どこで遊ぶか
2001年 05月 16日
人は誰も、生涯の中で遊ぶ時間は同じである。
人間には遊ぶ時間が必ず必要である。
昔ならば子供の頃に目一杯遊ぶから、大人になるにつれ自然と遊ぶ時間は減っていく。
ところが今の時代、幼稚園だとか小学校から受験勉強漬けにされ、「遊べない」子供が多い。
こういう子供が大学生になるとどうなるかというと、子供の頃に遊ばなかった分を取り戻すように、
ばかになって遊び狂うわけである。
ところが今まで遊んでこなかった人間が、大学生になって遊んでもいいよといわれても、なかなか遊べない。
だんだん遊ぶ事に慣れ始めたときにはもう社会人になっている。
すると今度は「大学デビュー」ならぬ「社会人デビュー」をするのである。
この傾向は男性より女性に多く見受けられる。
仕事が終わりの時間になると、頻繁に携帯電話に電話やメールの着信音が鳴り響き、遊びのお誘いが入る。
明日も仕事にもかからわず、これまでの人生でろくに遊んでこなかったから、
その分を取り戻すんだといわんばかりに、元気に夜遅くまで遊びまくる。
こういう姿を見ると「ああ、この人はきっと高校とか大学でまじめで遊べなかった人なんだな」と思う。
でもやっぱり社会の健全化には、子供の時によく遊び、大人になるにつれ落ち着いていくことが望ましい。
子供の頃に遊んでないから、いつまでたっても結婚せずに遊びたいという人々が増えているのだ。
逆に20才ぐらいで結婚する人たちの大概は、中学高校と不良で、もうとことん遊び尽くしている人が多い。
だから早く落ち着けるのだ。
人間には年に合わせてやっておくべきことがある。
遊ぶ時に遊ばないと、大人になってもしょうもない遊びをいつまでも続けている無責任な人になってしまう。
そのためには大学入試を廃止するのが一番。
子供の時に勉強して、大学や社会人になったら遊ぶのではなく、子供の時に遊んで、大学の時に勉強し社会人になったら働く。
それが社会の健全な姿ではないだろうか。
大人が遊ぶのは子供が遊ぶのと違って、財力も知能もあるから非常に危険。
一歩間違えると犯罪になりかねない。
最近の大人の幼稚的犯罪は、子供の頃に遊べなかったことが最大の原因ではないだろうか。