんがキャッチボ-ルをしていたのである。
僕は目を疑った。
今年一番の寒さではないかと思われるこのくそ寒い中、しかもまだ朝7時前で朝日さえ昇っていない暗い中で、
さらには休日でもなんでもない平日に、子供とお父さんがキャッチボ-ルをしているのだ。
ただでさえ「親と子のキャッチボ-ル」姿など見なくなった最近において、信じられない時間にキャッチボ-ルをしている。
これは一体どういうことなのだろうか?
僕は電車の中を見渡した。この信じられない光景に他の人も釘づけになったはずだと。
しかし誰も気に留めていなかったようだ。
というより、電車が通り過ぎた一瞬の光景に、誰も気づかなかったのだろう。
人間は同じものを見ているようで、全然違うものを見ている。
所詮、自分の興味あるものしか見ていないのだ。
逆に、自分が日頃から意識しているものには、敏感に視覚が反応する。
僕はなぜ無数の景色の中から、あの光景だけを選び取ったのだろうか。
冬の早朝の親と子のキャッチボールの光景が、僕に飛び込んできたのはなぜなのか。
人は知らぬ間にいろんなことを取捨選択しているんだな。