ささやかな配慮
2001年 03月 29日
またしても日本列島に激震が走ったが、過疎地域のせいなのか、被害が少ないせいかあまりニュースに取り沙汰されない。
そんな数少ない地震のニュースの中で、ぎょっとした場面があった。
地震のために新幹線が走ることができなくなったのだが、
それに対して異常なぐらいに駅員に乗客が怒鳴り散らしているのである。
「だって大地震なんだからしょうがないじゃん。駅員に文句言ってみたって何もはじまらないよ」と、
そのニュースを見て、僕は乗客のあさましさを思った。
ところが今日、その思いを考え直す出来事があった。
会社から帰る中央線でのことだ。
中野駅を出た電車はスピードに乗りかけたと思った途端、突然、急ブレーキをかけた。
そのかけ方は尋常ではなかった。そのため帰りの通勤客で混む車内は、つり革につかまれない客が将棋倒しになった。
そこまでの急ブレーキということは、きっと何事か緊急事態が起きたのだと、じっと放送を待った。
しかし放送は全くないまま、線路内で立ち止まっている。
まだ情報の収集中なのだろうかと思っていたが、何もアナウンスのないまま待たされる。
そのうち何もアナウンスなく突然電車は動き出し、次の駅に近づくと、
「高円寺、高円寺」というアナウンスだけで終わってしまった。
結局、なぜ急ブレーキをかけ、線路内でしばらく停車していたのかの説明は全くないまま終わったのである。
乗客は誰もが説明の放送を待っていた。にもかかわらず何事もなかったように平然とやりすごす車掌。
その時、僕は思った。
きっとこういうことが常日頃たまっていくと、本当の緊急事態時にちょっとでも説明が足りないと、
乗客の怒りが爆発するのだと。
ニュースで見た乗客にはじめは飽きれたが、何となく彼らの気持ちがわかるような気がした出来事だった。
ほんの一言で良かったのだ。
「非常信号が発せられたためしばらく停車します」でも「急ブレーキをおかけしてすみませんが、しばらくお待ち下さい」でも、
きちんとした情報でなくても、一言何か乗客を気にかける言葉があったなら、乗客は安心するだろう。
そのささやかな言葉がいえないために、いつかああして乗客の怒りが爆発し、
地震が起きたせいまで駅員のせいにされるような罵声を浴びせられるはめになるのだろう。
社会を円滑に運ぶためにも、ささやかな一言が欲しかった。